2004年9月18日建築家堀井義博さんと建築あそび
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10 ★★
オープン・ソース・ソフトウエアー★★
会場 わらい
もう・・未来の限界を見させられた人達が「
何かもっと良いものないのか」と思っていたことが、こういう
(本の売り上げ)数字に表れています。コンピュータを直接やっていない僕たちは知らないけれど、
水面下でフリーBSD大爆発していた。
一寸 幾つか、・・・いろいろなじみの無い言葉が出てきました・・いろいろ出しましたけど、こいういうものが 十羽一絡げに こう言って いいと思うんです
フリーソフトウエアーの世界は大企業がそれを作ることによって、それを売り 収益を上げては、そこからまた金を吸い取る仕組みとは、まったく違う 別の 互助システムがあるということを この一連の僕の話の中で言いたかったことです。
それに僕は気づいた。・・僕が気づいたって 僕が偉い訳じゃない。
やっている人が偉い。
1995年はwin95がデービューした年ですけど、その時点ですでに、
webという概念はありました。それに関してはマッキントツシュはずっと早かったんです。マックを使っている人達は当時遅いモデムの・・1万4千bpsだかの遅い回線で、
ピーギュルギュルとか いわせながら、アメリカの大学のwebサイトは見れた。winは当時できなかった。
win95の登場がみんなに福音をもたらす と思われていたのに、・・ある程度は実現した、だけど
Mac(マック)みたいに買ってきて繋いでポンじゃなかったんですよ。winはそこに至までに あと数年かかりましたねー・・。win95で出て来んだけれど、そこまで簡単に出来なかった。
何がが言いたいかというマックが偉いんじゃなくて、当時マックに実現させていたその・・例えば
世田谷区のぼろいアパートにいて、電話回線に繋いだら
地球の反対のwebサーバーつなげる仕組みを作ったのは誰か・・ということなんですけど・・
この人達がつくった・
・この人達がつくった。
プログラムを作ったら、
「それは私の持ち物だから私から買え」と言う人達ではなくて、「
私が考え出したこれは、社会に貢献する」と思って、
タダで放出した人達が作ったんです。
そんな風にして
社会の情報量が整備されて来たんです。それを
偶然一連の流の中で知ることになってしまった・・。それは僕にとって大変ショックなことで、・・何でかと言うと・・(Adobe)
アドビシステムさ〜
佐藤 おおわらい
h:・・バージョンアップのために 2万5千円払わなければならない。半年に一回の割合で、パッケージ買うときに8万円とか払うわけです。
お金の問題じゃなくて
自分たちが作ったプログラムを どういうに位置づけるかの問題だと思うんです。これは金になるかなと思ったら当然さっきのGIMPを作った人達だって「
フォトショップよりこっちの方が安いぜ」という売り方があると思うんですよ。
「
フォトショップと違って3千円で売ります」といえば莫大な儲けになると思う。1万円でもいいかもしれない・・場合によっては9800円でもいいかもしれない
GIMPとフォトショップを比べたときにフォトショップと ほぼ同等の機能があって、そんな風に店頭に並んでたら、たぶんGIMPはモット儲けたでしょうね。
でも連中はそう考えなかった。
そうではなくて プログラムというのはそもそも
プログラムを成立させるための、方法・C言語とかね、
プログラマー自身が考えたモノじゃない。それは誰かがアルゴリズムを考えたんです。どっかのメキシコの学生なんかが作ったらしいんですけど,基は・・その人はたまたま大学の数学科に行って、大学の授業料を払ったかもしれないが、C言語のアルゴリズムを学んだのは 別の数学の本から出たコンピュータの先生から学んだ。
つまりそれは自分は
何処からもらった訳です。数学で
+−÷×あるじゃない。あれ俺 考えてませんよ・・
佐藤 わらう・・それで儲けるのは いない・・会場ね・・・
h:あれは誰かが考えた。あれを使って作ったものは・「
・確かに作るプロセスは俺がやったけど、それを作るための そもそもの知識はもっと向こうにある」と彼らは思ってたんですね。
そのかわりGIMPというプログラムをつくった代わりに、「
いい加減な所もあるし 不具合な所もあるし、だからみんな直してよ」・・というわけですね。分かるヤツは一寸いじってよ・・
そうやって発展してきたのが、リナックスなんですけど・・「
知識はみんなで共有しよう」
という発想なんです。独り占めにして金にするんじゃなくて、知識は。「
そもそも自分が持っている知識自体がそもそも誰かが つくった知識だから、それを組み立てて もう一度世の中に出そうよ・・」 という発想 。
フリーソフト ウエアー バンケーションと呼ばれるモノ
fsfと呼ばれる。もしくは
オープン・ソース・ソフトウエアーと言われるモノですけど、そういう世界の人達が窮極に目指している世界です。
松田 そうく人達はどうやってお金を稼いでいるんですか
h:企業で働いている。
松田 働きつつ趣味でやっている
h:ああ・・いろいろ。今となっては 企業で働いていても 企業のオープン ソフトウエアーの部門に居る人達。いまはオープンソフトウエアーが・・いまの一連の流のなかから言って、IBMとかが何百億というお金を
オープンソースの世界に投資するようになったんで。当時はまったく無かったですよ。当時は「
どうやったら、このゴキブリ達を踏みつぶせるか・」
佐藤 笑い
・・そういう世界だったから。
地下組織だったんだけど、今はそういう世界じゃなっている。
当時は
大学で研究員やりながら、ほんとうに
お宅で作っている人達が多かったですね。今となってはそういう人達、
ほんの5年ぐらいの間ですけど。
今となってはそいいう人達はIBMの役員とかに呼ばれて、高い給料をもらって、例えばサンの高い給料をもらって、会社のために というよりは、
オープンソースソフトウエアーと企業が共存するために、どいうふうなプログラムの作り方と、お宅集団とのお付き合いが
あるかということを研究したりとか。別のエンジニアリングのレベルに行っていますよね・・今はね
プラス「
2001年宇宙の旅」のあの時代からズーット持っているような、IBMが隠してきた資産。 IBMはIBMなりにアルゴリズムを開発してきたり、いろんなハードウエアーを開発したり。 色んなプログラムを開発したりとかで、やって来たんだけど過去の遺産ですね・・そのまま眠らしていてもタダ古く成って行くだけだから。古くなってお蔵入りするだけだから、財産にも成らないんですよ。土地の場合は具体的な面積があるので 寝かして置くと 場合によって、周りが建って来たら値段が上がるじゃないですか。
プログラムって
アルゴリズムが発展して良くなればなるほど、昔のプログラムには何の資産価値が無くなるんですよ。それを猫可愛がりして大事にしていても何にもならないから、当時 自分らが何を考えていたか・・その設計図を
トットと表に出して、そこから読み取れて今日的な事をやった方が良いんじゃない
か・・というのが今のIBMとかは やっています。
昔のお蔵入りした古いプログラムを掘り出しては
当時の思想で
どういう理由でこういう
アルゴリズムを書いたのか・・
当時の限界はどうこうで現在だったらどういう風に出来るのか・・いうふうなことをやっています。
それでも使えないものは、ただの純粋なゴミだから、そのままシュレッダー入り。そういう情報整理を今やっていますね。
佐藤 水呑んで下さい
・・と水入りコップを堀井に 差し出す
うん・・おれ今
コンピュータお宅になるんだろうね・・まぁいいけど・・いわゆる牛乳瓶底の眼鏡を掛けている、こういう人達とは違う 俺たちにとっては、あんまり分かんなかったけど、たまたま知ったんだけど、
水面下で大爆発がありました。
確かにこの頃から、一寸大きな本屋であればパソコンコーナーに こういう文字とかリナックスとか沢山見るようになってきて・・・
2002年ぐらいがピークでしたね。
マックの雑誌が1冊しかないときにリナックスの本が5冊ぐらいあったから、どういうブームの推移か大体想像つくかと思います
じゃ僕がプログラマーに成るかというと、別にそういうわけじゃない。プログラマーの人達が自分の技術をどういう風に世の中に・・なんていうのかな・・
僕は再生産と言いたいんですけど。
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・・