2004年9月18日建築家堀井義博さんと建築あそび
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09 ★★Free BSD★★
2004年 9月18日 堀井義博サイバーメトリック講演 2巻目
・・フィーバーしたかった というのは、こういう事実があるんですよ。1997年段階で、
この本(FreeBSD)が出版されました。
「
ビルゲーツ未来を語る」
に勝ったんです。コンピュータ書籍の売り上げで・・
松田 日本で ですか
h:日本で、今回プレゼンするために調べた資料の中に出てきました、そのぐらいに 当時
bsdという コンピュータを使っている連中の間で爆発的な大フィーバーがあったんです。ちなみにジャバが最初にフィーバーだったのは1996年の夏です。その時にサンマイクロ・システムが最初のジャバの仕様を公開したときに、「
ジャバがwebを変える」と言って。
ありとあらゆるコンピュータ雑誌の特集が全部ジャバでした。
当時ジャバがなにかも分んない状態で「
ジャバなんだ」と思ったんです。いまだにジャバはそんなに普及していないですよね。携帯電話用の小さいゲーム・アプリとかに使われて、細々と生きているみたいだけど、インターネット=ジャバという世界とは違いますわね。
ジャバの思想はBSDの思想と共通するところがあります。なぜかというと
ハードウエアーとか環境に依存しないで
、プログラムを書いたらそれは何処でも動くということ。それは
ジャバのそもそもの思想なんです。マックだのwinだのドウデモいい。
ジャバを開発した会社は
サンマイクロシステムという会社ですけど、さっき言った
ソラリスという独自のシステムを持っていたもんだから・・「
プログラムを書いたら それは何処でも動かなければならない」・・「
何処でも動かなければおかしい」 という思想がジャバだ。
ジャバの発想の根本は何処にあるのかというと、プログラムコードが他方にあり それを読み取るための、ジャバはバーチャルなシーンというのを マックだのwinだのソラリスに移植することに成功した。
それは、エビネタです・・マックOSで動くバーチャルPCとかwinの上で動くフュージョンとか・・マックOSのNSのソフトウエアーがあるじゃないですか。
ジャバのハードウエアーの実体が無いもんだから、あらゆるプラットフォームに対して、ジャバの仮想環境というのを移植することに成功した。仮想環境の常としてそれは実行速度が遅いんですけど・・、それに成功して、その代わりにジャバでコードを書けば、ジャバ・バーチャルマシーン・・環境であれば、マックでもwinでもソラリスでもリナックスでもIBMが作ったAISなんでも動くようになった。そいういく環境を造った。
でも
あくまでバーチャルマシーンなんです。それは
winの上で動いたジャバ仮想環境。
このBSD達は「
winもマックもイラねー」と言い出した。そうじゃなくて「
ハードデスクをスッカラカンにして最初からこれにしろ」・・
netbsdはハードウエアーに依存しないシステムを作り始めた。
例えば 僕が小さい一体型のマックを持っていて、佐藤さんが古いpc98を持っていたとする。お互い古いマシーンね。でも
お互いに完全に同じシステムをそこにインストールすることが出来た。
これは結構大したことだ。例えばマックに慣れてる人がはじめてwinに触るったとき、
見にくい分かりにくい・・世界じゃない
佐藤 笑う
なぜかっていうと
システムが完全に同じじゃないから。これは一寸したことですよね。
netbsdは完全にユニバーサルを一方で目指していて、他方でそれぞれの機械ごとに持っている特性を全部・・取り込まなければいけないので、
開発速度の遅さがあった。
いつまで経っても発展しない、ビジョンはあるんだけど・・こいいう矛盾があったです
それに対してこの人達は「
それはやめよう」と言い出した人達。この人達は「
世の中に最も出回っている機械をベースにしよう」と言い出した。
「
マックだのwinだの全部 捨てろ 」と・・でこの本がビルゲーツの本より売れた理由はbsdがターゲットとした、当時の
AT互換機という、ウィンドウズ・マシーンと俗に言われるものですけど・・
それを持っている人の多さを物語っていますよね。
win98が出る前かですから、
そうとう〜ウンザリしていた。95年にはビルゲーツは未来を語っていたのに・・
会場 わらい
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