2004年9月18日建築家堀井義博さんと建築あそび
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★★サイバーなカフェへ★★
・・・ リアルは金がいるし、借りられないけど
WEBってそれっぽいことはやってみたら出来るじゃないのと思ったんです・・ここから先は言うことがない・・それがいまあの状態です。・・佐藤さんからさっき指摘あったように 「
このビジョンから今の サイバーメトリックはほど遠いですよね〜まだまだやることは一杯ある」と思っているんだけど、・・どうやったらいいのか
意見を聞きたいというか
アイデアとか・
松田 書かせてもらっている身ですが、それでもそのビジョンについては知らなかった。
h:何でかかと言うとそれについて
喋ると頭で理解するでしょう。
さとう 笑う
松田: 堀井さんの話聞きながら・・・
喋っていいですか〜・・僕 実は
パリで 一寸違うんだけど・・フランスに行って思っただけど、そこはやること
全て専門家してしまっていて。
例えば二つの物が近接した状態で、お互いに
何んにも 相手がやっていることを互いに知らないという状態が何処にでもあり得るので・・ビジョンですよ・・例えばインターネットカフェとかあるじゃないですか・・
カフェとインターネットが一緒になっているわけじゃないけど、日本の中だとある商業スペース でこれとコレと一緒にして上手く行くみたいな・・そんなものが山ほどすでに出来上がっていて、上手い例が見つかんないけど・・例えばコインランドリーがあるじゃないですか・・コインランドリーへ行って本なんか読んでますよね・・あの隣にカフェ 在ったら、そこでカフェを呑んで戻ってくるわけだし・・
二つのものが一寸一緒にするだけで、全然良いビジネスになるなー みたいなものが一杯あるはずなんだけども、フランスは絶対無いんですよ。どういう物も一つ。この人はこれこの人はこれ・・それだけは凄いしっかりしていて、あらゆる所に
・・一番困ったナーと日本から行ってショックを受けたのは、
建築をやっている人同士が全然お互いに 横の繋がりが無くて、他の人がどういうことをやっているのか知らないんですよ。 他の事務所の人とも他の大学の人とも繋がりがないし・・僕も
フランスに行って日本みたいに色んな人と知り合えるかと思ったら、何にもしないと何も 広がらないし、
一寸はあるんですけど・・
パリはバーゼルとかチューリッヒみたいに物理的に狭くはないので、会わないですよ。
例えば
バーゼルだとみんなが必ず行く
建築家カフェがありますよね・・一軒。みんなそこへ行って知り合えますよね。パリはそういう所が無いから 建築をやっている人同士が全然出会わなくて・・横の繋がりが無いから、
なにをやっているか分からない。
1年ぐらいは言葉の問題もあるけども、フランスで建築をやっている人が 何をやっていて どういうネットワークでどういう風に建築を学んでいるのか分かんなかったんですよ
単純に言えばネットワーくが無いんですよ。みんな横に繋がって行かないから、他の人がやっていることが 全く興味がなくて、フランスで「
このままだとやっぱりだめだなー」と思って、「
どうしようか」と思って・・
「
建築家カフェを絶対フランスに作ったらいい」と思って・・「
どうしょか」と思って・・「
ぼくそれをやろう」と思ったんですよ。「
1年ぐらいあったら何とかなるかな〜」と思って
h:
サイバーメトリック ドット FRだな・・
会場笑い
おれはスイスに居たときにサイバーメトリック ドット CHはスイスドメインを取っていたよ。
会場笑い・・堀井さんどうぞ・・・
いま松田君がいった話は
重要なとこに触れかけていたんだけど、同じようなことは日本でも全く言えていて・・
同種の企業があるじゃないですか、同じジャンルをやっている
競合企業があるでしょう。あそこで似たような部門を持っていて、ほとんど同じ開発やっているわけですよ。
企業の競争の論理を主体にすれば、その競争はあり得ると思う。でも
社会としては無駄。こっちの企業でやっているソースをこっちの企業に・・ちょこんと入れればすぐ出でき 直ぐに解決するようなことはあるんですよ。
オープンソースの話は、
タダという事よりも、彼らの主張するそれのメリット。・・僕が書いた
プログラムを誰かがそれをいじって良いとう話があるわけ。何処がメリットがあるかと言うと、もう既に誰かが考えて書いたことを
もう一度同じ事をやることがないという社会的な生産。それは常に誰かがやっているんだったらそれを
再利用していいじゃない。
それにいちいち特許を掛けようってやりかた・・特許を掛けたら似たような、でも少し違うモノをまた一から作らなければならない。それって社会的に無駄でしょう・・だから
企業の論理とは全く逆ですよね。要は
主体が社会にあるんですよね。
私が今日 思いつきで考えた突飛なプログラム。設計図ね・・自分はそれの用途さえ分からない・・なんか面白いじゃない・・って作ったものが、これをここをちょいと書き換えただけでコレ出来るジャン、というね・・そういうアイディアのソースは世の中に一杯い有るんですよ。
それを
出会わせる可能性を
僕のソフトウエアーは作ろうとしている。そのためにコードをインターネット上にばらまいては、
地球の反対側に居る人がそれを再利用することも出来る環境も作っている。
僕はそれに いたく・・思想的に感銘を受けて、なんでそれが他のジャンルに出来ないんだろう・・プログラムは建築家の図面とかと違って、インターネット上の何処かに置いて、コレをダウンロードしてください。ダウンロードして見たら、コピーだけれど本物と寸分違わす同じだよね。
図面てそうでしょう・・ここ納まんないんだよね〜・・このサッシ納めたら終わりジャンとう話はあると思うけど、それは日本には無いんだけど・・俺の技術流通ルートからこう成るよ・・サッシの納まりなんてショボイ話だけど、そういう共存の仕方ってあると思うんですよね。
オープンソースの言い方を借りると、「
同じ車輪の二度の発明はやらない」という言い方があるんですよね。 車輪の発明をした人は 次はその車輪を何で動かすかについて考えればいんであって、車輪の構造そのものは変えてくれるな。
車輪は最初 軸があって
車があったら、押す状態だと。
牛に曳かせたら人間は楽が出来る。車輪そのものは発明しないんですよ。その牛が疲れて死ぬようだったら
燃料を燃やして、
蒸気機関を動かせばいいと成ったのが汽車で それをハンドルでコントロール出来るようになったらいい、となったのが
自動車でしょう。それに羽根つけたら、
飛行機。
そういう
技術は有るモノがベースになって、それに付加されて段々良くなっていく。こうやって社会がつくられているのに、その何処かをこれは
私のものだ・・と言ったら
佐藤 大笑い
「その瞬間に
社会の発展は止まるでしょう」というのが
オープンソースの人達の主張なんですよ。これは技術的な主張じゃなくて、
思想的な主張なんですよ。
リアル・カフェで考えたときもセンスの良い処というのはまさにそうだっと思った。それに
利益が絡んでいないから言える・・・。
同級生のやっている いまいち しゅっくりこないプロジェクトが、「
お前はここをこうすればいいじゃん」というようなことが あの
(製図室)空間では毎日起こっているわけですよ。それでソイツが学年優秀賞に成る可能性もあるわけ。お礼に打ち上げの時におごってくれるかもしれない・・
会場 笑い
でもそんなもんですよ。そのことの善し悪しではなくて、むしろそうやって教わったことは、
一事言ったヤツに あるプレッシャーを感じると思う。
要するに「
こいっはたいした設計者だ」と・・自分のプロジェクトはなんか理由は分かんないけど、うまく行かなかったんだけど・・卒業式の後に、「
お前のプロジェクトってもしかしたら、こここうやったら良くなったんじゃないの・・」とうい一言があるかもしれない
そういう
フィードバックはもの凄く
生産的だと思う。その一言が学年の優秀賞の選考には 何んの役にも立たなかったけど、3年後のプロジェクトに彼はそれを上手く使えるかもしれない。・・何かそういうことだと思います。これって良い例は無いんだけど、
そうやって「
利害を度外視した、純粋な行動って ないと いけない」と思うんです。
本気でそう思う。それがあって
これなんですけど・・・「
リアルな所では作れなので・サイトでよいから、人がアクセス出来るスペースを作ろう」と思ったのが、現在のこれの基礎になった訳だけど。 そこを作るときに何を考えたかというと・・自分がこういうことを考えていたんですよ
ウエブサイトだから内容が必要ですよね・・
☆☆ 二巻目終わり・・三巻目へ続く・・
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