入門シリーズ 2024  佐藤敏宏は自身のことさえ理解できない人間なのだが他者に会い語り合う、そして記憶を共有し他者を想うことが好きだ。この20年間の小さい記憶を元に他者を記録しようとする試みを始める。 
 辻琢磨 入門    作成:佐藤敏宏 202405〜 
 01 出会い  02 生い立ち 03 辻琢磨さんの居宅   04 村上亜沙美さん
 05 建築を学んだこと  06 建築を教えたこと   07 これまでの作品を観て   08 更新設計がうまれる背景
 09 福島原子力発電所に立った人  
         


教えること

教育は近代社会の要である。近代社会では子どもは親の職業を継ぐわけにはいかないから、家族によって育てられる子どもを再統合して、職業世界に結びつけるのは、教育をおいてしかない。そして教育が終わった若者は、就職結婚して家族を形成し、また、子どもを育て、教育システムに送り込むという循環が必要とされる。日本では戦後から高度成長期までは、教育システムはこの役割を効率よく果たしていた。

しかし1990年代後半から学力低下や少年非行・犯罪、援助交際、不登校、ひきこもり、果ては家庭内暴力から親殺しなど子供の発達や教育がらみの様々な問題が、話題になり議論されている


以上は、辻さんが大学に入学した当時、2004年11月に刊行された、山田昌弘著『希望格差社会─負け組の絶望感が日本を引き裂く』158頁からの引用で、近代の教育システムが壊れ現実の世に対応する教えができなくなり、様々な問題が話題になったということだろう。

佐藤が印象に残る事件を紹介しておこう。1980年代前半、佐藤が独立系建築士になった当時も、子供が教育に追い詰められていたのだろうか、子の親殺しに焦点があたっていた。その事件は数々の媒体に取り上げられていたので一例を紹介しよう。

藤原新也著『東京漂流』が1983年1月に刊行された。藤原は写真とともに「ニンゲンは犬に食われるほど自由だ」とのキャプションと、人間が犬に食われている写真と一緒に一章をもうけている。福島市に暮らしていた佐藤の回りでも話題になった本である。
その本には、神奈川県金属バット両親殺害事件の現場である住宅の写真が、文章とともに掲載されていた(p310)。事件現場は川崎市高津区にある平凡な木造2階建ての郊外住宅の中だった。殺害された父親は東大卒のエリートで、大手ガラスメーカーの支店長だったことは覚えてる。が、その他は忘れてしまった。近代教育の歪みによっておきた尊属殺人事件だったと記憶してた。

ウィキペディアで検索
すると、「・・両親の銀婚式が行われた事件前夜にこの行為、─親のキャッシュカードを無断で使ってレコードを買った、─が両親に見つかり、父親からは「バカ、一人前に大学にも入れないくせにこのざまは何事か。お前のような泥棒を家に置いておくわけにはいかない。お前はクズだ、出て行け!」と叱責され足蹴にされた。それまで味方だった母親もこのときは「あんたはダメな子だ」と冷たくあしらった。その約3時間後に事件が起きた。父親から「明日中に追い出してやる」と言われ、自分の居場所を失ったと感じた予備校生は、翌朝未明、酒を大量に飲んだあと金属バットで両親を撲殺した。(以上ウィキより)

子の泥棒行為への欲望を湧きあがらせてしまう、両親の子育て能力の無能を棚にあげ、─家庭は刑務所ではないのだから─、子供を許すことから始め、子供自身に自己の欲望管理能力が身につくように、共に考える、その行為を支援し続けるのが親だと思う。
殺害されたこの父親は佐藤の思考とは違っていたようだ。警官のように我が子を叱責し、両親で追い込み、居場所を取り上げ、路上に放りだそうとするのはなぜだろうか。その子が路上にでて独自に食や技を身に着けて生きていけるのか、それを判断できない間、未熟な人間のあいだは親が居場所を確保し、飯を食わせてやり、困ったことがあったら逃げ込める場所を家の中に、確保してあげるのが両親の役割だろう。そのような会話が成り立たない家族だったのだろうか、親子の継続した対話(教育)不全がまねいた悲劇の一例を初めに記しておく。




06 建築を教えたこと 

「辻琢磨入門」を始め第六回目は「建築を教えたこと」について。佐藤の人生においては建築を教える機会はなかった。だから「建築を教える」そのことを考えたこともなかった。文字を子供に教えた程度だ、そのことは後で記す。

近代社会では、教育者の間に「教育は手段か教養かと」いう論争があるそうだ。職業選択の自由を保障されている近代社会では、貧しい者が階層の上昇手段として教育費を子供に投下する。そういう親の存在は人々に知られている。有名難関校に入学する生徒は親の年収がトップクラスにあり、当然、幼少の頃から学習塾へ通わせ東京大学への入学を目指す。末は博士か大臣か、はたまた官僚へ、などを夢みては教育費を投資する。
2000年頃知り合った博士課程の知人は後に大学教員になったが、毎年父親から「お前への投資額はいくらいくらだ、今年はいくら稼いだ」と詰問されていると語っていた。気の毒だな、と思ったが子供に投資していると自覚している人は少ないだろう。日本の社会で就職するのだから学歴が将来の収入を保証していると思いこんでいるのだろう。あながち間違いではない。大学院卒の就職先は1000名以上の企業だそうだから、学部卒よりは上層人の割合が高くなり、高収入を期待できるようだ。

希にいる建築家へ至る道へ、入り込んでしまう若者はほとんど0.1%。と言っても間違いないようだ。それほどに少ないのだが、同じ意思を持った者同士が囲い込んで語り合うとたくさんいるように感じる、錯覚を生む。収入が保証されていない建築家の道など、建築家教を信じている危篤な者がすすむ変な道の一つだ。その教団内では「東大、京大、東工大の順となり、早稲田大学は下の下のほうだ。」と早稲田卒の、建築編集者であり評論家の植田さんが、佐藤の家で語ったことがある。建築家の道は寂しく建築界の裏通りとも言えそうな気がする。建築業界と建築家教団の交流は冷戦時代の米ソに比べても、対話の場はほとんどない。どちらとは言えないが、外交能力・ゼロといえるのが現状だろう。

また、2002年6月1日、藤本壮介さんに我が家で講義いただいた(記録へ)おり、夏休みだったが北海道にある彼の実家である病院に。医学会の会合で札幌にいたmy長女と合流し旭川を訪ねた。目的は、初期・藤本病院建築を2軒見学することだった。旭川まで訪ねる者は珍しかったようで、お母さんや妹さんに対応していただき、ワイワイしたことがある。そのときお母さんは「今朝も連絡きたんです。(金額を語り)仕送り続けているんですけど、大丈夫ですかね」、という内容を不安そうに訪ねてきた。数年すれば世界的建築家になるのでドンドン投資(仕送り)してください、と伝えた。佐藤の言葉で彼のお母さんが安心したか、確認していないが、その後あっという間に世界的建築家になったことは誰でも知っている。(知らんかな・・・)
    
 








建築系大卒者の進路

ちょうど辻琢磨さんが横浜国立大学に入学した時分、2006年建築学会でアンケート調査(約1万名)し、進路調査結果はPDFで公開されている。不明や未定が大き過ぎるのだが眺めてみよう。

ゼネコン、サブコンが合わせて18%、設計事務所系が9%、コンサル1%、住宅メーカーがゼネコンに迫る17%、不動産業10%、研究・教育機関1%である。

大学院では、「C:総合建設業(ゼネコン、サブコン)」「D:設計事務所(建築設計,構造設計,積算)「E:コンサルタント」「I:官公庁・公団公社 など」の割合が多い。
職種は、回答不明が多いのではっきりした事は不明である。大学院生の就職先規模は、学部に比べ「F:1,000人以上(社員数)」の割合が多いことが分かった、
とある。

辻さんのように就職せず、建築家の道を歩みだすものは希れのなかの希者であることがこのPDFを見ると確認できる。大学での建築教育の意味と役割が、ぐらぐら揺れだしてしまうのが不安で、詳しく調査していない、それが大方無回答を放置する深層・実情かもしれない。

それにしても辻さんの話は建築家教育に偏るのはなぜだろうか・・、面白いテーマなので後日、解明してみたい。(忘れちゃうかもしれない)


教えることについて (2024年12月12日 「教えることについて」ききとり記録へ)

辻さんは、教える領域にさほど動機もなく入ってしまった、と語る。学生はみなさん、すやすや寝入る「いい座学」を、仲間とともに1年間運営したという。辻さんはその後、呼ばれる大学も増え、設計の指導、具体的には、課題は与えられエスキスを指導したそうだ。教えることの最後は2020年度から4年間で足を洗ったそうだ。理由は聞いてないので知らない。

辻さんは教えることについて考えたことはなかった、という。もっぱら、やる気ない学生にたいして。
やる気スイッチを入れる役割
・設計実技の面白さをすこしでも伝えられたらいいな、と伝えていた。
・建築を考える、この面白さを伝える。
・自分でものを考える、コミュニケーション発動しない人ができるようになる
 そこにコストをかけていた。

どうしてそんなことしているのか、と疑問が湧き上がる。コミュニケーション能力は家庭で生活のなかで教え身につくものだろう、と思うが。もしかすると、家庭内には対話もなく10代を生き、大学に入ってしまう?そうなんだろうか、そんなこともないだろう。

教えることとは別問題だが、学生に対話力が身についていないのは義務教育から高校卒業までの間に問題がありそうだ。2025年からはその問題は何か、そこを調べてみるつもりで計画を練っている。

現状の学生の話を聞いていると、ぼんやりとでも希望格差を知る学生は、一生懸命に勉強することを諦めたり、引きこもりする、と山田昌弘さんも指摘していたので、まだまだ続いているどころか格差を感じる溝は、大きく深くなっているのかもしれない。

辻さんは、建築家の道も見せたいと、そこに教えることの重心をかけていたわけではなく、どちらかというと今の既存の建築教育が(建築家主義)、こうなっていて、皆が建築家にならなくてもいい、さらに建築家にならないのが普通だと思っているそうだ。

建築家が持つ設計術を活かせない社会に問題がありそうだ。設計術を求めつづけようとする学生を受け入れる、さらに術を磨くことをさほど許さない「お客様は神様だ」と考える社会の側にある、建築に対する民度の問題のようだ。(今後の課題としておく)

大学は、職業訓練の場ではない、ともいう。教育を手段と考えて背中をおした親が聞いたら怒り出しそうな辻発言ではないのか?心配になる。教育は手段であると考える親と教師の考え方の差は、建築家教団が持つ独特の考えについて、世間に知られていないことによって生まれるのではないだろうか。

一方で辻さんは、将来につながるような経験を積んでもらいたい、と一生懸命集中していたが、教える感覚はなかった。学生の興味関心を共に探すことだと、一つの考えかたを学生との共同行為によって探した、とも語る。最後の4年間は学生を退学させないことにも配慮した、とも語っている。

学生にコミュニケーションをつけることが教えることだ、とも語るが、大学内で対話力がない学生に教えるって無駄が多すぎるし、「建築」を教えられないのではないか。そこでは教育は不可能なのではないのかな。同じテーブルで議論できないし、その議論の中から新しい知見を生み出していくダイナミズムが起きると推測するんだけど、テーブルを設えられない(?)。その前の前に学生の対話力養成では「建築」を教えることには届かないだろう。双方の関係はまったく気の毒な関係だ。

特別な興味がわくなら間違えていると思うが、辻さんは教える場に関わる必要はないだろう、としか佐藤には言えない。あるいはもうすこし時間を経て教育の現場に復帰することは可能だと思う。教えることより先に博士号を取得してほしい、と佐藤は考えるが、さて。


スクールカースト、建築界カースト

佐藤もたまに大学に行く機会があり、見回していると教育者の発言に触れることもある。スクール・カーストの上位に建築家カーストが築かれているのが分かるような気がする。大学内ではゼネコンや設計事務所に就職する者が半数にも関わらず、建築家が建築界の上位者、カーストのトップにある、そう認識している、と感じる。
現世では建築を造るのは著名な建築家はほとんど関係なく、町や都市が、そして住宅が造られている。佐藤の家の周りを歩いていても、建築家が設計した住宅には出会うことがない。それほど遠い世界の事を大学では教えているようだ。(それを自覚していればいいので、大学の建築家教育を否定しているのではない。)

今世紀になって卒制のコンテストがはやりだした。日本一になったその作品を持ち歩き就活に優位に働かせよとするのがおおかただ、と教育者から聞いた。建築を学ぶことが職業の選択の幅を広げ、学生が意中の企業に就職するための手段だ、と語られているのだから、作品を持ち歩き就活することに非はない。

しかし、学生にあのような祭り行為によって必要な学業に手が回らなくなるのは問題だろう、と邪推したりする。卒制競争で日本一、あるいは10位まではいれる能力がある者は、その後必要なことを学べばいい、と考えている企画者が多いのだろう。

大学教育者の内部にある、現世から乖離したような教育の実情に後ろめたさを感じ、自身の教育効果を確かめたいと、その不安から解放されたくなる誘惑が、日本一展のような卒制コンテストによって覆い隠す機能を果たしているのだろうか。(答は今後の課題としておく)


博士号取得者

右欄に国別博士号取得者数の推移をあらわした表を貼っておいた。米国が断然博士号取得者の数が多い。2024年、東大からMITへ進み研究者となった元・原子力委員会の委員長代理の聞き取りを続けているが、この表にはガテンがいく。米国での博士課程は企業と一体になり研究を進めているし、企業が大学に投資し世界最先端の論文を得ることで、その領域の主導権をにぎる・そのことで国際基準をつくり、世界を誘導する。産学共同する国家戦略が背景にあることが分かった。

日本のように就職し安定した収入を得ればといったことではなく、技術革新や最先端論文を発表しつつ、世界最先端に躍り出て、企業と連携し収益を得ながら身分を確保し続けるという、日米には教育に対する考え方に違いがある。一方には職業の選択の自由、そして所得を安定させるのは当然で、さらに世界中のビジネスパートナーを得て投資してもらい、次の研究にとりかかる、というような米国では構造になっている。日米の差も大きいが、中国の台頭も目覚ましい、博士号取得者数となっている。

日本では博士号を大切にし社会化できない問題が横たわったままで、企業は博士号取得者を鬱陶しい存在と考えて、入社阻止しているのだろうか。いずれにしても日本企業と博士号取得者の関係は改善が必要だ。産学の資金と人材の交流交通はおおいに盛んにすべきだろう、それが学問のためにもなる。軍事産業への加担の問題は、それぞれの交流を透明化すれば問題は起きないだろう、と考える。どうだろうか。

危険をおかしてまで日本のポスト・ドク問題の渦中にはいらず、修士課程を経て就職すれば収入も安定し希望の就職先に椅子を獲得できる、と考えている学生がほとんどだということだ。



 絵はこのサイトより 

辻さんのように、修士課程を卒業後独立するというのは、一種の狂気に、同窓生からは見えていたのではないだろうか。さらに大学で教えるなどという、将来を食いつぶすような賭けには挑まず、希望の企業に就職してしまうだろう。
実家が資産家のような場合、あるいは、お金持ちで昔の教養人よろしく、仕事が無くても建築をコツコツ研究しつづける資産家なら、世俗に落ちてしまう就職などに関わったりはしない。江戸期のような名字・帯刀でもって身分制を顕在させる世ではないので、潤沢な資産をもち研究している者が居ても、現在の人にはそれを見分けられない。

佐藤は、2000年代から30代の独立系建築家を中心に聞き取りし、web記録を公開してきている。彼らは実力がありしたたかに計算し、社会にのし上がってきた者だから、希の中の希者だと思っていた。ここまで書いて、ああやっぱりそうだなとの思いは揺るがない、やはりそうだった。親にとっては成れもしない建築家など目指さず、優良企業に就職を望むことだろう。

2000年頃、福島市内にある福島高校から講演してほしいと依頼があって、語ったことがある。教えたわけではない。この中で建築家になれる者は一人もいない、と伝えた。学生からは大反発されて、絶対建築家になると。後日、東北大で会ったら青筋立てて喰ってかかってきた。が、あれから20年すぎたが、彼が建築家になったという風聞さえ聞こえてこない。

大多数の親から見れば教育は就職の自由を確保しつつ、社会的地位を得つつ、生涯にわたり豊かな収入をえる手段だ。、教育を目的と勘違いすると建築教育教団の結成になるだろう。大方の人にはどうでもいい宗教的団体だ。建築家教の教団員に教え込まれると人生を棒に振るだろう。

ここからは視点を変えてみたい。意見の分かれること必至であろうが、建築家教団のための卒制偏重の教えは果たして正常なのか、という問いが生まれる。どう考えても佐藤には幻想だとしか思えない。ほとんど建築家の受け皿が社会に無い、雑誌の紙面の上にしかない。これ以上書きだすと「教えたこと」からドンドンはずれ、寂しい小道に突っ込んでしまうのでやめ、「教えること」に戻ろう。

教えることは学ぶことより難しい

ここまで書いて、教えることは学ぶことより難しいと分かった。その大きな原因は教育が手段でなく建築家界の教義、宗教になっているからだ。
繰り返しになるが、ほとんどの両親にとっても、学生にとっても、教育を受けることは職業選択の自由の枠を拡張し、将来の収入を安定させ、上層の階層にのぼるための手段である。

教員は学生に変わった教義を押し付けていないのか、その問いがまず浮かぶ。「建築」面白さや社会性を思い、思考する楽を否定しているわけではない。一種、仙人あるいは僧のように、家族を持たず、挑むべきだろう。あるいは人生100年時代だ、退職後の40年ほどの間に建築家仙人の追及は可能であろう。希な道を追求するならそれぐらい現世から遊離すべきではないのか、まずは建築で飯を食えるように学生を指導すべきではないのか。(この件に関しては議論したことがないので、その機会が起きればいいのだが)


佐藤はどのように子供たちに、言葉を使うことの愉楽をおしえたか

冗長になるが、人生を振り返ってみよう。
子供にひらがなカタカナ、アルファベットなどの文字の読み方、るび付き漢字の読み方を教えた。毎晩本を読み聞かせながら文字の読み方を教えた、それを思い出した。漢字もふくめ文字言葉が使えるようになったら、シナリオを書いて、それを子供たちと読みあわせる。親子で楽しむ。

1980年頃の収録だが音源がある。「3匹のこぶた」ラジオドラマ風に残っているので紹介しておこう。次男が4才前、長女がナレーション係・幼稚園、長男が小学1〜2年生ぐらいの音源だと思う。(ハモニカ・佐藤即興)

夫婦または親子で音源つくり遊び推しです。事前に打合せせず読み合わせしてしまうとラジオドラマにならないので、事前ワイワイの過程で対話力が身につきます。子供からアイデアも出るので、受け入れ磨くと子の説明する力もつくはず。

文字を教えた結果だが、子どもは文字の読み方はすぐ覚え小学校に入る前から、俺が朝ベットから起きる前に新聞を読んで学校に行った(夜型だったので寝てるから見てない)。グシャグシャになった新聞を、しわ伸ばししながら俺は読むはめにはなった。
本は漫画に限らず買い与えた、野球系、電車系、歴史系、中学生が読むのだろうが学習辞典などなんでも、むさぼり読む。こどもたちは本を読んだり絵をかいたり、文章を書いたりするのが好きになった。長男は長女に、長女が次男に、文字の読み方を教え、遊びかたも教えていた。理由はわからないが長男は中学校では試験の答案用紙に名前も何も書かずに提出していたので、通信簿は1,2が並んでいた。義務教育の場に合わないのだろうと思い放置した。

一緒に遊んではいたが、教えていることの意識はなく、ほったらかしで育てた。─各地に出かけては、いろいろな体験することには配慮していたかもしれない。─親が言うのも変だが本や新聞脳(マスメディア脳)で固まりそうな、変わった子供だとは思っていた。(後になって、子供たちに聞いたことがある。両親、あんたたちが変なんだ、と言っていた)

義務教育に入ったとたん困ったことになった。「作文を親に書いてもらってはいけません。」から始まり、大学の博士課程に入学しても困ったことは起きた。勉強は好きだが教育現場(教員に)に合わないことが原因で、子供たちから佐藤は大学教育現場の愚痴を聞く係になっていた(詳細略)。そんなことで、今世紀におきた大学改革以降の大学内の改革内容は少し知っている。

学ぶなどというこういは自分でコツコツ習慣にすることで、机に座って講義を受ける、先人に教えてもらうなどというのは学ぶことなのか、と今でも思う。だれも人に教えることなんかできないのではないか、とも思う。

辻琢磨さんが教えた社会と大学の現場

 「教えることについて」ワイワイして記録をまとめているとき、『希望格差社会』を思い出していた。山田昌弘さんが2004年に刊行した本で、辻琢磨さんが横浜国立大学に入学した頃だろう。山田さんの発明したパラサイト・シングルという言葉(概念)を知らない大人はいないと思うが、的確で山田さんの発明した概念の一つだ。山田さんのその後の著書を羅列してみよう(山田昌弘 - Wikipediaより)。

2010 『「婚活」現象の社会学 日本の配偶者選択のいま』、
2013『なぜ日本は若者に冷酷なのか そして下降移動社会が到来する』、
2014
『「家族」難民:生涯未婚率25%社会の衝撃』、
2015『女性活躍後進国ニッポン』、
2016『結婚クライシス 中流転落不安』、
2016
『モテる構造 男と女の社会学』、
2017
底辺への競争 格差放置社会ニッポンの末路』、
2017『悩める日本人 「人生案内」に見る現代社会の姿』、
2020『日本の少子化対策はなぜ失敗したのか?』

まとめのような、提案のような

日本のバブル経済が崩壊した後に現れた、失われた30年と言われる社会を見つめ続けている山田さんが研究されてきた成果の一つ一つがこれらの書籍だろう。

辻さんが、2011年後から2023年まで大学で学生に建築を教えていたことは、ちょうど失われた30年の最後の10数年間、教壇に立ち続けていたことになる。

教えていただくことへの親の希望と教員の教えることの隔たりは、放置されたままの建築界。世界の建築技術から遠く引き離れてしまっているのではないか。それが対話力に起因するなら悲しいことだとは言っていられない。語り合いの場をつくり続けることが建築家を愛するひとを救済する道の一つではないのか。



広辞苑
教える:注意を与えて導く。諭す。戒める。知っていることを告げ示す。学問や技芸などをみにつけるように導く。


google伝えると教えるの違いは何ですか?
教える: 受け手に情報を付与することによって、受け手の能力が向上し たり、知識が蓄積したりする場合に使用する。
伝える: 受け手に情報を付与すること自体に意味があり、情報の付与に よって、受け手の能力が向上したり、知識が蓄積したりするこ とを問題にしない場合に使用する


伝えると教えるの違いは何ですか?

ChatGPT
「伝える」と「教える」の違いは、目的や相手の理解の深さに関連しています。それぞれの言葉の意味や使われ方を具体的に説明しますね。
教える
意味:知識や技術、方法、考え方などを相手が理解・習得するように指導・説明することです。
目的:相手に理解してもらい、実際に学んだ内容を身につけてもらうことが目的です。
特徴:単に伝えるだけではなく、相手が分かるように説明や指導を行います。
「教える」は、相手が理解・習得した状態で初めて「教えた」と言えます。

伝える
意味:情報や気持ち、考え、事実などを相手に知らせることです。
目的:相手に情報が届くこと、認識してもらうことが主な目的です。
特徴:内容が単に相手に「届く」だけでも成立します。相手が情報を受け取ったかどうかまでを重視しますが、深い理解や知識を得ることまでは要求されません。


簡単な違いのまとめ


「伝える」は表面的・一方向的な情報提供であるのに対して、「教える」は理解や習得が確認される双方向的な関わりが含まれる点が大きな違いです。


















   
勝ち組負け組の格差が拡大するなかで、「努力は報われない」と感じた人々から「希望」が消滅していく、将来に希望が持てる人と将来に絶望している人の分裂、これが「希望格差社会である」