渡辺菊眞個展 2019 目次へ   記録作成 文責 佐藤敏宏
 11 音源350〜353  居酒屋談議  
■ 渡辺菊眞 と 魚谷繁礼 
 2019年12月4日夜 高知市内の居酒屋2軒目

佐藤
:自力開催の個展は、酷く体力要りますね
渡辺:体力は使います。はい。
佐藤:開催前も、模型制作と展示品制作で寝る間もなさそうだ。開催したら毎日客が押し寄せてきて、夜中まで呑みダベル。毎日、夜中まで酒呑んでいたら、倒れるよ。俺は倒れてしまうな、死ぬかな。
渡辺:死にはしないけど、大変はたいへんですね。 熱燗ありますか
佐藤:熱燗、好きなのね
渡辺:熱燗が好きなんです。

 各自 それぞれ酒を注文して、がやがやしている

佐藤:両親は帰られましたか
渡辺:帰りました。佐藤さんのことは気にされてましたよ。「どうしたんだろう」みたいな。
佐藤:朝から、室戸岬に行って戻って来たら、夕方だったから。
渡辺:そりゃそうだ。はははは。
佐藤:俺は今回の菊眞さんの展覧会のお陰さまで、室戸岬に行って来ちゃいました。菊眞さんは空海とも合うね。
渡辺:合うとは思います。
佐藤:昨日の夜、高知新聞の3人と?みながら「案内しろ」と、ねだっていたんだけど。相手にされず、一人で行ってよかった。一人で行く所だったよ。案内人はない方が、断然よかった。
渡辺:はははははは

佐藤:仏様、神様、空海さまのお導き。一人で行ってよかった。俺が手抜きしようとしても、そうさせない。
渡辺:それは、佐藤さんは地球とかに愛されているんですよ。
佐藤:室戸岬に一人で行って、空海の生き返りであろうアサギマダラにも展望台で会ってしまい、そのことが分かった。
渡辺:ははははは
佐藤:新聞社の人が俺を案内するのを、地球が嫌がった意味、室戸岬に立って分かったよ。高知に俺を連れて来た、展覧会と高知の状況が、新聞社の彼らの案内を拒んだんだな。一人で行きなさいと
渡辺:それは、そうだと思いますよ。
佐藤:室戸岬は地球のエネルギーが、大陸がぶつかりあって、岩も立っているし、太平洋の波も直接当たるし、黒潮も直だし。地球上のエネルギーが一点に集まってる、気配、いいね。

布野:菊眞先生おめでとう!
渡辺:手描きな感じだ 
佐藤:布野先生、連日の監督、お疲れさまの様子です
渡辺:それはそうです。ずーっと観てくださっていて
魚谷:展覧会を常駐監理しているんだもの。
布野:俺は昨日から観ているんだ。控室で呑んでいただけだ。
渡辺:はははは。僕が今日思ったのは、魚谷さんは「京都、築型のことにずーっと向き合い続けている」そのとき、魚谷さん自身が「京都のこと事態をやりたいわけじゃない」そうおっしゃる。京都の築型って、奥が深くって。向き合って造っている事と。もう一個は「ガサガサっと揺すったら、地球は壊れるんだ」みたいなことを言う。僕の感覚とは全然ちがっていて、かなりドライに観れる。変な視点を持っていて。その二つが有るから築型もやれるし、今後どうするのか分からないけど。魚谷さんの怖いところは築型じゃなくって、それが完成できる、むちゃくちゃな能力があること。それだけじゃなくって、「地球なんていうものは表面がさがさと揺ったら、全部なくなって、人めっちゃ死ぬじゃないですか」彼はずーっと言っていて。その事と築型をやっている事が彼の脅威だと思っている。

佐藤:俺が観ると魚谷さんも菊眞さんも、グリッド京都をベースに建築を始めている。
魚谷:空間の菊眞さんの影響で育ったという事、それは間違いない。
佐藤:両者の卒業設計観ると、菊眞先生の方がアレンジする能力があって、魚谷さんは原理主義的で、ごつごつしているんじゃないかな。
渡辺:魚谷さんの方が原理主義的、それはそうなんじゃないかな
佐藤:渡辺菊眞氏の柔軟さ、両者はそれぞれの生活環境に培われた、個性だと思うけど。
渡辺:僕は魚谷さんのそれは、そうじゃないと思った「僕ってどっちかと言うと、こういうに揺すった、らガタガタと倒れてしまって。妹さんか何かが巻き込まれている、だけど、その事が辛いんだけど、それ以上に、地球の認識とか変わることが、おかしいと思います」という話が僕は好きで。そういう認識を持っている人が建築をやるべきだと、どこかにあって。一挙手一投足に変に感動しているんじゃないよと。
 魚谷さんが、僕に関してどう思ているか分からないけど。「貴方が建築をやるべきだ」という思いと「何で築型で魚谷に出来るか」と言うと、「そこが有るから、大きく間違わないだろう」と信じているんですよ。僕が単に思っていることなんだけど。

魚谷:「リノベーション」と言ってるのはどうでもいいです。形式的な師匠と本質の師匠です。
佐藤:はははは
渡辺:大変になったし、はははは
魚谷:新築もリノベーションも関係ないです、一緒ですからね。
佐藤:それは、その通り。






 2019 12 04 室戸岬



 御厨人窟(みろくど) 生活窟と修行窟がある


布野修司先生 魚谷繁礼さん



 布野先生による渡辺菊眞論の一端


布野修司著『進撃の建築家たち』

■ 展覧会について

佐藤:そうだよね。魚谷さんも出来たら展覧会をやってよ、俺が観に、楽しみできるし。展覧会するの凄い大変だけども。
魚谷:勝てないんで、やらないです
佐藤:個展は勝負しいるわけじゃないよ
魚谷:勝負してますよ。

佐藤:勝負、しなくっていい
渡辺:展覧会ってしなくっていいんですけど。どの状況で、何を示すかっていうのはやるべき。例えば「ゲップのでるような展覧会、実はいい」と思っていて。魚谷さんみたいに「原理のことを何か示したい人は、実際の世の中で、さらにそれをやる」ときには、組みあわせ考えたら、いいだけであって、僕なんかより考えることが多いのであって。
魚谷:今日の菊眞展を観たら、出来ない。
渡辺:僕の展覧会は「ゲップが出て、二度と見たくない」と思わせたかったんですよ。ははははは。
魚谷:展覧会なんてしたくないです。
渡辺:ははははは。単に知り合いが展覧会やっただけじゃないですか。
佐藤:個展も、お葬式みたいなものだから。しなくていいかな。
渡辺:だから、佐藤さんは好きで、そんなもんですよね、お葬式みたいなもんじゃないですか。
佐藤:でも、お葬式やると、色んな人が集まって来るからね。お前・人は死んでいるのに、死のエネルギーだと思うけど、皆が勢いよく、語るよね。皆が集まって来て、個展も同様だ。酒を飲み交わし、菊眞について、菊眞を通して建築の事を喋り合ってる。会場の作品は、みんな過去や昔の話だから。作者の中では一端、葬った、死んだとも言える出来事だらけ。それをネタにみんな集まって、ああでもない、こうでもないと、互いの生を交換し合えるのがいいよ。個展も、そこが面白いと思うよ。
 作家自身にとっては、過去の作品、ほとんど意味はなさない。だが、そこで新しい出会いが生まれ、肉声を介し、色んなことが起きる。展覧会を開くと誰が来るのか分からないじゃない。友達しか来ないわけじゃない。マスメディア来て多くの人に伝えてくれる。
渡辺:そうですね
魚谷:そんな、どうでもいい。
佐藤:どうでもいいと思うのは、いいんだけど、そこが重要なのよ。魚谷さんと菊眞さんが大学で出会う、それは大学という仕組みがあることによってだ。展覧会も似たような出会いは生まれる。
魚谷:自分の中の話だと思う
佐藤:それは、まだ青臭い、自分で出来ると思い込んでいるから、そんなこと言うんだろうけど
渡辺:はははは
魚谷:今日、人が来なくっても、来ても、どっちでも、いいですよね
渡辺:全然来ないと、まったく意味もないよ。魚谷さんとか、今日来てくれた人に観て欲しい。実際、普通に来てくれたら、嬉しくって。それは一緒ではないですよ。
 なんだろう、想定としては「全く、だれも来ない」そのことも思っているだけど。佐藤さんも含め「来てほしい」とお願いはしていて。来るかどうかは、相手の問題もあるし、佐藤さんと、みんなの思いもあって。当たり前の事かもしれないけど、割とそれは物凄く大事な事で。

佐藤:俺は展覧会の話を聞いた時に、菊眞氏の展覧会だけ観に来ても面白くないと。
魚谷:なんで
佐藤:理由は、これから分かるんだけど、そう思った。たぶん菊眞氏は「俺に何かを発見させようと。そう思って展覧会を開催するんだ」そのように俺が誤読したわけ。「四国に来い」ということは「空海つながりだろうなー」と思うわけだよ。
 菊眞氏は神社造っちゃっている。だから神道まで行っちゃっているけど、俺は浄土寺の重源で止めてたんだよ。鎌倉初期の仏教で停止して、いいいと思っていた。とりあえす、高知、展覧会に呼ばれた意味は、答えは、高知に来てからだと。
 なんで高知に呼ばれているのか、展覧会に来るまでの道のりで、会場での過ごしかたから、高知市周辺の関係、高知新聞の人との出会い、菊眞氏が現在暮らしている、大地に立ってみないと、分からないことなんだと思ったよね。
 ここに来ている理由は、彼が始めた「神道と建築」、まだ理解が深まっていないので、とりあえずそれを確認。「高知の現場に来て体験して、次に俺が何をするのか、考えよ!」菊眞展はその誘いだと思うんだよね。
 建築は造らないけど「菊眞という人間を通して、何か、俺が解る。そういう縁があるから来る」。菊眞氏の展覧会が、人人、みんなの心にさざ波を立てる。そこだ、生きている人が展覧会をやる意味は、そこなので。
 故人の展覧会じゃない。菊眞氏がエネルギーを与えているばかり、これこそが人間関係の肝だよ。なめてはいけないし、展覧会をやる意味というのは、主催している人は、今は分からいと思う。観る人それぞれが想うことだ。だから、時間が経つと明快になる。無駄な事だったなーでもいいし、有効だったなーでもいい。他者が展を開くことによって、誰かに何かが起きる。
 菊眞氏が高知に来て建築を造っている。その事によって来る。彼が死んでいたら、俺は高知に来なかっただろう。そこが「一緒に生きている」意味だと思うんだけどね。菊眞氏がエネルギーを、時間と全身で発して、みんなに呼びかける。そのことに対して、ちゃんと応えられる生き方。だから展の意味について、彼には責任ない。
 彼のエネルギーに乗って、自分を発見したり、彼を再発見したり、観客が各自が、いろいろな事をしだす。それがこの展覧会の意味だ。
 福島から寝台車に乗って来て室戸岬に行って、これから帰る。その一連の流れの中で再発見できるものだ。10年後に分かるかもしれない。
 菊眞氏だって展覧会やった意味は、まだ分かっていない。今はただただ疲れているだけだ。こんなに遅くまで毎夜、酒呑みに付き合って、ただ疲れる。
 菊眞氏の建築の中に、太陽の光を入れて、地球の動きとともに生きる自邸。「宇宙と一体化し、生き続けたい」その願望。その一環として生きてる俺たちは、展覧会に呼び込まれている。ひと時であるけれど、菊眞宇宙と共に、生きてみる。それが展覧会だ、そう俺は思うんだけど。

魚谷:今日よかったのは、建築の遥か彼方で
渡辺:そうは言ったとしても、分別は難しいじゃないですか。そんなふうに思っているだけど。分別むずかしくって、今回の個展で整理尽きましたという、わけじゃない。 「しつこく、やっている事だけ見せる」「見せる事しか出来ない」のは事実で。「魚谷さんにも、観て欲しい」という思いもある。
 実は今回っ、て色んな人が来ているわけじゃなくって「来てください」って言った方が、頑張って来てくださっていて、ホンマにそうなんですよ。
 「だから何やねん」という話はあるかもしれないけど。それが僕にとって重要で。
魚谷:菊眞さんは建築をどう作るか、当たり前の話。住宅のつくりも観れるし、住宅のこまごましたそれをちゃんと、詰まんないこともちゃんと入れてる。

渡辺:観れているかどうか、分からないけど。あほやと思わないところで、そういうのが普通にある。かつそれが、どこまでもっていうわけじゃない。
 まず目の前に当たり前にあること。普通な事からスタートしないとしょうがない。そう思う。魚谷さんは向き合ってるから、ここに来ているんじゃないですか。
 佐藤さん今回来られて、話合って、ホンマに思ったんです。僕自身「何かを決めたことが、あんまり無くって」アフリカの事、土嚢の事、ものすごいパッシブに決まっていった。
 僕の場合パッシブに決まった事を、無茶苦茶しつこくやる事だけ。それが、僕の主体性ですよ。全員が「もうやめたらいいんじゃない」そう言われても、やめないですよ。
 ただ切っ掛けは無茶苦茶パッシブで、基本的に自分で決めてやったことないし。誰かから話が来ていて「それは、やります」と言う時に「判断が有るから、やります」と言うんじゃなくって、究極はマゾフィストみたいなところがあって。
 「やります」と言ったときは「絶対、誰もがやめようとしても、やめないぞ」そういう思いだけがあって。変な人なんですよ
 僕自身が「ヨルダン、じゃ、やり切ります」と言ったことない。全部そうで、言われたことを全部受けるだけ。僕って阿保みたな人で。
 そういう事があるから、ベトナムでやることに成って。タイで終わったから、成果はむちゃ上がったし、賞もばかばか獲った。そういうのは、どうでもよくって。それを引っ提げて「こういう事をやって行きたいんです」って、いうのはあるんだけど。「何も言って来ないから、いいかなー」みたいな。ふふふふ。ホンマ馬鹿みたいな人で。「そんなんでいいのかどうか」話は、あるけれど。ずーっとそんな感じで。




 2019年12月4日高知新聞記事




 (記事 出展不明)




































































 京都CDLの語り(註:111はあるじゃないですか。布野先生が振った話の時に、むっちゃやりたくなかったけど、一端「やります」と言った限りは、無茶苦茶やるんですよ。全部そんな話だけであって、ぜんぜん偉いとも思ってないんだけど。

 何ていうか、そこの事は、もの凄く大きいと思っていて。土嚢の事も、パッシブの事もそうで。 実は今回、布野先生が「こんだけやれるんだから、コンペで通るような方針を固めて、生きていけよ」みたいな話を、昨日ずーっとおっしゃっていて。僕は興味が無い。
 ただ今日は、朝から話していたみたいですね。「僕は、こう思っているから菊眞にさせたい」という話を、布野先生がおっしゃっていて。「あいつは考えているから、そうじゃない道筋を、やつはやりそうなんで、それを僕は信じているんで、そこに関してもいいんじゃないか」という話をしてた。オヤジとの確執もあるんだけども、根本的なところで、嬉しかったな、普通に。
註111: 頁中頃から「京都CDL」についての語りへ

以下 布野修司著 進撃の建築家より 京都CDL についての写し
 長い京都大学での「修行」を終えるころ、京都コミュニティ・デザイン・リーグ(CDL)という運動体を立ち上げることになった。その構想については『裸の建築家―タウンアーキテクト論序説―』(2000)、活動の詳細は『京都げのむ』(01〜06)(図H)他に譲るが、建築家(集団)が地域の環境を日常的にウォッチングし、ケアしていく仕組みの構築が目的であった。今日次第に定着している言葉で言えば、「コミュニティ・アーキテクト」制のシミュレーションである。コミッショナーが広原盛明先生僕が事務局長となったが、運営は全て若い諸君に委ねた。運営委員長を務めたのが渡辺菊真であり、その補佐役として事務局に住み込んだのが高橋俊也である。

菊眞展を体験して、分かったこと

佐藤:この菊眞展で、分かったこと。菊眞氏は「近代的主体に固執していない」そういう菊眞氏の構え方です。そこに好感を持ちました。どういう意味があるのか、いまは言うことはできないけど「体質的に主体性とか、自分がどうよ」を追求しないことによって、拓かれてる地平の広さ、それを示していると思います。脳味噌と共にではなく、地球と一体に生きる覚悟が示されていたね。それをこの展覧会で見せている。そこに気が付いてないは、近代の主体を持ってい生きている人だからだね。「近代の主体を持って建築を追求する事で得られることがある」と思い込んでいるから。今の話を聞いていると、「菊眞はそんなものはいい」と「マゾヒストと言われようが、受けて、やれることを、とことんやる」と。「主体性が無い、そう言われようが、どっちでもいい」と。「他者の力を消化し、流れて行くものいい。そのように生きていく方が、豊かであるんだよ」という事を、展覧会で語っている。「それは建築家じゃねーんじゃねー」みたいな事を想う人が一杯いそうだけど。

渡辺:それは、そうです。
佐藤:「賞なんかいらない」というもの、そういう文脈でだろうが、建てる建築が証しているのでいいよと、素直にそう言っている。「かっこつけているんじゃねー」と誤解を受けるかもしれない。が、菊眞氏が生きている時代の、そこが悲劇なんだね。
 そういう状況をそのまま残すために、記録を作っている。
 気が付く人が出てくるかも知れない。受動的にみえる世界も豊であることを示している。自分が自分を磨いて、テーマを深堀するよりは、他者に与え続けられるテーマを深堀し続ける方が、多様性も多いし、豊かさの数も増える。他者である自然現象の豊かさと応答して、建築的に表現できる人は少ない、その点でも頑張ってほしいなーと。渡辺菊眞建築が、1200年持つかどうか、未来から観に行ってみた。

渡辺:おっしゃる通りですね。ます、こういう所じゃないと、持たないというのが真ん中の感涙の風景のやつなんです。あれぐらいまでにならないと、基本的には持たない。1200年じゃないですけど。
佐藤:そういう観方を展覧会で提示している。
渡辺:建築家と名乗る人が、たくさんいる必要もないので。佐藤さん今日、室戸に行かれたか、その話もあるだけど、ただ「家が建てられていく」という話があって。そこで、建築家として何をするのかなーと。家のところじゃないのかなーあと。
 佐藤さん「僕は空海になんか成れない」ですけれども、空海という人が、この地に居たことは大きくって。僕はオヤジと違って、空海ってホンマ、分かんないんです。けど、そういう人たちが、やって来た場所は観ることがある。空海に成れないんですけど、宿題としては「彼らがやっていた事を、空間で提示することは出来るのかなー」と。そういう意味では、不完全な状態なんだけど「建築で何か提案することが出来た。

佐藤:今日(2019年12月4日)は室戸岬に行って、あの場所を修行の地として選ぶ空海の空間感覚、それには、好感が持てました。
 地図も天体や星座図が無いなかで、地球のエネルギーが集中し表出している、場所を選んでいる。月や輝く星々が整然と水平線から現れる、あの場所。その感覚を観るだけ、そこに立ち体験しただけで大満足です。
 最近の菊眞建築とも、つながっている体験だと、そう思います。現代人は空海にはなれない。それは、渡辺菊眞が空海の生きた社会と、違う時空と状況下に生きているからだ。さらに政教分離社会に生きているから、空海の仕業は成せない事です。
 現在は宗教と建築とアートと政治を組み合わせる、建築家はそのマネージメントが出来ない。古来、人は宗教を学び、自らを律し、私欲を捨て、それらを一体にして時空建築として提示出来た。そのために建築も、音楽も、彫刻も、文字も、弔い方も、祀りかたも、全て一体として提示出来た。そういう社会状況に生きていたとうことだ。今は望んでも分業され成せない。
 菊眞氏は、その悲劇を、シンプルな形で、ホームセンター資材での、鉄パオプとか板とかで自力建設にて、シンボライズして表象している。だから無理がないし「受動的人間なんだ」とは言っている。状況と素直に応答し手に入れることが出来た。それは凄い、いいなーと思う。
 福島を出るときは、そういうの、まったく考えてなかった「俺なにしに行くのか」と、電車に乗って高知に来たんだけど。 


 ・・・居酒屋が騒がしくなり、聞き取りできない・・

佐藤:お父さんが設計された宮城県丸森の石庭は、室戸岬の石と比較すると、いずれも人工的だ。太陽や地球や宇宙の動きを発見し、地形を写して、それを合成し、脚色して、憂いも他者と共有する。それが石庭建築かもしれない。「今、脚色することは、いったい何か」そこを再考している人は、菊眞氏だけかもしれない。俺の勝手な解釈だけど。個展をやることによって、今世紀の建築のありようを、再発見できたように思う。それが俺にとっても、仕合せなことです。菊眞氏にとっては、それは、どうでもいい、ことかもしれないが。
渡辺:そんなことはないです。
佐藤:俺を、高知に連れ出して幸せを与えてしまう。「善し悪し含め、他者に何かを与える、それが展覧会を開く、真の意味なんだなー」としみじみ思います。
 俺の中でバラバラに配列されていた、菊眞事象が展覧会開催によって、震災、放射能汚染、その後の混乱・まとめる事が出来なかった、その事が全部統合された気分です。俺にとっては、だから、展覧会に価値がある。
 内容を全部説明するのは難しいんだけど、小説を一冊書いておくしかないんだけど、直ぐには書けない。この展覧会で根源的で、俺に今、必要な事が統合された気がします。菊眞建築の初期作品は、咀嚼できていなくって、よくないと思うけど。

渡辺:ははははは








































































■ 5年ごとに聞き取ること

佐藤:最近になって、建築が繊細で大胆になっている、ツボが分ってしまった。かもしれない。建築家としてじゃなくて、「そこに関わっている人を救っているんだなー」と思える
渡辺:おっしゃることは、ホンマにそうなんだけど。展覧会ではだからこそ初期のやつを、ちゃんと出しておきたいなと。今の建築も、ちゃんとしているか、どうかは分からないけど。「俺は何を言ってきたのか」と抑えておきたい。10年前の聞き取りから、佐藤さんがおっしゃっていたことをずーと思っていて。「5年後にまた聞きに来ますから」と。とっても、シンドイ事をやる方だなと。
佐藤:311、福島に放射能降って、放射能沈着した大地だになって、大混乱し、聞き取り活動の一部は空手形に成っているけどね。2009年聞き取り録へ
渡辺:ふふふふ、そうそう。おっしゃる通り。5年前に言ったこと、あの時はあの時で、自分の真意として、初めて入った片岡君・彼の展望が、高知の先生になったときに「行けるんじゃないか」と。実際はそう成らなかった。「しまった」と思っていて、一番それが言いたかった。「新しい職業みたいなものを、今ある職業者じゃないことを、学生がやっていて、それをやっていくんだ」と。彼はタイに行って、それに近いことはやってはいる。
 自分の事は出来なかったのは事実で、僕も、読み返して「あん時はあんな事を言っていたけど、出来てない事が多いなー」と。逆に、単管で出来る神社みたいな発想は、たぶんあの時の気分では、できなかった。出来た事と出来なかった事は半々ぐらいで、佐藤さんも来られるということは、物凄く大きくって「しなきゃっ」と思って。

佐藤:迷惑で悪い圧かけているね。「5年後に来る」って言っても、自分も長生きしなと聞き取れない。相手にもプレッシャーを与えているし、適当には言えないんだよ。「面倒くさいことを自分で言っているなー」と思ってもいる。これが「共に生きている」という感覚だね。
 そうして、「建築という状況をみんなで」考えたり、現代の病気・症状を和らげようと。今だけ喋って放置すると、病状が悪化するよ。建築も人を幸せにする事態ないはずだし。建築に関わる人は、幸せになれるはずなんだけど。そうならないとしたら、どこかで間違え、建築じゃない何か違うものになっているだよね。この呑み会に立ち会ってても、菊眞氏の建築と、この展覧会は、人を幸せにしている。

・・・居酒屋 おおとても賑やか過ぎ・・聞き取れない・・・・・・

 個展を開くと色んな人が来てワイワイやる、時には激突している、それはしょうがないことだね。会いたくない人も来る。

渡辺:個展をやるということは、そういうことです。
佐藤:布野先生も来た、「金嶺神社も出来たことだし、出雲にいくしかないですね」と言った。
渡辺:ふふふふふ
佐藤:高知に来るまで、神話は興味が無かったけど、菊眞展で高知に来て、そうか!神話の世界も訪ねてみたくなったね。展覧会に来て、高知の状況に素直に反応してますよ。空手形、だしてたけど、菊眞建築の個性はより豊かに花開いていたね。
渡辺:佐藤さんが、おっしゃる通りで。「そうなんだなー」と思うようになったのは、割りと最近なんですよ。
佐藤:空海も高知の室戸岬で修行して、空海らしさを発見してる。修行しながら、地球の動きと豊かに反応してる。それを「空海はマゾヒス」と言うのか、だよね。




 2009年12月奈良菊眞邸で2ショット


 2019年12月3日 2ショット




















 12日4日に軒目の居酒屋にて





■ 建てぬ建築の締め、実家再計画について

渡辺:そうなんですよ。最後のプロジェクト作品(実家の再計画)を作って。
 兄、彼だけは自分の部屋を構えていて(母が)学習塾をやめたときに、彼は継いで。あんまり会話は交わしていないです。そういうのも含めての作品ですね。

佐藤:建てぬ建築の、お仕舞いが実家プロジェクト。これは、というぐらい感情が入り過ぎていたね。「菊眞的な、しなやかに状況に応答する。その才は定着してない」と思ったね。「感情もろだし、生過ぎる」。気分は分るんだけど。壊してつくるのは疑問です。巧い引継ぎ方とは違うよね。
渡辺:そうかもしれません。最後に据えている、という意味でも違うかもしれませんし。
佐藤:今回の展覧会の締めのプロジェクトじゃないよね。
 計画は、西面道路で、東側の堤から南側をL字にRC建築が既存木住宅を囲っている。計画では東側の真ん中を壊していた。「RC真ん中を解体し開くというのは、菊眞式対応として、違うか」とも思いました。「菊眞氏の脳力なら、解体案より柔軟な解決方法を見つけられる」と思った。自分が育った家だからね、感情が多くを支配るのですが。提示されてはいたけど、計画はまだ終わていない「始まったばかりだ」と言える。会場では言わなかったけど。

渡辺:おっしゃる通りだと思うんです。けじめとして、ああいう計画は有るあるべきだと思うし、整理できないに決まっているんです。「整理しきって出すのもいやだった」ずーっとそれはあるんですよ。建てない建築と言ってますけど。僕は佐藤さんからのコメントすら嫌だったんです。「そんなものは出すべきじゃない」かも知れないけれど。僕は本当に東の方の塔、天と繋がる話と、あそこで生きて行くときに、あれしか無かったんで。「それを奪われた事の痛み」は僕しか知らなくて。それを綺麗ごとで済ませたくない。個展とかやる時は、なおさらだったんですよ。

 全然、巧い解放じゃないんですよ。ただ「その事を言わずに、色んなことをやってきました、とは、絶対言っちゃだめだ」と思っていたのですよ。「あれは、ぶっ壊したいと」ずーっと思っていたんですね。オヤジが来るのも分かっていたので「見ろ」と。「それは好い解放じゃない」と思ってます。
 僕は「餓鬼舎の空間って、自分の家としては、いいと思っていない」 佐藤さんがおっしゃるのは分かんないことなんだけど。「個人的なことだから、書くな」という話じゃない。僕はあれはやるべきだと思っていて。

佐藤:フェースブックに応答したけど、計画があることによって菊眞建築の姿勢が明確になっている。反面教師じゃないけど、そういう事を考える切っ掛けを与えられた。そういう幸せがある。で、大きな建築的存在だよね

渡辺:父への恨みはないんですけど、あれは言わざるを得なかった。「どんだけ僕にとって重要だったか」という話です。「いくら、どんだけ、天と地が繋がっていようが、意味がないんですよ」。
佐藤:そういう解釈じゃない方がいいんじゃないかな。逃げれば、いい、つまり計画上の家出だ。その敷地に拘り続けるというのはまだ、どういうふうに言ったらいいかな。「あそこは、あのままで、いいじゃないか」と。「本当にやりたいことではないんじゃないか」と。隣の敷地や建築を乗っ取って、その土地と連携しても、いいと思うし、計画なんだから。

渡辺:生な所に閉じて、感情を出したなか。「他の物(プロジェクト)と並んでいる、その事が重要かな」と思っています。その感情は嘘じゃないので、美談にしたくはなかったのです。実は無茶苦茶したいこと「餓鬼舎をぶっ壊した」と、それは僕の真実なんで、それと京都における計画の築型が、どうこうというのは関係なくって。
佐藤:素直に感情を露出した建築プロジェクトだ。
渡辺:そうです。展覧会計画当初は無かったんです。オヤジが「なんで今日帰ってきたの」て言うから「餓鬼舎の寸法を採るためだ」と、へへへ。彼は、あれを観て、なにか思ったか、「何も思ってない」と思います。「菊眞がやりそうなことだなー」と。僕にとっては一大事なんで、あれをやらないと個展も無くって。

佐藤:今の思いは憎しみじゃなくってね、建築への熱い思いの話だから
渡辺:憎しみは全くないんですよ、実は。
佐藤:父に対してじゃなくって、感情(の環状)をそのまま受け取ると、地球上の在り方だけど「地球をぶっ壊したい」という話と繋がっちゃうんだよね。今の状況を壊して何かを成るということは、革命みたいだけど、それはいいことなのか。状況と、どういうふうに対応して、改善するなり、受け入れるなり、一端休むなり、そのあたりの処の話だね。
渡辺:聖人君主がやっているわけじゃないので「そこを一番言いたい、それを言わないと、どんなに綺麗なことを言っても、それは嘘なんです」という事があるので。「僕はあの家は大嫌いで、僕の人生を奪った家」と言っても、いいぐらいで。「それを言わないと、個展なんかやれない」と思っていたので、やっただけです。
 あの事、吐露がないと、僕自身がやってきたことは意味がない。観ている方に意味があるかどうかは分からない。僕にとっては、それをしないと個展はなかったんです。

佐藤:起点でもあり、終点でもありそうなので、ちょっと時間を使って考えて、受け止め、次回に会うときにでも応答することにするよ。
渡辺:それはそうです。そんなものは今の時点で出来ない、うんうん。









        右 餓鬼舎


      改修案 
(1977年 餓鬼舎渡辺豊和自邸)





 2000年渡辺豊和氏による 佐藤敏宏の家 講義録へ




■ 感涙の風景 写真について


佐藤:写真と、計画の対でもって自分の建築のソースをあけっぴろげにしていました。
渡辺:風景もそうだし、基本的にはあけっぴろげな(性格)ですよ。それを旨にしてますので。なんか本当にそうなんだよなー。すごい、あの家嫌いで。それはしょうがないんですよ。父に恨みもないし。「あの家は名建築」とは思っているんだけど。

佐藤:エネルギー源だし、その後の実作は、逆のパワーで造られているのでしょう。
渡辺:おっしゃる通りです。アフリカの建築も、元々の円を描くというのは父親から学んだ事もあるんだけども。そうじゃないことをやる事に、もの凄く、ホッとしていて。反面教師だけではないんですよ。父を「ものすごく尊敬しているんです、建築家としても凄い人だなと」づーっと思い続けているんだけど。
 会場でお話したように、アフリカの時に「一個できたら、違う建築に成っていく。その事が、どんだけ僕にとって大事なことか」僕にとっては、あれこそが重要で。

佐藤:アフリカ建築の結末は、近代的父からの離陸だ。西欧的主体からの離陸でもある。その良さは分かるわかるよ。建築形式をきちんとしておくだけでいい。機能は建築家がつくらなくってもいいよね。
渡辺:おっしゃる通りで、機能はどうだってなるので。
佐藤:建築空間が持ってる力があれば、一つ出来ていれば、それでいい。機能は地域の人が自在に発明できていく。建築の豊かさは、建築家それぞれで違うと思う。菊眞的解釈になっていて、いいよ。アフリカの人たちが菊眞建築の豊かさを感じ、象徴的空間として活かしながら、使い始めている、っていいよ。100年経ったら現状とは違う使い方をしてるだろうし。価値を固定しないで、自前施行建築を見続けるしかない。時々行って観ると。
渡辺:造るのは、なんでもいい、という訳でもないので「こんなふうに造るんだ」と話をして。「彼らが命がかけで造った。そっちで、すごいことになっているなー」。そういうのが、大きかったので。

佐藤:昨日も会場で言ったけど、実作は菊眞のしなやかさが、全面的に出ているんじゃないですか。今の社会が潜在的に求めていることでもあるけれど、その状況に素直に、今を生きている建築家だ。実作に無理はないし。
 展覧会では毎晩酒呑んで疲れるけど。さらに磨きを掛ければ、実家を解体しなくてもよくなる。高知に来て、静かに考えながら造ることが出来る。海も広い場所に暮らしていてなによりですよ。この高知へ、場所の選び方、選ばれ方がいいんじゃないかな。南海地震もくるし、覚悟せよということで。

・・・居酒屋わいわい、大賑わいが続いている・・聞き取りにくい・・・


















 個展会場:左風景 右建てる建築 
351音源
■ 始まりの文 仕舞いの文 個展ひらいてすっきり

渡辺:一個だけあるのは「答えを見つけたい」そんな話は僕には無いんです。彼も書いてくれたんだけど、ぶらぶらと歩きますよ。彼らと一緒に行くんです。根本の芯みたなのは分からないし、ずーっとあったのが、主観になっちゃうかも知れれないけれども「見つけてしまった事態、構造みたいなのは自分なりに追求するようにしていて」みんなが認めているかどうかは、どうでもよくって、高橋を含めて、そんな経験ばっかりずーっとやっていて。
 渡辺豊和のイワクラありますけども、イワクラとかを原点にしながら、どんどんズレていく。江戸まで重なって。そのことが僕は好きで。原点をどうにかして残そうとすることもあるので、そんな事とか、雑多なものとしての「聖域が好きだなー」という気持ちが強いですね。
 
佐藤:喋ると、それの言霊に縛られるので。今日は、個展盛会おめでとうございますなんだな。
渡辺:佐藤さんは、私の事以上に父のことも知っているから、その話になります。そんな気持ちはないんです。個展をやるときに予定になかった 実家再計画。さつきお話したような事が「それを抜きにするのは、違うなー」という気がしてしまったんです。

佐藤:その話は、実作の宣言文と、プロジェクトの仕舞いの文が対応しているからね。ここで話さなくってもいい。
渡辺:「あんなものは無くってもいい」という思いはあるんです。そういうものだとは思っていて。
佐藤:個展にばっちり、有っていいと思います。共感が得にくくなるし、無いと菊眞建築と異なる場で生きている人にとっては、建てぬ建築と、建つ建築は無関係の出来事になってしまいます。出展されてて、いいと思います
渡辺:「なにやねん」という話を、あそこでしないと、真面目さの問題だけじゃなくって、こんなこと色々やって来た、何を思っているの」と、「それを示すべきだ」と思っていて。
佐藤:渡辺菊眞が渡辺菊眞に対して誠実だ、ということだよ。
渡辺:トータルで展の流れは考えていたけれど「そこをむやみに悩むのはやめて、出しておきましよう」と。
佐藤:他者はのんきに観る事ができるし。「菊眞氏は、また一つ関門を通過した、展以降の方が軽快に、自由に建築造るんじゃないかー」とそういう気がしました。相変わらず引きづって、さらに深堀りして、いくのもあるだろうけど。
渡辺:その気は、ないです。内部的に、そんなことをやっておけ、という話が普通だと思うんですけど、展示会をするに当たって、あれが無くってよかった話もあるんだけど。
佐藤:展示したので、ここで決別できた。いいんじゃないか
渡辺:あれを建てようとはまったく思ってないし。
佐藤:展示して、すっきりと
渡辺:ははあはは
佐藤:おれは、菊眞じゃなから「しょうがねーことやているなー」とも思うけど
渡辺:そうそう。はははは。あれをやったから、あのことを続けなくていい。人生としてやっていることなので、「その事も含めて個展という事を、普通にやるというのが重要だなー」とは思っていて。
佐藤:個展を開いてもらい、渡辺菊眞にとっての補助線・導線がいっぱい、発見したり、あって楽しいしよ。これから忙しくなりそう。みんなも集まって来ているし、布野先生が今夜も元気いっぱいになっているし。布野先生弟子たちに囲まれて気分よさそうだし、観ている俺としても楽しくなるよ。自分が教えた子供達がすっかり成長しているのに、相変わらず未熟者と思える点が楽しいね、先生というのは幸せなん者だなーと。




菊眞氏 お母さんが持ち歩いてたイワクラのチラシ


渡辺豊和氏設計の石庭
下、鎌田東二さん 石笛を吹く その姿。渡辺菊眞氏のお母さんは演奏を聞いて涙が出たと語っていた。 共に菊眞氏のお母さんに見せていただいた


325
■ 25年前の個展のこと

佐藤:大島さんから「京都で菊眞が個展する」って連絡、入ったね。(註:325)

渡辺:大島さんが個展の時に、凄く、場を増やしてくださって、今でもその話を、おもいだして話してます。大きかったですね「大島さんと、一緒にいたずらやってた感じ、してたんですよ」正直に言うと。悪戯のこのことを理解した、その事が「菊眞そんなの嫌なんでしょう」と。
佐藤:一緒に、いたずら感覚でね「菊眞と俺で、先生をつるし上げた」とも大島さんは言っていた、悪ガキだった、懐かしい話だね。

 今回の個展はにぎやかです、昨日の初日は、会場に入ったら記者取材受けいて、入り口狭いので、混んでて何がなんだか分からなかったね。しばらく経って、説明聞いて「写真の事は言わずに帰ろうかなー」と思った。黙って帰った方が、礼儀正しいおじさんだーみたいだしいかもと。

渡辺:ははははは
佐藤:でも言うしかねーかと。

渡辺:妻が、めちゃ反対してて、何でかと言うと「それをやると、貴方はそういう人と思われる」と「もともと、お前は、そんなことやりたいわけじゃないでしょう」と。妻が言っていて。「そんなことはない」とは言ったけど、わりとそう思われている。「それはそれでも、いいのかなー」と「そういう事は、気にしないでおこう」と思っているんですよ。25年ぐらい経っちゃいました。
佐藤:俺と違って、親子とも、いい奥さんとも、暮らしているんだね。俺は会ったことないけど。
渡辺:僕にとっては物凄いことです

佐藤:菊眞の弱点も傍で観ている。菊眞プロデューサーとしても、出来ているんじゃないかい。いいね。
渡辺:本当にダメな時はいいますね。「あんた何を考えているの」って。

佐藤:それは、いいね。





註:325
10年前の聞き取りで個展について語っている。その頁の中ほどから個展についてへ 

(布野修司先生の前回の個展について)
・・菊真の場合、博士課程に入って、渡辺菊真個展「風景」建築→建築」を開催する。竹山聖、鈴木隆之、大島哲蔵、布野修司、田中禎彦などが参加するシンポジウムが開かれた(1998年3月4日)。菊真としては、溢れ出る建築への思いを修士論文にまとめきれないフラストレーションがあったのだと思う。・・・






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