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  2017年10月05日 
龍光寺眞人さんに聞く 杉並区にて
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■ 友好関係をつくる

龍光寺核戦争のリアリティーが薄らいでいると言いますか、冷戦時代とだいぶ違いますよね。冷戦時代はいつ核戦争が起るか分からない緊張感があって生きて来たけど。
私なんかは、小さい時に冷戦は終わっちゃってるわけですよ。冷戦時代の緊張感を知らない人がいて。過去の体験になりつつある。
その辺もだいぶ社会が動いてきているのかなーと思いますね。危機感が無くなっているというか。

 冷戦の終わり


         北朝鮮の核開発


佐藤:ソビエトが無くなり。社会党と自民党の分かり易い対立が冷戦終了と共に消え左派が縮小しつづけている。それから社会日本は敗戦後70年も経っていて。戦争の話を身近な体験者から直に聞く機会もなくなっているよね。
俺は昭和26年生まれだから身近な大人たちから戦争の体験談を聞かされてたし、お祭りに白装束の傷痍軍人が物乞いしてるの見てる。
1970年に社会人になり、敗戦から25年経っても、大陸で食い物を徴用し、ついでにその家の女性を強姦し刺殺したって話を60才前の営業の方からたびたび聞かされたね。一緒に仕事をしている人の口から戦争の現実を聞かされた。戦争の悲劇や兵士の心の傷の一例を知ったしね。
ベトナム戦争もあったし、アフガンでもアメリカ兵は中東でも多く亡くなっているので、米国の親は子供を戦死させたくないでしょう。反戦運動は日本より起きやすい。
カンボジアPKOで高田さんという方が一人亡くなっているよね、残された家族は離散しいるって語られない。今の日本では反戦運動は盛り上がらないうだろうね。
現在の法では他国に行って自衛隊員が人を殺しても殺人罪での裁判だ。軍隊にしてって軍法で裁判しようという話になるんだろうし、徴兵制になるしかないだろうね

龍光寺:兵士ってかなり高度な教育が必要じゃないですか。なりてがいないのでは。
佐藤:貧しい国の人への傭兵ですか。国民が戦死すると社会問題になるので、雇って戦争する。または無人兵器やロボットで代行させようとするんだろね。さらなる非人道の道
龍光寺傭兵が悪さをしているって噂もありますよね。
佐藤:徴兵制に戻り、息子さんが徴兵されるって想えばどうだろうね
龍光寺:徴兵っていうのは、自衛官なんかが士官とか倍率高くってなかなか成れないですよね。
実際、戦場に行けるっていうか、戦力として使いものになる人達って度庶民レベルじゃなくって、高度な教育を受けて戦闘訓練を受けていなくちゃ、いけないっていうのが、近代戦なんだと思うんですよ。
こうなってくると徴兵というイメージが当てはまらいんじゃないかなーという気もするんですよね。
佐藤:70年前のように地方の農家の次男・三男坊を徴兵して暴力をもって訓練して戦場に連れ出したイメージでは、現代戦の兵士にはなれそうにない。パソコン使って戦争しているんだろうから、機器の操作を覚えなきゃならないだろうし。

龍光寺:よっぽど賢い、それを体系的にまとめたり訓練もしなくちゃいけないし。
佐藤:戦争できそうにない。

龍光寺:面白いネタが有って、色々な世界大戦とかの大きな戦争を調べた人がいて、その方が出した結論としては人数が多い方が勝つっていう。同盟国も含めて人数が多い方が勝つ。なんだかんだ言ってもどうもそうらしいんですよ。
そういう意味で安倍さんの外交というのは上手いなと。ちゃんとネットワークをつくって、同盟関係をきちんと構築しておけば、人数で勝っているんで。それは一つ安心材料なのかなーと思いますね。凄い単純ですよね。

                絵:ネットより


佐藤:戦国の世と変わってないね。日頃から友好関係をつくっておかないと災害時でも、支援する相手も方法も分からないと。
知り合いや、友好な人間関係をたくさん維持している人が生き残る。なるべく遠くの友好関係がよさそうだ
龍光寺:311の実感としてその辺は分かってますよね
佐藤:困った時には龍光寺さんの所に来て支援してもらえばいい(笑)。
龍光寺:都内にも一杯知り合いいるじゃないですか
佐藤:俺の防衛策は365人の友好関係をつくって1日一人づつ回って歩き人生を費やすってことかな。それを目標にして実験的にやってみるのもいいね

龍光寺:数ですよ、数は強いです。レベルが低いんだけど、本当の事ってあると思うんですよ。そういうのに興味がありますね。昔から変わらないじゃんみたいな事。
佐藤:数に代わる暮らし方を生み出す居住をつくればいいのかな。そこでは現在の良さも理解できることになるし、田舎の良さも都会の良さも分かるような居住方法を模索してみる。住まいも、暮らしも、振る舞いなどもハイブリットに試すのがいいかも。建築の形態はどうでもよくって、そういう人の営みが保証できる居住空間であればいい。
ほどんどは部位の性能の話ばかりしている、部位の性能を満たすことが設計だと思っている人が多そうだし。行政の指導もそちらに偏っている。
そうじゃなくって試行錯誤できる場を保障する空間を作っておいて、営みを数度、試行錯誤して徐々に変化させていけば、まったく違った暮らしを保障する器が手に入るかも。未来は日々の試行錯誤を保障する場が生まれるかも。

龍光寺性能の話は最初から危ういと思っていまして、断熱性能が高ければいい。断熱材が厚ければ正義みたいな。凄いつまらない話を最初からしているので、やりたい人がやればいいと思っています。
それを切っ掛けに何が考えられるか。佐藤さんがおっしゃった考え方には興味があります。面白いと思います。


 家族像の変化 一人世帯 二人世帯の増加

佐藤:一人で社会に出て、パートナーと共に暮らすことになり、子供が生まれ、育て、やがてどちらかが亡くなり、一人で死んでいく。一人暮らしは長い間続く。今も一人暮らしの割合が多くなっているようだ。一人の暮らし方や形式も沢山あるはず。なので、戦後高度経済成長期の核家族に対応した制度で運営されているが、核家族を中心にした対応だけでは実社会との違いは多くなる。
一人世帯単位で制度設計されて社会が動いているのを理解して、多様な一人暮らしにも対応できる制度に換えていかないと



聞き取りで各地を訪ね歩いて思うことは子育ても外注して共に働いている人が多くなっていることかな。子供は大勢で日中を過ごすので多様性を身につけて育つているだろう。彼らは多世代間の交流方法は身に付けないけど、同世代の対応の仕方は身についてそうだ。同世代の多数と一緒に暮らすことは出来そうだ。
多世代間との交流をどう促すのか。老人と幼稚園は一緒は出て来ているけど、職場と幼稚園が同居している場は見かけない。働く事と子育ては分離されたままなのが気になっています。職域の内・外での多世代間の交流を促進することが建築の肝になりそうだ

それから、家族像も変わって来ている。犬や猫を家族と思いペットの葬式を出す人もいる。言葉を持たない動物には感情移入しやすいのだろうが、言葉を持っている他者と、動物との交流のように上手くできない問題もみえる。人は言葉を持たない動物との付き合い方が好きで言葉を自在に使う人との付き合が下手なのかもしれない。

龍光寺そこは大事ですね。解ります。 そういう意味で近い年齢の友達が亡くなって、近所の交流があった人、癌で亡くなって。亡くなる友人、けっこうあったんですよ。4、5人いるのかな。死ぬの早いですよね。続いてからじゃないですけど、悲しむのもちょっと違うのかなーと思ってまして。
もちろん悲しいんですけど、何かそれを、死んでしまうと、それ以前のことを抑揚をもって話さなくなる。好いことは話すんだけど、悪いことは話さない。その時のことをあんまり話してはいけないみたいな、何かあるわけですよ。
僕の中では普通に思い出して、普通に話せばいいことで。忌避しない方がいい。死そのものによって、いきなり人生が、も終わるわけですけど、そこで終わらせていいのか、もちろん終わっているんだけど。
僕らは僕らでその人の事を話していて、あいつはああいうふうに考えていたよなーって話しているわけで。

例えば、死に方がね、自殺だったから。その人のことは言わないでおこうっていう感じがあるわけですよ。それちょっと違うのではないかなー

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