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2017年10月04日 山川陸さんに聞く 新宿御苑にて |
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06 山川:取り扱うフォルムの問題とか、もう少しだけ広げて考えなきゃいけないっていう空気はあった。とは言えその時点では卒業制作なんで、自分で問いを立てなきゃいけない。問いの立て方とか、検証している題材とか受けていたんですけど、建物がちっちゃいとは言えそれ自体の設計の上手さとかは問われてくるので。それについては?マークって感じでした。 僕は中山先生には非常勤で課題をもってもらっていて。舞台を作るワークショップとかで講師で来ていたりとか、よく会っていて。その度に厳しいクリティークをされていた。卒業制作もトラウマ克服じゃないんですけど、わざわざ呼んだんですよ。中山先生見に来てくださいと。僕は今日風邪をひいていて体調が悪いんだとかで、ゴホゴホいいながら来てくれて、またわーっと言われて。 最近、助手になって芸大に戻って、昔の話をたまに、ちょっとする。君のその出鱈目なデザインに尽きるみたいなこと言われて。実務経験を経て多少はましになっているのかなーみたいなことを聞かれて。なっているとは思いますとは答えたんです 考えていることは面白いんだけど、それを形に落とす時に、アウトソースするところで4年間うまくいかなかった。 佐藤:その事態を言葉にな訳すと、どう言えますかね 山川:いいと思うデザインですね。それは今も変わらい。基準としては文学的な物言いですけど、色んな読み方ができる建物というか。こう読んでくださいって提供された物よりは、ある人にとってはこういう風に読めるし、ここの部分しか読み取れないとか。あの人にはこう読めているとか。その可読性が色んなところにあるというか。そういう建物はいいなーという気はずーっとしています。 佐藤:若い学生さんたちがいいなーって思っていた、今から何年前かな 5年前でも、誰か・建築家に憧れるとかあるんじゃないですか 山川:芸大はごたぶんい漏れず青木淳さんが凄い好きっていう当時は一番強かったですね。たぶん青木さんの文学っぽいところ、読みがえが凄くあるっていうか。色んなネタが仕込まれているし、それを読む事、建築を体験することが、もちろん感覚的に気持ちいいとか、落ち着くとかそういう話があるが加えて、知的な興奮があるというか。この窓枠、そういう事か〜みたいな。謎解きみたいなのがあるのは単純に面白いと思っていたですね。フォルムそのものが文学になっている。 佐藤:講評会のあと打ち上げ著名な先生たちとお酒飲んで交流しないんですか 山川:芸大はそういう意味では村っぽいと言えば村っぽいですね。先生と生徒は仲がいいと思います。呑み会もザックバランです。だけど、今は違いますけど僕が在学していた時はバリバリやっている若手とか、今勢いのある若手とか課題に来るっていう雰囲気ではなかったですね。芸大に親しい村人のOBが来るって感じですね。今は新建築に出て来る若手が課題を教えに来る雰囲気はあります。 佐藤:若手の建築家と共に課題を考え議論し尽くすと。言葉を介しての時間になるので。言語表現力がある者の作品が多義的に評価が高いかのように思える。 山川:これは松島さんの所に就職した理由でもあるんですけど、芸大で受けていた教育とかは、普段同級生たちとしている会話からいくと、誰しもがいいと感じる形とか、そういうものはあると思っていた。そう思っていた時に隈研吾の建築を観るとそんなに恰好がよくないのに、なぜこの人はこんなに評価を受けているんだろうかって学生時代からの疑問であって、芸大に居る人の誰と話しても隈さんを格好と言う人に出会ったことがないので。 そういう時に学生時代からツイッターを見てると、隈事務所出身の松島潤平なる建築家っていうのは面白い事を定期的にしゃべっているしブログも色々なことを書いていて面白い。 こんなに興味の無い隈さんの所から、こんなに面白そうな人が居るのはどういうことだろうと、単に興味が湧いたのと、松島さんが隈建築についてスタッフ時代に書いたりしてるのをたまに見たりして、それが気になり。それでタイミング好く募集のかかることがあって、それで採用してもらったんです。 佐藤:松島さんの文章に魅かれてしまった。 山川:そうですね、作品ありきっていうよりはこういう事を書いてたり考えられる松島潤平っいう建築家の一人目のスタッフとしてマンツーマンでやりとりできるっていうのは凄い楽しそうだなと思って。僕は大学院に行かなかったのもあって。 ルーティンで出来ている設計事務所で、そこの流れに乗るかたちでデザインをしていくなら、辛いなーと思って。そういう事務所のトライアルに行ったりしたけど合わない。もうちょっとじっくり対話しをしてくれる建築家を求めていたんで。そういう時に松島潤平にかなり興味が沸いた。 佐藤:松島さんと会ったのは第一回目のラウンド・アバウト・ジャーナル活動で、直後の反省会を福島市の竹屋旅館で実行し(2008年2月・記録へ)色々話合った。独立して最初の建築を観て動画とか作って(動画2013年2月作成) 山川:松島さんが説明している動画ありましたよね 佐藤:松島初建築なんで動画を作って配信した。松島発文章が好きな若者・ファンが多いと聞くね。山川さんもその一人であると。この度は三つ子のパパになってしました。(記録へ)大人気となり現在に至るんだなんだけど、山川さんは文章から松島さんのファンに入ったと 山川:それから、大学へ入って最初に観た建築の展示が藤村ラウンド・アバウトジャーナルが2010年ごろ建築の展をたくさんやっていたと思うです。それのどれか一つだったですね。その時にももじゃもじゃ髪で文字起こししている松島さんとか見かけていて。ラウンド・アバウト・ジャーナルは何回か聞きに行きました。ずーっとインターネットで追っていたんだけど、ちょうどキリンの内覧会が卒業制作を提出した後にあって。行ったらちょうど保育園の大きいプロジェクトが始まるから、スタッフを初めて採ろうと思っているっていうのを、そこでオフレコで聞いて。オフィシャルに募集が掛かる前に。その日の晩か数日以内だと思いますけどメールをして。是非みたいな事で一月ぐらいトライアルをして。保育園の基本設計からずーっと。いきなり担当になって色んな図面を見ながらディテールとか描いたんです。完璧なタイミングでした その07 |
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