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  2017年10月04日 
山川陸さんに聞く 新宿御苑にて
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山川:分校になり中学三年生の最後の1年間生徒会長
佐藤:爆発し続けた義務教育人口だったんだ
山川:僕はその中学校の一期生の最初の生徒会長になってしまって
佐藤:永遠に名前が残りつづけるね、山川初代生徒会長
山川:しかもその学校が神奈川で初めての民間人校長、教員免状をもってない外から来た人が校長になる学校で。その校長が楽天の副社長だった人で。三木谷さんの右腕だった。32歳とかの校長先生。
民間人校長をぼこぼこ登用していた時期があって、僕ぐらいの学年はいわゆるゆとり教育ドンピシャだった世代で。色々な反省もあって、教員側も改造する方向。



佐藤:ゆとり教育世代の反省点って何ですか、読み書き算盤の基本が身についてないってこと
山川アベレージ低い方に合わせる教育。円周率が3.14だと計算しずらいから3.1ということにするみたな。そもそも円周率ってどういう事だっけっていう本質に則して教えるのではなくって、計算がしずらいからって事で違う論理によって曲げられる、そういう教育。
佐藤:民間人の校長を登用すると学校の雰囲気が一気に改善して変わるもんですか、教員が抵抗するとかないのかね
山川:それは、横浜市は人事も気を使ったみたいで、要はやる気のない先生は居ない。色々な学校で少し目立っていた先生たちを集める。だから3年間の中で一番面白かったです。公立の学校ですけれど、学生の自治の空気を作るというか。学校行事とかも、学生主導でプログラムを作らせるとか。
佐藤:学生が自由にプログラムを立てて履修時間が不足するとか、受験競争にめつぽう弱くなるとかないの
山川文化祭の事を10年以上経ったいまだによい経験として語る卒業生が多い。クラス単位で出し物をするのではなくって、全員必ず有志で何かをやりたいプログラムを決めて発表することだったので。公立学校の良さが出た
全然違う階層の学生たちが各々好きなことに関わって作り上げ、2日間だけ学校の中の各教室などの色々なスペースで、バラバラに色々な事が同時に共存している感じが気持ちが良かったです。
佐藤:ルーティン化した学校行事を生徒に少しゆだね文化祭だったと
山川:1年目の中学校だというのもあって出来た。2年前に創立10周年の記念式典があって僕もスピーチをしに行ったんです。当時生徒会を見ていた先生がいまだに学校に居たので、「山川を呼ぼう」ということで。オリンピック選手の1時間のレクチャーの前座だった。10年経つ間に文化祭のプログラムはそこまで自由ではなくなっていた。校長先生も数年で退任された。

佐藤:生徒に自由に委ねる教育って思い返してどうでしたか
山川:文化祭という行事にそれを持ち込んだのはよかったなーと思うんです。文化祭って文化じゃないですか。体育祭だと運動に限定されて、合唱コンクールだと歌うってことに限定されるわけですけど、文化祭だったら、スポーツ大会を勝手に企画しているバスケット部の男たちも居れば、プラモデルをひたすら展示しているおたくたちも居るし。ドミノを作って最終日に倒す女の子も居るし。私立の学校でそれをやるよりもはるかに意味があった
10周年のスピーチは僕はそういう話をしました。高校から先は自分で進路を選ぶんで多様な人がいるけど、ある程度バイアスの掛かった世界なので。公立の中学校というのがごった煮の最後の環境で。

佐藤:今は部活がブラック化してる、先生の過労について語られている。モンスターペアレンツと過労、荒れた義務教育の現場ってのは山川さんの上の世代のような気がしていんですけど
山川:全体的に荒れていたのは僕より上の人たちだと思います。親戚に教員している人もいて、話を聞いていると、数年ごとになんとなく、学校の中で波がある、循環していくというか、落ち着いている時期もあるし雰囲気が悪い時期もあると。

佐藤:金持ちと貧困家庭。やーさんの子供とサラリーマンの子供と町工場の子供と、住所不定な者の子供は学校に入れないんだろうが、いろいろな親の子供が集まる学校の方が教育の効率は悪いだろうけど、人間を育てる場としては良さそうに思うが。
山川:中学校、完全に平和な多様な場だったとは言い難いんですけど。文化祭の周辺については奇跡的に多様がさ維持されていた。小学生だと分からない、だれだれの家が貧乏だとか金持ちだとか。中学生だとみんな気付き始めたりする。違う人を違うままに尊重することがギリギリ成立していたのが文化祭の頃です
佐藤:学級崩壊ってのは生活が多様になり強制的に一つの部屋に入れても、一部の子供が席について同じ勉強をすることが出来ないく教室全体の環境が壊れちゃうって問題だった。中学生だと机に座ってやりたくもない勉強でもやったふり出来きていましたか

山川廊下をママチャリが走っていたりしました。違う中学校のパンチパーマの男の子が教室に居たりしましたが、しっちゃかめっちゃかではありましたね。出来てすぐの中学校なので。
佐藤:暴力をふるうと中学生でも障害罪でしょう
山川:10年ぐらい前だと、刑事ざたまでは、あがらなかったです。
佐藤:甘えて暴れ環境を維持できないのは大人の責任だとも思うけど。子供が悪い事をすると親を謝罪会見の場に引っ張りだして謝罪ワイドショーで消費する日本だからなー。
山川:あれは何なんでしょうかね。日本だけなんですかね
佐藤:分からなけど、自立した個人として扱えない大人の弱さが、子供が暴かれるのが怖いんだろうと思う。事件を起こした子供と親を晒しものにして日常のうっ憤を晴らすのかもしれない。暴れる子がいる解決方法は暴れている子を見守りつづけたり、話し合いの場を継続的に持つしかないと思うけど。担任の先生にその解決まで負わせるのは問題でしょう。放置すれば社会全体の問題として議題を提示できない教育現場の責任だと思うし、教育ジャーナリストの怠慢だと思う。
義務教育の場って強制的に閉じて成り立つ世界なので、教室に他者が入っていって観察できないよね。学校の近所の爺さん婆さんが中学生守となって出入りさせるといいかもね。他者の視線を入れる仕組みが無い。
だから閉じられた教室が強化されやすい、全てが閉じられているから問題が起きても内向きで陰惨な結果になる。世界の多様さを義務教育の現場は嫌っているように見える。暴力で地域をまとめ生きている者もいるだろうし、優しさを振りまいて福祉に邁進している者もいるだろうし、ロケットマンの言動にも影響を受けるんだけどね。

山川:どうやっても分かり合えない人が居るんだなと。中学生の時に一番ショックだったのは小学生の時は仲良くしていた人が中学校に入ってヤンキーと生徒会というラベルに分かれた瞬間に、それまであんなにレゴブロックとかして楽しく遊び合えたのに、その1,2年の間に口も利かなきかない仲になってしまう。社会的なポジションというか阻害する。

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