HOME 作成 佐藤敏宏 |
聞き語り記録 | |||
布野修司さんに聞き語る | ||||
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06 藤本壮介さん 審査員 1991年ごろ |
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佐藤:「俺が考えてきた建築とも違うな」と思いました 布野:京大は酷かったけど、県大は外部から若い審査員を呼んで、辻君の審査員語りは聞いたことないけど、たぶロジカルにしゃべるんだろうと思うけど。 若いのはきちんと喋る印象はあるけどね。若い先生だよ、絵は描けないくせに喋る。門脇君だってちゃんと喋るんじゃねー。分かんないけど。 佐藤:辻審査員の次に門脇審査員は語り、語らせてました 布野:首都大から、今は明治へ。深尾さんの弟子だよ。もともとは構法だよ 佐藤:門脇審査員はそれぞれの学生の混乱した語りを、すっきり語り直してくれ、解説ではなく批評だとツイートしてました 布野:門脇君の語りは聞いたことないけど。 レベルが違うのかも知んないけど。藤本壮介(2002年我が家での記録へ)、僕が実際に審査員だった、隈がとっちゃった滋賀の、まだ施工中なんだけど。 守山市立図書館。その審査をしながらね。何をやるか、議論してどういうのを選ぶかも、データは全部公開されているんだけど。。実施案を、最後に決めるときの議論。西沢立衛はっきり言ってよく分からない。そしたら藤本壮介がちゃんと説明してくれた。こうこうこうでと、彼は審査員だったけど解説してくれて「あ、そういうことか〜」みたいな。僕が司会していたからね、「お前、いいから、建築じゃない委員がいるから。順番に藤本流で解説しろ」って。まず建築の立場からね。 藤本壮介は他の建築もちゃんと喋れる、一般の人にも分かる説明が出来る、やっぱりなー。建築はいろいろ問題起こしたりしてるけど、ちゃんと考え方はしっかりしてるなーと、見直した。 佐藤:2002年に藤本さんの旭川の実家へ行って、初期作品を見せていただきました。実家は多様な患者が入院治療している病院でしたね。子供の頃から多様な他者に接してて、人に対しての構え方は鍛えられてるんですよ。一般の人へ建築を説明する仕方も実家で鍛え上げられているので上手でしょうね。 布野:説明も上手 佐藤:普通の学生は「村社会」というか、偏差値もあり均質な人間を相手にして語っている事に気付くことなく、成長しちゃうんだろうけど。藤本さんの場合は不均質な人間の集合を日々観て育ったでしょうから。 布野:その経緯ね、前の保育園を彼がとったわけ。取って、実施をさせたらコンペ取れた瞬間に、保育士の園長先生とか、父兄の言うことを聞いて、取った案をぐじゃぐじゃに変えた。はははは 佐藤:優秀・採用案を、かえちゃった〜ふ〜 布野:それで「お前何をやっている」と市長と俺は怒って。市長は住民代表ね。簡単に言うと。ゼロ歳児も受ける保育園で壁をとっぱらって色んな、フレキシブルに使える案だったの。その他にいい案があったんだけど、藤本案をみんなが推すから、それで取ったのに、採用案全部勝手に変えた。 保育士はこれではやりにくいと。赤ちゃんがいて、保育するのは壁作らないとで。それから全然別のコンセプトで、屋型、なんとかと言ってね、屋根の恰好も変えたんで、俺が怒って。「お前なにを」と言って全部直させたんだ。あんまり、よくないんだけど、出来た。 そこで、お前審査員になって責任とれと言って。で図書館の審査員になってもらった。今進行形だ。藤本はいい加減な奴やなーと思っていたら、ちゃんと説明するから、一寸見直した。でも彼じゃなくっても、そこそこ、若い奴はちゃんと喋るなーという印象はあった。
佐藤:今の学生が、しゃべる場所がないんでしょうか。作品の良し悪しは別にして、外部に出て喋る機会です。語る術、話術を鍛えるような場、そんなに無いようです。大学内の講評会はあっても、外に出て行って一般の人々に自作を説明して、作品の良さを伝える場は、卒業設計日本一決定戦などでしょう。日頃から作品を展示し説明する場がたくさん在り、大学入学時から参加できるのがいいんではないかな。 布野:実際のコンペの審査員なんかやるときは、ちゃんと喋ってもらわないと困るんだよ。建築業界だけの範囲だけじゃまずい。僕が審査委員長やると、「思ったことを言いなさい」と言ってコンペの審査するんだけど。公開の席でぜんぶ喋らせる。 それは大問題ですよ。それを日本一決定の場で、議論ができるなら、凄い影響力は大なんだな。そこへ行って喋ったら一位になった。議論低調、仙台の現状のそれはよくないんじゃないの。 佐藤:成否は判断できないですけど。今回は議論がなく問題でした。 布野:一人がちゃんと反対して多数決で決めたらね。論じたうえで一位二位を決めるなら、いい。だけどね、だいたいプロの審査員も変わらないから。 佐藤:プロの審査員なんて、どこもいないじゃないですか。プロ建築家も少数でしょうし、建築家コーチもいないし。 布野:だからそれが問題なんだよ 佐藤:話がズレるかも知れないですけど、ここにコップが在るじゃないですか、単に在るだけ。それと人間がコップ手に持って「大津波に被災して残ったたった一つの我が家のコップです」と、説明を加えると、異なる意味が発生する。 布野:それはそうだよ。 佐藤:人間の言葉の力が他者に与える影響力大です、建築作品コンテストの場合でも、そういう意味の違いが起きた方がいいんでしょうか。 布野:あのねー、それはどんな世界でもある。文学だとか、みんなあるけど。イメージ戦略みたいな話で起こる可能性ある。だけど建築はちゃんと言語を持たないといけないと思う。 佐藤:言語を持っているけど学生の作品を審査員が誤読して、深読みしすぎて、外す、みたいなことも起きます。逆も起きます。 布野:そういうこと、よくあるよ。学生は全然分かってないのに「お前、こがいいよ」と。そういうことはある。 佐藤:その行き違い、誤配やズレを見ている、その楽しみはありました。議論がすくなかった16回目の決定戦でも、それも含めて学生にとっては好い経験になっているなーと思いました 布野:そうそう。
佐藤:「決定戦は無くてもいいかなー」と思って、当事者の聞き取り始めてみたら「無くさない方がいい」に変わりましたね。 布野:なくなるの 佐藤:私の妄想ですよ。なくならないです。結果を見てぶー垂れる学生もいたので「学部での勉強に専念して、無くなる方がいいんじゃないか」と思って聞き取り始めたんです。 布野先生が1991年京都大学に赴任されたときに、関西の建築家が手荒な歓迎会を新大阪駅の傍で開いたましたね。渡辺豊和さん、高松伸さんなど集まって。あの二次会に参加してて、で初めて布野先生にお会いしたんです。関西の建築系の人々は語り場つくってましたよね。 渡辺豊和さんの家を基地にして10日ぐらい泊まって、初期・渡辺建築を観るためにあちこち行き来してたんです。奥さんに飯をつくってもらって食ったり酒呑んだりさせてもらって、方々の離島寒村に行って戻って、その都度、感想を伝えてた。その間に布野先生の歓迎会があって「行こうや」と誘われ参加しました、その縁で関西の建築家の面々とも、二次会でお会いしました。 布野:それは覚えているよ (布野修司さんFBデータより) 佐藤:その年でしたか、現在高知にいる渡辺菊眞先生が京大に入学して、大島哲三さんなどが、そそのかしたのでしょう、菊眞先生は学外で卒業設計の個展を開いた。それはご存知でしたか。 布野:知っているよ。不満でね、呼ばれてシンポジュームもやったよ。 佐藤:若い学生が数人集まって、個展を開いて 布野:森田一弥も やった、その後で 佐藤:森田さんも個展ひらいてた。仙台一位決定戦のような大きなイベントが学生の意欲を吸い上げちゃう、ストロー効果があって菊眞・森田さんのような個展への意欲を失わせる仕組みにもなってるかもですね。今時、卒業設計を展示して、地元で個展を開いてる学生はいるのか、知らないです。 布野:あんまり無い。東京へ行くとギャラ間がやっちゃうんだよね。ちょっと偉くなるとね。 佐藤:日本一決定戦のようなスポンサー付きの、イベント的建築の展覧会が在ることによって、学生の自主性、能動性を奪ってしまう場合もあるでしょう。名のあるスポサー付き既成の展に乗ってさらに頭角を現すのかな。 布野:だけど各大学で卒業展はやっているんじゃない。各大学で卒業展はやっている。ディプロマ京都もあるけど、造形大など三大学集まって京都市美術館でやっているね。 関西は仙台で何が日本一だよって気分はある。だから竹山たちが新人戦を作った。うまく続いているのかどうか分からない。 佐藤:仙台は卒業設計日本一決定戦なので、出品者は4年生に限られているんです 布野:学部の製図課題を出した、新人戦というのをやっているのよ。10年近くなるよ。それで設計学会っていのを作った。設計学会は俺は顧問だけども、呼ばれないでしょう。もっと学会と上手くやれ。なんで学会っていう名前を付けるんだと。 佐藤:設計学会ですか〜、確かに紛らわしいなー。瞬間に建築学会賞と勘違いますね 布野:紛らわしいというか。うん。 佐藤:スポンサー付き大人のイベントは、例えば布野先生を呼んで学生が小さな集まりを開いて、語り場をつくろ〜という動機を奪いますね。自分たちで研究会や勉強会、地域で展覧会を開くという動機を奪う。大きなイベント連発してしまうと学生の意欲を潰したりし、意欲のストロー効果をスポンサーたちは果たしますね。 仙台の学生は、あれだけ大きなイベントに参加しちゃっていると、小さな自前のイベントを開く気力は萎えちゃうんじゃないかなー。 小さな酒呑み会のような、学生同士の垣根のない語り場から、建築への思いの芽が育っていくんじゃないですか。審査員も審査を終えたら、さっさと帰ってしまう。一晩夜明かししで語り合う空気なさそうだし。審査員は盛り上がったような話を聞きました。祭りの後は大宴会もたくさん起きるといいが。 布野:僕知らないけど、佐藤さんの話を聞くとそういう場所ではないなー。行って入賞するといいみたいな。 佐藤:無かったのではないかな。審査員の方をむいてしまっていて、出品した作品者が集う学生同士が語り合い場は要りますよね。仲間をつくる切っ掛けとなる、そちらの方が未来の建築系人生にとっては意義深いはずなんだけど。 布野:それは主催者の問題じゃないの。そんだけ学生が集まって来るんだから、それを活用して何かしようとか。小野田とか五十嵐とか、そういうことを考えればいいんじゃないの。「今年はこのテーマで語り合うぞ」特別セッションを設けるとか。 佐藤:エスキス塾が一つありました。五十嵐先生が思うところあってエスキス塾を始めてました。本戦の翌日に、10選から外れた学生を40人ほど選んで講評する場所はありました。もちろん二次会三次会ありの懇親会がありました。300人前後の学生が仙台に来ていると仮定すると、とうてい全員とは対応できないんですよ。個別の議論を起こすべきでしょうけど。仙台に集まって来て議論を重視するなら本戦だけでは意味が薄れる 布野:俺はとにかく呼ばれてないし、俺は半分リタイヤしているんだから行かないけど。 その07へ続く |
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