ことば悦覧in東京2010 春版 記録集 佐藤敏宏 刈谷悠三さんに聞く 2010年5月8日 晴れ新宿御苑 (生い立ち 01 02 03 04 05 06 07) (本を作る08 09 ) (RAJについて10 11 ) その04 (青春してた) 刈谷:素人でもプロでも参加できるダンスのコンテストがあって。基本的にはビデオを友達から借りて観て。ダンスの勉強をするっていうか。ダンスの影響を受けるっていう。直接、有名な人のダンスを観て影響を受けるっていうよりは、アマチアとかのプロのダンスを観てっていう。 佐藤:ダンスは好きだったんですか 刈谷:意外と好きでしたね 佐藤:今でも ダンスしてるんですか 刈谷:いやいや全然 佐藤:ダンスは 体に良いしね 刈谷:ふふふふ 佐藤:ダンス観るの好きですよ。ダンスも多様にありますからね。 刈谷:体を動かすっていうのは好きかもしれないですね。 佐藤:テニス部に居ながら実はダンス部だったという実態が語られましたね〜 刈谷:ふふふふふうん。ほんとうに球技はだめなんですよね 佐藤:テニスの試合は観にいったことないんでしょう? 美人プロが来たから見に行こう!あるじゃないですか有名人テニス試合観戦にはいかない、いった? 刈谷:全然ないです、テニスは意外に興味がなかったのかも 佐藤:興味なかったんだよ、ダンスコンテストは見に行ってるのに、テニスの試合観戦には行かなかったと 刈谷:ちょっと軟派な気持ちで入っちゃっただけ なのかもしれない。一応テニスの月刊誌みたいなのは読んでみたりとかはするんですけど。ああ、そうだ丁度そのときに、アンドレ・アガシっていう。たぶんナイキと契約して今までに無い テニスウエアーを着ている人がいたんですけどふふふふ。アガシが丁度その頃ピップポップスタイルを採り入れたダボダボな、今までテニスっていうとぴっちりした短パンにポロシャツみたいなイメージだったですけど。ダボダボのユニフォームっていうかウエーを着ていて。そういう影響もあって、ダンスとか。 (絵 ネットより) 佐藤:テニスではなく 音学とダンスとかファッションが好きだったんだ 刈谷:そうです 佐藤:青春してたね! 刈谷:かなり青春してたかもしれないですね〜 (大阪工業大学へ) 佐藤:大学はどうしたんですか、どこへ行かれたんですか 刈谷:大学は大阪工業大学の建築学科なんですけど。 佐藤:高校はダンスしてたのにいきなり建築ですか 刈谷:とりあえず、ダンスをやっていた頃から。もともと中学の頃からだと思うんですけど、建築は何となくやりたいなとは、平行して思っていた 佐藤:何でですの? 刈谷:父親がゼネコンの土木だったのもあって。 佐藤:お父さんゼネコン土木では年中家にいないね、現場に行っている 刈谷:年中いない、現場に行って。 佐藤:人の行かない山の奥地でトンネル掘ったり ダム作ったりしてる。道作ったりね 刈谷:7,8年とか単身赴任だったりとか。山奥で1週間に一回帰って来るとかふふふふ 佐藤:亭主元気で留守がいい!! の典型的な人間だよね 刈谷:そうそうそう。っていう感じではあったんですけども。子供の頃 色んなトンネルとか、橋とか、そいう現場には連れていってもらっていて。 佐藤:それは凄い体験だな〜 刈谷:で、そういう土木構築物の関係で 建築に興味を持ち始めたっていうのと 佐藤:その体験と マンガですかね 刈谷:マンガの影響も強いですし、あと村野藤吾の宝塚市庁舎、あれ子供ながらにお洒落なって思った。空間が結構忘れられなくって。 佐藤:村野さんの家が 宝塚に在るものね 刈谷:ありますあります。あとから、そういうのも見に行ったりしたんですけど。やっぱりその頃知っているのは宝塚市庁舎とか。であと塾がアンドウさんの建物だったり。 佐藤:有名建築を体験しつつ大地震も体験したし、パパ土木だし〜。 刈谷:宮本さんのゼンカイハウスも。ゼンカイする前にちょうど目の前のマンションに中学の友達が住んでいたんで、よくその辺で遊んでいたとか。 (絵 ネットより) 佐藤:ゼンカイハウスの工事中も見てた?? 刈谷:ゼンカする前にです。そういうのがあって、建築にはもともと興味があって、絵も好きだったし 佐藤:小学校5年生からマンガ描いてたんだしね 刈谷:で、どっちかと言うと文系よりは理系だったかなと。 佐藤:お父さん土木で、現場連れて行ってくれて、影響あるよねそれは 刈谷:まあ建築がいいんじゃないか〜と。漠然とした考えで。だから高校の時にも一応 予備校とかは行っていたんですけど。そこまで勉強してなくって。基本的に音楽聴いたり、はははは。ダンス見たりとかふふふで勉強はあんまりしてなかったですけど。何かいざ 佐藤:いいいねいいね、横ずれして〜遊んでくらす少年だったと いいね 刈谷:うん。まあ。 いざ大学に入るとなると勉強しなきゃいけないっていうことで。とりあえず勉強始めてみたんですけど。基本的なことしか勉強してなかったんで。どっちかというとセンター試験は得意になったんですよ。そういう模試とかやって。だけど2次とかが かなり不得意で。へへへへ 佐藤:そこからが 本番やで〜 刈谷:ははは、突っ込んだ問題とかが 佐藤:建築の大学系に入るには 特殊な勉強あるのかな 刈谷:特殊な勉強も、 佐藤:デッサンしろとか なかったんでしょう 刈谷:ないです、ただですね。僕が志望していたのは、その時は関西から離れたいという気持ちが無くって。神戸大かその当たりに行けたらいいかな〜ととか思っていたんですけど。学力的にちょっと厳しくなっちゃって。センター試験の点数は良かったんですけど。二次で駄目で。でセンター試験の点数良かったから色んな所に出しておこうかな〜と思って。センターの点数を提出するだけで、入学出来ちゃうみたいな。 佐藤:それラッキーだね 刈谷:それで何か。何の考えもなく大阪工業大学っていうところはセンター入試やっているらしいよっていうことで、そこに出してみて。 佐藤:なるほど状況に合わせ技で 無理なく安易でいいね〜その対応は 刈谷:ふふふふ、浪人はもうめんどくさいし。やだな〜と 佐藤:神戸大だと狩野さんだったかな その頃は 刈谷:そうですね、重村さんとかなんですけど。で安易な気持ちで大阪工業大学に入っちゃったんですけど。ふふふふ。でも入ってみたら、まあ悪くないっていうか、学生がみんな遊び回ってるということでもなく、業大学なんで、基本的に理系だから。フラフラした大学生が居ないっていうか。 佐藤:総合大学じゃないからな、ほとんど就職出来てしまうと 刈谷:うん。そうですそうです。だけど大学大阪に在るっていうこともあって。どっちかというと匠を育てるみたいな。建築の匠。工務店の人を育てるとか。なんか町の建築家を育てるみたいな。いわゆるメディアに出ているような建築家はどっちかというとアンチで。先生方の方向としては。 佐藤:町場の設計事務所に携わる人間を育てると 刈谷:最近ギャラ間でやった竹原義二とかも大阪工業大学出身らしいですけど。だからどっちかというと、ああいう雰囲気で。焼き杉をこう貼って、机の磨きは何回でみたいな。ははあははそういうどっちかというとそういう教育で僕は何かそれが凄い嫌で。 佐藤: 小学生から 大友マンガだし!ピップポップだもん〜 町の匠?? 刈谷:あはははははは 大学で課題とかはやるんです 佐藤:今時浪花節 語ってるんじゃねーぜとヒップホップだぜと 刈谷:はははははは 佐藤:浪曲は刈谷は ゴメン いいよと 刈谷:大学に行くよりは僕の家から、大学に通うまでに梅田を通るんですけど。梅田で止まっちゃって。紀伊国屋に行ったり、ふふふふふジュンク堂に行ったりしてはははは ずーっと本屋に入り浸ってるっていう。という大学生活でしたね 佐藤:大学生活の大方は本屋に入り浸って! でも卒業できたんでしょう、課題とかもあるんでしょう 刈谷:課題ありますあります。200人ぐらい居るんですよ。同じ学年に。 佐藤:多いね 刈谷:多いです。私学なんで。で、1年生の頃は模写とかトレース。サボア邸をトレースしろみたいな。そういう課題があって。それは楽しくって、やっていたんですけど。1年生の終わりから初めて設計らしきものの課題が始まって。それは凄い楽しかったので、大学の他の構造力学とか、そういう授業はほとんど出てなかったんですけどふふふっふ。 佐藤:最初から デザインというか意匠好きだったと 刈谷:そうですね、楽な方楽な方へと 佐藤:自分に合っている方向へと傾注して生活してたと 刈谷:で課題ありきで。意匠大好きって感じ 佐藤:構造、材料授業は なに?それって!もんでね 興味無いよと 刈谷:まあそんな感じで 材料とかは結構面白かったですけど。どっちかというと意匠系で。200人ぐらい居るから、課題で発表する、選ばれるのが10人ぐらいしかいないんです。たまたま2年生の初めぐらいに選ばれて。前で発表することになって凄い調子に乗って、選ばれちゃって〜 佐藤:最初に選ばれた作品は用途はなんですか 刈谷:最初に選ばれたのは、公衆トイレの設計ですね。公衆トイレの設計で、公園の半地下で上が緑化されているっていうような提案だったと思うんですけど 佐藤:土木構築的な で便所ってちょっと見た目には分からないと 刈谷:ふふふふふふそう そう。その頃SF好きだったこともあって。ノーマンフォスターとかレンゾピアノとかああいうハイテク系がかなり好きで。そうい流れでした。ハイテクエコロジー建築みたいな。影響があって。そういう建築を作ったんだと思うんですけど。そういう課題で選ばれたことが かなり活力になったというか。 佐藤:学内評価が高いと そうだよね俺っていけるじゃんん!って思うよな若者だもんな〜 ますますのめり込むと インタビュー後の刈谷さんメールによる 追記(2010/5/11) そもそも父親が土木関係であったことから構築物に興味をもったのですが 建築へと興味が移る前に(小学三年生のとき家を新築し庭をつくったことから)まずは造園家に興味をもったのでした。 また、大学へ入り図書館で始めに手にとったのがたまたま Yves Brunier の作品集(添付1枚) だったことから、ランドスケープ・アーキテクトという人たちに興味を持ち、(他には"West8", "Dieter Kienast"など) そこから建物の周囲の環境に注目していたアトリエ・ワンに興味をもつ、という流れでした。 ランドスケープ・アーキテクトのコラージュやパースがとてもカッコよく、そこからプレゼンテーションを多く学んだ気がします 以上 追記終わり (留年しちゃう) 刈谷:でますますのめり込んで、色々やっているうちに1,2,3年生まではとんとんと行ったんですけど。3年生のときにあれ単位が足りないな〜と思ってふふふふふちょっとこれヤバイんじゃないかなと思って、授業に出始めたんですけど。まあやっぱり1単位足りなくって留年することになって 佐藤:留年 3.5年生になると 刈谷:はい。ふふふうふそれでこれはちょっとやばいなーと思って。4年生までの間の1年間なにしようかな〜と思って。色々本を読んでいたこともあって、純粋な東京への憧れみたいなのもあったんです。だから せっかく留年したし、1単位しかとる必要ないから。東京に色々遊びに行こうかな〜と思って。それで東京の建築を色々見に行くようになって。 佐藤:3.5年生で、一単位だし ありあまった時間の有効活用・やけくそ対策で 東京の建築見学へ 行こう!と 刈谷:そうそう。で色々調べていく内に、ちょうどそのときインターネットが、掲示板とかがバンバン出始めて 45:40 その05へ |