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  2017年10月04日 
山川陸さんに聞く 新宿御苑にて
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佐藤:松島潤平さんの推薦があり聞き取りすることになりました。新宿御苑で昼ごはん、食べながら始めましょう
山川いただきます

佐藤:この春から東京芸大の研究所助手になられたという事 おめでとうございます
山川ありがとうございます
佐藤:独立系建築家の卵が目の前に現れたという設定ですが、一回目の聞き取りなので生い立ちからお願いします。生まれは何年ですか



山川1990年生まれ27才です。埼玉県の所沢市で生まれました。ニュータウンです。転勤族だったので、所沢で生まれたんですけど、一年経たないぐらいで引っ越して、茅ヶ崎へですね。
佐藤:山川さん海さんへと転居
山川:茅ヶ崎も幼稚園の途中で引っ越しました。高校生になるぐらいまでは父親が転々としてまして、3〜4年に一度は引っ越す感じだったですね。
家でじーっとしている家庭ではなかったので、週末になるとドライブに連れていかれるんです。父親は大きい電力会社のサラリーマンで、ダムとか鉄橋とか、土木インフラを観に行くためにドライブをするのが週末の恒例でした。
佐藤:お父さんの仕事を活かして土木インフラ萌え萌えな人で、家族サービズもついでにこなしていた

山川:お父さんが20代に設計した鉄塔だぞーと言って、個性的だと言われるんだぞー!と自慢されるんだけど、分からない。サラリーマンの父親、専業主婦の母親の家庭だったので建築の原体験みたいなのは無いですね。むしろ土木インフラとかの見学お出かけ方が記憶としては鮮明です。
茅ヶ崎のあと静岡に引っ越して、小学校の3年生で横浜に引っ越して。横浜は親が家を買ったので、そこから先は父親が単身赴任するようになった家庭ですね。今は実家が横浜になりました。横浜はセンター北と言って慶応大学の日吉から地下鉄で10分ぐらい横浜の方に進んだ所です。平成元年ぐらいに開発されたニュータウンで、丘陵地帯の田畑だった所を開発・分譲したような場所です。

佐藤:転々として、友達できにくそうだね
山川:それはありますね。小学校に関しては2年ごとに動いているので、仲良くなった頃には移転してました横浜に3年生で引っ越して来てんですけど、子供が多すぎて5年生の時に分校なったんです。2年で学校がかわって。急激に人が増えたのですね、ニュータウンの中ではかなり後発のニュータウンなんです。2002年とか、2000年代前半ですね
僕が通っていた頃は一学年8クラスとか10クラスあるような大きな小学校でした。最近ようやく人口が増えるのが収まったらしいんです。若年層が多い区でしたね。プレファブがどーんと出来てショッピングモールがあって盛り上がってますけど。傾き始めたら一気に、リゾート再開発の話ではないですけど、商業系の資本は出ていっちゃうので。本当にゴーストタウンみたいになっちゃうんじゃないかなーと心配はありますね。



佐藤:足並みそろえ高齢化し易い、買い物難民・老人が増えるだろうと
山川:集約型の街なので、大きいショッピングモールがあって他は何もない地域なので、かなり偏ってますね。
面白いのは街の近くに第三京浜が通っていて京浜工業地帯につながっているので、大きい工場の下請けをやっている町工場が高速道路の近くに在って。小学校中学校の学区は新興住宅地と工業地帯の両方を含んでいるので、学校に入る子供の属性はかなりバラバラでした。ピカピカのハウスメーカーの新築に住んでいる子供もいれば、トタンで出来た平屋の文化住宅みたいな家に住んでる子供もいる。そこがいわゆるニュータウンの様子とは違うところです。
かなり色々な人種、色んな人がいる中でもまれて来ました。
所沢は一歳になる前に出ているのですが、最近、研究室の仕事で久々に所沢に行くようにはなったんです。人が凄いミックスしている感じは面白い。思い入れがある場所は横浜ですね。転校して新しい学校に入学すると既に友達の輪が出来上がっているので、どうやって入って行くのか・・。
小学校で仲良くなっても、中学校で色々な小学校から子供が集まって来るので、中学校1年生の頃は体調を崩したりしてました

佐藤:無理して環境に合わせてるのでストレスが多かった
山川そうですねナイーブだった。自家中毒をしょっちゅう起こしてました。家に引きこもって外に出ない引きこもりはではなかったです。週末に合わせて自家中毒を起こして、週明けになんとか歯を食いしばって登校する

佐藤:学校が好きではなかったのかな
山川好きだったんだけど、中学校の時に思っていたよりも色々な人が世の中に居るということを体感して、それにショックを受けた。それまではノホホーンとして町ですごしていたので。学区なんで、たまたま放り込まれた場所なので。

公立の学校が荒れるサイクルってあるですけど、少し荒れて来た時期に被っていたんで、なおさらですね。そういう暴力的なコミュニケーション、相手が尊重されないコミュニケーションがあるんだなーと中学生の時に知りました

中学校の時に生徒会の活動をしていたのです。荒れてる学校の中でモテルのは野球部とかサッカー部ヤンキーたちでした。その中で生徒会長をやるっていうのは非常にしんどい。そういう友達もいるんですけど先生たちからしたら生徒会長がヤンキーと付き合うのはよくないと。

佐藤:先生が差別意識をもって生徒に対応しているんだ
山川:先生が来るまではワイシャツを出してみんなと一緒に居るんだけど、先生が来る頃には僕だけワイシャツを仕舞いなおす
佐藤:どうして生徒会活動を始めたんですか
山川:生徒会に入ったのは小学校に遡るんです。6年生の時に学区の中学校と、合同でやる区民フェスティバルに誘われて、小学校の代表で行って。そこで年上の生徒会の人たちと初めて会って。彼らは大人だし、色々面白いことを考えているから、小学生と中学生とでこんなに違うんだなーと思っていて。
その時に生徒会の顧問をしていた先生と仲良くなって。中学校に入学したらその先生に会った。「生徒会どうだ」と言われて、部活にも入っていなかったので、やってみようかなーと思い選挙に出ました。生徒が400人ぐらいいる前で演説して、リベラルっぽいことを言ったと思います

佐藤:何人立候補したんですか
山川:対立候補はいなかったと思うんです。書記とか、会計とか、内申点を稼ぐためのポジションはたまに競合するんですが、副会長と会長は本当にやろうと思っている人しか来ないんで。よっぽど嫌われていなければ当選できる。
佐藤:投票率と得票数はどうだったですか
山川ちゃんと投票しますよ国政選よりちゃんとしている
佐藤:白紙票が過半数越えだったりして
山川:はははは、今となっては分からないですけど、もしかしたら、そういう選ばれ方をしてたかも知れない。
佐藤:中学校の生徒会はどういう事になっている、先生の手先となるのか、学生の権利を拡張するのか、どうなの
山川両方だと思います。義務権利をバランスよく。校則、制服の規定とかについての意見を吸い上げて先生と相談したり。服装、スカートの丈とか、化粧とか。一番短いスカートの時期ですし、横浜の一寸端の方だったので、ルーズソックスがまだ流行っていて。女子は白いゆるゆるしたソックスをはいて通学してました、今はスカートちょっと長めでソックスも短めですから逆になっていますね。生徒は改造するんですね、短く切ったり折り曲げたりして
佐藤:ささやかな自己表現をしてるんだ

山川:ジャージとかも名前が3学年それぞれに色が決められているです。学年の色で名前が刺繍してあるんですけど、先輩からジャージを卒業式の時にもらう文化があって。違う学年の色の刺繍が入ったのを着ていると箔が付くと考える文化があって、上からのお墨付きをもらっているようなこと。狭い世界でそういうことをやってました

生徒会長になったのは中学3年生にあがる前だったんですけど。またしても中学校が分校してしまい・・・

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