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2017年10月05日 龍光寺眞人さんに聞く 杉並区にて |
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09 ■友人の死が続いて思うこと 龍光寺:死に対する感覚が変わってきました。 佐藤:人間が死ぬことに対する恐れを除くために、亡くなった人を語るのはいい考え方だと思います。身体が無くなる死は恐怖たって、だれで思うけど、友達の死について話されましたが、龍光寺さんの中には亡くなった友達が生き続けている証なわけで。友達の言葉だったり行動だったり、瞬間ごとに記憶がふきだして来る。友達の身体が消えてしまっても記憶は多くの他者に残っている。龍光寺さんが死んだときに亡くなったその友達もようやく亡くなる。 龍光寺:そういう感じですね。 佐藤:時が経つと記憶が薄れるので、記憶を呼び戻すための方法として墓参りや仏壇が考案されたと思う。四季折々の中に思い出す装置としての生活習慣をつくっている。一緒に暮らした人と人を死に至らしめない妙案だと思います。 龍光寺:非常に保守的な考え方になってますね。 佐藤:平安に感情を保ち続ける行為じゃない。日々思い出して暮らしていれば墓参りは要らないとも思う。命日を決めて身体の行動を拘束して振る舞うのも悪くはない。 お墓まりを済ませたら酒を呑み交わして語明かすのもよい。亡くなった人のことを語り合うことが亡くなた人と共に生きるってことだし。自分の身体が消滅しても自分の生は続いているってことで。そう考えれば自分の悪いことだけが生き残り続ける気がする者は、改めることもいいだろうし。 アイフォンなど機器は記憶を保存し持ち歩ける、便利な道具が出来ちゃったね。リアルな記憶を復元できる。多量な情報から亡くなった彼らしい記憶はどれか?編集しないで貯めるだけだと、記憶を保全できない、記憶が消えたと同じ状態になる。 龍光寺:分からないんだけど高等教育を受けていれば受けているほど分からないことが不安になるんですよね。現代人特有な不安なのかなーと思います。 佐藤:身体を忘れて、知識偏重かな。そう自覚していると。自然とか偶然とかを恐れる事になるのかな 龍光寺:昔もそうなのかなー。人間ってきっと分からないと怖いんですよ。だから原発事故が起きたりすると分からない事が過ぎて、怖いですよね。恐怖が増大していく。解った気になりたいんでしょうね。宗教団体もそうですし、分かった気にさせてくれる。 もっと身近なところで言うと風水とか家相だとかって、家を作るときに気にする人はいるじゃないですか。私はそれを否定しないんですよ。その方が安心する人って多いんですよ。合理的な理由で「これこれこうだから、こうですよ」って言うよりは風水でこれがいいんですって言った方がそうなんだと納得する人が多くって。建築が専門だから何で合理的に考えないんだと思うんだけど。 建築とは違うジャンルの事になると自分自身がそういう判断をしているんじゃないかと思うんですよ。ある種の偏見とか思い込みとか慣習とかで決めちゃっている。それで安心しちゃっているところがあって、合理的に考えてないんだなーって。 佐藤:全て知ってからでは日常生活おくれなくなるよね。解らないから生きていられるってこともあるよ。世界って言葉を作って「世界」を知ったような気になれるから未知の世界へ出て行ける。地球は真ん丸じゃないけど丸いって言葉で抽象化して共有しないと事が進まない。 龍光寺:何も分からなくなってしまいますよね。 佐藤:愛情につても抽象しておかないと暮らせない。愛の行為を具体的に朝から説明し、合意して行動してたら都合がわるくって、疲れてしょうがない。愛しているということにしておかないと日常生活は潤滑に過ごせない。時々共有している「愛」の詳細を具体的に確認し合えばいい。愛情を表現する共有の場を日常に意識的に持つ努力をして暮らせばいい。 四季に気候にも影響を受けて愛の表現方法は変わるし、相手の体調にも左右されるし。初詣に行ったり、お盆があったり、各種行事やお祭りもあるし。国境が消えたとしても今の暮らし方は続くよ 龍光寺:そんなに変わんないですよね。 佐藤:1万年続いたと言われる縄文の人々は国境なしで狩猟採集の日々を送って、1万年だよ。観てきたわけでないので分からないけど。渡辺豊和さんによるとテレパシーのような通信で世界は連携したそうだ。、『縄文夢通信』を刊行されているけど。 龍光寺:ユングなんかも似たような考え方ですよねたぶん 佐藤:受精から人間になるまでに、生物の進化過程をなぞっているそうなので、脳も同じことをしていそうだね。自分の脳が魚の記憶を持っていたり爬虫類のその記憶だったり、過去の記憶をなぞって、生れ落ちたときには何も覚えてない。顔もそれらに似たような人も現れていそうだ。 最終段階にきても、男女の性差が不明になる性分化疾患って症状もある。外性器の形状だけでなく、男女の脳の差だって、グラデーションがあって明確に区別できない。 近頃は同性婚も認められて、パートナーの死後の財産分与まで認められる社会もあるようになった。お茶の間のTVではゲイが芸している。政治の世界でカミングアウトする人もいる。同性婚は日本はまだ認められてない。 動物の脳を持っていたり、似たような感受性を持っていて暮らしていても、不思議ではない。鳥の感情や魚の感情を持って、物をつくったり、観察したりして人間性を拡張しているのではないか、と想像しちゃいますよね。 親の遺伝子を受け継いで人も生まれて来るから、数代前の先祖に思考や言葉遣いなどに似てたりするんだろうね。聞き取りしてて、両親の聞き取する機会があるですよ。聞き手が親を推薦したら聞き取ることにしているんだけど。そうすると色々な祖先の話が出て来る。繋いで想ってみると「だから、君はこいう性格で生きているのね」凄く腑に落ちるんだよね。 自分は「自分だけだ」と思って暮らしているのだろうが、実は「祖先の人格が落とし込まれていて、判断し感じて行動している」って自覚している人は居ない。今のまま明治の世に移動して暮らし始めたらお爺さんやお婆さんと瓜二つの言動をとっているかもしれない。 龍光寺:意外に社会が変わっていくような感覚ってあるんですけど。一方で変わらないものって凄く沢山あるような気がしていて。変わらないものの方が分析対象としては面白いんじゃないかなと思っているんですよ。 例えば、ちょっと飛んじゃいますけど、有名な戦略家でマーチン・ファン・クレヘルトって人がいるんですけど。その人が言っているのが、国が衰退する場合とそうじゃない成長する、隆盛して行く場合というのは何が原因かと単純に言ってる、戦士の文化が必要だって言っているんですよ。 何かというと男は戦争を好み女は戦士を好むっていうのが昔からある、人間社会のあり方というか、思想の根本であると。極端な発想、その人の考え方を当てはめると西洋は没落していると。何でかというとそういう文化が無くなってきているから。戦士の文化なんですけど、戦士の文化がある国は栄える その10 |
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