2004年9月18日 建築家堀井義博さんと 建築あそび
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02 ★★ 1994年★★
☆☆ 1994年 ☆☆
h:1994年の段階で当時自分が勤めていた設計事務所に・・・
会場・・ざわめく・・携帯電話が鳴り出す・おれ・・オレ・・オレ・・・
たまたま鹿島出版のこういう
(SD)雑誌に たまたま参加する機会がありました。ここで画面に選んだ この表紙の
1994年の8月号は
僕のデビュー作ですけど・・ハイ・・
佐藤 差 し棒を渡す 会場 笑い
この雑誌は・・僕が調べた限りでは一番古いもので
1972年から、ちなみに
僕が
生まれたのは
1967年ですけど・・・72年からずと続いている
伝統あるコーナー、
海外建築情報というコーナーがありまして・・これは何をやっていたかというと・・この雑誌の厚さ8mmほどの月刊誌だったんですけど
この後ろのモノクロの頁で、こういう頁を持っていたんですね。デビュー号は94年の8月号・・
スライド内の堀井義博の名前の下に赤いアンダーラインが現れる 会場 笑う 受けてる・・・・松田 コレやりたかったナー・・
パラパラ漫画・・細かいこういうさー・・イフェクトがいちいちあるわけ
・・・・照れる堀井・・・・
会場 いいサービス精神だね〜・・うける・・うける・・
これは題名どおり、
外国の建築でどういう状況が起こっているかということを、雑誌の薄い、6〜7ミリ、そのぐらいの
雑誌の後ろの方の4頁とか8頁とか チョロっとした部分で、若い連中が外国の雑誌とかを漁りながら、「
いまどういう事が起こっている、どういう建築がいま作られているか」というようなことを
コソっと紹介するような・・。
新聞で言うと 漫画あるじゃないですか、 漫画の存在はみんな知っているでしょう、ああいうもんなんですよ。雑誌の一番後ろの広告の後ろにある、ゴミみたいなページで・・
海外ではどういうとこが起こっているかを紹介するような枠があった。それにた
またま参加するようなことになり ここに居たわけです。
海外建築情報という
若造の阿呆ドモ、
他の人はアホじゃないかもしれないけど・・まとめてこのコーナーを担当していたが
鹿島出版の
寺田真理子さんです
s:これみな学生なんでしょう
h:彼は違います。彼は鹿島建設のスタッフでした
(一番上の名前の方・・その下を指し)・・この辺からゴミだなー
会場 わらい
これは
山本想太郎君だんだから 今はゴミじゃなくなったけど、当時はゴミでした。彼
(最上段の名の人)は 鹿島の社長の住宅を担当するようなエリートですから・・・そうい話・・一応建築関係者 の
若造の欲求不満な人達が集まって ここで
欲求を吐き出すと・・そういうコーナーでした。 毎回
テーマがいちいちあるんです。このときはこれ・・
いまサイバーメトリックの伏線を話しているんです。みんな同じくらいの年齢です
松田達
(以下 m) 94年ということは堀井さんは
s 今から10年まえや
h:そうです
27です
m:当時は
若い人になにか
書かせる場があった。だけど
他になかったんでしょう。
はけ口というか
h:そうです・・集団欲望 はけぐち・・
会場 笑い
「
いいからここで欲望を発散してくれ」・・ただし「
テーマーはこうだったんです」 ようするに、言いたいことを言うんじゃなくて
代理レポーターみたいになって・・・
福屋
(以下f) もともとは
海外の雑誌 輸入されないくて 船便で来るから 見落とした人とかが・・それを見て 留学したとか・・
h:留学した人とかじゃなくって、
大学の研究室とかにしか無かったんですよ。大学に入ってくる情報が既に
2〜3ヶ月遅れているような状態だったんですよ。1994年の段階で。これが海外建築情報と名打っているのは
94年の段階においても充分機能していた。
崩れつつあったけど・・まそうだ・・さっきも言ったとおり1972年からあるんですね。
大学の研究室が・・半分以上広告の・・薄っぺらい外国の建築雑誌を
3ヶ月か4ヶ月もしかしたら半年ぐらい遅れて輸入しているのが
最新情報だったんです。だからこういうコーナーにまとめて その中のめぼしい情報をピックアップするというのは
当時としては意味があった
m: どうでもいいけどね・・それはなにか
今は最新情報が入ってきているみたいに聞こえるけど
h:
そうは言っていない・・
m: そう聞こえたら、一寸違う。
今でも全然 海外の情報は日本に入ってきていない。だけと当時 無いって聞いた中でも3ヶ月遅れで入ってきている。今も入って来ていないけども・・なんていうか・・
h: じゃ 言い方を変えよう。当時としては
それにしかパイプが無かった 。そういう言い方をしよう
f:
いまだったら、英語とかフランス語が読める人だったら
インターネットを検索すれば・・
h:
俺が言いたいのはwebサイトの話だから・・
会場 笑い・・
h:
webサイト自体が 当時は無い訳だから・・
もう話は終わったな
会場 言い捨てるほりい・・ 笑い・・終わらせちゃだめだなー・・まだまだ・・
h:1972年の段階でこのコーナーが重要だったかと言うのは、こういう例から分かるんですけど、・・
SD選書という このぐらいの、
B6版ぐらいの本があるじゃないですか。あれで、1972年ぐらいの・・ちなみに72年のこの
海外建築情報の担当者のチーフをやっていたのが
岡田新一さんだったりするんですけど、そういう時代の号は、1年から2年まとまったら
SD選書にまとめて出版されていた。
そのぐらい当時は大変貴重な情報だったんです。SD選書100何巻ありますけどSD海外建築情報が
トータルで6ぐらいまで出てます。その後出版されなくなっちゃって。
僕は出版されなくなった後の人間だから。要は
死んだ後の死体をまだ食いちぎっているような、そういう
バクティリアみたいな状態なんですね。
1994年はそういう状態だったと。
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