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2017年10月04日 山川陸さんに聞く 新宿御苑にて |
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07 山川:保育園というのがよかったですよね。形のことは興味あるし、それが人にどう受け止められるか。こういう見方もある、こういう見方もあるっていうのが色々出て来るのが楽しいところ。保育園で認識の話とかを、テーマに、そのまま出来るじゃないですか。子供が成長していくこととか、教育の場所だったりするので。 そういう意味でも保育園って、学生の時に考え始めた興味をいきなりトライ&エラー出来るプログラムだーなーと思って。 それが大きいオフィスをやりますとかだと、たぶん応募しなかった。保育園なので、興味にも合致しているし、なんならそういう事についての議論をして 佐藤:生徒会長時代の経験も活かせるし 山川:ははははいいんじゃないかと。保育園の先生になりたかった時期があったのを思い出して。 佐藤:松島家の総がかりの仕事だったと松島潤平さんは話してた 山川:その中に僕もちゃっかり入り込んでいた。三男坊みたいな感じで参加して。だから松島家の結婚式の時も僕は親族のテーブルに居たんですよ。お父さんお母さんとお兄さんと僕。そのテーブルだったんです。 保育園をやってリノベーションとかコンペとかもやっていた。最後が大阪の住宅、トリトンという名称で僕が担当しました。スレートを凄く薄く剥いだ商品で、一ミリないぐらいの厚さになったスレートに後ろにFRPとかで裏打ちしてある商品で、だからブニュブニュ曲がるんですよ。曲面に貼って。接着剤でどんどん貼っていくんです。 僕はどっちかと言うと時間の掛かる新築を基本的に担当させてもらってんです。無くなっちゃった内装工事とか、短期期間でクウォリティーを出さなきゃいけない案件を松島さんが一人でがーっと取り組む。そんな仕事の配分でしたね。 松島事務所を辞めたのは2015年の年末ぐらいですね。プリズミックギャラリーでお会いしたときはほぼ卒業みたいな感じの頃でしたね 佐藤:松島さんの展覧会で山川さんと初めて会って「これからヨーロッパへ留学します」って話をしていたんだけど、大学の職員になっていた 山川:で、事務所も卒業して一級建築士もとって。で、大学院に行こうと思っていたんです。タイミング完璧に揃ってさー留学だ〜ポートフォリオも作って送ったら、締め切りを間違えてて、受理されなくって。どうしようとなったのが丁度一年半ぐらい前です。留学できないぞとなって。一日間違えていた時差とかいろんなのを間違えていた。満を持して出したら。毎年、出そうと思っていたんですけど。 トリトンは個人住宅なんで。担当者が途中で辞めるというのはよくないし。最後までやりたかった。大学院の出願を毎年先送りにしていて。ようやく出せるとなって出したら間違えていた。これは縁が無いのかなーと思って。3年ぐらいなんやかにやで出せなくって。 イギリスに行く予定だったんです。AAスクールとかアートスクール系を受けようと思っていたんです。なかなかうまくいかないなーと。 奥さんと知り合ったのもそれぐらいだった。奥さんとの出会いは、プリズミックギャラリーから徒歩3分ぐらいの所に在るテーラーで働いていた人です。不思議なもので、潤平事務所に居なかったら結婚してなかった。展示終わった後にその店にシャツを作りに行って、知り合いになった。 佐藤:シャツを注文して奥さんまで一緒について来た〜って、作り話のようだ、朝ドラのネタみたいだ。そそこから何をしてたですか 山川:最初は乃村工芸の契約社員をやったりして、建築とはちがいディスプレー系、金払いもいいし。面倒な事を考えずにただデザインをすればよかったので、一時期そこに行っていて。お金は稼げるけど、これをずーっと続けるのもなーと思って。 同世代で、連さんが居て。モクチン企画っていうのに、誘われて。 代表の連さんの弟が芸大の建築科で同級生で。在学時にすごく仲が良かった一人だったんで。ちょうど僕も松島・事務所を出て、プラプラしているような時期だった。一戸アパートをまるっと改修する大きな案件が入って。実務経験者をメンバーに入れたいということで、最初はプロジェクトメンバーとして、手伝い始めたんです。 僕に来る内装の仕事とか、ちっちゃい仕事もぽつぽつあったですけど。全然違うスタイルというか、いわゆるアトリエ事務所とも全然違う仕事のしかたをしている集団だったので、一回参加してみるのも面白いかなーと思って。ちょうど一年ぐらい前からモクチン企画にメンバーで入って。ここの仕事もけっこうやっている。 いわゆる、木賃アパートの改修をしていて。用途を変える場合もあれば、そのまま賃貸にすることもあるんです。建築家が触れない凄い安すぎる、50万円しかないですとか。現状回復と同じお金でとかの案件に対応するためのデザインメソッドとかを作っている団体です。 建築家だとフルリノベーションで凄いお金を掛けないと出来ないんだけど、それだけだと救済できる、改善できる件数に限りがあるので、もっと大量に在る物件をよくするにはどうしたらいいかと。そういう時に建築家が請け負えなかった価格帯の仕事をどうすれば請け負えるのかとビジネスモデルも含めて開発しているような団体です。 佐藤:820万戸の空き家があると言われてて、生活弱者に10年間貸すことを条件に国交省は一部屋100万の補助金を出すそうだけど。その補助も受けて改修しているってことですか 山川:この団体は直接やっていないですけど、NPOという肩書を付けているんで、そういう福祉系のNPOと連携することで、やったりもしている。もう5年だけそのアパートを使うことで、その地域に何が出来るとか。そういうことを考えている。 佐藤:空き家があったら押しかけて注文とりに行くんだ 山川:学生の時に始めたらしくって、その時はそうやっていたらしいです。今は地場の不動産屋や管理会社20社ぐらいパートナーになっていて。会員になってお金払ってもらっているんです、そういう人たちから、相談が来たり。そういう人と連携してやっている。普通の設計事務所とはスキームが違う団体ですね。 松島さんの事務所を出て、資格もとって、遠からず・・・。自分がせっかく得た実務経験とかをどうやって仕事で還元していこうかと思って。知っている以外の働き方も知りたいなーという気持ちがあって。 その後に藤村さんの所へも助手の面談に行ったんで。公募はあったんですが基本は任期ごとに入れ替わるんです。 佐藤:今はいろいろん活動をしつつ芸大助手に就いたと 山川:草鞋を履きすぎている気もするんです。助手は3年間なんですね。今年度からなんで、残り2年半で、その頃には30歳ぐらいになるので。この3年間で、30歳で独り立ちみたいなことがあるじゃないですか。今はいい3年間に入っている。この3年間で最終的にどういうところを相手に仕事をするのかとか、拠点を決めるとか、そういうところは一回固めるフェーズがある。 藤村さんは官民で言えば官庁の方向から建築家の動き方を考えているし。モクチン企画の方は民間なので地主とか、旧来から存在しているキーパーソンとどう付き合うかとかも考えている。 佐藤:芸大で3年の経験を得て、どちらもできたら鬼に金棒状態だね 山川:とは言え、それを立ち上げた人たちのキャラクターによるところもあるので。まったく同じことは出来ないけど、そういう観点を得たうえで、まだ決めきれてないんです。芸大村の村人としてそれをどう咀嚼しようかなーという感じです 佐藤:大学を出ていきなり独立した建築家は藤本壮介さんしかmy記録にはないなー 山川:藤本さんのインタビュー記録もいいですよ(2002年6月記録へ) 佐藤:我が家で行っていた「建築あそび」で講義してもらって呑み会して雑魚寝して一晩話明かした日の記録ですね 山川:あれ凄いいいですよ〜初期、藤本壮介さん。 佐藤:その後、旭川の実家に行って、売れてなかったからお母さんが心配されていて、「うちの壮介大丈夫でしょうか」って。「10年したら、超有名建築家になるって、引っ張りだこになりますから、あと少し金銭支援お願いします」と福島から出ていったオヤジが太鼓判おしても、慰めにはならなかっただろうけど。建築家は有名になるまで、なってもかな、「金がないので仕送り続けてください」と俺が藤本壮介でもないのに支援をお願いししてしまいました 山川:お母さんに頭を下げてふふふふ 佐藤:数年後に、あっというかに世界を駆け巡る建築家になっていますね、実家の藤本・建築二つ、作業療法棟と病室棟できていただけだった。伊達の病院を設計しているとは聞かなかったかな。 その08へ |
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