渡辺豊和著 「メキシコ遺跡巡り」
1992年6月17日 掲載媒体不明。。
(2023年5月7日
FAx資料から佐藤が文字打ち直しする)
「テオティワカン壮大な宗教都市」
太陽のピラミッドは底面225×222メートル,、底面225×222m高さ63メートル、容積100万立法メートル、総重量250万トンという巨大構築物ではあるが、斜面の勾配が45度と緩いため威圧感がそれほどない。近づいた場合、これよりはいく分か小さいはずのエジプト・ギザの大ピラミッドの方が急勾配なこともあり、圧倒的に迫力がある。
テオティワカンが建設されたのは紀元前後だろうといわれ、それが宗教都市(主都でもある)として存在したのはAD450年ごろまでではないかとされる。つい最近まではその期間はBC200〜AD650とされたが、最近の研究で200年遡るのではないかと考えられるようになった。放射性炭素14の成果である。
地層年代測定は、概して放射性炭素14の方が古い年代を指すにようになるが、欧米の考古学自体がヨーロッパ圏外の古代文明を特定したがらない。明かな偏見なのだ。
日本では弥生時代であり文明の黎明期にすら達してはいない時期に、中米インデオはすでに高度な文明段階にあった。ただし日本でも弥生以前の縄文時代盛期、いまから4〜5000年前に高度な文明の花を東北地方北部で咲かせていたけれども、それが弥生時代は高度に退化させてしまっていたのではあるが、いまだに日本の頑宴固陋 (頑迷固陋?がんめいころう)な学者はそれを認めようとしない。
どうして遅れた地域の東北地方にそんな古い時代に高度な文明なんて、というわけである。つい最近までの欧米の学者が中南米インデオの想像をはるかに越す古い歴史を認めようとしなかったと同じなのなのだが、日本の場合、いまだに旧来のまま、呆れてものがいえない。
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高さ63メートルのピラミッドに登るのだが、これ以後各所遺跡のピラミッドに登りはじめとなる。ただしマヤ、アステカなどの中南米ピラミッドでは、もっとも巨大で高いこの太陽のピラミッドも勾配が緩いせいか、それほど恐怖はない。これ以後のものが大変であった。
このピラミッドは5段に重ねられた台形であり、形の優美さではこれに匹敵するものがなかろう。キザの大ピラミッドは美しいが、それは峻厳の美であって決して優美ではない。この優美は45度の緩勾配もさる、ことながら、頂上が平らになっていることに起因するようである。頂上が尖っているとどうしても峻厳にならざるを得ない。また斜面が途中で小さく折れ、しかもその折れた段重ね位置が斜面を美しい比例に分割して決められている。この微妙な段重ねが巨大な規模でもあるにも関わらず優美な印象を与える決め手なのかもしれない。
さらに石積みの斜面に無数の立ち石が嵌めこまれ強い日照りにより無数の小さな影をうみその無数の影が不思議に柔いテクスチュアをつくり出している。麻布を遠くから見るようなテクスチュアなのである。細部に至るまで工夫された柔軟なテクスチュアと優美な形を成すこのような巨大建造物は、世界に類を見ないに違いない。
63mの高さの頂上から周辺を見渡すと、西南の方、メキシコシティの方向には濃厚なスモッグが垂れ込めているが、それ以外の東西南北は低いなだからな山脈に囲まれ、ここは広大な盆地の真只中であった。しかも東側の方には低木の野が開け、かつてここには人口20万人を要する巨大都市が展開していたという。
テオティワカンは23平方キロ、ざっと5キロ四方の市域を有する巨大都市であって、日本の平安京よりもおよほど広大であった。しかも平安京よりも4〜800年も古い時代に、それだけの規模の都市がつくられていたのだから驚異である。もっとも膨張したときは32万平方キロもあったというからすさまじい。しかし太陽のピラミッドの巨大さのみならず、5平方キロもあったテオティワカンの神殿の規模からしても、当時の首都の壮大さが想像できる。
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このピラミッドに登には前面の三段重ねのテラスの両脇の階段から幅の広い階段へ、さらにその上ではそれが二つに別れ最上段でまた一つにになるというけっこう複雑な形を成しているが、これを上空からもし見ることができたなら、人間が手を上げているメキシコインデオの絵にそっくりなことに気つくに違いない。
頭が前三段重ねのテラス、両腕がテラス両脇の階段、手は階段手前の小テラス、胴は中間の幅広い階段、足は二つに分かれた上の階段、足は二股に分れた上段階段と最上段の階段、ということになる。
メキシコインデオの絵や彫刻には矩形を組み合わせて人体にしている極めて図式的なものが多い。したがって太陽のピラミッドの階段も同様の図式的技法により、人体に似てその平面形が考えられていたに違いない。人体は両手両足の左右対称形である。これに似せてつくった階段を、最上段平らなテラス上にあったに違いない神殿に登る神官は、二人まったくシンメトリーに行動したのではないか。
いずれにしても巨大ピラミッドの正面斜面に人体を投影するのは、南米ペルーのナスカの地上絵と同様の意識を示しているに違いない。即ちスーパーグラフィック、天に向けて通信する古代インデオの宇宙感覚を如実に表している。
では何を通信しようとしたのか。それは定かでない。死者の大通り一番奥の突き当りは月のピラミッド。底面が150×140メートル、高さ42メートル。容積は35万立法メートル。容積では太陽のピラミッドの三分の一強とはいえ、大通りの突き当りに位置するからこの頂上に登と遺跡全体が一望でき、その配置構成が死者の大通りに沿って一直線に整然としている様がよくわかる。
私たちは最初にメキシコ遺跡最大最高のものを見てしまったに違いない。とあれティオティワカンのこの整然とした配置構成はエジプト、ギザのスフィンクスもある三大ピラミッド複合にも近いことは確かであり、不規則配置がほとんどのマヤ・アステカなど中米インデオ遺跡では特異な例といえよう。
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