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2017年10月03日 石榑督和(いしぐれ まさかず)さんに聞く にて |
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04 ■建築マップ片手に見て歩くも??横道へ 石榑:で、成績めちゃ悪かったし、授業たまにしか出ないし。でも建築は面白いと思っていたんですよ。 佐藤:建築が面白いってどういう点ですか 石榑:なんでしょうねー、当時の記憶は 佐藤:面白いって他者には分からないので 石榑:あ、解らないと思ったのかもしれないですね。建物と建築みたいな、建築って何なのか全然わからなくって。 佐藤:じいちゃんがコツコツ作った作業小屋や高校まで暮らしていた家が建築たと思ってたら、大学に入った途端、違うらしいと 石榑:建築って、じいちゃんの建物とは違うらしい・・みたいな。え!!違うんだ、みたいな感じですよね。形を作るものじゃないですか、その形に作られ方みたいなのも評価の仕方が皆、違うことを言っているし、よく分からない。そう思ったんでしょうね。 今思い出しました、一応気合があったので、建築マップを買ったんですよ。建築マップ、1、2を買った。小田急線に住んでいたんで、沿線のマップからつぶしていたんですよ。最初に見たのは成城学園前駅辺り。祖師ヶ谷大蔵とかも。住宅とか観たような気がします。 でもその時に、建築マップの中でも重要な作品として、M2が書かれていたんですよ。建築マップって凄い網羅的にあげているが、マップのなかでも重要な作品としてM2が扱われていた。当時ポストモダンなんて分からないですから。わざわざ頁一枚さいてて、どうやらこれは凄く評価されている建物らしいとマップから読み取ちゃうわけです。環八を歩い見に行きました。 見てもいっさい格好いいと思えないし、理解できなかったんですよ。でもこれが評価されている。一応気合があったので、色々見るわけですよ。でもぜんぜん格好いいと思わない建物が色々議論されてたりして、分からないじゃないですか。理解不能じゃないですか。 理解不能だから、でも何か評価されている、なんでなんだろうと。たぶん分からなさが面白かったのかもですけど。 環境の授業も出なかったし、構造の授業も出なかったし、雑誌を見たり本を読むのが面白かったというか、1年生のときはそれだけしかしてなかった感じです。 2年生ぐらいまでは真面目に設計とかもやっていて、ついに3年生ぐらいで、バイトと、麻雀と。 バイトはピザハットでピザ配って小遣い稼いで。新百合ヶ丘ですけど。ピザハットってバイク原付で配達するじゃないですか、バイクが好きな地域のちょっとヤンキーぽいバイトが一杯いるんですよ。バイク面白いなーと思い始めて教習所に通って免許をとって、バイクを買うんです。バイトしてバイクでふらふらして、麻雀して、朝起きられずに大学に行かずバイトには行ってみたいな生活に。完全にドロップアウトしたわけですね。 ■卒業設計 佐藤:建築学からおさらばだけが人生さーになっていったんだ 石榑:はい。それが決定的でしたね。今の僕をつくる 佐藤:わからねーよ!建築史の博士号とバイクバイトなんて結びつかねーよー 石榑:はははは 佐藤:ドロップアウトして、どうやって建築学に帰還したのか分からないよ 石榑:さすがに卒業しないと拙いと思って。 佐藤:父ちゃんと母ちゃんの顔をチラチラ思い出したと 石榑:留年したんですよ。明治大学は普通に4年生にはなれるんですよ。4年生を二回やったんですけど。 4年生になったときに、卒業設計か、卒業論文どっちかやるんです。それを取るためには、ある単位数が必要なんですね。単位が達してなくって、留年したんです。留年して卒業設計をやったんです。 大学には行かず、単位もとってないけど、何が建築が分からないので本だけ読んでいる、分からない奴になっていて。卒業設計だけはちゃんとやろうと思って、5年目に卒業設計。 意匠系にいたですけど、歴史研にも。神代雄一郎という歴史家がいたんです (絵:webより 以下同じ) 、そのお弟子さんのおじいちゃん先生の所で卒業設計をして。一所懸命にやったんですね テーマは岐阜市の柳ケ瀬商店街という中心市街地があるんですけど、そこもどんどんシャッター街になっていて、シャッター閉まってたんですね。 全国的に見ても岐阜市って、郊外ショッピングモールの林立が激しい市町村で。圧倒的に中心市街地がズタズタになってたエリアだったんですよ。当時はそういうのが問題で、中心市街地活性化と言っている人たちが当然いるし。卒計にもたぶんあったと思うですね。 そういうのも糞だなーと思っていて。糞だけどちょっとニヒルに、でも計画はするみたいな感じの提案をして。岐阜の中心市街地を歩き回って。空き地になっている所と、駐車場になっている所と、空き店舗になっている所と全部、地図上に塗って。その場所だけを再編する事で中心市街地を組み替えるみたいな計画をしたんです。 要は大通り沿いを全部巨大な駐車場にして、内側の商店街の空間のメイン路部だけを立ち上げる。で、路上を歩いている限りは都市空間の高密さは維持されるけども、それは街区の側部分であって、内側はスカスカですっていう計画をして。 ランドスケープ的な祝祭的なネットワークで、公園のネットワークが裏側はなってますみたいな。都市空間は高密度だけど、今まで使われていた街区全部ではなくって、裏側は人には使えないので、公園にしちゃいますと。でかつ、大通り沿いは駐車場にしてしまえば、OKですよみたいな。 で、側部分だけに、商店と住宅を建てて、体験としては都市的、だけどちょっと隙間に入ると完全公園。二面性みたいなのを作る卒業設計をやった。角を押さえていくみたいな、でもボリューム自体はたっぷりある。それを真剣に考えて、やりました 佐藤:評価は 石榑:三位ぐらいでしたね。建築設計まで詰められてなかったので、アーバン・デザイン・レベルまでだったので、三位でしたね。それはかなり真剣に取り組んだんですよ。 全然授業出てないのに、本を読んでた。伊東豊雄の『風の変様体』と『透層する建築』というのを緑と青の本を、二年生ぐらいの時のバイブルだったです。 学部生の頃は伊東豊雄の建物よりも文章が僕滅茶苦茶好きで。我が家で今一番汚い本です。 伊東豊雄って、かっては歴史の事を書いていたりしてるわけですよ。『マニエリスムと近代建築』を翻訳してます。 だから、歴史にのことに興味があって。留年したにも関わらず、就職したくないから、大学院に行っていいですか。 佐藤:就職したくなかった理由は 石榑:なんでしょうね、馬鹿だったんですよ甘えてたんですよ。 佐藤:バイクに乗って、もうちょい遊びたかった、モラトリアムしてたんだ 石榑:だと思いますよ、最低ですよ。 で、大学院に行こうと思って、僕が所属してた松本研究室という意匠歴史研究室は先生が辞めるって決まっていた。新学生は採らないと決まっていた。 じゃー他の大学の研究室受けようかなーと考えてたんですけど。とうぜん勉強してないし、 隣の研究室が僕が二回目の4年生をやるときに、先生が替わったんですよ、田路先生は京都大学に戻られて、新しく研究室が出来たんですね。そこは歴史研だからまず、先生に話を聞きに行こうと思って。アポとって、先生のところは聞きに行ったんですよ。「こういう事に興味あるんですけど、」僕の学部のバイブルは伊東豊雄の2冊と、『錯乱のニューヨー』レムコールハース。読んだ中でもそうとう面白いと思っている本で。 塚本由晴さんの東京のリサーチとかめちゃくっちゃ面白いと思っていたんですよ。 この当たりに興味ありますみたいな、今思えば何言っているんだろうですけど。 そう思って話に行って、話を聞いてたら、青井哲人(あきひと)という先生なんです。布野修司先生のお弟子さんで。 滅茶苦茶、自分に興味あることに近いような研究をしている気がして「僕受けます」って。それで隣の研究室に行くことになって。卒業設計はまじめにやりました、で修士から青井研に移ってからはかなり、真面目にようやく、勉強し始めて。歴史研究をしようと思って入りましたね。 佐藤:今までの話だと文章書いたことなかったんじゃないですか 石榑:ないですよ、あるわけないじゃないですか、大学にも行かないし、しレポートも真面目に書いたことないし。研究者の中で、青井先生に出会ったからです。確実に。 佐藤:青井先生に徹底的に鍛えなおされた 石榑:すごい鍛えてもらいましたね。間違いないです。布野先生が居て、布野先生は布野先生じゃないですか、学生を鍛えるっていうか、呑んで殴り合ってみたいな。 佐藤:殴り合ってはいないだろうけど 石榑:殴り合っていたて僕は青井先生に聞いたんです、呑み屋で青井先生の一個上の人と殴り合っていたって。最終的には肩抱き合っていたって。 僕が入ったのは青井先生が明治大学に来て二年目なんですね。 僕は本当に運が良かったと思います。僕が興味あった事と青井先生がやっていたことがだいぶ近かった。 佐藤:努力しないでバイクでピザを配って学校サボってて丁度よいタイミングが訪れ恩師と巡り合い!出会いを待っていたんだと。勉強サボっていた良さこそが運の良さって語りだよね、人生やってみなきゃ〜分からんもんだ 石榑:はははは。それはめっちゃ運が良かったということだと思いますよね。僕は本当に糞みたいな大学生だったんので 大学の明治大学の建築学科、我々の学年って150人ぐらいいるわけですよ。当然メインと榑(ぐれ)があるわけです 当然ですが 僕は榑ですよ!当たり前じゃないですか 佐藤:正調榑学生とは俺の事よー・・・。 石榑:まちがいなく榑です。だけど、メインストリームで、いけいけで設計してる奴らは嫌いじゃなかたですけど。なんか俺の方が大学に行ってねーのにも関わらず、勉強もしてないにもかかわらず俺の方が建築の事が解っているしみたいなことを思っているわけです 佐藤;いつの間にか〜根拠のない巨大な自信が体中の毛穴から噴出しまくった 石榑:根拠のない自信があったんです、これは異常に、まじで馬鹿みたな話ですけど、あったんですよ。 佐藤:本当に建築世界知らずの馬鹿だった 3年ほどで自信満々に 石榑:本当に馬鹿で自信があって、メインストリームにいる友達、一人二人は仲良し、真剣に建築の事を議論する友達がいて。そういう奴らとだけ議論はしてたんですけど。本当にメーインにいる人たちとは議論してもしょうがないと、最低な学生ですよね我ながら 根拠のない自信はあって、で、歴史のこともやりたいし、僕は糞みたいな学生でしたけど、修士に行ったら凄い楽しそうな感じになったんですよ。で、青井研に入ることになって、卒業設計も僕は青井研じゃなかったんですけど、青井先生が評価してくれたから、ピックアップされたんだと思います。それは間違いないです。何か運がよかったんですね 佐藤;寂れた地元のシャッター街と卒業設計と、伊東豊雄の言葉群と、バイトと暮らしの榑グレの時間が醸成した人。その妙で生まれた研究者、ここまで聞いてても分厚い『戦後東京と闇市』を書き上げた研究者になったって思えないよ 石榑:はははははははははは 佐藤:その人が目の前の研究者だなんて信じられないね ここに本が置かれ、書き上げた本人が目に前に居てもだよ、誰なのあなたは? 石榑:俺も解らないですねー 佐藤:だから、聞き取りしたり、質問して聞き続けないと 2分ほど笑い続けている石榑 石榑:本を持ってきました 佐藤:本を売ってくれますか 石榑:まじですか あげます 佐藤:まずいよ、今日の呑み代と物々交換でおさめましょう サイン書いてください。一中断しますから 物々交換です 石榑:本当ですか やったー その05 |
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