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2017年10月05日 龍光寺眞人さんに聞く 杉並区にて |
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10 ■戦士と子供と庶民建築家 龍光寺:「戦士の無い国はドンドン衰退していく」と言っているんですよ。これちょっと面白いなーと思ってて、つまりLGBTもそうですけど、戦士の文化の真逆ですよね、文化的には。簡単に言うと子供をみんな産まなくなってどんどん人口も減って衰退していくと。戦士の文化がある国というのは偏見まみれかも知れないんだけど、子供がどんどん増えていく、人口が増えていって国はどんどん栄えていく。 そういうことに成っていると思うですけど。身もふたもないような乱暴な発想っていうか、面白な〜と思うんですよね。 そういう意味で言うとトランプはいいと。何でかと言うと、あんなに子供も居て孫も居るだろうと、あいつは戦士だと。戦士の文化があるから、アメリカは大丈夫だとと言っているですよ。日本はやばいですよね。 佐藤:同盟関係の戦士に戦争に巻き込まれるのかな 龍光:ポリテカル・コレクトネスで言っちゃうと絶対にそういう事って言えないんですよ、おっぴらには言えないんだけども、一つの発想。 佐藤:人口が多い方が経済活動量は隆盛になるし、子供が増える方が未来は明るいと。脳味噌を外して考えればなるかもしれないが、人口爆発問題でてくる。 龍光寺:否定したいんだけど、あれそうかも知れないなと思ちゃう。 子供見ているとそうなんですよ。子供の理想って戦士になりたいんですよね。闘って強くなりたい。チャンバラごっこ、ある意味子供っぽいのかも知れないんですけど。一理あるなと、それも一つの多様性ですよ 佐藤:人は社会の中で成長していくからスポーツやゲンロンの場で争うってことにもなるよね。論争は闘争の場に含まれないのかね、いい大人が、ちゃんばらやってたらおかしいよ 龍光寺:ちゃんばらじゃまずいですよね。剣道だったらいいですよね 佐藤:武道の世界は礼に始まり礼に終わるから、やたら動物的戦士ではないよね。高校スポーツぐらいまでは礼儀とか仲間を思う行為が優先されるんだろうけど、プロスポーツになると闘争の場に変容するね。スポーツ選手を愛でるのも戦士を愛でるのも同じなんじゃないかな。 龍光寺:それを言うと怒られちゃいますよ。 佐藤:いい建築をつくるぞーって、闘争心燃やして争って、モテキ来いって励んでる若者・建築家は多そうだよ、もてもて建築家の道。 龍光寺:今世の中でそういう発言し難くなってますよね。差別的だって言われる。僕も差別的だと思いますよ。、戦士の文化なんで、大きな声で言っちゃうと差別だって言われちゃいますよ。自主規制ですかね。 男らしいとか女らしいというのを言いづらくなっているじゃないですか。 佐藤;だから男たちが元気がなくなているのかね。女の子の方が活発だって建築系の若い人の間で聞いたりするね。 龍光寺:女の子は元気いいですよ 佐藤:頑張るお父さんをすると悩みが多くなるって彼らは知ってて、その対応なのかな。緩い男も、マッチョな男も、いつの時代にもいると思うんだけどね。男らしさは害であると強調されている節はあるよね。 龍光寺:三島由紀夫が言っているんですよ。男らしさは評価されていないって。ないがしろにされているって言ってましたね、その頃から言われている。 佐藤:戦士になりたかったけど、戦後社会が平和になっていくのが嫌いだったのかね。江戸時代の話だけど、争いを治め国をづくりに成功した藩の四代目って道楽に明け暮れるのではなかな。確か仙台藩の四代目は文芸に秀でたような話を聞いたが。初代は戦国の戦士だったけど、平和な社会になって芸事や文化が花開くが財政は悪化すると。今は日本の漫画は世界で稼ぎできるけど。 龍光寺:三島由紀夫が言っていたのは逆にそういう絶対的なものにある差別とは違うだけど圧力っていうのかな、そういうものをバネにして芸術というのはより高みにいくんだということを言っているんですよね。それは単純かも知れないけど、そういう側面が彼の実感としてあったのかなーと。 佐藤:三島さんは徴兵検査で不合格だった、戦士不合格じゃないかな。虚弱児扱いされ傷きコンプレックスがあったんじゃなかったかな。コンプレックスが裏返ると、強い戦士を目指す発想になるのかもしれないね。 男らしさが必要じゃなくなった三島さんの25歳ししたで子供世代の俺は、男の子を男らしく育てなくっていいんじゃないかと思っていたけど。 人間だけが言葉をもって平和時には芸事に明け暮れる。戦場で平安な文化が花開くわけもない。戦場でスケッチしていた画家はいるけど少ないよね。逆境遇で生きている芸術は凄いって発想もあるだろうけど。今の豊かさをどう表現して生き続けるかって自覚して日々暮らせばいいのではないかな。 ■ 庶民建築家 龍光寺:トータル的に言うと僕はどっちにも振れないで、私は庶民的な発想なんだなーとよく分かってきました。それを、よいと思っているし、今後もそっちの方向に目指していくんだなーってなんとなく思います。 佐藤:9年ぶりに訪ねてきて話してて、庶民的な建築家になろうという発言は貴重ですね。誰も居なかった。素晴らしい!僕は庶民建築家ですと宣言できるのはいいことだ。正しい姿だと思います 龍光寺:正しいかどいかはわかりません。 佐藤:言い方を変えればマッチョなスーパー建築家と文芸的な建築家の間にある庶民的な建築家っことでいいじゃないかな。マッチョスパー建築家って特殊解としては面白けど、イカレている感じもある。、実験的で特異な行為であって、いてもいいんだけど、多数には成らない特異解なので。だからと言って機能一点張りの順法だけでつくる側でもない庶民建築家。それらのグラデェーションの中の間を行き来している庶民建築家でいいんじゃないかな。どちらかに区切られているわけではなくグラデェーションの中を生きていると。 龍光寺:僕の考え方はそういう感じです 佐藤:特異解としての建築論も理解し語れる。820万戸も余っている空き家の改修もできる、そういう振れ幅に対応できる建築家ってことで。特別意識して対応しなくって建築を作っていいんだと思うね。 奥さまが事務所に戻ってくる 奥さま:お久しぶりです 電気もつけずに。 佐藤:電気もつけずに2時間半おしゃべりしてました 奥さま:もう私ご飯食べてきましたよ 龍光寺:そんな時間なの! ご飯食べましょうか もう12時だ。 佐藤:3ショットしましょう その11へ |
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