ことば悦覧in東京2010 春版 記録集 佐藤敏宏 刈谷悠三さんに聞く 2010年5月8日 晴れ新宿御苑 (生い立ち 01 02 03 04 05 06 07) (本を作る08 09 ) (RAJについて10 11 ) その03 (阪神淡路大震災のなかで) 刈谷:ガスはついてたんですが。たぶん数時間で止まっちゃって。ガス漏れがあるかもしれないっていうことで。 佐藤:水道は? 刈谷:水も、たぶんその日の昼ぐらいに止まっちゃった。だから最初の日は電気・ガス・水道・全部止まっちゃっていて。どうしたんだっけな〜電気はたぶん直ぐ回復したんですよ。 佐藤:宝塚はあまり被害がなさそうだから通電してもいいだろうと 刈谷:そうですね。僕らの所はたぶんその日の夕方ぐらいには復旧したと思うんですけど。水道は全然、2週間ぐらい 佐藤:それでは、便所とか風呂とか台所は大変だね 刈谷:だから給水車が来ていて、凄いタンクに積んだ車に、みんなポリバケツで並んで 佐藤:みんな並んだんだ! 刈谷:そうです。水分けてもらってそれを使うっていう。 佐藤:トイレの水が無くって大変だったと記録で読んだことあるけど、どうしてたんですか刈谷家は 刈谷:ポリタンク何個かに詰めて それをちょっとずつ流すっていうふうにしてましたけど。あとサカセガワっていう川の上流の方なので。ふふふ ちょろちょとって 流れている水を汲みに行ったりとか。 佐藤:水汲み少年だったんだ 刈谷:ふふふふ 佐藤:一旦 50年ぐらい昔に戻ったと 刈谷:だけど中学三年生で まだ、ある程度子供だったということもあって 佐藤:中三は子供じゃないでしょう 刈谷:いやいや 佐藤:武庫川には 汲みにはいかなかったの 刈谷:それも ありましたよ。 佐藤:便所の水は武庫川で汲むとね 刈谷:不謹慎かもしれないけど子供ながらに楽しかったははははははは 佐藤:日常が50年ほど昔の日常に一旦戻る、みたいなことになるから新鮮でしょうね 刈谷:なんかそんな 感じはするですけども 佐藤:学校はどうしてたんですか 刈谷:学校は 1週間ぐらい休みでした。だけど中学の時はみんな被害無かったんですけど。高校に入っると。宝塚の山の方じゃなくって下の方とかで。ちょうど揺れが激しかった所とかは家が壊れちゃったところもあって。友達がみんな仮設住宅に暮らしているとかっていうのは けっこうありましたけど。 佐藤:仮設住宅から高校に通ってきてると。阪神淡路大震災を生で体験しましたね〜 刈谷:うふふふふふ。 佐藤:今までの日常世界が一旦止まるようなもんだろうからな〜 刈谷:2週間ぐらい、お風呂も入れなかったので。隣の伊丹市まで風呂入りに行ったりとか。まあなんとか生活してました 佐藤:朝起きて 顔洗って、飯喰ってトイレにいって風呂入って寝るだけで1日が終わってしまう 刈谷:そう そう だから父親とかそんな状況から会社! 電車が全部止まってたんで。電車が通じている大阪との県境当たりまで車で行って。そこから電車で通勤するとか。今考えるとかなり大変だったんだろうな〜とふふふふふ 佐藤:電車は直ぐ復旧したんですか 刈谷:電車は記憶は確かじゃないけど何ヶ月か止まっていた気がします。そうだ、その時高校受験だったんで、塾みたいなのに行っていたんですよ。電車で2駅ぐらい先だったんですけど。その電車は完全に止まっていたんで。線路の上を歩いて通ってましたよ 佐藤:鉄路・線路歩くと 明解で道にも迷いそうもないしね 刈谷:ふふふ 佐藤:思わぬ世界が出現してたんだ 刈谷:みんなも線路の上を歩いて通ってました 佐藤:日常では考えられない! 逮捕されるよ〜風景だすごいな〜 刈谷:ふふふふ 佐藤:山の上から火災が見えたんじゃないの? 刈谷:大阪平野の方だけだったんで、火事はなかったと思いました 佐藤:火事は神戸の長田地区、あの当たりだったか? (絵ネットより) 刈谷:だんだん思いだしてきましたけど。ふふ 中学の塾が実はアンドウタダオの建物だったんですよ。で、塾の周りはけっこう古〜い商店街で木造の町家みたいなのがずらーっと並んでいるような場所で。一つだけコンクリート打ちっ放しみの建物が在って。初めて地震の後に塾に行ったときに、周りが全部ほとんど倒壊してるんです。駅前のでっかいRCの7階ぐらいの団地みたいなのもピロティーが抜けちゃってて。電信柱とかもバタバタ倒れているんですけど。アンドウタダオの建物だけは何か無傷で残っていたんですよ。なぜか。ふふふう 佐藤:一個だけ残っていると 対比は強烈だろうね ふふふ不思議な光景 だっですねでしょう 刈谷:ふふ不思議な感じでしたけど。2階建の建築でしたけど。あとから調べるとコウトウアレーっていう作品だったみたなんですけど。 学習塾とか色んなテナントが入っていたですけど。子供心にはなんかちょっと薄暗い中庭っていうかボイドが中に在る建物だな〜と思っていたんですけど。頑丈だったみたいで。 佐藤:宮城沖地震後の81年以降に新耐震で設計されていただろうしね。周りが全部倒壊して そこだけ残っている絵を想像してみると 奇妙不思議な光景だよね 刈谷:けっこう。その塾が甲東園という西宮の町だったんですけど。そこからさらに神戸の方に向かうと本当!!ほとんど倒壊して。 佐藤:甲東園って電車の終点じゃないの 刈谷:それ甲陽園ですふふふふ 甲東園という所。たぶん甲山の東の園だと思うんですけど。そこから南とか神戸の方に向かうほうはバンバン倒壊しちゃって。大変だったんだな〜と思って。 佐藤:アニメの戦闘後のような絵柄が 目の前に起きてしまうんだからな〜 刈谷:でも人間の適応能力っていのは、なんか凄いな〜と思った。ああいう所で1週間ぐらい過ごしているとかなり普通の風景に見えてきちゃって、 ともに ふふふふふふふふ 刈谷:慣れてきちゃうんで。 焦臭い、ほとんど燃えそうなんですけど埃っぽい。燃えているところも在ったりとか。たぶん町家の木造の崩れた臭いっていうか。それが街中に広がってる臭いっていうのは何か 佐藤:臭いね動物的だ 悲劇の当事者は悲劇だと思わず、暮らさないと生きてられないからかもね 刈谷:っていうことかもしれない。もちろん自分の家が壊れてたらたぶん悲劇だったと思うですけど。自分の家が幸いにも壊れずに済んで。町が壊れている風景を見るっていうのはかなり不思議な感じはしました。 佐藤:平和と言われている日本に、こんなに建物が崩落してしまうような??悲劇があるのか〜と 刈谷:でも、でもなんか意外と驚きがないっていうか 佐藤:大友克洋のマンガ見過ぎてたから じゃない 刈谷:そうかもしれないですね〜ふふふ大友克洋ばっかり見てたからふふふふ 佐藤:そうだよ〜大友マンガの影響だよ ともに ふふふふふふふ 刈谷:マンガのカタルシスの方が凄いみたいなはははははっていうこともあったのかもしれないけど 佐藤:すでに悲劇の像は脳内に作れてて 悲劇の事実で追認するようなものだったろうから、想像の悲劇の方が 悲劇絵が強まる作れるからだよそれは。小学5年生で大友カタルシス見てれば! 実際の悲劇はもっと悲惨だろうと思いこむ、想像力がバルブしてたからだよ、変な少年だったんだよ。 刈谷:ふふふふふふ (絵ネットより) 佐藤:現実は後から起きて、想像力に追いつかなかったんだよ 悲しいけど悲しめない 刈谷:うん。だから意外と体験してみると 実はそこまで不思議な感じはしないっていうのは 逆に不思議だった。 佐藤:なるほど。貴重な阪神淡路地震体験と小学5年からのマンガの想像力とが 撹拌融合され そんな現実・事実の比較を体験したんだね。 興味深い話をお聞かせいただきありがとうございます。 (高校へ) 刈谷:ふふふふふふ でそれが中学三年生の時に遭って、高校に入るんですけど。高校の校舎はRC4階建てだったんですけど。それの一つが倒壊しちゃって、倒壊っていうか半壊ぐらいなんですけど。壊れちゃっていて。でまあそれを建て替えなきゃいけないっていうとで。テニス部に入ったんですけど。 それチェックしたら、中学の時はコート一面で、打てなかったから。高校に入ってやる〜!3面在ったから これは絶対打てる、もう練習できると思って。で楽しみにしてたら??仮設校舎が建っちゃって。 佐藤:コートの上にあら??ら プレハブの教室が建っていたわけね ははははは 刈谷:プレハブの教室が建つことになっちゃって。コートが無くなっちゃって。で麓の市民体育館みたいな、市民運動公園みたいなのが在ったんですけど、そこのコートに借りて。高校はさらに男子テニス・女子テニス・女子軟式テニスっていうのがあって。だから打てない! 佐藤:またもや各1面ずつだったんじゃないかい 刈谷:そうそう。それもなんか、そのときもテニス部の人数が多くって。また回って来ないんで。とりあえず麓まで友達とみんなで下りてテニス出来るやつらだけテニスコートに入って、出来ない僕ははははははは、その手前の体育館の2階でずーっと喋っていた。 佐藤:ふはははははは お喋りクラブに入ったと 刈谷:はははははは、そうそう そう。 佐藤:お喋りクラブでの もっぱらの話題は大震災についてですか 刈谷:いやいや、何だったかな〜そのときはう〜ん。ちょうどそのときの友達が音楽が好きで、95年とかなんで、日本でヒップポップがなんとなく定着しはじめた頃で。彼がヒップポップが好きで。 佐藤:じゃ即興で テニスできねえぜ〜ベイベイとか なんとか回せベイビーへいへいと 即興で歌っていたんだ! 刈谷:いやいやいやいや そんなことはしないですあはははははそういう音楽を聞いて、ダンスとかをする。 佐藤:社交ダンスですか 刈谷:社交ダンスじゃないですヒップポップダンス (絵ネットより) 佐藤:新宿御苑ワイワイ ケツが湿ってきました 刈谷:ケツがちょっと 佐藤:少し移動しますか 刈谷:いやこっちに腰掛ければ 佐藤:烏に襲撃に遭うは 糞爆弾投下されるは!地盤からは湿気攻撃は来るは!御苑インタビューは 楽ではないふふふ 刈谷:ははははは、でヒップポップダンスを 佐藤:テニスをやらずにね〜 刈谷:テニスをやらずに ステレオ持ってきて、体育館の2階でダンスをしてた 佐藤:あはははははは 刈谷:はははは 佐藤:ダンス部じゃないか!それは。 刈谷:その友達とダンスのコンテストとか見に行ったりとか。 佐藤:確かに流行っていたね頭で回ったり、背中で回ったりするダンスでしょう。路上で踊る 刈谷:ダンス教室とかに行ってみたりとかふふふふふといのはしてました 佐藤:やっぱり、マイケルジャクソンとかの影響かね? 刈谷:ふははははは。 (絵ネットより) 佐藤:違うかね アムロかね 刈谷:いやいやその頃は、90年代前半だとどっちかというとMcハマーとかああいうのが流行って。さらに色んなアーテストがいるんですけど。日本でダンスディライトというイベントがあって。 30:09 その04へ |