渡辺菊眞個展2019 目次へ 記録作成 文責佐藤敏宏 | |||
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佐藤:真ん中の写真群(感涙の風景)は自分の創作のネタ元を公開してる、ばらしているものだからね〜。 渡辺:普通は、これはしないと思います。 佐藤:奥・左の列の展示(建てぬ建築)は、ご自身の、とんがった思考とその熱を練り上がた作品群で、渡辺菊眞建築の原石そのままですね。 右側の展示(建てる建築)は原石を、自身が生きている社会と言うフィルターを通して、生み出され、実現した建築群になっています。建てる建築は社会の中で洗練られて生まれてきた。「建てる建築」は原石のような硬さもなく、執拗ささも丁度いいところに着地している。そうしないと実現しないからね。無理なく見える。腕力で実現させてしまう建築家かとも思っていましたが、そうでもないね。 渡辺:私はじつは、あんまり、そういう事ないんですよ。見た目とか血筋とかがそうなので。そう思われがちなんです 共に わははははは 渡辺:私は実は、そうじゃないんです。 佐藤:実現された建築、「建てる建築」群は、しなやかに社会に応答した実建築になっている。今おっしゃられた腕力で押しまくりでは、建てない建築家なんだ。そのことがよく分かる建築展ですね。 いろいろな人が来て、観て、菊眞建築の姿勢を理解してくれるといいです。この展示だと、布野先生が熱望している、ギャラ間の委員会では通らず、展示してくれないだろうね。 渡辺:そうだと思います。 佐藤:近頃系、というかモダニズム軽やかお洒落系の建築に見えないので。日本に本来、存在していた建築に、今、ここで、何を加えていくのか、あるいは地域の人の深層をどのように建築化しているのか。そういう問いに、菊眞建築は応じているので都会には無い問いへの、応答建築群だからね。東京おしゃれセカイ系建築とは質が、すこし違うので。布野師のギャラ間展、希望は、かなり強引にねじこめれば別だけど、気の毒だけど、はねられるね。 渡辺:端から、そういう流れとは合わないかもしれません。 佐藤:布野先生は、東京に暮らしているのでギャラ間好き、なのかもしれないね。 渡辺:「ああいうところに行くと、ソフィスティケートされて、いいんじゃないの」と「お前あそこでやれ」と言われているんでしょうけど。 たぶん、根本的に合わないんだと思います。そういう中に入る感じでもないですから。そういう展が実現して、多くの人に見せる機会は、なかなか良さそうで、展示されて、観てもらいたいんすけど。 佐藤:そうなるといいね。21世紀を担うだろう、これらの若い人たちや、地方で建築を思考している人たちには、渡辺菊眞建築を観る機会が増えるといいんですがね。 現状で、とりあえず評価を受けるのは地域史系や美術系の人たちからでしょうね。そこから菊眞建築が始まる。それも、いいんじゃない。美術館でのワークショップに基づいた建築と、その地域の人々とともに造る建築として、すでに菊眞建築は社会に拓かれているので。これからさらに広がると思いますね。 渡辺:そういう機会の方が多いです。建築を展示しようとしている主体とは、あまり合わないというか。 佐藤:現在の空気とすこし違うだけでしょう。建築系の主体は、バブル弾けど、3・11を通過しても、相変わらず近代的主体を求めていて、建築家の個性で建築を拓いていく系に偏りがち。そういう主体は北半球というか、西欧世界で活躍できるだろうけど、渡辺菊眞的建築主体はモダニズムの主体ではない。日本や地球上の風土対応型というか。その土地の風土との応答で生まれ拓かれる。21世紀、これから要る、多様な建築の主体だからね。 全能者の生まれ変わり建築家を望む、個が主体をもって、華々しく次世代を誘導したり、現状維持の建築的扉を解放するなど、派手な表現を求めているんだろうけど。菊眞氏は、それらとは違う建築家のタイプだ。 何にしても建築家も、いろいろ居るのがいいよ。現状を続ければ大きな建築公共や交流文化会館など、まだ先だね。 渡辺:はい。造ろうともあまり、まだ思っていないです ふふふふ。 佐藤:宗教と政治と建築と人々の営みが有機的に成り立っていた、中世・近世の社会の精神に通じているかのようにも見えるけど。素材や社会に対する対応は 新しいので、違うけど。 現在の建築だ。なかなか日本建築の世界では評価されにくいんだろうね。いずれ、気づく人も居るので、期待しましょう。 渡辺:そうだと思いますね。 佐藤:大学来の自分の理屈が、社会の本質に合っていると信じている語っているようにも見えないし。 渡辺:そうですね。 佐藤:売れっ子目指して、キャッチコピーを量産して、動員を掛ける、そのようなタイプの建築家を目指している人が多いなか、渡辺菊眞氏はそれらとは対極に居る感じだね。現在は政治も宗教も歴史を経た本筋の目的から崩れてしまっている。でも、これからも災害が頻発して社会状況は混乱するだろうから、渡辺菊眞が活躍できる状況が生まれるね。 次に向けた、ナイスなタイミングの25年ぶりの自力での個展。渡辺菊眞建築展じゃないですかね。そこもみんなに伝わるといいんだが。 25年前ですか、学生の時の個展の武勇伝、教授を凹ましつづけた。(詳細は記録11にあり)その話は大島哲蔵さんから聞かされていけど。観ていない。「今はこういう状況だから、建築をこのように造るしかない」と。希な個にとどまらず、高知から、多くの社会に開いて開催された菊眞建築の個展ですから。 でもタイトルが、妙に浪速節っぽいよね。「建てぬ建築、感涙の風景、建てる建築」だと。 渡辺:ははははは 佐藤:渡辺菊眞が高知に移民してから、なぜ赤い服着たり、朱色に拘りつづけているのか、「あかい先生」と呼ばれているのか、今回の展覧会で、その「あかというか、朱にまみれて」暮らしている、意味が分かりました。 10年前の聞き取りのときは「朱色」は前面に出ていなかった。分からなかったんですよ。でも昨日ようやく、高知に立って分かりました。「あかい先生」と呼ばれているそうですね、なによりです。 渡辺:ははははは。言われますね。 佐藤:展示されている、最初のコメントと最後の〆のコメントを観ると、渡辺菊眞建築の起点が、終点が分かって、素直に、しみじみといいよね。ここから始め、ここで終わる。その態度が大仰でない、ささやかでいいよ。素直に「アット・フォーム」な感じで、いいじゃいんですか。 渡辺:ははははは |
感涙の風景 京都 感涙の風景 パネル 建てぬ建築 手前 最新 実家改修案 建てぬ建築 手前初期作品 下絵3枚 渡辺菊眞氏FB投稿より 里の拝殿 正面 香川県ミュージアム 里の拝殿裏面 香川県ミュージアム 共同通信 配信記事 高知新聞版2019年12月14日発行 森の本殿 2017年 |
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佐藤:渡辺菊眞という人間を誤解している人、多そうだ。この個展を切掛けに、それが変わっていくかもしれないね。 渡辺:僕のせいもあるかもしれませんけれど。たぶん誤解もあると思います。 佐藤:渡辺菊眞の横顔というか、正面から見ても他人は本人を全て理解できないからね。好き勝手に菊眞横顔とみる語るだ。誤解されるのが当たり前だし、それでいいのかも知れないけど。 俺は今回の展覧会でようやく渡辺菊眞の横顔が解った、そんな気になりました。今まで誤解している人にも、伝えておきたいので、聞き取り記録作りますよ。 「いままで酷い、横顔を観てたなーと」 本人自身だって、高知に来るまでは、自分自身に騙されていた可能性もある。だが今回の展のように、25年分を一気に並べる個展を開催された機会が与えられたので、違う横顔が解って幸運ですよ。 渡辺:基本的には、このての話も、受動的にやる事が多くって。あんがいと自分自身では、これをするから、どっかに行って、話持ちかけられても、私は全然できなくって。すごいパッシブな人なんですよ。 なので、こういう風景を見つけては喜んで撮っている、みたいな話で。 ふふふふ。そこぐらいはアクティブなんですけど、あとは、言われても「それ、違うだろう」ということが、あんまり無くって。基本は、まず一度受け止めて、何が出来るか考えるような個性ですね。 佐藤:神業ぎみだね。自分の力を出さずとも、相手の力、土地の力を活かして造っていく。敗戦後・近代思考、そのままのお父さんの主体状況とも違う。成熟して腐りかけている近代主義の現在とも違う。まずは、この高知の大地の原点に還って、そこから始める。ここでいいと、その事をこの個展で再確認、という感じです。 渡辺:自分のことで一番思ったのは、こういうの展示して、実際に一個造ったときに、あれを見た(アフリカの)土地の人が、別な事を想って、建築を造ったときに思っていた、提案の使い方。今、全然違う建築になっている。そっちの方が嬉しかったんですよ。マスタープラン、原案のまま、全体が、コツコツ造り続けられていたら、しんどくってですね。 佐藤:ちょっと訪ねて、提案が固まったままで、その土地の人たちの脳味噌と風土を犯し続けていくなんて、嫌だよな〜。 渡辺:それ、嫌なんです。だからあれ一個ぐらいは、もちろんよくって。ありがたいんですけど、使われかたが違っていて。ふふふふ 佐藤:責任負いたくないよね。 渡辺:これ「自立支援」とか言っておきながら、下手すると、これをガンガン押してしまうと。おかしなことに成りますから。(頁なかほどから2009年アフリカ ウガンダ土嚢建築について語るへ) 佐藤:民族学者なんかも、だろうけど。自分が暮らしている価値観で、入った先の文化的状況を観て、解釈して、この建築、未経験の人へ、押し付けになっているって。そこに、気が付かず、ガンガンこちら側の価値観を押し付けてしまう場合もある。これを、どこで調整するのか自制するしかないと。 商売人ならそれで儲けてお仕舞、政治家なら自分のイデオロギーで制覇してしまい、ご満悦なんだろうけど。地球の限界もあきらかになりつつあるときに、持続可能を信じられてる、時代状況じゃないし。こちらサイドの価値の押しつけ態度では、よくないよね。自分自身を、また地域の人人の能力を信じるならば、余計なことをし過ぎない。一つ造ったらあとは、応答を待ったり、その地の人々に委ねる。他力を活かす態度がいいよね。 渡辺:割と幸運なことに「行ってから変更になりました」みたいなこと、海外で多くって。そっちの方が結果的によくなっているんですよ。それは有難く思っていまして。 佐藤:なるほど、日本の行政発注の建築では禁じ手だけどね。現状は有識者に話を聞いて、こうなりましたから、これでいい建築です。 で、変更を許さない。機能的にも、使え方を変えられない、建築余っているのに相変わらず、架橋が無き、縦割り社会だからね。日本は。 みんなおかしいと思うけど、まま突っ走しり、お荷物化して廃虚になってから、資源の無駄、という感じかな。 地域の人との糸口を見つけ出す前に、価値を推しつけて、社会をガンガン変えて発展した。「それでよし」と想い込んでしまう若い人も多いのかもしれないね。 最近はワークショップをつくって、そこでやった気にさせておいて、実は有識者や作家サイドの押し付けレールを走らされているだけで。他の発想を誘発し融合が出来てない場合も多い。 渡辺:あれも苦手なんで。たぶんやらせたいことを決めておいて、手続き状みんながいるような感じにして、実際は押し付けが、僕はあれが、凄い嫌なんです。 佐藤:市民サイドも、すでに骨抜き、脳抜き状態なので。真の対話をもって作り込んでいく、それも困難になっている。市民とコラボして、全く違うものが出来上がったというほうが、いい状況を生み出せるんだろうけど、それをやると、予算化されたものと違うものが出来てしまう。 渡辺:それが具合悪くって。 佐藤:日本の近代の150年の仕組みが、社会を疲弊させ続けてしまって。作る側も、与えられる側も、お互いに息苦しさがあるよね。両者、力を出せず。菊眞展の「建てる建築」はそうしゃないから、救いです。まだ、ささやかにしか知られてはいませんが。 渡辺:ささやかなので。 佐藤:一番豪華な「建てる建築」が自邸だったりする点でも、ささやかではあるけれど。 渡辺:はははは。確かもそうかもしれないですね。あれだけは、全うな手続き踏んで建っているので。ふふふふふ。 |
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佐藤:自邸の話が出たので、自邸のコーナーに移動しましょう。人が暮らす場所と、お天道様が動くところは別構成になっているんですか、それらは一体なんですか。 渡辺:ほぼ一緒ですね。 佐藤:太陽の動きと、それぞれの空間が対応する形になっていると。 渡辺:大きくは、ここに日時計が在って、東西パターンの二階と、日時計の裏は暗いんでよ、裏なので。そこはアトリエにしています。 要は日時計があったら、手前は当然、明るくって。後ろは陰になって、左右は時間によって違うんです。朝日が当たるのが西の方だったりしますから。 日時計が置いてあって、その前後左右で、それぞれの空間の癖というか、雰囲気が変わるので。あとは、どこが好きですかという話があります。 僕は暗い所に居たいので、こっち(日時計の裏)を選んだわけです。これは僕しか好きじゃないですね。家族は「あなたは、そっちに行ってて」ということで。比較的、普通の所は皆がいる所です。東西は好き嫌いはなかったですけど、息子と妻で「どっちすんの」と決めてました。 佐藤:設計者本人は、日時計を家の中に造りたいんですよねと。 渡辺:はい。 佐藤:日時計、それを造るために、家全体の形を調整しているんですよね。 渡辺:基本的にはそうではなくって、元々の「パッシブハウスの形の決め方、というのは、屋根勾配がその土地の緯度が一番効率がいい」みたいな話を井山武司さんがおっしゃっていて。場合によっては、アクティブで太陽電池を載せる場合もあるので。それを「載せるなら完全に緯度と合っていた方がいい」という話を聞いてました。 その話はいいとして。「緯度に向けるんだったら、もっと何かないのかなー」と思って。 井山武司さんがパッシブでの恩師なんです。「父なる太陽と、母なる大地の対句でもって、人は生きれるんだ」ということを、づーっとおっしゃっていて。「天の方を、ぐるーっと巡っていて」と話をされるんですけど。彼の造ったアトリエに居ても、それは全然、感じれなくって、それが非常に不満足だったんですよ。 かといって「何で、そういうのを出来るのか」と、づーっと悩んでいたんです。2002年に井山さんの所に住み込みで働かしていただいて。「彼がいう、天の恵みなんてパッシブハウスに感じないなー」と思って。 ある時ふと「日時計でいいんじゃなか」と直感的に思って。たまたま布野先生が愚痴を言っていたときに、その話になって。高橋俊也という、一緒にD研究所をやっている者が「最近、布野先生は建築に興味がなくなって、日時計の研究なんかを、学生にさせているんだよね」と愚痴を言っていた。そのときに「あ、そうなんだ」と。「日時計ちょっと待てよ」と。 悩んでいた話とパッシブと日時計をガチャンとくっ付けた時に「時の巡りみたいなものが感じられるものが出来るし、日時計だと、単にその空間に吹き抜けが在って単に天を感じるとかじゃない」「割と直接的に陽が動くから、それに反応する形が出る。そういう意味では日時計はいいんじゃないか」という直感で始めたのが2008年ですね。 いろいろ紆余曲折を経て、竣工したのが2015年なのです。7,8年ずーっと温めていて。日時計なるパッシブ・ハウスプロジェクトはずーっと立ち上げていたんすけど。最初に作ったのがこの模型です。RCです。 佐藤:このRC模型、自邸一緒なの〜。別な、建築だと思ったよ。はははは。 渡辺:同じなんです。けど、特に施主が想定なしで、敷地も想定無なんです。 「北緯35度」という標準緯度でやった場合こうなりますよ。それを作った。 「これを、どういう形にするのか」と、づーっと考えたんです。こういう事をやっているとアピールする機会もないです。誰もやろうともしない。「ずや〜、自分の家でやるしかないなー」と。自邸にしたのが、こっちの模型なんです。この間に7、8年流れていて。 佐藤:当初案の方は、想いや、力が強すぎる、自邸の方が軽やかですね。 渡辺:普通に住宅として、ありそうな状況のなかで、やれている工夫だと思っていて。当初の模型、あれだと、おっしゃる通り力業でしかない、ははははは。 佐藤:力業過ぎ。聞かされても、住まわされても、これは辛いね。 渡辺:そうですよね。そこら辺の模型、いくらかスティプ踏んで。ここらへんだとまだキツイんです、こんなです。はははは。 佐藤:実作・自邸のペラとした日時計の感じが、いいよね。 渡辺:その日時計の幕も汚れたら取り換えればいいんで。 佐藤:ほんとうだよね、汚れたら交換すればいい。その、軽やかさがいいよ。最初の重苦しい模型から、自邸の軽やか日時計まで8年間掛ったんだ。何かに開眼するって時間が要るんだね。 渡辺:普通に、お金のこととか、地域の工務店の人が「建てて、やるぜー」と、おっしゃったときに「どんなんか持って来い」と言われ。RCのもっていったら、「建てれるかよ、こんなの」という話があって、ははははは。木が得意な方だったので、妻も「木の方がいい」というので「じゃー木化するわー」という話になって。考え出して。木化するまで6年ぐらい掛かっている。 共に ふふふはははっはは 佐藤:好ましい人に恵まれて、無駄な力が落ちていって、独りぼっちじゃない、そのところがいいね 渡辺:一人ぼっちだと RCこっちなんですよ。 佐藤:菊眞・独りぼっち建築。これ、だと最悪やなー。 渡辺:はははははは 佐藤:現実の社会に生きている人から、影響を受けた方が、よくなると 渡辺:そうですね。そこは、私は頑固でもないので「そうだねー」ってなるので。 佐藤:頑固な建築から軽やかに木造にジャンプする点が面白いですね。自分一人で思念していると、こうは成長しないものだよね。 渡辺:ならないですね。 佐藤:共に生きている、周りの人に、おおきな影響を受けて、「こなのできるかよ〜」とか言われながら、大地に着地していくのがいいね。 渡辺:細かなプランニングの話「こっちはこの方がいい」という話に対いて、私は拘りがないので。妻が「この方が、色々都合もいい」と聞いてましたので。そうなんで、「あかんぞ!」は、ないんです、私自身は。 実際、そこでいろいろやるのが主体の人が居るときに、特に私が言う理由もないですので。 |
宙地の間 内部 奈良県 2015年竣工 森田一弥さんは展の感想で、このように語っている 森田:それで「日時計の裏がある」っていうのが、彼にとって重要で。太陽があって、太陽の当たらない部屋が在るというのが重要で。 ただのパッシブじゃないよと。で、ただ、自邸は敷地と、関係なく建っているんですよね。太陽の方向に向けて建っていて、周りが、ぜんぜん活かせてないなーと思ったんだけど 以下 『進撃の建築家』布野修司著 による(菊眞自邸)評の写し。太陽の家 2001年に京都大学院博士課程を満期退学すると、2007年にD環境造形システム研究所を立ち上げるまで、渡辺豊和建築工房に籍を置くことになるが、2002年から2003年にかけて、井山武司(1938〜2014)[8]の太陽建築研究所(山形県酒田市)に出向している。渡辺豊和の強い意向だったという。菊真本人によれば師事したのであり、その没後、太陽建築研究会を引継いでいる。70年代末から「太陽建築」(ソラキスSolachis)に取組んできたその軌跡は知る人ぞ知るである。パッシブ建築技術の開拓者という意味では恐るべき先駆者であり、丹下健三研究室出身というのには驚く。豊和さんと井山さんは昔から親しく[9]、僕も何度か酒席を共にしたことがある。アジアを歩き始めて(1979年)間もなく、井山さんがバリ島に建てたエコハウスを見に行っている。同じ山形出身の小玉祐一郎先生の指導でスラバヤ・エコハウスを建設した際にもお世話になった。渡辺菊真は、並行してアジア・アフリカの見知らぬ地域で、地域の生態系に基づく建築を目指して格闘することになるが、その基本は井山さんに仕込まれたことになる。デビュー作となる「角館の町家 」(秋田県仙北市)にも当然生かされることになる。その今のところの日本における到達点が「宙地の間」である。 |
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佐藤:次に神社の再建です。これは、凄いと思いますね。地域の人たちはどういう感じだったんですか。新聞にも載ってますね。 渡辺:香川ミュージアムの、佐藤竜馬さん(感想などへ)、さっき学芸員の方も、来られていた。その方の美術館に展示しているのです。 佐藤:美術館で展示。そうなんだよね、今、美術館系に菊眞建築は受けると思うね。 渡辺:外から話が来るのは美術系の話が多いです。圧倒的に。 佐藤:村の人総出で、みんなで参加して造れるからね。建築の人から言えば、あまりにもすーすーしていて、金がさが無い、儲からんし、建築としてどうなんでしょうかと、なるのかな。 渡辺:たぶんそうかもしれません。 佐藤:構想から建築設計はできないだろうが、すかすか、シンプル誰でも作れる、そこがいいんだけどね。 渡辺:ははははは 佐藤:すっかんぴん、究極、そこがいいよね 渡辺:まず入れるものがありますし、必要最小限入れる大きさとか。資材、それを背負うのも自分たちなので。当然ながら、シンプル。 佐藤:こちら里の拝殿、香川ミュージアムに展示している方は、原石みたいにかっちりし過ぎていて、山の上の本殿、なのかな、こちらは優美に変容していて、いいんだけど。 渡辺:こっちは、ゆとりが出たときです。これ、この最初の手の事、特にその当時の学生は現場経験もない時だったから。 最小限の型を決めてその中でやることで、電気も通ってないので、単管をカットしなくて、いいように、定尺の長さだけでやる。そういう工夫をしていた時でした。 佐藤:だからか工業製品みたいに画一的に見えるのか。 渡辺:規格化された製品でやっているんですよ。ほぼカットしなくて、造れるようにしている。 佐藤:山の上の神社の方が、優美で軽やかですよね。単管を切って工夫して造っているんですか。 渡辺:それほど切ってはいないんです。切らざるを得ない、こんな長さは無いんです。大学で切ってから持って行く工程が加わっていて。原型を作ったメンバーが、こちらの施工にも入っているので、慣れたきたこともあります。もう、すこし自由にやれたという話ですね。 佐藤:二作目で原型が変容してきたと。これを見せられると、今までの神社仏閣建築は仰々しい建築に見えるね。中国から仏教、完成したものを輸入し、ありがたがる建築を造ったからだろうけど。菊眞制作の神社、この軽やかさと儚さは、そういう神社建築の在り方を、逆に、歴史性も含めて、照射もしているよね。神話勉強してから、詳しく追記してみたい気分ですよ。 渡辺:ボロボロの神社が在ったんです。建て替えるということは、元・在ったときりょりも、今までは荘厳にしていた、らしいですよ。 「ぼろぼろだし、お金も無いし、その手のことはやめませんか」と話をしていて。「それよりは、本体が潰れることが問題ですよね」という話になった。そのときに「それはそうですね」となって「まず急場で造らしてください」ということで。 佐藤:プリミティブで正解に一直線、いい。里の神社・拝殿より、山の神社の方が建築家の手のあとが見えていて、俺は好感もつね。俺も建築俗人なのんでね。人間が近づき易いというのか。 渡辺:里の拝殿は形式が強すぎるのかも知れませんね。 佐藤:神主さんも山の神社の方が、お祓いしていると、神さまと交信・出来て楽しんじゃいかなー 渡辺:はははははは 佐藤:だれか、お客さん帰るようなので送ってください。こちらは一度中断していいです。完成までの時間の積み重なりが、とても渡辺菊眞建築には大切なんだね 佐藤竜馬さんに聞くへ 夜の 居酒屋談議へ |
里の拝殿 (2016〜2017) 森の本殿 (2016〜2017) 2019年12月23日渡辺さんFBより 3年前は「森の本殿」を研究室メンバーと一緒に建設していた。一見、森のなかで爽やかにみえるけれど、極感でかつ片側が崖というギリギリな状況。さらに旧社殿は日々傾き、いつ倒れてもおかしくない状態であった。卒制に取り組む4年生も総出であり、まさに総力戦の建設だった。もう3年にもなる。現在は森の本殿として、なくてはならない社殿になって、森のなかに鎮座している。 |
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佐藤竜馬さんに聞くへ 2019年12月3日夜の 居酒屋談議へ |
絵3枚 渡辺菊眞さんFB 金峯神社移動式仮社殿の建設:6日目(12月23日)。久しぶりの現場。この間、強風で、かつ強い雨などもあり(実は昨日)、壊れかけの拝殿は本当にギリギリの状態。もう限界だ。本日で本殿移設までの作業は完了!しばしの休息の後、本殿移設へ。 (研究室の学生さんと共に、自力建設するようす) |
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