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2017年10月03日 石榑督和(いしぐれ・まさかず)さんに聞く にて |
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08 佐藤:青井先生に押しされて外へ出されてしまい、幸せ研究者を育てちゃうための、人間的誤配が生み出す呑み会などへ、その豊かさを思い知らされたわけだ。 石榑:でも、そういう交流も青井先生の弟子であることがとても大きく影響してと思うんですよ。絶対そう。 佐藤:青井先生の弟子だから外れじゃない奴だろうと。ラッキーな認識がつくられてた「呑み語り場」だったと思い返す 石榑:それは絶対あったんだと思うんですよ。それもラッキー。いろいろ教えてもらう機会があって、そこで凄い刺激も受けたし、博士課程に入っているので学会の中でも初田香成さんとか 中島直人さん都市計画の歴史を研究している日本のトップランナーの人が東大の准教授でいるです。中島さんの研究会に呼んでもらったりして、色々教えたもらったりした。それがらドクター時代には大きくって。 とはいえ早く卒業しなければいけないし、とりあえず黄表紙を出して。3年で出すと言ってたんですけど。出せず、3年半で出したんです。悶々としながら最後は、色々相談をして。 博士論文を出したらー、気持ちは晴れやかに〜、全ての何かが消えていき。 ■ 結婚しました 石榑:2014年の9月19日かな、博士号取得したんですよ。3年前です。その次の日から「お前身分が無いのはまずいやろう・・」みたいな話で、他の明治の先生方にも気を使って頂いたんだと思うんです。非常勤一コマもらったんですよ、月3万円ぐらいもらったんだと思います。半年間一コマを続けて、究極に金が無い時期に僕は結婚をしまして。 佐藤:金が無いのに、また根拠の無い自信を発揮しまくって結婚、努力してないなー 石榑:はははは。まじ金無い時期に、結婚式はもちろんできないので、とりあえず一緒に住むっていう感じで 佐藤:奥さんに寄生したんじゃないの 石榑:ラスト二ヶ月ぐらいは、2015年の4月からは明治大学の助教になれたので、2015年の2月3月はお小遣いをもらってましたね。奥さんは普通の会社員です。建築も関係ないです。でも街歩きとか、僕の研究には凄い興味があるので、マーケットの話で東京のリサーチはずーっと一緒に回ったりしました。 佐藤:理解ある珍しい奥さんなんだね。 石榑:マーケット、その場で聞き取り、インタビューするじゃないですか、お婆ちゃんとかおじいちゃんに。俺一人で行くより圧倒的に女性が居た方が盛り上がるわけですよ。僕一人で聞き取りにいくと怪しがられる。 佐藤:若い女性が来た来たよ〜と嬉しがるね 石榑:彼女も興味があるから、僕じゃなくって彼女が質問するからいい調査になるわけです。 佐藤:またまたマーケット街歩きでも努力せずに人に恵まれちゃって〜るぜー、何回人に恵まれているんだか人数を数えるえるの忘れちゃったぜ 石榑:はははは。確かに。呑むのもめちゃ好きな人なんで。リサーチしつつそのまま呑みに行くみたいな。 佐藤:その場のマーケットで呑むと、調査しているのか、二人で気分よく呑むのによさげな環境を捜し歩いているのかわかったもんじゃねーな 石榑:この博士論文をすすめながら今でもたまに調査してますけど、それは彼女のお陰かも知れませんね。 佐藤:研究者にはよき相棒が要る、やっぱり幸せ研究者だ 石榑:ははははは。 佐藤:旦那の研究なんか知ったこっちゃないでしょう一般的な女性は、ありえん。自分がリサーチしてたら、奥さんの方が面白がって聞き取りしだす。断然腕がいいん、そのまま宴会までしちゃって。 石榑:それは感謝!ですね。本当に。3年で博士論文を出す目標が3年半に延びて、当時・彼女だった現奥さんにめちゃくちゃ切れられて!「あんた三年って言ったよね」みたいな感じで怒られて。 佐藤:ラッキーな研究者じゃのーネジをぎりぎり巻いてくれる叩き役もしてくれ、真剣にどやしてくれるパートナーをも持っていたとは、幸せ研究者じゃ〜。 石榑:すげー怒られて。しゅーんとして。半年頑張って書いたんですよ。これはとにかく出来るだけ早めに出した方がいいという気持ちはずーっとあったんです。 博士課程の頃は、外の研究者とは付き合いはありましたけれども、重要な仕事だと思いますけど比較的歴史研究の論文からすると、ちゃらい仕事にでも可能性は絶対あるんです。それをやるべきだと僕は思っているです。ちゃらい仕事をするよりは論文を書いた方がいいと真面目に思ってこともあります。博士論文はすごーい根詰めて書いたんですよ。 青井先生に博士課程へ進むときだったか忘れましたけれども言われてたのは「外に出ろ」っていうことと、「布野先生の受け売りだけど、・・」布野先生は今でも言っているって聞くんです。 「人生で三つ、歴史に残る仕事をすれば、大成功だ」って。そのままの言葉通りかは分からないでけど。僕はそう受け取っているんです。人生で三つ残る仕事をして、「そのうち一つを30才までにやるべきだ」っていうことを布野先生は言っていたと青井先生が言ってたんですね。 僕は一応、単著をぎりぎり30才までに出すというのを目標して博士課程に入ったので、それを達成するっていうのが目標で。幸せ研究者としては編集者にも恵まれましたので達成しました 佐藤:まずはめでたし、残された二つはどうなっているんですか 石榑:それは今後考えます。とりあえす1個は30歳まで達成しろと。それしか僕には記憶には残ってないです。青井先生は三つ言っていたかもしれないんです。あ、人生でそのぐらいの仕事を三つすれば、絶対いいんだけど。そのうちの一つは30までやれってことです。これと同じレベルの事を人生であと二回は最低やれよと。もっとやった方がいいと思いますが。布野先生は死ぬほどやっている。『戦後東京と闇市』気合を入れた渾身の本です 佐藤:動機が他所・他者からやって来ている、幸せ研究者であるよ 石榑:最近この話はしなくなったんですが、その通りかもしれないです。僕は博士課程の途中までかは思い出せませんが「僕は居ないな」との感覚があったんですよ。 根拠の無い自信はあるのに、僕は何か、そこが分からないみたいな事があって、段々アウトプットしていくと、少し状況は変わるわけですけど。 佐藤:「自分が居ない」だけど論文が出来上がる感覚ってのはとてもいいね 石榑:そうですか!。僕小さい頃から「僕は存在しているのかどうか、本当に僕は居るのだろうか」みたいなことをたまに思う時があって。 佐藤:体に触ってみたりしてる見たかな、活動しても「自分を確かめるしかない」って感覚。現在も石榑さんは「自分って居るのか」さえも分からず、いいね。人に恵まれ続けて、幸せ研究者になってしまった。 ずーっとこのまま環境と並走して研究続けるの よさげだよ。こういう主体あると決めて活動しても時代の環境からは抜け出られないし。意識してやる領域と、無意識にやる領域で活動しちゃうの、いいな。 石榑:僕は凄い自分があるタイプではないので、博士論文書いているときは凄く思っていたんです、僕は居ないけど、あらゆる歴史的資料とか情報が僕のもとへ集まって、僕というフィルターを通して構成されるけど、でも僕は確固たる何もない 佐藤:いい感じだぜ〜。石榑という固有名詞はあるんだけど、深層は人間の焼け野原状態で立っているんだと。だから、そこから幸せ研究者が陽炎の様に立ち上がるんだと 石榑:はははは、そうかも知れない。自分があまりない人間だと思っていたけど、根拠の無い自信は凄くあったという、よく分からない感覚。 佐藤:野生の動物は自覚してないんだろうが、根拠の無い自信たっぷりで野山をめぐり動いて餌を食らうんだろ 石榑:ははははは。 佐藤:野生の動物の様に根拠のない自信たっぷりを身にまとい、都市を動き回っているって21世紀的、明大野生人暮らし〜でいいんじゃない。人間焼け野原状態の石榑さんはあらゆる人に巡り合っで、どんどん幸せになり続ける、21世紀の動物である、それでいいじゃん。 ■ 理科大へ 石榑:今聞いてて思ったんですけど、青井先生って布野研出身なので、布野先生って建築計画学出身で、建築計画学の不可能性を思ったから都市研究に、その中で計画なのに青井先生は歴史研究者になっていたわけですよね。僕はそこで育ったのでいわゆる建築史研究者とは青井研、全然違う研究してたんですよ。だから僕は面白かったんです。 僕はこの4月から理科大に移った 伊藤裕久先生は東大の稲垣栄三先生のお弟子さんです。稲垣栄三先生というのは、今現役とかちょっと上の世代で活躍している歴史建築史研究者をほぼ全員育てたような人です。鈴木博之先生とか陣内先生もそうだし、東大の先生は全員そうですよね。 で、村松伸先生もそうだし、大量に弟子がいて。超本流歴史研究者なんです、伊藤裕久先生も本当に調査も好きで、ゴリゴリなんですよ。あきらかに青井研とは違っていて。それが凄く新鮮でめっちゃ面白いんですよ。移ってこの半年ぐらい。 特に中世から近世初期ぐらいまでが専門だったので、伊藤先生幅広くって、東アジアの植民地研究もしているし。時代区分とかエリアを越えたこと全部わかっている、キャリアも青井先生よりもめちゃ上で、今60歳ぐらいですけど。 新しい刺激が今は凄くって、もちろん仕事なんですけど。一生懸命仕事はしてますけど、もう一回大学院に入ったみたいな感覚で面白いですね。 佐藤:まだまだ続く幸せ研究者の街道はさらい拓かれちゃったと 石榑:はははは 佐藤:楽しい出会いがあり、かつ給料までいただける 石榑:本当にラッキーです。5年ぐらい先までの戦略っていうか、一応、立てているわけです。これを出したいとか、論文を出したいとか。来年度も本を出したいという目標があって、短期的な戦略はあるんですけど、それ以上はないですね。 メインストリームかどうかは重要じゃなくって、100年先にも重要な研究をやりたいという気持ちはすごくある。僕は歴史家です 佐藤:100年先など確かめようもない、だけど 石榑:分からないんですけど、歴史研究者なので、そういう気持ちはあります。 佐藤:繰り返される根拠の無い自信 石榑:はい、ははははは。メインストリームじゃないことは明らかなので、だけど面白いですよ。面白い研究をやっている自信はあります。 佐藤:大学生の時も端の方にいて、研究も端のあたりを研究してる、メインとか端とかは考える必要もないのが研究で、そういう態度をもって生活し続けているのが研究者なんじゃない。メーン好きなの 石榑:そんなもの無いかもしれない。無いです。だから最初の頃の話に戻ると、明治大学というのは研究者を輩出する大学としては榑ぐれ、なわけですよ。その中で生き残る、サバイブする場には東大の同世代の研究者はめっちゃいるんです。ようやく今博士号をとり始めた感じなんです。彼らはめちゃ頭いいんですよ。 そういう人たちが、凄く考えて博士論文を丁寧に書き上げる前に、とにかく先に行こうという。同じことをやっても生き残れない 佐藤:その結果教員に採用され現在に至る。幸せ研究者の誕生経過をお聞きいたしました。ここで終わりますね。次回は5年後お会いいたしましょう 石榑:ふふふふ 美味しい日本酒を飲み干し、思い出横丁をあとにしました、最後まで読んでいただきありがとうございます。次回聞き取りは2022年予定です おまちくださいませ(文責:佐藤敏宏) |
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