渡辺菊眞個展 2019 目次へ | |||
02 音源323
佐藤:お父さんの実家を改修、増築ですか。何度かお邪魔したことがありますよ。完成したのはいつですか 渡辺:2003年です 佐藤:最初の建てる建築。角館に暮らしながら、現場監理したんですか。 渡辺:渡辺工房にいた時で、監理に行く余裕が無くって。FAXの応酬でした。一度行きまいしたけど、ほぼ現場監理、観ることが出来ない状態でしたね。 佐藤:一階が今は集会場になっているんですか。この頃は木造グリッドのような構成を意識していたんですね 渡辺:その当時は、そればかり、みたいな時期があってですね。 佐藤:二階は入れ子構成になっているのかな。 渡辺:なっています。 佐藤:「三重入れ子」と書いてあるね 渡辺:はい。二階が、この形から一段、最後和室があって、高さがずらしているのです。この一番目と二番目と、さらに外側がある。 佐藤:まだこの頃は、建築の中に「お天道様」は出てこないんだね。 渡辺:出てこないですね。 佐藤:この頃は菊眞建築は、宇宙や自然界に対して閉じているんだね。格子状の三重入れ子構造で内部に向かう形式だ 渡辺:かなり閉鎖的ですね。 佐藤:学生時代プロジェクト建築の延長上の建築ですね。 渡辺:ほぼ同じですね。「それが建っちゃった」というイメージです。 佐藤:道路が拡張され、奥の水回りを解体して、そこに既存の残った建築を曳家して。全部解体して新しい建築にしなかったのはなぜですか。 渡辺:もともと、拡幅工事があるとき「二択」だったんです。「既存建物を残すのか、壊しちゃうのか」それは父じゃなくって、おじさんの方が「残そうぜ、ちゃんと」と。「ならば曳家だね」という話になって。残りの余地が出来てしまいます「残る方には、水回りがまったく無いので、水回りを仕込んで増築をしないと、無理だな」そういう話になって。曳屋と新築とになりました。 佐藤:二階の新築部分は、地底建築ふう、その時分の「菊眞建築の真骨頂」だけども、普段使う分には、二階が隠されているんだと。1階に全ての水回りもあり、集会場として活用していると。 渡辺:一階のこの部分を集会場として使うので、二階も吹き抜けを介して、見えているんだけど。 佐藤:お客さんが来た。こちらの方は、中断しながらで、いいです。 渡辺:はははは。わかりました。 |
2019年 記録作成 佐藤敏宏 角館の町家(2006年) |
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佐藤:この建てる建築は、遍路小屋ですか。高校生に計画させたということかな。模型三つあるけど、それぞれ違うんだ。 渡辺:若干これからの影響があったみたいです。遍路小屋、大山岬の東屋ですね。 佐藤:大阪在住の歌さんが、遍路小屋をたくさん造っているのは知ってますよね 渡辺:知ってます、知ってます。 佐藤:歌さんとも連携して、造ったんですか。 渡辺:これは、まったく別口のものです。「4Kの会」という、私と関係なく、あってですね、高知県4県、建築協議会の意味で、4Kと呼ぶんです。大学に着任したばっかりの時に。それまで計画されていた話です。すでにお膳立てはあったような話だったですね。 東屋が、ここに在ったんですけど「台風でぶっ飛んだ」ということでした。「それを再建しましょう」ということで。「どうやってやるか」という話になり、それを4K・協議会で考えていたようです。僕が来た段階では、「高校生の案が通っていて、これを建てるんだ」という話になっていたんです。 ただ「高校生の案のままだと建たない」なので、それを実施可能な建築に変換するのが大学生に役目だったんですよ。私は、そこから担ったのです。 佐藤:半・弓状の架構が繰り返し組み合わせにて、連なって建っていて。 渡辺:これ自体は、「これを、どうにかして、実現できるように変換ししょう」と。原案のままだと。集成材ぽいじゃないですか、と。集成材は高知には無いので、線材の組みあわせですね。「これに近い形状を、造ろう」という話になって。 佐藤:素人というか、高校生と市民のアイデアを受け、大学生と協働して、建築に育てる。面白いですよ、いいじゃないですか。 渡辺:「話が好かったんじゃないかなー」と思っていて。 佐藤:高知県産材を一杯使って、思い切り木材を使って、そう見える。 渡辺:ははははは 佐藤:木材を多量に使う、そんなミッション与えられるような気もするけど。 渡辺:割と高知のプロジェクトは、そういうの多いですけど。これはそういうのは意識していないんです。そもそも高校生の案を、再現するとこうなるんですよ。 佐藤:実施案のほうが簡素な、粗な感じかもね。 渡辺:粗にしていますが、一個のアーチにするのに3本セットで、アーチ的にしているので、結果としては部材が凄く多く見える。「木の化け物」みたいになっています。 佐藤:連歌的というか、市民の案を引き継いで一つの建築作品として、実現させていく。いいですね。こういう作法はマスコミは、地域社会に訴えないのですか。「朱い菊眞さんが造ると、剛腕で人の話なんか聞かないよ」と。知らない人には受け止められがちだと思うんだけど。 渡辺:その話が進んでいたし、いい話だなと思ったので。「そのパートだけをちゃんとしよう」という話だったので。 佐藤:シンボリックな形態だね、雨仕舞いで、屋根はむくりあり、平らですか。 渡辺:屋根の桁材を切り替えているだけなんです。緩い勾配ですね。 渡辺:これ、模型は似てますが、ずいぶん後に「神社を再建しましょう」というときに「こういうので出来ないか」という提案をしました。 佐藤:模型が3つ並んでいるけど、高校生とのコラボ遍路小屋と、他の二つは別な建築なんだと。分かりました。 |
高校生の案 大山岬に立つ東屋:波動(2011) |
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佐藤:これは、高知土嚢建築だ 渡辺:2010年ぐらいから、割と長く、学生が「自主的に土嚢を使って出来ないか」みたいな事でやっていた。 佐藤:土嚢と単管パイプ建築。ここで融合した感じですね 渡辺:時期的には、同じような時期だったので、小さい土嚢から作りはじめました。けれども、物量凄いので、諦めたんですね。はははは。 佐藤:土嚢に屋根が〜。架けてますね! 渡辺:これは本当に、土嚢の問題じゃないです。これを大学院生が建てたんですよ。彼らの設計で建てた。彼らは喜んでいたんです。屋根は、すごいちっちゃいの付けていた。 ただ、高知のとんでもない雨に、もたなくって。雨が漏ってくるんですよね。「これは駄目だ」となって「大屋根架けて、漏らないようにしよう」と。大屋根は私が設計したんですけど。土嚢部は大学院生が設計しました。 佐藤:状況対応でもって、大院生と渡辺単管建築が融合してしまった。いいじゃないですか。足場パイプ建築はこれが初ですか。 渡辺:パイプ建築の最初は美術家の人、高嶺格(たかみねただす)さんという美術家の人と金沢でやったときですね。(2010年9月内臓感覚展 金沢21世紀美術館記録へ ) 佐藤:21世紀美術館の外に造っていたね。 渡辺:あれは僕のパートではなくって、高嶺さんがやっていたパートに単管でやったやつがあって「単管便利だなー」と思った時があった。そのときから「今度は土嚢と単管を組み合わせて、何かしたい」とは思っていて。 単管の切っ掛けは高嶺さんと造った事になります。それを活用したような話ですね。単管で早いのは隣にある産泥神社の方が早いです。(産泥神社:2012年新潟市「土と水の芸術祭) 佐藤:お客さんです、中断しましょう。 03へ続く |
金嶺神社 再建 木造案 高知土嚢建築プロジェクト2010年着手 |
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