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聞き語り記録 中谷圭佑SDL2018実行委員長に聞き語る |
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佐藤:SDL2018が済んでから、本戦時に誰がどれだけ肉声を発しているのか知りたかったので、文字に起してみました。さらに日本一決定の場に立った各位の肉声をバラシて積み上げて棒グラフにしてみました。 中谷:あのデータすごいおもしろいなーと思って。ふふふふふ 佐藤:実行委員長が「公開していい」ということであれば。多くの人に見ていたきたいです。審査員の方々は永年所属している社会で生きて来ているので、それぞれ暮らしているローカルコミュニティーの価値だったり、考え方、その偏りというか個性が強いというか、嗜好というか、言葉を発するタイミングや語彙の選び方の癖が強く出ていました。 審査員のそれぞれの、あの場であの個性をSDL2018が求めていたのか、そこは不明です。推す理由は語られたましたが審査員による選別結果が出たあと、選び方による審査員の個性をぶつけ合い、語る場がほぼ無かったです。 中谷:そうですねよ。 佐藤:一般的な語りですが、審査員はファイナル10作品についてぞれぞれに、必ずコメントする義務があると思っていたんです。ですが、それは成されず、自分の好みに合うかのような、作品を選んで語って終わる。評価できる点と問題の点を指摘する発言の公開は行われないので、SDLは講評会ではないと思いました。 決戦が終わった後でも、審査員それぞれの総評も求めないので、審査員各位は何も語らなかったで壇上を下りました。教育現場とは明らかに違っていいのですが、各自の建築への嗜好を表明して、単に一位などの順位を多数、挙手で決める、そんな場に見えたんです。 日本一決定戦とは言え、観客には、ここは何を戦わせているのか分からない。雰囲気を作り、あれあれと思ってたら各位の総評は求めないで一位を決め、渡辺さんの言葉と委員長の挨拶でお仕舞になった。それでいい祭り饗宴ならいいんですが。観戦前に私のイメージにあったSDLと違いました。 SDLの総評を積み重ねて学生が評価軸を決め審査員に求めることもできる。審査員による各作品への評論と総評がないないので、SDL2018に関しては学生各位は「おれたちはこういう審査員に来て欲しかった」「審査員の選び方まちがえたなー」とも言えないのじゃないか。SDL2018終了後に学生会議の総評もない。今後も実行委員会は「こういう審査をして欲しい」とも言えないのでしょうか。「こういう審査員を探し求めている」とも言えないですよね。 短絡すると審査員は単にメディア露出の多い憧れの人を選んでて、いいのか問題、雑誌とアドバイザリーボードに偏ってしまった情報の積み重ねでいいんででしょうか。 人気の芸人が政治の是非や政治家の倫理を語ったり、芸術作品を発表したりして、大きな注目を集めると喜ぶ日常です。それに似てて日本ならではの建築的なイベントだと言えるんだけどやはり寂しさは残ります。建築系学生のためのイベントはそれでいいのか〜問題。 紙媒体は売らないと成り立たない。なので編集してターゲットリーダーを絞って売り出す。で、既存の紙媒体は、学生が必要な情報はあらかじめ誘導作成されているんだという問題があると思うですよね。学生さんたちが知りたい、自覚してない欲望は、編集者によって加工されてたそれではなく、生々しい実質、未来を拓く実態そのものを知りたいのではないかと推測するんです。作られた審査員像ではなく、建築に関わる本質的な人間性とかを知りたいのではないか。編集された建築家像・フィクションも実態とも言えるが。建築家という仕組みそのもの人間が作り出したフィクションで動いているのは分るんですが。 「審査員をどう選ぶか」というのと「審査会場でどんな発言が飛び出すのか」、「どういう作品を選ぶのか」それらはセットになって成り立っているんだと思うんです。 SDLにとって審査員をどう選ぶのか、それに関する継続的で積み重ね議論のための、話し合いと記録づくりはとても重要だと思います。その事で未来のSDLの性格も定まるので、その当たりはどうなって、どう考えているんでしょうか 中谷:たぶんそこまで分析している学生はいないと思いますね。で、2018を運営している学生たちも、終わってしまったら、直ぐSDLはよそ事みたいになってしまうし。で、今2019を運営しようとしている学生たちが、そこまで踏み込んで考えてくれると次につながるとは思うんですけど。今年はデータにまとめていただいたので。そういうものがざっと見れる。そうすると全然、変わって来るとは思うんですけどね。 佐藤:単に文字を切り取って並べただけでも分ることはありました 中谷:わかりますよね〜 佐藤:審査員が好いとか悪いとかではない。審査員の個性と、審査員がどういう作品に反応するのか可視化することはできました。可視化されるのは嫌だな〜と思う審査員もいるとは思います。ですが経験を積み重ねることで、学生サイドから審査の視点だったり、講評の方法を指定できると思うんです。 そうした積み重ねがないと、SDLに参加している学生が求めている深層に応じることはできなくなってしまうのではなかと思います。 単なる祭りで、毎年ブツブツに切れてもいいんですよ。すこしもったいないようにも思いますので。 若い学生自身の価値づくりを、多様な欲望まみれの大人たち任せず、価値を作って行く機会を自ら放置しているようにも見えてしまいます。協賛していただいている業界や大人たちの誘導のままでいいのかな。 割り切って、SDL祭りだけでも、参加者は汗流せる場があるだけでいいが。一時盛り上がって継続性保たず消えてもいいんだけど。 出品学生には大きなショックを与える場に見えるので、場の多様な活用の仕方が、SDL2018・現状ではややもったいない。学生と審査員が確信犯的に演じ合えるいまのままでもいいんだけど。 五十嵐太郎先生は『10+1』no49に「卒業設計、修士設計のメディア化。何が起きているのですか?」に書いています。自薦で学生が自由に出品でき完全なるアンデパンダン展のシステムで公開審査だと。大学で評価されない作品も持ち込めるし、公開審査してもらえるんだと。 学生には学問の場は保守的な場でしょうから、SDLに大学では評価されてない若い作品を持ち込んで来る。参加している学生さんたちはSDLに出品すると「いちはやく新しい時代の建築の芽を観ることがる良さがあるんだ」という価値観がSDLで共有されているように思ってましたが、違ってました。 逆に観れば、SDLの存在は学問の場に警鐘を鳴らせる・・・とまでは言わないけれど、俺たち学生は「こういう価値観を見ている、観たい、学びたい」んだと知り合う場であるので、大学教育の場とSDLが共振して動いていくこともあるかもしれない。 学生がいて、教育の場があって、先生がいて、建築的実際の社会があって、そのイベントを支える人の世界があり、それらは循環・連続しているようになっていないと思います。連携がうまくできていないですよね。責任の境界をぼんやりさせて祭り全体を動かした方が都合がいいこ事も多いのでしょう。16年も続いているんだから、何かできていても良さそうだと思って観戦したんです。驚きは「毎年ぶつ切れ、連携が無い!なさそー」です。アドバイザリーボードの先生方も毎年変わり学生も変わり、メディアテークの職員の方々も、スポンサーの担当者も変わりつづけて仕組みだけがあり続ける。不思議なというか、日本の行政と社会の関係にそっくりです。 中谷:本当にコンテンツとしては相当なあるので、もったいないなーと思うのはあって。確かにつながりは無いですよね。 佐藤:実社会とどう関係してて、SDLとはどういうものなのか、どう変容してきているのか、論を書く学生が出て来てもよさそう。審査員問題と各大学の先生の関係の問題もある。学生会議にとって審査員とは何ですか 中谷:難しいですね。 (絵:学生会議サイトより)
佐藤:学生は各大学できっちりした価値観で教育、履修しているとすると、そこから弾かれて集まって来た作品を評価するなら、学生自らが評価軸・基準を作って審査員に依頼していけばいいんじゃないか。学生による学生のための祭り・イベントなのに評価軸の構築を放棄して、なんで外注するのか、分からない点でした。 地位の高い、誰かに表彰されて喜ぶ国民性の写しなのでしょうか。表彰されたり褒めたたえられるのが大好きな国民性の写しなのか。学生が求める他者承認の是非と意味を聞きたいんです。 中谷:そうですね 佐藤:学生会議は審査員に何を期待しているんですか。先ほどの五十嵐先生の記述にあった事ですが、決定戦で評価された学生が審査員長の事務所に就職することもあったと。以前は就職試験の場にもなっていたんですね。 中谷:ここ数年のSDLっていうのは出展されている作品を使って審査員の方々が自分の意見をどう言うか、みたいなゲームになってしまっているので。ファイナルの場もそうです。学生も、それを了承したうえで、そのゲームに乗っかって審査員を使って自分が言いたいことを言うぐらいまで、高度な場になれるか。 そうなればいいんですけど。なってないじゃないですか。なので、そこはどうなんですかねー。 佐藤:SDL2018のタイムスケジュールが予め決まっててまったく動かせない、その問題に行き着きそうですか。審査の場で議論することを最優先にするのか、ゲーム的見世物として時間内に収めて終了にするのか。そこは不明確になっています。 SDL2018は壇上の審査員同士の議論の時間は軽視されていました。単なるお祭り化が進展していた、とも言えます。学生が全国から2泊3日で集まってきて大騒ぎしているわけです。あえて聞きますが、SDLとは何か 中谷:学生側はお祭りみたいな感覚なんじゃないですかねー その 05へ 続く |
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