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布野修司さんに聞き語る | ||
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08 進撃の建築家 若い奴を応援するよ 参照 近代日本の建築家と請負業 |
布野:若い人が動けるようにしようと思うが、うまくいくかどうか分からない 佐藤:布野先生が、いまさら挑まざるを得ないとは。公文書改ざんは茶飯事、国会で嘘答弁はまかり通るなど。私は単純で時間が経つごとに、よき社会になると思ってました。今日ような状況になるとは、驚きです。 布野:社会がこんなに、ぐじゃぐじゃになるとは思わなかった。責任も感じるわけだよ。僕らの世代が悪いんでしょう、たぶん。 佐藤:宗教の問題をきちんと受け止め消化してこなかったからじゃないかな。連合赤軍やオームの地下鉄サリン事件が起き仰天しました。合理的に全て解決できない。人間の不合理な領域をきちんと受け止めて来てないのじゃないですかね。今世紀に入るとアネハ事件がおき神田順先生は「建築確認の厳格化による安全確保というような方向は、基本的には間違っているのではないか」と発言してまいたが、厳格になり、建築士は3年に毎に講習を受けた後試験も受けている。法人税をへらし金儲だけの教団みたいな感じに転じたブラック企業もたくさんできました。底が抜けるのは、倫理と宗教領域をきちんと消化してこなかったからじゃないでしょうか。 布野:僕らの世代っていうか例えば全共闘ったってね、せいぜい騒いでいたのは2割だからね。2割で革命が起きるんですよ本当は。だけど、それを観てきたもっと賢い奴は何を勉強したかって言うと政治力学でしょう。これやると潰される、潰すときにはこうやるっていう、いちばんシビアな。そいつら皆ゼネコンの社長になっていんだから。 佐藤:ははは 布野:本当にそうだって。身近にいた奴、(今の)大手のゼネコンの社長って皆、学生時代に傍にいた奴。同士だと思っていたら、全部そういう政治的収拾の仕方よく分かった奴。それはそうなんだろうなーって。 企業を見ても、みんなボロボロじゃない。東芝にしても何にしても、新幹線の工事を請け負う社長たちにしても、これは一体どういうことだと。 佐藤:3・11による福島の原発事故後の対応も極まって、むちゃくちゃ官指導だけ原因究明はされない。セシウム都市ちゃんが出来ちゃって小さなコミュニティの暮らしを蒸発させた。それでも誰も責任とらない。 布野:僕らは原子力工学へ行く奴は馬鹿だって言ってたんだ。成績が悪い学生が行ったんだ。 割と最近同級生が集まって、居酒屋へ来る途中で言ったジョルダンの社長とか副学長とか、定年近くなると集まりだすの。で話聞くと、まだ学生時代と同じことをしゃべっているんだよ。俺らは一体何を悪いことしたのかな〜と。その中で俺が一番元気なの、まだ大学に行ってる。 色んなこと職人大学であったけど、あんまり呑めなくなったけど、まだ俺は元気だから。若い奴に聞き、など、あなたみたな事(聞き取り)をやった方がいいと思う。 佐藤:若い人の声を残す、それはなによりです、布野先生は熱心に『建築討論』も若者と関わりワイワイを実践してますね。進撃の巨人は漫画だった、進撃の建築家シリーズ 布野:書いている。建築ジャーナルで。あれは石川んさんが勝手にタイトル付けるからさー。ばかたれーって言って。 佐藤:人間を食う怪物、進撃の巨人を連想してしまい、外部は皆怪獣かって、笑ってしまいました。 布野:あの取材で、若い人に会って (絵:布野先生による進撃の建築家シリーズより) あれはねー、写真を撮って旅費無、全部オール込みで2万円しか出ない。大赤字・ボランティア。だから元気の出るように書くという方針でやっている。ほぼ終わりだけど。だけど、そいつらは、組織に行かなかった連中。 だんだん分かってきたんだけど、組織事務所はね、3000uないと割に合わないんだ。そうすると、2000uとかになるとOBに流すんだ。そこに隙間がある。 最初の仕事はリノベなんだよ。リノベで頑張っているんだけど、なんかのチャンスで公共へは実績が必要なんだ。凄い壁が在る 佐藤:公が求める、実績主義の壁ですよね 布野:一方で、公衆便所から行けるような仕組みにちゃんとすべきなんんじゃないかと、年寄りに喋っている。 本気でそれやった方がいいよって。それはちょっとやる。あんたA-Forum(サイトへ)に来てくれたけど。あそこで、もうちょっとやったほうがいい。(web版『建築討論』も開催 サイトへ) 例えば、滋賀県で、妹島がとった美術館が今暗礁に乗り上げている。妹島さんちょっとダメなんだ、言うこと聞かない。なんで選ぶかって言う問題はあるんだけど。色々裏があるんだけどね。審査員長だった。副委員長が伊東さんだった。伊藤さん入院中だった。キュレーターが長谷川っていう、芸大の先生になったけど、建築が分かってなくって。 金沢21世紀美術館やって、造る側では「あれは成功した」ってことになってる。悪くないけど、こないだちょっと行ったけど、冬あの季節で暑いんだよね。はははは。冬なのにちょうと暖かいんだよ。いろいろあるんだけどね。選んだ。勝手に事務局が、目玉のところ全部カットしちゃった。そしたら議会が、議会にもいろいろ居るからね。「選定理由に、ここが一番いいって書いてあるのに、そこを取っていいのか」 問題になって。それで相談に来たんだよ。 俺がやった建設委員会、最後まで残すんだけど。もう一回再審査して、この辺の設計変更はやむを得ないって「そうするしかないんじゃない」って知事に言えと伝えただけど、止まっちゃった。山形県の鶴岡やつ
佐藤:工事費大幅アップでもめ不調だったかな新聞記事出てましたね。工事請負人がいない。4回目の入札でようやく着工。 311後、被災地では建築家は高額で工期の掛かる設計するので、被災地の市町村にとって建築家は悪い存在であるような、新聞報道のされ方をしてましたね。 都市計画系のコンサル人は、きっちり割り付け配置されてて、同業者は互いもめず、隅々の市町村に張り付いて、今でも仕事を続けてますね。 建築家には多数の被災地があるにも関わらず座敷がかからなかった。311直後、気仙沼や宮城県沿岸部の被災地にいましたが、模型持参して押しかけ隊ばかりで、建築家が呼ばれて活動したって聞かなかったです。模型を持ち込んで仕事させろって、模型が山のように役場に集まって、迷惑してる話は南三陸でも気仙沼でも聞きました 津波被災地の行政マンから見たら建築家っていうのは、厚かましくって工期も予算も合わせてくれない、当てにならない存在に見えちゃったようです。 ゼネコンの方がきちんと工期も予算も守るので心強い相手として認められまくってましたね 布野:そういう事です 佐藤:設計と施工分離の都合良さはずーっと語られていた。が建築家の不都合さは明快に311でなり、新国立競技場ごたごたで、今後の建築家の存在に、何度もとどめを刺された気分でした。(布野先生による 近代日本の建築家と請負業) 布野:それで、俺の同級生が森っていう前・長岡市長なの。で新潟県知事選に出て、負けたわけ。で、去年会って「反原発、言っておけばよかったなー」と。 佐藤:はははは 布野:馬鹿たれ〜って。新潟、知っているでしょう、泉田って今度は自民党から出た 佐藤:柏崎刈羽原発止め続けてましたけど、自民党の代議士に鞍替え 布野:自民党で通った。同級生の彼は17年間長岡市長をやって、山古志村の災害の時は大活躍したわけ。「お前、いいことやるなー」って言ってた。昔から知っているんだよ。 全国市長会の会長もやってた。それで、晩節を穢した。知事選に自民党から「出ろ」って言われて、おっこった。浪人なの。「どこか非常勤の仕事ないか」って言って「俺を使ってくれ」って。 一番問題は市町村は企画力が無いから、ついゼネコンに頼ってしまう。または組織事務所に頼る。そうするとテナントも連れて来てくれる。「そんなことはない」と「あいつらはそんな能力は無い。問題が起こったときの担保力はあるけど」と言う話 (『建築討論』 「発注者」の責任―プロジェクト運営の多様化と設計の質) (『建築討論』 デザインビルドとは?:新国立競技場問題の基層 ) (『建築討論』 入札契約方式の多様化と建築設計 建築の設計と生産:その歴史と現在の課題をめぐって02) 布野:そんなんだった、若くてまだエネルギーが有って力もある奴と市町村を結び付けよう、というのが去年から始まった。それで今ちょっと 佐藤:建築討論、AFで語り合っているわけですね。卒業設計も審査評価基準がない、評価軸人それぞれだって事実も分かりました。実施コンペの審査員の基準もバラバラなので、共有可能な基準内容は確立されていないんですね 布野;それで、いいやつだけピックアックして。 佐藤:記事や記録を読んでみると、建築家のだめさが際立つちゃうからな、読んでてキツイです。おかしですよ 布野:昔から、おかしいんだよ。 佐藤:直さないと。各地域にとっても、好き建築家が育たない問題 布野:だから後悔して棺桶に入りたくないっていう気がある。建築を選んだことを後悔して棺桶に入りたくないっていう思いが強くなって。もうちょっとね元気なうちは若い奴を応援する気になっている 佐藤:それはいいですね〜。布野・建築学徒いまから若い建築家を応援する、そこから始めるのはいい。ここまでぐずぐずになるとは思ってなかっただけど。中曽根〜小泉改革以降、中間層が消えて地域社会の劣化は止まらず。なので終焉して最初に戻るしかない。 布野:今の安倍みたいなね、裏にずーっと。分かり易く言うと、右翼の大物がいて、そいつが全部差配している感じはあった。多少怖い目には遭って、暴れると大学に来るみたいな。 それで、今の自衛隊日報問題も、全部承知の助で。安保法制変えるときに、刺されたらこまるから。政治家が決めてるのに決まっている。官僚なんか独走なんかしてない。巨大なあれが全部動かしているんだ。原発も全部。 その時はあんまり認識してなかった「原子力に行く奴は阿保が行く」ぐらな話だった。原発は原理的にやっちゃいけない、人類が制御できないんだから。やっちゃいえけない。 佐藤:全国津々浦々に原発できちゃったですよ。フクシマの現実も日々生きているので、喋りたくなくなりますよ。三日前も、加害者の東電副社長と、被災地の支援活動家女が男女の仲になってて、女が口止め料を5000万円要求していて、副社長が告白会見をしちゃった。被災地の奴らは、どいつもこいつも何年経っても、エロ仕掛けしてまで、金目当する〜と言われちゃいますね。倫理も崩壊させて信用も落としても、銭をねだる。確信犯的福島人が居た、セシウム都市ちゃんでも彼女は迷惑至極です。東電にもフクシマの現実にも両方に呆れますよ。 布野:見た、見た。 日曜日なのになんて凄い賑わいなんだこの居酒屋は ここは異次元だな 佐藤;そうですね〜ものすごい賑わいですねー 店内は相変わらず騒然としワイワイガヤガヤ 布野修司先生との話はさらにさらに続くのでありました 布野修司人生を語るについて記録を作らねばと思った聞き語り場でした 布野修司さんに聞き語る最後まで読んでいただきありがとうございました (文責:佐藤敏宏) (記録一覧へ戻る) その01へ戻る |
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近代日本の建築家と建築請負業(布野修司) 参照抜粋:『建築討論』 デザインビルドとは?:新国立競技場問題の基層 (2016年4月28日) 布野:それぞれのパネリストの先生方から重要な論点がいくつも提示されましたが、まずは、布野流に大雑把なコメントをさせていただきます。今日のフォーラムの中心テーマとなるのは、日本型デザインビルドとは何か?いうことになると思われますが、まず確認したいのは、設計施工一貫(一括)か分離か、というテーマは、日本における建築家という職能の確立に関わる、日本の近代建築の歴史の基層に流れ続けている大きなテーマだということです。 1960年代初頭に、村松貞次郎先生が「設計施工一貫を推す」という論文を『新建築』(1962年)に書かれたんですが、相当な議論になりました。この議論は、「巨大建築論争」というかたちにも引き継がれて、1960年代を通じてなされました。要するに、公共建築の設計は、当時、そしてごく最近まで、あるいは理念の上では現在も、設計専業の設計事務所のみが設計できる、設計施工一括の請負業者すなわちゼネコンはコンペティションには参加できない、ことになっていますが、個人の建築家(設計事務所)は能力がない、これからの時代の建築を担うのは、設計施工一貫のゼネコンだ、という提起だったわけです。指摘自体は、時代の趨勢を突いていたわけですが、組織か個人か、専業か兼業かというのは、建築家そして建築設計という行為をめぐる理念の問題として議論されたわけです。 藤村さんが指摘されましたが、歴史的に振り返れば、それ以前に前史があります。前史というか、そもそも、この問題は、日本へ「建築Architecture」そして「建築家Architect」という概念が移植される、その起源に関わっています。そもそも日本建築学会というのは職能団体として設立されたんですが、皆さんご存知ですか。日本建築学会は、学術・芸術・技術の統合を謳っていますけれども、設立時から今のような形に変わってきたんです。工学会にも所属するのですが、ここからは早めに脱退している。 日本に「建築」そして「建築家」の理念が入ってくるわけですが、J.コンドルが前提としていたのは王立英国建築家協会RIBAのアーキテクト理念ですね。それを実現しようと、職能団体として設立されたのが日本建築士会(1915年)です。現在の建築士会連合会とは全く別です。1年前に関西建築士会というのが関西でつくられ、それが改称するんです。これが最初の建築家の職能団体ということになります。 先ほどの安藤先生のお話では、設計施工一括方式、一貫方式は高度成長期のシステムだとおっしゃったのですが、いわゆる請負業は戦前に遡りますね。年貢の取り立てを請負ったのが請負制のはじめとされますが、明治初期に様々な分野を出自として、大工上りは清水組ぐらいでしょうか、建築請負業が成立しますね。以降、建築家の職能を確立しようという一派と建築請負業者との間で熾烈な勢力争いがあります。そして、大正末から昭和の初めにかけて、帝国議会に職能確立の法案が6回くらい提出されるんですが、通りません。建築請負業の力が強かったからです。「専兼問題」と言われますが、建築設計業務を専業とするか、施工も兼業することを認めるかが問題とされました。つまり、建築家のサイドは設計をやるのは専業でないといけないという主張を展開した訳です。戦後になってGHQ体制下で、欧米流の職能法を法制化しようとして、実現しかけるんですが、職能法としては成立せず、一級建築士とか二級建築士というような資格法になってしまった。財閥の解体等はありましたが、戦後復興を進める上での請負業の圧力があったとされています。 一方、職能確立を目指す建築家協会も戦後まもなく設立されます。建築家の理念を持ち続ける今のJIAにつながるわけですが、1960年代の「設計施工一貫か、分離か」という議論は、建築家という職能、その理念にも向けられていたわけです。職能確立をめぐる議論の背景には、当然、業務独占の問題があります。RIBAの設立にも王室に担保される業務独占の問題が絡んでいます。先ほどの安藤先生のお話は、主に民間企業とゼネコンの受注関係を念頭にした整理だったわけですが、公共建築については、設計施工分離方式が原則であるという立場を建築家協会は維持してきていると思います。日本建築家協会は、内部会員の告発によるんですが、設計料率問題で公正取引委員会に審決を受けます(1979年)。建築家協会が非常に閉じていて独占的だというわけです。これに対して丹下健三先生が会長として改組(新JIA)して加盟人数を増やそうという取り組みをやられたりした経緯があります。個人の建築家と組織事務所の経営者の団体ということで現在に至っているわけです。一方で、磯崎さん、宮脇壇さんなど、日本建築家協会を建築家の団体として認めないという一群の建築家もいました。当時建築戦線AFといったグループが結成されて、原広司先生なんかも建築家協会にデモをする状況もありました。 先ほどの藤村さんの報告ですと、今度の東京都の発注施設では組織事務所の圧勝ということですが、それはアトリエ事務所vs組織事務所という構図の話ですよね。しかし、全体はデザインビルドということですから、ゼネコンの圧勝というのが流れになるんだと思います。 それの仕掛けが、森暢郎先生の文章にあり、私も改めて認識しましたが、1995年に設計施工分離の原則、これは1959年に事務次官通達で定められたものですが、この原則を解除したことですね。さらに2005年にデザインビルドを導入することを可能になる。官庁主導ということもありますが、安藤先生が言われるように、デザインビルドが一般的に行われてきたという実態が背景にある。建築家という理念だけでは、とてもゼネコンの技術力、組織力には対抗できないという流れがある。特に、斎藤先生が挙げられたようなドーム建築とか大規模建築のような高度な技術がもとめられるものについては、いくらプロジェクトをインテグレートできるのが建築家だと言っても、プロジェクトを実現できないという事態が一般的になってきた。歴史的にはそういう流れがはっきり理解できます。しかし、その流れでいいのか、様々な問題が、今回の新国立競技場の件で一気に現れてきたのではないか、と思います (記録一覧へ戻る) その01へ戻る |
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