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聞き語り記録 福留愛さん(SDL2018遠方参加者)に聞き語る |
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05 既視感のない建築 まど・みちおの窓 |
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佐藤:福留さんの意図を聞く限り、敷地周囲の写真を見せていただくと、まどさんの詩を壁に掛ける必要はなさそう 福留:この建築は窓って言っているわりに、最終的には壁の建築になっている感じがして 佐藤:そうだね 福留:窓が入り込んでくることによって、壁が一杯発生していて。それはそれで面白かったのかなーと。 佐藤:これを家と読みかえてもいいんけど。今日はここの隅で寝ようと、明日は反転して広い場所に寝ようとしたり。機能や用途は色々転用できそうだ。空間の構成だけで機能はさほど思い込んでないでしょう 福留:発生した壁に詩を飾っていくっていう発想があったので。操作を色々やっていたんです。 佐藤:詩の展示だから、文字にして壁に掛けるだけじゃない方がいいんじゃない、音で鳴るでも、踏むでも、触れるでも、身体を使って文字の意味を感じて理解する。 福留:音とか色々。谷川俊太郎展があったので、それにも行って色々考えていたんですけど。どちらかと言うと、建築と一体となった展示の方が 佐藤:谷川さんより吉増剛造を参照した方が良かったかも。インスタレーションや、詩人が朗読しながら、声や身振りなどで身体表現する。壁に飾ってなくっても、地域の人がみんなで音読する。同時代の人と共に朗読する、肉声を発して詩を体感できるっていうことでも、歌うもいいし、どうなのかな。 見ること、頭で読む、黙読に拘りすぎる展示空間になっているのは、どうなのかなー。 福留:何か企画展とかで、3次元的に詩を体感するような空間が在ってもいいのかーとは思ったんです。 佐藤:扉の絵を見ると、言葉が並んでいるし、壁も重なってて、奥の方にも風景が見えてくる感じだ。その窓から町の風景が見えて来る、町と詩が連続していくと。 ここから見ると全部わかるというポイントは在るんですか。全体が見えるし、まどさんの詩の総体が分かった気になれるポイント。それはないんだよね 福留:それはなるべく無くしていって、迷路的な感じに 佐藤:建物語のような格子状の明快な構成ではないけど、考え方は似ているのかね。 福留:似てますか 佐藤:21世紀美術館のように格子状の空間構成が元にあって、それが変容した後の姿とでもいうか。21世紀美術館との関連を想像しちゃうね。違いは展示する場と通路という区分けや、機能すべき場所と通路のような明らかな階層が無くなっている。機能区分けを無くすのが、福留さんの目的なのか、分からないけど。福留案はその点は違う建築の展開になっている。場の階層を取り払って、全体を丸い閾に収めただけ。 福留:建物語と違うのは,窓と言う要素に着目している点が違う。切り口が 佐藤:窓一点にしばることから建築が立ち上がっているんだと。建物語りは要素が多いので概観無で建築が閉じて出来ているようだけど、福留さんの建築はまどさんの詩、窓を通して建物の外に展開する、外部景観と溶け合い共振する可能性が高く設えてある、質が違う。 福留:彼女は壁とかも無かったじゃないですか 佐藤:アーチ状の壁があった。4.5m立体から出ると通路があって、アーチの開口部から振り返ってりみたり、提案者の想定外の展開が生まれいた。 福留さんの建築は廊下とか展示・体験室とか機能が分かれてない、全ての場で、詩を体験、機能区分けの放棄というか、脱近代しちゃっている建築。 全体が崩れかけているようなんだけど、周囲の環境条件から導かれた104mのタガをはめて、全体を整えた。全体への意志はあるが、バラバラに分解させることもできる。 ばらさず、まず第一歩の建築を、ここから始める。そういう認識っでいいじゃない。 福留:既視感のない建築っていうのが・・。卒業設計って皆、過去の作品とかを見るので、似た感じになっちゃうという傾向があるのかなーと思ってて。 雑誌とかもよく見るじゃないですか。そしたらなんとなく誰かの作品に似て行ってしまう。それを自分の中で、例えば似ている作品を作っちゃたときに、違う違う!となって。 佐藤:身の回りに建物だらけ。そいう環境で暮らしているんだし、建築だって共同で作り上げる事態だから、他者と滲み合い、変化し展開していくのはいいし、観て影響と受けるのもいいんじゃない。それをどうやって更新し続けるのか。 既存をシッカリ組んで骨抜きに、というか消化し尽くしてしまう方法もあると思う。福留案は俺の誤読だったようだけど、21世紀美術館から骨を抜いて、福留建築が始まった、福留さんが金沢美術館を食べ尽くして、食べ散らかし、後に残って立ち上がった建築だと受け止めたんだ。チリヂりに窓と壁乱れ配置されるが、まーるいタガで外形を整える。そういう作法もいいなーと思ったんだけどね。 在来とは違う建築の世界に行っているなーと思いました。 ( 21世紀美術館 平面図 webより)
福留:窓っていうことに着目しているんで、まど・みちおが「自分は人の窓になりたい」って言っているですよね 佐藤:宗教的言語みたいだけど、どういう意味ですか 福留:本当は石田道雄という名前なんです。「まど」にしていて。壁の中に窓を開けたら明るくなるし、風が入ってきたり、たぶん普通に物理的な窓の話 佐藤:建物の窓のことを指していると 福留:まどさんが「なりたい窓」というのはどんな窓だろうかというのを、この卒業設計でやっているですよね。 佐藤:まど・みちおさんの考えている窓は、福留さんの卒制で実現できたですか 食事が運ばれてくる 佐藤:うまそ〜食べよう。船着き場や山下公園で弁当買って食わなくってよかったね。長いい時間待ったかいはありました。 まどみちおの窓ってダジャレを言っているのかなと思ちゃったよ。 (webより 2014/12/15 に公開2000年8月に行われた、詩人・作詞家のまど・みちお先生とにっけん教育出版社理事長の小野忠男の対談の記録です) 福留:ははははは、エスキス塾ですか 佐藤:まど・みちお、だから窓をテーマにしましたってダジャレって聞いちゃったよ。石田道雄さんは「自分は窓になりたい」で、まどさんの窓を想像して提案したんだと、今日、初めて知りました。 福留:よかったです。けっこう重要ですね 佐藤:ぞうさんの歌は知っていたとしても、窓になりたいとは!知っらなかった。で、どんな窓を想ってたんですか。 福留:まど・みちおが自分の作品を作るときに、重要視していたのが、もの意味からの解放っていうのを目指していて。 コップだったらコップって名前が付いているからこそ、その用途とか意味に囚われすぎていて、その開放、人を解放させるような窓というのを考えようと想ったんです。 どうやったら、人を解放させるか、と考えた時に、例えば全部パノラマ窓にして、すごい開放的な空間というのも考えたんです。 逆にそうじゃなくって、断片的に窓を配置していくやり方の方が、人は開放されるのではないかと。そういう事もまったくプレゼンでは伝えられなかったです。 佐藤:建築家が窓を設えるときに、窓辺とか、でっかい透け透けに見えるガラス壁にする人は多いんだろけど。福留さんは連続まどを採らず、細切れにしたり、窓の有無で変化を付けたりしたと。ぽつ窓ではない。 飯食いながらだから味気ないけど、一度止めようか、美味しく食べよう 福留:はい しばらく美味しくいただく (webより 【まど・みちおのうちゅう】 CATV番組 [周南市 ) 佐藤:「プレゼン時に説明できなかった」って言ったけど、どうやって確かめたの 福留:あとから考えると、凄い知ったふりをして、私は何ていうことを喋っていたのだろうと、恥ずかしさに、おかしくなりそうなときがありますね。 佐藤:「自分が成長してる」ってことで、いいんじゃないですか 福留:そうなのかも知れないですね、恥ずかしいですね。いつも恥ずかしいと思う 佐藤:そう感じない方がいいんじゃないかなー。恥じるって、自分が仮定した事が達成できなくって、自分自身で恥じるのはいとしても。 他者と比較して、どうこう恥じるって、しない方がいんじゃない。まどさんを想うと無意味な行為だよ。共同体の中に入りたい、同化していきたいというなら、それでいいだろうが。建築家は少し違うこと言ってもいい。無知の素晴らさもあるので。 福留:感覚的に考えちゃうんですよね。感覚的に建築もやちゃうところがあって。 佐藤:まずは、のびのび感覚で進んでみる。理論を組み立てて、つくる建築もあっていいし。今回の卒制は他者に伝えようとしたけど、半ばで伝えきれてない。福留さんの意図が伝わってそれに応答してもらうまでは至ってなかったんだと 福留:はい、伝える言葉選びが下手のかなーと。 佐藤:このままでは中途半端になったまま、ですが 福留:そうですね、プレゼンテーションが中途半端だったなーと思います 佐藤:構想から何か月かかって完成したんですか その06へ続く |
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