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   2019年12月の日記        










 
 12月31日  ときどき小雪舞う

 駅に行き、おせちの食材を求める。家人次男も参加し車で行く。家人はすっかり体力が衰えて嘆いている。しっかりしなさいと言われ育った効能は70才過ぎても家人を縛っている。子育ても終えて久しい、誰かに頼り生きることで共に幸せを得ることを覚えてほしい。あんがいこれは時間がかかりそうだ。だれでも生活のあらゆること、全部はできないのだが、出来た自立していると勘違いして、それを生きがいの達成とする、安直さが蔓延しているのは、人間らしいようにも思う。急いで解く必要もないので、じんわり考えて行こう。

年末年始の食材を手に入れて、早めの夕飯を済ます。後は読書三昧だ。

■河原宏ざんまい@福島市我家大晦日
 仏教用語の「知識」とは友達を意味し「善知識」は、よき友のことだそうだ。お前!善知ありや?と問うている。(前半に天皇系によって滅ぼされた先民、土蜘蛛や修験の民についても論じ、政治学者の河原氏の知的バランスの良さも知る)
◆「伝道と同行」の章には、善財童子が53人の、善知識を尋ね歩く修行・求法の遍歴物語について解説あり。53人の友には、娼婦まではいっている。可愛い子には旅をさせよ、それは、お伊勢参りや、弥次喜多膝栗毛書きらあわされて、常識の各宿場の娼婦たちと交わり、成長譚のことでもある。(俺解釈)古事記もそうだが、性行為をキチンと思考実施できないと、知識も生活=旅も、生も、成らない。
◆奈良の盧遮那仏は知識=友達の連なる修行の為せる結果にて、人の労働奉仕のたまもの。など、拝金主義によって霞んで久しい、今現在、この宇宙に生きる意味を、政治的な視点にて照らし出し綴られた良著なり



 12月30日 雨 のち

 新年の日めくりをもとめに町に出る。年末とあって人出が多いのか、そうでもない、人が多いのは駅ビルだけ。車がないのでロードサイドショップの賑わい知らず。

FB投稿 
 仏教と童子像を調べだす(来年から馬力掛けたい)
今年は福島市に縁ありて立ち、なぜか?御隠れになられたサンチャイルド 像。あの「撤去事件」を多方面から理解しようとした、1年だった。
◆渡辺菊眞さんの25年ぶりの高知市での個展をきっかけに、空海が10代後半に修行した窟を訪ねて、体感し「表現の何か」がわかった。
福島原発事故に遭遇した人々は、忿怒の表現メソッドが少ないし、有ってもめちゃくちゃ甘い。あるいは無い事がわかり、昔の日本人は悲劇を、どう記憶継承したのか?その事に興味が湧いた一年でもあった。余計なお世話なのだが、現代アートは時間の襞を越え、生き残れないだろうとも想った。。(サンチャイルド は一月チョイ姿を見せた、短いのか、程よいのか、短命なのか、今後の解釈を待とう)
◆空海が日本向けに中国の密教を改善し定着した、真言密教の忿怒の仏像や、歴代の僧たちが、どのうに「子供像」を表象してきたのか?その事も視野に入ってしまい、神話や古典仏教も勉強し始めてしまった。...
◆現代人は、表現を金儲けと他者承認の一方法と、理解しているようだ。さて、古来の僧たちは表現などという思いで各種像彫り、曼荼羅を描いてきたわけではない。建築や土木事業を成すのも、同様だ。
せっかくサンチャイルド 像から頂いた、好き縁を、ありがたく受けとめ、あの像が私に伝えている多様な事を、キチンと伝えられるように、整理する来年にしよう。

 この日の下の写真へ 



■ 仏像印相大事典をいただく。
(お屠蘇を飲みすぎ、来年忘れないためのメモ)
サンチャイルド 像の印相は仏像の中にありやなしや?調べていたら、印相大事典がまわってきた。左右の手の平、それぞれの指にて、手の形にて意味を伝える、文字に代わる手の型、姿を、古来日本の人々は理解して扱っていた。
現代人はそれらの事すら忘れているのかも知れない。もしや、現代彫刻であるサンチャイルド 像の手形は、古来の伝統場にある手の姿、表象なのか?気になるのだ。
現代人も文字は漢字とひらがなを使って文書を書き他者伝えているのだから、彫刻であっても、なんらかのメソッドは継承したほうが、時をこえても、多くの人々に理解されるのでは、ないだろうか。




 12月28日 

薪ストーブを燃し、一日 読書三昧! (我珍事)
 渡辺豊和著『大和に眠る太陽の都』1983年京都の学芸出版社発行を読んでいると、『古事記』(偽書と言われるも文学として価値あり)を読まないと.南奈良盆地で8世紀以前に起きた政争や、都市づくり、天皇系渡来人に敗戦し、(熊野人が抱き込まれたことで敗れる)奈良盆地を追い出された、古来人(縄文系土蜘蛛)の思いや、渡来人による天皇の誕生などの、日本史の知識を得てから読むと、味わいがまるでまで違う。
 そう想い、あんちよこ本『古事記』(ことふみ)里中満智子著を買い、読みながら薪を燃す。
13000年前の縄文人も、焚き火の炎を眺めては「われ、どこから来て、何処へ行くのか?」と想像を巡らしただろう。冬至期の日照少ないこの時節は、太陽の再生を願った古来の人々に思いを馳せるには、好ましい時期だ。なるほど日が短いのは心ぼそなる。鏡餅に擬似太陽であるみかんを載せ柏手を打つのは、仏教ではない。太陽が消えてしまったようなこの時期に正月を迎え祭りをするのは、日本人だけではない。農耕を祖とし暦を持つ文明の人々なら同じだろう。
...ななくたった太陽、さあどうする、人工太陽(原発)を手に入れると、人はどうなるのか?フクシマの惨状を観てるとしみじみ我愚行人と自覚する。

◆天皇制誕生以前を想う方法のひとつとして、渡辺豊和さんの古代史書籍がある。また古事記以降現在までの、日本精神史を概観するには、鎌田東二さんの各著書が適書である。
 今日読んだ、『世直しの思想』2016年2月発行。この著書は、神話(天照)、平安初期の密教(真言と修験)の誕生、鎌倉初期仏教改革、戦国時代を経て、東照宮(天照を超えた存在である東照人、家康)の日本思想改革、明治維新時の神社神道と教派神道そして、招魂社の誕生。宮沢賢治の思想と芸術、311以降の民族芸能まで、足早てはあるが、アクチュルにあれから人はどのように暮らせばよきか、その事が、まっこと腑に落ちる内容だった。
(FBへ



日本思想史のほうが合っているのではないか。
表紙の絵は熊野観心曼荼羅図 江戸時代の作だと思って、検索したら 60ほどあるようだ。戦闘が無くなる世はよいが
http://www.saidaiji.jp/.../precinc.../kanjin-jikkai-mandara/


 12月 25日 

 渡辺豊和さんの著書を引っ張り出して、拾い読みしている。やっぱり『芸能としての建築』が俺はいちばん読みやすくって、納得できる。
 FB投稿より

渡辺豊和さんの著書を数冊だす
『現代建築様式論』1971年2月発行 渡辺さんから直接いただきました。(時期は80年代末かもしれない。91年かな?)
◆『芸能としての建築』1983年7月発行 35年ほど前に古書店から購入。最も好きで何度も読んでいる。特に1章「渡職人考」と6章「弘法大師の系譜」は俺にはいい。これを読んで奈良の田原本の渡辺さんの家に押し掛け、2週間ほど逗留ささていただき、渡辺初期作品を片っ端から観て体験ては、渡辺さんの、家に戻り報告しては笑ってもらった(1991年)。
◆『大和に眠る太陽の都』1983年9月発行。渡辺さんが毛綱さんに贈ったものが現在俺のこと手元にある。亡くなった福島市出身の知人が、新宿で呑み屋をしていて、そこは建築野武士たち、後の建築スターたちの溜まり場だったそうだ。毛綱さんが呑み代がわりにこの本を、置いて帰り。困った知人は金に困って俺には売ったのだど思う。そんな事態で毛綱さん経由の、渡辺本は数冊持っている。



 12月23日 
 映画『カツベン』を観る。映画好きと映画史好きなら観るべき1本
周防正行・監督作品。脚本監督補・片島正三 筋もたのしいエンターメ作品。

FB投稿より
 映画『カツベン』を観る。映画と映画史好きなら、見逃してはならない1本!
 1985年の水害に遭った広瀬座も、撮影ロケ地の一つになっていた。広瀬座が福島市民家園に移築される前に、何度か遊びに行ったので、芝居小屋のあの懐かしいさも蘇ってしまった。それは小屋、観客、役者が一体になり、フィフションの坩堝と言う現実が体内に蘇り、体温が上がるということ。
 原発事故後、身の回りの現実がフィクションを超えてしまい、映画を観る気にならず、映画鑑賞から離れていたが、体内で、ようやく原発事故後の混乱も整理が尽きつつあるのだろう、今年は数本観た。来年はもっと観よう。
 周防監督作品は2007年作『それでも僕はやっていない』以来だ。エンタメ映画だけど、ただそれたけではない。伊丹十三監督のもとで、映画をつくて来た人ならの作品で、ぶ厚くタップリ楽しめ、笑え、映画の面白さ、現在の映画がなぜ、つまらないのか?そちの問題にも届いたていた。
 主人公はサイレント活弁時代の熱気を存分に演じていた。片島章三さんの脚本を、それぞれの役者、舞台美術、音楽、衣装などをふくめ理解して、今の映画づくりと映...画の見せ方、見方に対しても、再考を迫るような、味わい深さが内包されていた。そう思った。
周防映画常連、1992年『シコふんじゃった』で好き脇役を演じた竹中直人も好演していた。



12月22日  ようやくのんびりした1日 

2日前のFB投稿より

渡辺菊眞建築個展に関する聞き取り記録の節目つく!
建築に関する展覧会は少ない、もっと少ない、ほぼ無いと言ってもいいだろう、建築家自身によって開催される「自腹開催・個展」。それが高知市内でひらかれた。
■建築学生時代に建築個展を開く人は、さらに少ないが、二度、聞いたことがある。南泰裕さんと渡辺菊眞さんによる「学生時代の建築個展開催」。(両者京大卒)
 現在の建築系学生が個展を開き、自らの疑問を作品化し社会に問いかけているのか、それは知らない。大人がスポンサーを与え、仕掛ける、そして学生同士の能力を競わせるかのような、ゲーム的卒業展覧会ばかりになってしまっている、いる、のかもしれない。そこで学生は大方のエネルギーが奪われてしまい、個展開催まで行き着かないのだろうか。(いつか学生に聞いてみよう)
■世にも珍しい建築家による個展が12月3〜5日まで高知市文化プラザかるポートで開催された。福島市から新幹線と寝台車を乗り継いで観に行った。...
 渡辺菊眞建築展は副題が「建てぬ建築、感涙の風景、建てる建築」であった。彼が大学を卒業し25年間に制作した作品を一堂に並べた、日本唯一「だろう建築家自身による個展」だ。(スポンサーなし、という意味))
 稀な事は記録しておくに限ると考えているので、スマフォとICレコーダとメモ帳と資料袋を持参した。その記録、ようやく一旦節がついたので公開します。この記録を眺めながらお正月にのんびり「渡辺菊眞建築展、体験記」を書くのが楽しみだ。

今夜は目次を紹介します(後日、1頁づっ簡単な解説をつけながら紹介していきます)お急ぎのかたは全てのページにリンクを張ってあるので見ていただければ幸いです。そして、建築好きのかたなら「何か言いたくなる」ハズです。それら感想などFB投稿やEメールでお寄せいだければ、「番外・特別ページ」を仕立て記録保存し公開しますので、投稿などよろしくお願いいたします。二度とこのような建築家による自腹プロジェクトである建築個展は日本で開かれない可能性はあります。

■普段おこなっている建築家の聞き取り(ことば悦覧)と異なる点は、展覧会の会場の中で聞き取っているので、とぎれとぎれ、でまとまりが弱い点です。いずれこの記録をもとにし2〜3時間、渡辺菊眞さんを聞き取る機会をつくり、その記録を保存公開したいと考えております。この記録はそのための資料のようなものと考えて、見ていただければ幸いです。

■目次 URL http://www.fullchin.jp/hito/waki/00/mokuzi.html



 12月21日 

 12月2〜5日まで高知を訪ねて、渡辺菊眞個展を観て、記録をつくっていたが、夜11時前に一端作業の一区切りをつけた。2週間ちょい掛かった。
 作品の正式名と制作年月が不明な点が多い。いずれ修正を加えるべきかもしれない。明日からは、全体の感想としてmy体験記を書く予定だ。楽しみながら、お正月までには仕上げる予定。予定より多いWEB頁数になったので目次を作った。
 目次はここ 頁にリンクを付けているので 順にみていく事ができる

 12月20日 

■FB投稿より  干し柿 放射能測定! 不検出。
庭の柿の実を干し柿に仕立て、近所放射能測定所にて測定してもらう。持ち込んだ量ば700グラムにとどかず、で参考値となるのもの20ベクレル以下不検出となる。9年振りの庭の甘さ戻る。家人の好物にて拍手している


■2巻まとめて 5000円! 先着3名のみ。

 年末特価 もちろん新品で税込みです。半値です!、振込先は送付書に書いて送ります。現金書留の方は私の住所に送金ください。送料はユーパクで送る予定ですので適宜加算ください。
ご希望のかたは、私の方にFBのへメッセージ機能を使って、住所と電話番号をお知らせ下さい。発送いたします。(EメールでもOK)
第1巻438頁、第2巻510 頁。補記、補註や。花田達朗さんの年譜入りです。...
お知らせ、よろしくお願いいたします。




 12月19日  薄日あり

 高知市内にて3〜5日まで開かれた渡辺菊眞個展に関する、聞き取りの記録づくりを一端終えた。それらの体験を通して、自分が思ったことや気付いたことを体験記にまとめようとしているが、それはまだ手が付いていない。今年中には書いておきたい。
 昨夜、菊眞さんには連絡しておいた、今朝、読んだと連絡あり。さらに手を加え、数頁ずる仕上げていきたい。まだ未完成だが 目次と各頁はざっと、こんな感じ。
おもったより時間が要るものだが、一段落しつつある気分だ。
 なんとなく菊眞展に呼ばれた、その責任をはたしすつつある
渡辺菊眞2019年個展記録 目次     個展開催2019年 12月 3〜4日  HOME ( 佐藤敏宏 文責と作成
01 渡辺菊眞さんに聞く

 

・会場構成について
・建てる建築 実作について
・信長創始の寺  
02 渡辺菊眞さんに聞く

・角館の建築
・遍路小屋
・金嶺神社再建
03 渡辺菊眞さんに聞く
・写真群 感涙の風景から実作まで
・渡辺菊眞の新しい横顔を観た
・自邸について
・金嶺神社再建
04 竜馬さんに聞く
・地域と菊眞菊眞の神社建築
・東京での事例
・酵素成長期の限界と地域
・瀬戸内全史 香川用水などの影が教えるもの
・不知火海と瀬戸内海
・菊眞神殿が照射するもの
・家を造ること
05 高橋俊也さんによる感想
・建築をつくる空間構成
・産泥神社がおもしろい
・佐藤はどう思うのか・
06 川井操さんによる感想
・感想
07 森田一弥さんによる感想
・近況 ぎっくり腰になる
・菊眞展の風景
・日時計の裏に住む
・実現への意志 期待したい
・紙は残らない
08 正岡みわ子さんによる感想
・感想
・福島の日本酒
・やることがぶれない菊眞先輩
09 岩崎泰さんによる感想
・感想
・勇気もらいました
10 幸家太郎さんによる感想
・感想
・作品を観たい
11 居酒屋談議

 (主に佐藤と菊眞氏)
・展覧会について
・菊眞展を体験して分かったこと
・5年ごとに聞き取る
・建てぬ家 実家再計画について
・感涙の風景について
・始まりの文、仕舞の文 個展開いてすっきり
・25年前の個展のこと
12佐藤敏宏の渡辺菊眞個展体験記
 12月18日現在 作成中

 12月9日 

 こつこつ菊眞展で採取した肉声を文字にしている。一日。今日は12月3日の採取文を文字にした。香川ミュージアムの考古学者にして学芸員・佐藤竜馬さんの菊眞語りが面白い。 今週中に文字化できたら、年内公開できるかもなので、いいのだが、先をみづこつこつ文字化を進めよう。

 12月7日  曇りがち

  FB投稿より
 米沢街道を行く。福島市庭坂 湯町?李平(宿場)を訪ねる
新関さんのお誘いにて三浦さん、斎藤さんの案内と豪華です。福島市庭坂に在る湯町から李平(積雪20センチほど)まで体験する
古道・旧道調査などにて湯町のことは知っていたが、吾妻地区超郷土史談会と阿部会長のことは知らなかった。身近な、なるほどの福島市の歴史の手掛かりを確認。
 ついでにに、三浦さんの生地である宿場・李平(すももだいら)には現在何もないが、三浦さんの案内で訪ねる。撮り鉄なら知っているだろう、大平小学校跡地から見える、峰をうねるあの道、米沢街道現在の13号や万世大路などの道道の景色より、はるかによし。歩き易そうだ。
(新関さん、斎藤さん、三浦さんありがとうございました)



 12月6日 

宮城県産の地酒を3本my長男よりいただき
原酒のロック割 うまい。
丸森町の渡辺豊和さん系石庭の話しは、「原発事故による慰霊・鎮魂をどうすべきか」あれこれ、考えたり調べたりしていたが、みな腑に落ちなかった。
鎌田東二さんによる渡辺豊和さん石庭での石笛の演奏の話しを聞いて分かった!これなら万国と時をこえて響きあう行為になる
■佐藤投稿
 お疲れ様でした!「俺、高知に何しに呼ばれたのか?」空海系でいいかな、と思ってましたが、イワクラ話しと鎌田さんの演奏の感想を、お母様からお聴きし、ようやく解りましたし、電車の中で富士山眺めたら整理もできました。
丸森町で最後の設計を体験しつつ、いろいろ話しを頂きそこでも、記録を作りたくなりました。よろしくお願いします

■菊眞氏返信
 佐藤さん、このたびは本当に遠方から来てくださり、本当にありがとうございました。佐藤さんはあいも変わらず、瞬間的にほぼ全体を洞察されるので、うれしくもあり怖くもありました。丸森町についてはこちらこそ、よろしくお願いいたします。春分の日くらいに。
■佐藤投稿:対馬の白虎建築は「建築楽器だ」(小さな建築の方)と渡辺さんにはお伝えしてましたが、丸森の石庭もその系譜のようで、さらに太陽や鎮魂慰霊とも関わる21世紀前半、311による必然的に出来た、記憶すべき時空のようですね。
建築楽器に慰霊鎮魂の場でもある、となると、ある種のパワースポットなのかもしれませんね。
来年の春分の日には丸森町でお会いしましょう。my長男は丸森町の歴史調査もしてるはずなので、情報を、仕入れておきます。よろしくお願いします。
??今回の2日にわたる、聞き取りの記録は年内にまとめ、web公開できるよう頑張ってみます。お待ちください。


12月3日 高知市で渡辺豊和さんに教えていただきました、現代イワクラ。渡辺豊和さん最後の設計とのこと。丸森町 伊達冠石
渡辺さんは「施工がとてもいい。お前、観に行け」との指示がありました。来年3月に観に行ってみます。
??渡辺さんの奥さんの話しによりますと(慰霊コンサート)鎌田東二さんの石笛に涙が出てしまったそうです。
「渡辺豊和さんの建築は楽器そのものでもあります」そう気がついたのは、対馬の白虎建築(対馬交流館だったかな)体験した時です。
確かに機能主義に脳が痛んでしまった者、あるいは機能主義の奴隷、または機能主義の受動機械に成り下がってしまった人々には、思い切り、批判に晒されてしまうわけです。...
ですが人間の深層を理解できない、自覚できない者の姿を顕にしてしまう、建築楽器でもあり。そこで渦巻き立つ現象によって、現代の病も照射されるので、ますます批判の標的にされる。それはとても私にとっては興味深い事態でもあり、目が離せないわけです。

■秋分の日に開かれたイワクラ学会チラシをみつけた。会長が渡辺豊和さんです。渡辺さんの奥さんの話しですと、鎌田東二さん演奏の石笛に涙したとのことです。魂を癒す石笛とその舞台である石庭。


 12月4日 
 

室戸岬に立つ!なるほど地球のパワースポットの一つである。この岬に立っとその事が存分に解る。空海が居住し修行地の一つに選んだ理由が分かった

■室戸岬から高知のホテルに戻ったのは5時ごろ、荷物を仕分けして、展覧会場へ行く。顔見知りの面々多数集まっていた

渡辺菊眞展2日目@高知市内
空海の、修行地の一部を体験し、夜から渡辺菊眞関係者=京都大学布野研の人たちと駄弁る。それぞの方々の感想など聞き取りながら、菊氏の個展についてそれぞれの意味を定着して置こうと思います立ち、酔っ払ってしまわずに、ワイワイデータを保存した。(高知市まで出て来るひとは、みんな建築好き)
感想なとたくさんあるけど、まずは関係者の肉声を文字にしてからにする。

■人生初、高知新聞を手に入れた(12月4日)
そして渡辺菊眞展を取材した記者も合流
花田達朗さんに「高知に行くなら、森田記者と坂巻記者に会って?め」を受け、連絡した。遠方支局勤めや、仕事がありそう、簡単に会えないと思って、ダメもとで新聞社に電話した。森田支局長は車で1時間ほどらしい、メッセージ入れたらすぐに応答あり。ちょうど空き時間があるとの事。何人か連れてくるような気配。「それなら一緒にワイワイしましょう」とんとんと話が進む。時間の節約のため、渡辺菊眞個展12月3日の呑みに合流してもらう。偶然なのだが、4日の記事を書きあげた、楠瀬健太記者も合流して貴重な機会となった。
佐藤、楠瀬、森田、元高知新聞記者の笹島さんも合流し2次会は4人でワイワイ。
楠瀬さんは記事も書くけど、カメラマンとのことで、なるほどの写真です。確か「ユージンスミスが、好きだ」と話してたかも。...
俺は、楠瀬さんが取材してた時に会場に着いしまい、待つ事になった。思いのほか長時間の取材だったので、新聞写真の取材とは思わなかった。




 12月3日 岡山駅で目が覚める 快晴

東京駅9番ホームを出て今朝坂出着。瀬戸の花嫁という曲鳴りまくる駅なり
しまんと3号 初乗り。2時間後高知駅 


空海が生まれた善通寺を通過し満濃池を遠望する。1200年間 空海の技により、この大地は人々に恵みを与え続けてている。
やまびこ打線で名を馳せた阿波池田を通過し、嶺北を源とする吉野川沿いをひた走る電車。 平坦な善通寺市の地形を経て荒々しい山並み。修験のせかいへと導かれるのは、のこ地形の連なりなら腑に落ちる。

徳島県内 大歩危駅(オオボケ駅)
若い中国人女性たち大勢の観光客してる
平地無し。この地の人々はどんな生業なんだろう?不思議な地名と空間
高知駅に着いた。

渡辺菊眞展を観る@高知市
学生さんとのコラボ電車かと思ってきたが、純粋な菊眞展でした。聞き取りしながら観てます。記録作成予定。(顔やお父さんの事などで、菊眞さんは誤解され過ぎてるので、この展を観て正しい横顔に手に入れていただきたいものです)
会場の構成は 真ん中、芯に好ましい風景というか建築写真。左側が学生時分から現在までのプロジェクト。右側がこの20年間かんの自邸を含む、実作を模型と写真にて説明風に展示してあります
この25年間の建築家の軌跡を観ることごできます。

高知のたべもの うろぎ酢 380円 
布野先生、香川ミュージアムの佐藤竜馬さんに渡辺建築の位置づけなどをお聞きする、呑む。高知新聞 楠瀬さん森田さん フリーランスの笹島さんとで2次会に行く。ホテルでばったり寝る。

 12月2日 曇り時々雨
 洗濯をしながら、食材などの買い物を済ませる。
午後、高知市で明日からはじまる渡辺菊眞展を観るため、新幹線にのる。東京駅22時発、サンライズ瀬戸、新寝台車に乗る
 途中大宮駅で降り、3時に高田馬場で花田先生に会い昼ビールを呑みながらダベル。my長女のドイツでの暮らし、ネオナチのような動きの背景などを6時まで、だから3時間ほど解説してもらう。高知新聞の記者を二人紹介していただく。
 7時東京駅につき、サンライズ瀬戸の出発ホームや乗り込める時間を聞いて、東京駅や有楽町有楽町周辺を逍遙する。40年前にも在った建築もあり、観た事もない建築もあり、時間の織物のように見えて、おもしろかった。

 サンライズ瀬戸シングルは乗車券のほかに特急券3300円と寝台券7700円必要だった。往復の乗車券は大人の割引が付いているので18060円ほど。東京駅を22時に出て、坂出着7時9分 そこから高知まで特急で2時間ほどで高知駅に着く。空海さんは善通寺市で生まれ、四国の各地で修行したそうなので、地形を体験するたに電車の乗ったようなもの。途中、満濃池の遠望を見て山中に入ると、東北にはない地形が現れる。このような崖、平らな場がほぼ無く岩だらけの場所に激変する地形に鉄道を走らせる、その情熱に敬服してしまう。瀬戸内海の穏やかで淀んだような海と、太平洋の激しく広大な海を行き来すると空海のような人が育つのかもしれない。

■FB投稿
福島市から高知市に向け、電車に乗る
明日から始まる渡辺菊眞展を観に行くことにした。京大に入学卒業後、25年ぶりの個展とか。学生の時分から交流してるし、2009年12月12日奈良市内の自宅兼事務所で聞き取りしているので、10年ぶりの再会となる。どのような個展になっているのか。
個展に関してなどの記録や聞き取り記録も手に入れことができるよう、努めてみたい。
◆足は寝台車など。寝台車・サンライズ瀬戸は東京駅22時発で人生初の四国寝台車入り。


待ち時間に有楽町逍遥
サンライズ瀬戸は22時発。15時に高田馬場に着き花田達朗先生と昼ビールしながら、西欧の旅の話しと移民各国の極右のベースになる思想の有無を問い聞く、3時間。@高田馬場。ワイワイ中に、教え子さんで高知新聞社に勤めてている方を紹介いただく。げんばく鮪系の関係漁民の取材をされ記事を書いてる方らしい。連絡して、時間が合えば呑んでみよう。
◆17時頃東京駅に着き、1時間ほど有楽町逍遥をする。19歳から10年間は有楽町丹下健三東京都庁に通いまくってたので、懐かしの場所た。都庁建物は消滅したけど道はそのまま。ガード下の食堂でヒレカツを食べる。頭の上を山の手線の列車など走る音も良い。40年まえとほぼ変わらない。値段は200円位だったかもしれない。
22時東京駅発サンライズ瀬戸
1両車目だった!通路狭くも、個室、俺スリムなのでゆったり、寝る場確保した!明日目が覚めると四国の坂出。
ツイン2段ベッドもあるみたい。寝るには十分なすべー。売店無い、食堂車もない。乗る前買っておかないと、いけません。揺れも幻想的、音は鉄橋渡ると変わり新鮮体験。午前6時30分夜明け前の岡山駅に着く。こで出雲と瀬戸に切り離し作業。30分後に坂出着予定グタス寝たので目覚めスッキリ。もうすぐ四国が見えるはず。東京から特急料金3300円 寝台料金7700円そのほか各駅料金要る。時間がある人はホテルに泊まった方が楽かも。


 12月01日 

明日から高知に向けて旅にでるので、その前の段取りを数日している。数日前の夜雪が、みぞれが降っていて、冬到来。

my次男は買ってきた、薪をストーブに燃して暖を取る練習をしていた。

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