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 岡崎浩司さんの言葉

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  課題   「 あなた と 私 と 菜園 と 」    作品 N0 01 


 むかしむかし 遥か むかし 人間にはまだ文明とか社会とかそんな考えが生まれるより遙かむかし あるところに子供たちだけのがありました。子供たちは毎日毎日遊んで暮らしていました。あるときは鬼ごっこをしたり、あるときは魚釣りをしたり、またあるときはみんなで星を見に行きました。そこには争いとか、不安とか、妬みとか、嫉妬とかそういうものはどこにもなく、子供たちは毎日毎日みんなで笑いながら無邪気に遊んでいました。

 ある日、子供たち旅人がやってきました。旅人子供たちに言いました。「俺は腹が減って死にそうだ。なんか食べ物をくれないか子供たちは旅人が何を言っているのかよくわかりませんでした。子供たちには腹が減ったという感覚がわからなかったのです。でも旅人が木の実を食べたり魚を食べたりするのを見て、はじめて子供たちも腹が減りました。子供たちは畑を耕し、種をまいて収穫することを知りました。また子供たち大人である旅人を見て歳をとるということを知りました。そして子供たちはだんだんと子供ではなくなっていきました。

 醜い争いが起こりました。を統治しようとするものが現れました。には階級が生まれました。いじめも起こりました・・・。こうして子供たちの村がひとつなくなりました。

から出て行く者が現れました。別の子供のに逃げようとし、旅人になる者が現れました。旅人はそこでもう一度子供になりたいと思ったのです。旅人を抜けて、山を越えて、来る日も来る日も歩き回りました。そしてやっと子供たちだけのを発見しました。「これで俺も子供に戻れる旅人は思いました。へ行くと子供たちが集まってきました。みんな不思議そうな顔をしています。旅人子供たちに言いました。

 「俺は腹が減って死にそうだ。なにか食べ物をくれないか。」

こうしてまたひとつ子供たちがなくなりました。

 世界は次第に大人たちが中心になりました。別のを支配しようとし、戦争が起こりました。怒りや、妬みの感情も生まれました。ドロドロした人間社会が生まれました。

しかしそんな中 何かを表現し世界を変えてゆこうとするが現れました。まだほん少し子供のころの記憶を持ったたちです。 彼らは旅人となり、をまわりの意識を少しずつ変えていきました。彼らはゆっくりではあるけれど、きっと世界を変えられると信じています。



        佐藤敏宏の感想  
 ☆☆ 準備 ☆☆
03−08−28
この作品は高山建築学校で 作者の肉声によって語られた物語である。子供たちが楽しく暮らす理想の世界は旅人(大人)の侵入によって 教育されやがて世界は大人達が中心の村へと変わっていく。教育される過程で争いが起きドロドロした人間社会が生まれる。そんな状況の中から子供の心を少しもった大人が何かを表現し世界を変えようと立ち上がる・・・というお話であった。

課題をどのように理解し応えようとしたのか分からないのであるが、出来ることなら・・あるあるその話・・のような本当のお話に聞こえるような物語にしてほしかった。物語の評なんて私の手には負えないのだが無理を承知で考えてみたい

物語の設定には二点ほど無理があると思う。

時代設定について

  文明や社会という概念がうまれ言葉が創られ、人々に共有されだしたのは何時なのか。社会という言葉は明治維新以降に創られたわけだから、社会・社会と言い出して130年ほど。文明という言葉も近代化した社会を指していると思われる。作者の昔々は近世をさしているようだ。子供という言葉の発生も近世だろう。
 大藤修著「近世農民と家・村・国家」p50によると、近世の村・幕藩体制の村落はこのようであった。「近世においては兵農分離によって武士は城下町または陣屋所在地に集住したので、村落は農民たちが農業生産と生活を営む場として純化することになった

子供たちだけの村のモデルは近世 の村落の 農民達が住んでいた村を指しているのだろうかな・・・・子供たちを農民たちに代えて読んでみると・・無理があるなー・・。

じゃ・・どこでもない世界としよう。その方が無理が生じないだろう。例えば飛行石のある所を思い浮かべる・・・・・そのなかの子供たちだけの・・で始まりたいね。

グーット現在に引き寄せて語るなら、大阪の池田小学校事件をモデルにして、子供たちだけの世界に旅人が乱入するところから展開すると・・理解することが出来るのではないだろうか。

●人物設定について


子供は純真無垢で争わないという理解の仕方は誤っている。大方の子供はとても残酷で非人間的であるから・・いい過ぎかもしれない、小児専門の精神科医が調べているかもしれない・・、教育して社会の中で生きて行く術を教える。それが将来子供のためにもなる。教育によって争いとか、不安とか、妬みとか、嫉妬の無益を知り、無益な感情をコントロールする方法を学び実践する。その努力する姿勢は社会に参加する人にとっては不可欠の姿であろう。

鬼ごっこをしたり、あるときは魚釣りをしたり、またあるときはみんなで星を見に行ったりすると腹は満たされないけどなにか感情が沸き上がる。言葉に代え共有しようとするなら「楽しいなー」ということか。そのような感情の発生と存在を知らしめる行為は教育と言い代えることができるんじゃないのかな・・

☆☆ 感想 ☆☆

・・行動することによって 何かを表現世界を変えてゆこう・・きっと世界を変えられると信じてる者が現れました ・・ということを言いたいのだろうが。

これではなにも言っていない何かを表現したいのかを明確に現せないと伝わらないし、世界は変わらない。勿論 信じただけでは何も変わらない。表現の動機と方法を身につけたいものだ・・。

世界を「子供を支配しようとし、戦争が起こりました。怒りや、妬みの感情も生まれました。ドロドロした人間社会が生まれた」だけだと言い切るのは無茶だろろう

私は作者が語るドロドロした人間社会は生き生きしてる社会だなーととらえている。他者の身体にわき起こる感情に接して、理解しようとせず理由もなく不快に思う人間のことを子供というのではないか・・。子供でも大人でもいいが、争いに接してもおののかず受けとめて、その状況を理解して争いを解決・回避し続ける人たちの行為と存在を描くべきではないのか

03−8−29日

・・世界を・・・◎◎たちだけ村にしようとするのは明らかに間違いで、子供達の差異を観察し記録し公開し、その差異の理解に努め、・・生物・有機物なんだから異なる他者との共存を模索すべきなのだ

03-09-02

子供の定義ってないンダよね。ということを書き忘れていた。国連では18歳未満。憲法では20歳未満というこどだけど。
 誰かが大人といえばその人間は大人。誰かが君は子供だと言えば子供だ。他者との関係によるんだね。だからこの物語は子供を私として大人をあなたと書き表した方が理解しやすくなるね。

最初にあなたと私に置き換えて書きかえ感想にしちゃおうかなーと思ったんだけど。大勢の人の意見を聞いたほうがいいからね・・

           石川初さんの言葉
08−09−02
最後の落ちが急なのも惜しいです。できれば続きを書いて欲しいなあ


             岡崎浩司さんの言葉 
08−09−01

作品01の推理(かなり無根拠な)
わたし・あなた・菜園の組合せから、作者は(彼の思い描くところの)建築の抱えている問題が解けるように瞬間的に感じた。で、その建築が抱えている問題は、社会の問題と同じように思えた。「菜園」って意外と魅力あるかも・・・ッといった動機のもと、書いた物語だろう。旅人は「近代(あるいは近代人)」である。無意識に置き換えられたものだ。

近代は、恩恵も享受させたが「100年の愚行」と呼ばれるようなこともしでかした。で、近代を知りつつそうでない世界への希求を持つヒトが変化を求めて動き始めた。近代の広がり方はめっぽう早かったが彼らの成果はすごく遅い。変化する速度の違いが記述されている。「表現」をするヒトとは、自分の所属する世界とは異なる世界を想像し、自らのいる世界を変えるよう行動するヒトであると、作者は無意識のうちに規定している。

(こんなプロットで課題を建築問題として応えようとしたのだ、が)

・上記推理に立脚したときの疑問@「菜園」に感じた魅力(つまり「近代」をチョッと越えられそうな何か)は何なのか?

(「菜園」のイメージ:大きくない、生産あるいは再生産、実り、土/日光/水、手間をかける、主食じゃないもの、個々でやる、場所がいる、参加可能・・・・ヒントがある?)

・上記推理に関係なく@やはりどこかに精度がないと伝わらないのではないか?パスの精度みたいなものが。Aやはりどこか気になるフックが欲しい。(文脈をドガエシすると「子供たちは腹が減ったという感覚がわからなかった」のセンテンスみたいな。)




講評
は提出作品を一巡した後 書きます