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2017年10月05日 龍光寺眞人さんに聞く 杉並区にて |
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04 ■異なる他者との暮らし方 佐藤:親も子も両者が共に選べない生の偶然選択される事実があるよね。単に存在が可愛いって事をなかなか男はそういう構えを持てない、可哀そうな存在かもね。 敵の数なんだけど、殺人で最も多いのは自分が自分を殺す自殺。だから敵は自分でもあるんだよね。次が身内や知り合いによる殺人だ。俺が生まれた時代が殺人が多かったが減りつづけて敵は減少しているので。通り魔などはほとんど起きない、介護問題で殺し合いが多くなっているぐらいでしょう。 TVで殺人事件流しすぎなんだよね、あれを観続けると、自分自身を嫌うとか身近な人の存在も愛おしく思えない人格に陥るでしょうよ。日本は人ごとしが多い国というTV発の印象操作に填まる。統計とか観てそれはなぜか?ってことに至ればいいんだけど。 TVの悪影響でしょう、「存在が単に可愛い」から「親にとっての都合愛」に変質させちゃってて、自分の罠に落ちてるんじゃない。大人=親が発する罠なのですが、自身が気付かないまま暮らしてしまう可能性は高いよね。 龍光寺:そうですねえ、その辺がどうなるのかは分からないのが面白いと言えば面白いんですけど。今後どうなるか分からない、そうなっちゃうかも知れないし。 佐藤:自分自身の都合愛だけで悩む姿はばかばかしんだけど。その事に気付かされたのは25年ほど前だった、更年期の妻がホルモンのアンバランスから精神疾患になってしまって、俺が建築家として仕事を続けるのには不都合な存在になっちゃった。病院に閉じ込めて仕事を続ける選択をするのか?それは違う仕事をし続けるために使い勝手のよい俺に役立つ妻だから一緒に生きているわけでもない。 パートナーや両親や子供が病に落ちってから色々考えてみる。で病の妻を単に人としての存在を認めちゃって、相手に対して目的合理的な対価を求めない。期待しないといいか言えてもいいけど。何が起きても一緒に 単に生き続ける、ことにしててみた。でも日々異常なことがおき続けたけど、淡々と25年間対応し続けてました。聞き取りしたりして、身近な困難から一時的に逃げ出したり。酷くなったら住む場所を別にして家に戻ったりするのも一つの対応法だと考えて実行しました。 311で我が家にも放射能が沈着し、直後から病状が酷く悪化し続けてて、発災直後の頃から家の隙間をふさぐためにガムテープを貼っていたんだけど、妻の部屋から滲み出してきて〜、家じゅうガムテープ・アートの制作展示場みたいな様になりました。3年間ちょい貼りまくり続けてましたからね。 なぜかアートふう柄にもなったし、家具にもはりまくるし。手に負えなくなってしまい、しかたなく手足を縛って近に入院させました。1月ちょいで退院でき今は普通のおばさんの暮らしに戻りました 2014年6月ごろ 居間のガムテープ 自分の人生にとって有効なる存在としての子供なり他者を求めている、その我欲を自分で薄めるのがよい。我欲が強いから苦しみも強くなるので、子供や妻という他者が強い苦しみを与える源ではないんだよね。 龍光寺:佐藤さんが他人との距離感みたいなものが近いんじゃないですかね。 佐藤:他者との距離感も近くなってしまっているかもしれない。この場で災害が起きたら、この場に居る人と一緒に乗り越え生き続けようとするね。 もし、自分に問題が起きたら、閉じないで問題を共有してもらうために情報を発信して、子供や身近な人や友達などの解決能力のある人に支援してもらう、そんな態度で生きている。 龍光寺:一方で、自然に距離感をとって「そういうもんだ」として付き合いたい。そうありつつ、見栄とかじゃないですけど、そういうものも残っているな〜と。でも見栄を無くす必要があるとは思っていなくって。見栄だったり欲だったりになるんで。 佐藤:食って生き続けないといけないので聖人にはなれない。競争社会にも参加して、それぞれにある欠点を自分に採り込んでしまわないようにし暮らし続ければ楽になるのでは。 龍光寺:ダブルスタンダードとか矛盾とかパラドックスってありますけど、それらが無いと成立しないんでしょうね。 佐藤:敗戦で焼け野ヶ原からスタートした時は皆がその姿勢でやっていけたんだろうね、周りの人も同じく貧しかった 龍光寺:それこそ共通の敵ですね。貧乏、貧困。今話しているのは成熟した社会の在り方ですよね 佐藤:貧困は見えなくなり、敗戦後の目標、幸せ手に入れちゃって、目的合理的に暮らさなくっていいんだけど、貧困から脱失するための慣性が働き続けているみたいなんだ。 今は1年間に生産する富の何十倍ものお金が仮想空間を行き来して、1%の金持ちと99%負け組と言わるように、富を偏らせ続けているが、対応法を見つけてない。格差社会と言われているように、市井の平凡な日常にも影響を与え続ける事態になってしまって。 龍光寺:国境はなくなると思いますか 佐藤:難しね。グローバル化で経済活動では国境は消えたかのように振舞っている。けど、宗教や文化が異なる、国境を消すのは簡単ではない。土地と統治機構と国民で近代の国民国家が出来ているんで。 日本の場合は島国でもあり、独特な言葉を使っているので、国境を自覚せずに生きていられるけど。 EUの試みも参考になりますよね。イギリスのEU離脱、難民受け入れによる排外主義の台頭など、悪い者は移民のせいにしたがる。国境を無くするEUの試みの見通しが悪くなって、右傾化しているし。 2015年欧州難民危機 絵:WEBより 龍光寺:イタリアで移民が60万ほど来ちゃっていて、杉並区の人口と変わらないですよ。それぐらい来ている。凄いことですよね。 佐藤:今朝のニュースで難民排斥のこと・・ミャンマーで起きているイスラム教徒排斥、ロヒンギャに対する非人道的な対応。 宗教や生活習慣が異なる人と、どう一緒に暮らし続けていくのかって問題は、乗り越えられない課題になっている。 日本はよろず信仰だ、仏教もキリスト教も受け入れて生きて来た事実はある。それでも一緒に暮らすことには限界がある。お互い観光客になることはできる。そこからでしょうね。 毎日毎食、外国料理の順位入れ替えて食うの嫌だし、日々のあらゆる営みがそうなるとすると疲れそうだ 絵:WEBより 龍光寺:家ってシェルターじゃないですか。基本的には天候とかですけども。 外界からある程度遮断して、快適な空間をつくるわけですよね。一方で閉じてしまうと関係が遮断されてしまって、それはそれでいい生活は出来ない。 窓を無くするっていうのは断熱的には一番いいわけですけれども、それをやってしまうと誰が見てもよくない空間になるわけじゃないですか。 一方で穴を開けてつながりをどんどん作っていくっていう方法、そういうふうにすべきというのと、閉じていくっていう方向もあって。佐藤さんは開いていく方向ですね 佐藤:建築の理想は路上だって言っているからそうです。日本での路上は国境で守られているんだ。さらに建築の理想を空気、圏にしようとしてみると。 その05 |
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