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2017年10月04日 山川陸さんに聞く 新宿御苑にて |
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05 山川:デザインのこと分からないんですけど、何かバウハウスなるものが面白そうだなーと思って。どうやら建築が関係しているようだって思って。それで、芸大に美術館に観に行って。で、美大にも建築科があるってそこでようやく知って。 佐藤:お父さんが電力会社の技術者でかつ旅行でインフラ見てた影響じゃない 山川:旅行で気付いたら組み込まれている。何かを作るデザインする仕事に就きたいという気持ちはずーっとあったんですけど。それが建築として明確に定まったのは高校生の時ですし、かつエンジニアリングというよりはデザインの問題として考え始めたのは高校3年でバウハウスのチラシを見た時です。 佐藤:建築の雑誌を熱心に読みふけってとかじゃない、駅の、どでかいポスターを観て導かれたと 山川:で、どうしようかなーと思って中学校3年生の時には1年間だけ居た中学校の美術の先生に相談したら、なんかいいと思うから頑張ってみたいな、無責任は応援をされて。 佐藤:芸大の入試って何か作ったりするんでしょう 山川:それまで一回もデッサンもまともにやったことない。で母親に報告したら、何かわからないけど君らしい気がするからいいんじゃん。そういうところの決断は両親は緩い、放任だったので。それで高校の美術の先生にデッサンを習い始めて、夏期講習から美術予備校に行き始めた。 佐藤:半年のデッサン練習で合格したんだから才能あるんだね 山川:絵はすきだったんですよ。自由帳に描くのは好きだったんです。それも村で、頭がいいとずーっと言われたいのと、絵が上手って言われてたの。その気になっていたんですけど、美術予備校に満を持して行ったら案の定描けない。体育祭が終わった後に負けたら丸刈りにするという文化が高校にあったんで。青々と伸びた坊主でかっちょ悪い状態だったんですけど。予備校に行ったらおしゃれな浪人生がすごいデッサンを描いていて。絶望的な気持ちになって。やっぱり芸大ってちょっと厳しいんじゃないかと。 佐藤;デッサン力は努力じゃ身につかない 山川:予備校の先生が開成高校であるっていうことに気をよくして、浪人したら別だけど現役の時はセンター試験でけっこう下駄をはけるから芸大受験どうって言われた。夏期講習で、初心者だったのでマンツーマンで教えてくれた多摩美の学生だった先生がとても可愛い女性だったんですね。主任はラグビーやっていたようなおじさんだった。 どう?芸大受験しようよって、そそのかされて入ったらその多摩美の女の子は夏期講習だけの先生だった。いざ入学したらおじさんしか居なくって、してやられたと気づいた時には遅くって。 佐藤:可愛い娘に釣られて、でも一発受験で東京芸大合格したんですか 山川:そうですね現役合格で。僕の時の課題はデッサンと、立体物を作る試験と、水彩で建物を描く試験。現役の学生は多少やさしく採点してもらえる。浪人生とか基準が違う。それからセンター試験はとにかく取りこぼさないように。本当に凄い勉強をしたんんで、センター試験の点数がよかったのが。 松島潤平さんには挫折して欲しいって、スタッフ時代ずーっと言われ続けていた。僕としては行きたかった高校は落ちているんです。中学校でも色々あったし。高校でも予備校でも色々なコンプレックスを獲得したし。苦戦しているつもりなんですけど、履歴書だけ見ると綺麗な履歴なんですね。履歴書からは挫折が垣間見えないんで松島さんは冗談めかして「挫折をしてほしい」と。一級建築士も受かってほしいけど、挫折を知ってほしい。 佐藤:予備校の先生の指令どおり芸大に入ると 山川:大学院に行かなかったので4年間で卒業しました 佐藤:芸大時代の評価はどうでしたか 山川:基本的に劣等生でしたね。クラスは15人でした。割とびりでしたね。で、男女が半々で、男の現役合格者が僕だけで、他は浪人生だったのでみんな色々知っているんですよね。1年生の時は分かり易く。浪人すればよかったんだって、これは現役コンプレックスって言うらしいんですけど。美大に現役で入っちゃった人がみんななりがちらしいんです。周りの浪人合格生に圧倒されて。入学当初は、こんなに予備知識も無く実力も無い状態で芸大に入って来ちゃってと 佐藤:他の大学から入りなおして合格したり、浪人生と比べてもしゃーない気がするんだけど 山川:数か月前まで学ラン着てた人と一回社会人をやっている人が同じ学年に居る。そこで子供っぽいと言われても、現に子供だったんだからしょうがねーって感じ。そうやっていじられながら4年間過ごして。 進級に関わるような成績の悪さは無かったです。でも学期末の講評会で各課題ごとに数人選ばれて、選抜者が全員の前で発表するわけです。選抜者にはそんなには選ばれなかった。何回かは選ばれたんですけど、毎回選ばれる人も居る。そういう感じではないですね。 卒業制作は楽しかったですね〜。ここで最初の話に戻るんですけど、送電線をデザインの一つに扱って 佐藤:オヤジのパクリがここで出ると 山川:そうそう、鉄塔そのものではなくって、鉄塔と鉄塔の間に送電線が渡っている、その送電線の下って現行法規としては居住してはいけない。それは健康被害とかの配慮から危険性とか色々あると思うんです。 佐藤:篠原一男さんの作品を思い出しました 山川:あれ、ああいう規制が掛かっている場所なんで。東京都の外周部っていうのは元々畑だったんですけど、鉄塔がぼこぼこ立って送電線通っていたんですけど。戦後、中心部が焼け野原になってみんな外周部にわーって木賃住宅を作ったときに鉄塔の下にも建物が一斉に出来たと。一斉に出来たんで一斉に耐用年数の危機を迎えるんで一斉に空き家とか、取り壊しが始まる。そうすると何が起きるかと言うと、町の中に無関係に引かれた直線、送電線の真下だけど、建物が二度と建たなくなると。 理論的に言えば鉄塔の在る場所から発電所までずーっと送電線は続いている、何百キロにおよぶ空地みたいなものが、これから10年とか掛けて出現しいく。 さっきの巨大さの話なんですけど、建築に出来る事って何かって、自分の人生より長い時間、大きい物事とかと、どうすれば対峙していけるのか。そういうレッスンみたいなところがあると思って。突然出現してしまた鉄塔の下の巨大な長い空間というものをどうすれば日常的な活動のサイクルの中にとり込んでいけるのかと、明確な建物っていのはフォリーに近かったり東屋に近かったりするですけど。そういう物を付与してあげることで、その場所がどう使えるようになるかと。そういう検証も兼ねたようなリサーチも兼ねたようなプロジェクトを発表しました。 佐藤:芸大ぽさはないね 山川:粗っぽいけど僕としては建物はちっちゃいんだけど、建物が波及する範囲が、フォルムが無いということをどう・・フォルムの研究みたいなとこがあります。建物としては凄く小さいんだけど、それによって周辺の空地に面している建物とかをファサードがどう変化するとか。そういうフォルムの問題として、現象として考えたというか。 佐藤:柏崎刈羽原発や福島原発までまっすぐに続いている巨大空地をどう活かし生活を豊かさにしていけるか、壮大な構想だね。長さで決めれば一番出来がよいんだ 山川:講評会でちょっと面白かったのはその時は乾さんが居た時なんですけど、乾さん、ヨコミゾさんぐらい、そこより上の先生と評価が真っ二つに割れて。上の先生たちはいい問と立てたのにこんなにちっちゃくしか君は設計物を造らなかったのかと。 僕としては影響ある範囲っていうのは凄い長いし、作った建物はちっちゃいけど検証しているフォルムの問題とか、凄い大きさに渡っているつもりだったけど。それを扱うに当たって同じスケールの物を連ねたことに凄い疑問をもつ先生がある年齢より上で、若い先生とか助手の人とかは「気分は分かる」と。分かれ目にある時代というか、こういう気分ってたぶん過渡期なんだろうという気がしました。 佐藤:でも芸大一発合格し留年もせず卒業した。芸大の事をもう少し 山川:芸大の間はゼミに所属してないんで、朝から晩まで設計課題のことを考えてる。授業の単位としては定められているミニマムで。その代わり美術学部の他のアーテストとか、音楽をやっている人とかと夏休みとか春休みにプロジェクトをやったり。展示をやったり舞台をやったり、リノベーションしたりとか。店舗の設計の仕事をもらたりとか。大学は休暇が長いので、休暇ごとに何か実際のプロジェクトを入れて、成績はそんなによくないけど、そっちでは色々面白い事が出来ないかなーと4年間試してた。 佐藤:時代が激変する先の建築を考えていたので成績が悪かったということにしましょう 山川:はははは先だったらいいんですけど。先だったのかなー 佐藤:評価が二つに分かれたのは良かったんじゃないですか その06へ |
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