渡辺菊眞個展2019 目次へ  記録作成 文責佐藤敏宏 
渡辺菊眞建築展 建てる建築 建てぬ建築 感涙の風景 感想編 
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■ 香川県立ミュージアム 学芸課長・佐藤竜馬さんに聞く
 2019年12月3日 居酒屋・吾平にて 音源 325

■ 取り上げた理由

佐藤:香川県立ミュージアムの佐藤竜馬さん(「日本建築の自画像ー探求者たちのもの語り」2019年9月21〜12月15日)です。「菊眞展につての感想」よろしくお願いします。渡辺菊眞の、あの建築といいますか神社、里の拝殿を、県立ミュージアムに展示しようとした、理由や動機などを教えてください。

竜馬:理由はですね、今年の4月ゴールデン・ウイーク前に、今日いっしょに来ている香川県庁の営繕課の庄司が「佐藤竜馬さん、こんな建築が四国には在りますよ」と。いう紹介がありました。『新建築』の記事ですね。実はその前に「徳島の神山の色んな動きを紹介しよう」と思っていたのですけど。
佐藤:SFCの石川初さんなどが行っている、あの神山ですか
竜馬:はい、はい。「見に行ったんですけど、何か腑に落ちない」と思いまいして。その時に、たまたま菊眞さんの建築を見て「これは面白い」と。
 私自身は考古学をやっていることもあって。イメージは「竪穴式住居」とか「天地根元宮造」とか、そっちの感じに見えて。素材は違うんですけど。地域の、いろんなニーズに応えようとしている「建築の原型」というか「建築の大元の在りようが、有る気がしてですね、取り上げたいなー」と。

佐藤:里に造った神社の拝殿は、原型が強すぎますよね。
竜馬:そうですね。
佐藤:竜馬さんが「建築の原型・大元」と語ります里の拝殿は、山の本殿と比べ形と構成とは違いますし、素材が現在ふうとかですか。

竜馬:私が勝手に解釈し受け止めたのは、「とにかく、損壊した社殿をなんとか保全、というか、後世に継承したい」と。「それを継ぐ意味は、そこで祀っている人たちの、繋がりの場所を何とか確保したい、というのが、あるのかなー」と。だから「建築って形じゃないんだ」と。「何か切実なニーズなり、切実に求められるものが有る中で、それを何とか実現して、形にしていこうと。そういう中で、結果として日本的なものが出て来るのではないかなー」と思って。
 だから素材の問題ではなくって、でも「こういうふうなニーズを、ちゃんと満たしているなー」というのがあった。で「これは取り上げた方がいい、取り上げるべきじゃいかなー」と思って。
 今回の展示では、一番最後に取り上げています。最近の建築の動きとして、あえて四国と東京での動きを紹介しているんです。四国の動きの中で、渡辺さんの建築を紹介しています。

佐藤:それで『日本建築の自画像ー探求者達のもの語り』 菊眞展の受付に、チラシが置いてあったんですね、なるほど。
 建築の原型は、人なのか、平面図とか、形・形式なのか。いろいろありますけれども。地域の人が求めている、地域との応答とか、そのあたりのテーマはどうなんでしょうか、三つぐらいテーマがあるように思いますが。
竜馬:正直、あまり建築のことは分かっていないので、難しいことは分らないんです。けれども、「その地域とか、誰かが困っている。誰かが何とかしたい」という思いに応えようとしてた。その「答えのありようは、注目すべきじゃないかなー」と思ったんですね。








里の拝殿 正面


 里の拝殿裏面


 上3枚 渡辺菊眞氏FB投稿画より








■ 地域と渡辺菊眞の神社建築

佐藤:私は、菊眞建築・金嶺神社が建っている、その現地に行って地域の人と交流していないので、勝手な思いで聞きます。なんで地域の人は神社を捨ててしまわないのでしょうかね。「神社なんか、いらん」と、そこでゴミにしないのか、それは調べましたか。
竜馬:いや。捨てるということじゃなくって「そのまま、なんとか残そう」と思って、一軒しかない。人も高齢者だし。祀りを続けるために本来神社があった所、北側の畑に、里の拝殿を造った。

佐藤:原型の強い、三角の拝殿は里に造って、少し派手目な本殿は山の上に造ったと。対の建築なんでね、二つで一つの神社だと。
竜馬:そういう分離をして、少なくっても「里の拝殿では、皆がお祀り出来るように」という場所を造った。それは「高知だけではなくって、地方のあちこちで起こっている」と思うんです。
 私の生まれは、香川の宇多津ですけど、宇多津の町内会でも、それぞれの町内会が持っている小さい神社が在るんです。けど「もう建物が老朽化して保全できなくなって、どうしようか、こんなコンクリートの小さなものを造ったらいいのか。それは安上りで出来るぜ」みたいな。でも「それって何のために神社残すんですか」みたいな話だと思うし。「みんなが集まって、お祭りが出来る場所を、ちゃんと空間的にも造る。そのことが大事なんじゃないかなー」と思いました。
 そういう意味では形とか、素材の問題ではなくって「そこの場所を、どうするか、ということなのかなー」と思ったものですから。

佐藤:そこで、渡辺菊眞を取り上げたと。建築領域外からの、いい話ですね。簡潔な素材と、工費安上がり。設計は出来ないけど、施工は誰でも造れる単管と板。簡明素材で、地域の人にも造れる。そういう祀りの場所が四国には出来てしまったと。日本にあった「祀りの原型」に戻っちゃったと。
竜馬:そう、そう。「ある意味、渡辺さんが造った神社は、単管と板と波板で作った建築で、その気になれば地域の人も、建て直すことは、むずかしいかもしれないけれども、メンテナンスは、しようと思ったら出来るわけじゃないですか。そういうふうな可能性がちゃんと描かれている。そういうのは面白いなー」と思いました。

佐藤:現在の住民のひとたちが思う、必要な神社建築を、手に入れることができる。その方法が示されていて、それが四国に出来てしまったと。祀りの原型が出現していた。それを想うと、今までの公共建築の造られ方とは、ベクトルが逆になっていますよね。
竜馬:空から降って来たような、建築ではなですね。
佐藤:お上から、おちてくる物ではなく、自分たち自身が手に入れた、建築。











■ 東京での事例

竜馬:それと同じ動きが、全く違う次元だけど。東京でも癌の患者や小さな建築だけど造られたりしている、わけですよ。大都市と地方とでニーズが合っている。
佐藤:なんていう病院でしょうか
竜馬:マリーズ東京という、それも『新建築』で紹介されています。マリーズ東京という、非常に小さな建築だし、木造。たしか日建設計のモデルハウス、ルームを鉄骨で移築して、それを上手くつなげて造る、みたいなことをやっている訳です。
 だから場所によって、地域によって、ニーズが違うんだけど、そのニーズに対して何か応えていくみたいな。
 四国ではどんどん人口が減っていく、「コミュニティーの持続性を、つなげるために何が出来るのか」ということを渡辺さんが考えたし。マリーズ東京では それとは違う「人々の、つながりの場所を、どう作っていくのか。居場所を、どうつくっていくのか」ということを考えたのは、東京に造られています。
 「根っこの部分で、共通していることは、あるんじゃないか」と。そういうものを求めている人たちの思いに、どう応えるのか、っていうのが大事なのかなーと。

佐藤:建築的な手法で、現在の社会問題をも解決できた、好例だと。こういう方法もあるし。宗教とか思想とか、そういうものの糸口を見つけて解決してく方法もあると思うと。そう考えますが、香川県ミュージアムとしては、宗教も建築も両方やってしまおう、ということですか。それとも、政教分離で行政は運営されているので、答えにくいかもしれませんが、変な質問かもしれませんが・・。

 今の、日本とはなんぞや 

竜馬:とにかく、香川県ミュージアムの今回の展示は、明治時代の伊東忠太の話もあって、時間軸もあるし、地域の色々な、沖縄の建築も取り上げています。東京も取り上げています。とにかく「日本建築って何か。今、日本とはなんぞや」と、いうことが、ともすれば「これが正解ですよ」みたいな形で、押し付けられるところがあるわけですよ。
 そうじゃなくって、それぞれの地域とか、それぞれのコミュニティーが立ち上がって来るようなものが、結果として日本的なものを造っている。「そのようなこと、いろいろあるんですよ」ということを、ちゃんと伝えしたいなーと。

佐藤:「日本に建築は、いろいろあるんだ」ということを、ミュージアムが伝えるんだと。日本建築は、こんなに豊かで多様だよと。
竜馬:こんだけの幅がある、ということが、結果として日本的なものを構成しているであって、何か「これが日本的なものです、という、一本筋を決めるような話ではないんだろうなー」と。

佐藤
:それは、マスコミの怠慢を!ミュージアムが補っているようにも聞こえます。香川県ミュージアムの今回の展示意図を、マスコミの誰かが書いて伝えてくれるのでしょうか。
笹島記者:どこで、そういうことを考えたんですか。めちゃくちゃ面白いことを、今言ってましたね。


■ 高度成長の限界と地域

竜馬:なんだろう、どこかは分からないですけど、少なくても昭和40年代後半ぐらいから、日本の高度成長期に限界が見えた頃からですよ。
 例えば、瀬戸内の建築っていうのは少し注目されて来て。日本建築学会の学会賞をもらっている作品を観ると、昭和49年に香川県の建築、「瀬戸内海民俗資料館」が受賞しているわけです。同じ時に、対岸の浦辺鎮太郎さんが設計した「倉敷アイビースクエア」が受賞している。その辺のモダニズムとか、近代主義の限界が見えた時の、違うものを、潮目があってですね。そういうものを観ていくと、地域と地域性と風土に拘る、そういう建築の在り方が見えている。でも、その後(日本経済の)バブルが来ちゃって、そこが曖昧になってしまった。
 それでも、それって、深刻な問題なんであって、本当は建築では東北の震災復興の住宅とか。そういうのを取り上げたかったんですね。
 でも今回の香川県ミュージアムの展示は何か「雑誌とか見えているものを、横流ししたような展覧会に、したくなかったのです」。担当者が現地に行って確かめて、話を聞いて「何か、これは採り上げたい」というものを採り上げたんです。
 東北のことを採り上げるのには、荷が重すぎた。東北の事は採り上がられないけど、同じような地域の問題は、他の地域の問題の根っこの部分、そこは共有しているはずなので。四国を観ると「四国は四国でそういう問題があるんじゃないか」と。そう思っていた時に、渡辺さんの作品が見えてきたと。

佐藤:ご縁があるっていうことですね。
   共に ははははは




 絵 webより


 絵 webより

■ 瀬戸内全史 香川用水などの影が教えるもの

笹島記者:それが、水俣にもつながってくるんですか。
竜馬:そうです。はい。
笹島:60年代の教育学をやっていたので、内発的発展論を言い出した。水俣が切掛けで60年代、70年代に言い出して、地域の中で出て来る、立ち上がって来るものを一応・・・・その時、建築も関わっていたと。
竜馬:香川では瀬戸内交際芸術祭をやってますけど。あれは現代アートを展示した、ある意味、万人受けする派手な展示がある。でもそこで本当に目指している、北川フラムさんが目指していることは「現代アートが置いてある島とか瀬戸内という地域の、場所を体感して欲しいし。そこから何かを汲み取ってほしいし。そこをアピールしたい」というのが根っこには、あるんです。
 実は1年前に仕事が忙しくって、関われなかったんですけど、それまで数年間は瀬戸内芸術祭のプロジェクトの一環で「瀬戸内全史」という、瀬戸内全体の百科全書をつくろうと。人文的な知見もあるし、自然科学的な知見もあるし、それを全て統括して、大きな意味で生態系と言いますか「色んな繋がりを瀬戸内の中で明らかにしていこう」という本を「今年もうすぐ、刊行される」と思うんです。
 「それを作ろう」というのに関わっていて、そういう経験もあったんで、その中で瀬戸内をどう観ることができるのか。一口に「瀬戸内」と言っても、いろんな地域があるので。いろんな地域の成り立ち、ネットワークから色んなのことが、さらにつくられている。
 香川県というのは、昔は、もともと水が無い県なので、「香川用水」という吉野川から水をもらっているわけです、トンネルを掘って。瀬戸大橋が出来て。いろいろありますが、香川県にとっては生活が便利である、一番近代化される暮らしがあります。
 明治時代に、既に瀬戸大橋が構想されているわけですよ。100年近い歴史がありましたけれども、香川の人たちは水に困らなくなった。一方で水源地の高知の大川村が、ダムで水没する、とかですね。瀬戸大橋が出来たら橋脚の島々は人口減少が止まらないとかですね、一杯問題があるわけです。
 香川にとっては、もっと言ったら高松にとっては便利な暮らしが、過ごせるためにいいんだけど。そこで誰かを犠牲にして成り立っている。そこの処に、ちゃんと目を向けてなきゃいけない。香川県の小中学生は、必ず遠足で行くんです。行くだけだど、あそこの堰堤に立って思うことは「あ!水が多い、香川はいける」と。

佐藤:はははは
竜馬:そこしか見てない。大川に広がる、思いを馳せることが無いわけですよ。そこをちゃんと掘り起こしをして。皆に、少なくっても受益者である香川県民には「あんたら、ここの生活と引き換えに、この生活をやっているだ」と。それをちゃんと言う「大川村という地域が、中世も豊かな地域だったんです。中世にどんな暮らし文化があって、それを犠牲にしたものと、引き換えに、今の香川の暮しがあんだ」ということを言わないかんなと。
 昨年度のパネル展示なんですけど「与島と大川村」という展示をやったんです。瀬戸大橋の犠牲になった与島地域と、香川用水で犠牲になった大川地域の事をちゃんと知りましょうと、展示をやったわけです。















 絵 webより

 高知県大川村公式サイトへ



 瀬戸大橋についてWikipedia
■ 不知火海と瀬戸内海

竜馬:だから水俣も、私はその延長であって。近代化のために何かを差し出した、何かを犠牲にした。あるいは瀬戸内海地域で見て、不知火海と瀬戸内海という海域で見たって、共通することはあって。
 瀬戸内海は水俣病みたいな健康被害は出なかったけど。川之江とか、あの辺りでたくさん製紙工場が稼働し始めて、燧灘(ひうちなだ)の漁業は壊滅してしまったとかですね。岡山の水島で重油が流失して海洋汚染が進んだとか。あるいは赤潮問題。瀬戸内も一杯、問題はあるわけですね。そういうものと、根っこの部分は同じなんです。
 「それに対して、考古学とか歴史学とかが、そこで何がいいのか、何でアプローチできるか」と言うと、「高松の地域論、研究をちゃんと積み重ねて、何かを言うしかないかなー」と思って。フィールドワークしていると。


佐藤:また質問しますけれど、古代とか現代とかどちらも、人は介していると思いますけれども、人間は変わってないような。今の話を聞いていると、人間って変わんないんじゃないと。

竜馬:変わらないですね ふふふふ。
佐藤:やはり、竜馬さん御専門の古代史から観て、現代人は変わらない、変わっていないですかね。
竜馬:変われれば、いいんだけど。
佐藤:変わるぞ、変わるぞ、と言うけど変わらない。段々環境は悪化しているので、元に戻って考えないと、思考できなくなっているのではと。
笹島記者:私の、問題関心も近くって「環境社会学の受益圏との差をつくることによって、利益を得る人と、その差がどんどん広まっている」訳です。だから福島の原発で電気を作る人と、使う人と、その場で被害を受ける人が、むちゃくちゃ乖離しちゃったことで、生まれている。何の問題もそうなんです。

竜馬:たまたま水俣で会った、英訳された本を読むと、日本語訳しているんですけど、野口(じゅん)が言っていることは「労働者を人間と思うな!労働者を牛馬と思って使え」と。そこですよ、根っこは。
 自分たちが何かを活動をすることによって、受益が出る先の人たちのことを、どこまでイメージできるのか。それをあえて掲げて、労働者も全て牛馬としか見ない、みたいな視点で、広域的な経済を続けていくと、結局こうなっちゃいますよ

佐藤: いったん休み、のみましょうね(音源 326へ)

  みな 酒をの みはじめる



 不知火海(八代海)絵 絵webより

 瀬戸内海 絵webより

■ 渡辺菊眞社殿が 照射するもの

佐藤:渡辺菊眞さんが現在の社会に提示した二つの社殿ですが、このように簡潔で安価な提案を誰もできていなかったのか、そこは、なんで、だったんでしょうか。
笹島:自治体建築って多いじゃないですか
佐藤:菊眞さんの提示した神社建築は、コロンブスの卵ふうで、誰でもどこでも出来たはずじゃないですか。誰もやっていなかった。

竜馬:それって、建築だけじゃなくって、交通手段もそうです。今、四国に新幹線みたいな話があります。新幹線が出来れば在来線は第三セクターになって、本数減らされていくわけじゃないです。だから、色んな意味で効率的で便利な生活になっていきます。でも「100年前に比べでどうか」というと、高知から高松へ行こうとしたときに選べる選択肢が100年前は一杯あったわけですよ。今、選択肢は特急しかない、便利になったけど「選択肢が限定されたものしか無い」。
 そこが多分、建築も、昔は民家は屋根の葺き替えも出来て、そこに住む人が参加していたじゃないですか。「専門家に任せておけ。とか、メーカーじなきゃ出来ない」みたいな事になってしまった。
佐藤:選択肢が少なくなってきたと、考古学の時代には選択肢は一杯あったんですか。
竜馬:あります、ありました。

佐藤:なんで、分かりますか
笹島:どうやったら、分かるの
竜馬:というか、例えば旧石器時代の人間は、旧石器時代に鏃(やじり)を作ろうと。矢じりを作る人は、メーカーじゃなくって、矢じり・メーカー無いですから。自分たちで作るわけですよ。割り採った原石はみんな持っていて、そこで槍を作ろうとか、ナイフを作ろうとか。選択肢があるわけですよ。素材の流通はあったかも知れないけど「その素材を加工して、どうやって自分たちの使い易い道具にどう仕上げるか」というのは、旧石器時代には、みんながやっていたわけです。皆が専門家だったわけです。それが今は専門家というのは、いろいろ狭くなって来ていて。
笹島:滅茶滅茶面白い話ですね

佐藤:怒ること、泣くこと、笑うことも、専門家に任せてしまう世の中だね。そういう社会になっていると。そこで、どんどん自分たちが貧しくなっていくというのは、寂しいね。
竜馬:そうなんです。だから実は今回、高松から、高知に来ようと思って、たぶん2、3年前までは高松から、高知行きの直に行く特急がたくさんあったんです。減ったんですよ。丸亀まで出て、岡山から来る高知行きの特急に乗らなければならなくなった。日中はないんです。
 家の妻の実家は満農町(まんのう)という、徳島県境の町です。琴平で一回乗り換えなければならない。で、午前7時代の列車で宇多津から出ると、それを逃すと、12時まで琴平で足止め食らう。それって歩いて琴平から行くのと何が違うのかと。そういうのに慣れ切ってしまった現代は選択肢がものすごく少なくなった。「これしか無いからこれに従え」みたいなことがあるわけです。
 建築でいえば「本当はこんないい家で暮らしたり、こんな家で住みたい」というのがあるかも知れないけど「この方法しかありませんから、この工法しか提供できませんから、これで造らせてください」みたいな。

佐藤:それを「合意形成」とか、言うじゃないの。「合意形成してこうなりました」なんて言うんだよね。
竜馬:ははははは、もうちょっと、せっかくお金を払う立場なんだから、施主がもっと我儘な、というか自分の思いを出すべきだと思いますけどね。
佐藤:複雑な建築の法律も分からない、技術が無い一般の人が建築を手に入れる時に、媒介者がよくないということですよね。効率・統一的に意見をまとめて、何か目的のものに到達する。目的のものと違うものが出来てしまうと役所も困るけどね。
竜馬:ははははは
佐藤:ウナギを頼んだら秋刀魚が出て来ました。ま、いいか〜、食べようと。それは許されない社会だと。








 
■  家を造ること

竜馬:今日は布野先生と、ちょっとここに来る前に呑み屋さんで話していたんです。一番原初的な住居は柱3本、これを組んで周りを作ると、もう一個は作って二つ立ち上げたら出来ると。そういう知恵が、それは誰でも持っている。
 私の同僚とか見ても、考古学とか歴史学を学んでいるのに、住んでる家とか、暮らし方は完全にモダニズムの世界の暮しをしているわけです。 ははははは
佐藤:それはそうだよ、考古学者が横穴住居に住んでどうするんだよ。 
竜馬:私はもうすぐ借家を追い出されそうなので「竪穴住居造って住もうか」と思ってるんです。ははははは
佐藤:それは楽しい試みですね。
笹島:ぜひやってください。
竜馬:自分で家を造って自分で居場所を、どう作ろうかって、それはもちろんちゃんと思っているわけではないですよ。漠然と思っているだけですけど。でもそういう想いで、渡辺さんの今回の見ていると、土嚢を積み上げて造って行くっていうのは、あれは凄くある意味、現実身を帯びて見えてくる。
佐藤;雨が多い地域には土嚢建築は合わないですよ。
竜馬:そうですね、それは湿気の問題とか

笹島:土嚢建築って、発展途上国でやっているんですか。日本でもですか
佐藤:発展途上国だけではないよ。日本の、あちこちで渡辺菊眞氏は作ってきた
笹島:そうなんだ。
佐藤:土嚢建築は自力で造れるのでいいけど、場所を選ぶからね。
竜馬:あれは日本の暮らしに合うためには、どんな改良したらいけるんですか。日本の気候風土に、どんな改良をしたらいけるんですか、可能性があるんですかね。
佐藤:湿気が多いので、土嚢建築に合う、雨にも強い土がどこにでも無いでしょう。桂浜の砂とセメント混ぜても土嚢袋に入れて固めようとしても、アフリカでの土嚢のように成らないですよ。土の性質も多種多様、色々あるじゃないですか。
竜馬:はいはい
佐藤:人間はこうやったら、いい人間になれる話をしても、人も色々性格があるので思うようには成らない。そのように土も色々多様な性格・性質をもって多様な存在なので、簡単に土嚢に建築にはならない。そこがおもしろい。

竜馬:香川で言うと溜池の堤防に使う土があるんですけど、あれは少し粘り気が強いんですけど、あれにセメントを混ぜたらいける、そうな感じがしたんですけど。
佐藤:香川の溜池に使う土が合うかどうかは俺には分からないのです。菊眞氏に聞いて、実験的に物置きを作って研究してみて。そこから、竜馬式竪穴家づくりをした方がいいですよ。どこでも、土嚢建築が可能なわけではないよ
竜馬:それは今日菊眞さんも、土嚢のどう積み上げるか、土嚢の中に入れる土をどう選ぶかといいのが一番大事だと。

佐藤:アフリカで土嚢建築造っているんだけど、土はあるんだけど、袋とセメンとは工業製品なのでアフリカの村には無いんだよね。買わなきゃいけない。そうすると国際通貨が無いと買えない。土嚢建築つくりは誰も続けてつくらない。工業製品を買わなきゃいけないから。
竜馬:土嚢は「日本製の土嚢は駄目だ」と言われました。だからマレーシアかインドネシアの土嚢(袋)が一番いいと言ってましたね。どの地域もそうだと思うんですけど、化学製品ですよね。紫外線の影響で土嚢が一年たったらボロボロになってしまう。だが東南アジアの土嚢はそうならないと言ってましたね。
佐藤:日本の土嚢袋は紫外線に弱いんだな。東南アジアの土嚢袋は化学製品で作ってないんだよ、たぶん。昔の麻袋みたいなもので作っているんでしょうかね。
 今日は面白いね取材しちゃっているよ

  のみながら、まだまだ話は続くのでありました 

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