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  2017年10月03日 
石榑督和(いしぐれ まさかず)さんに聞く にて
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自称・糞学生を博士まで育てた 青井哲人マジックとは

佐藤:ここまで話を聞き続けても『戦後東京と闇市』という博士論文を書き上げた人が目の前の石榑さんだとは思えません。糞だった学生がわずか6年ほどで博士論文を書き上げ博士号を手に入れることがができるのでしょうか
石榑:ねーできちゃったんですね
佐藤:もしかすると遅咲きのある種の天才かもしれないね
石榑いやいや

佐藤:石榑さんの先生のお導きがとてもよかったのか、目覚めさせてくれた先生
石榑青井先生のおかげですかねー!
佐藤:青井マジックですね
石榑青井マジックです

佐藤:榑学ばかり続けていた石榑さんは青井先生に拾ってもらったと。それまで論文書いたことないでしょう
石榑ないです文章すら書いたことないですね
佐藤:日本中にいるかもしれない文章を一度も書いたことがない建築系学生さんだって建築系博士になれる可能性を石榑さん示した稀なる学生
石榑当然なれます、でも唯一言っておきたいのは、糞みたいな大学生だったのに、根拠の無い自信はあった



佐藤:さらに付け加えれば伊東豊雄の言葉群に浸りづづけていた
石榑:『風の変様体』と『透層する建築』あとバイブルは『錯乱のニューヨーク』とそれから塚本由晴さんと西沢大良さんの『現代住宅研究』という本があるんです
佐藤:4冊さえ毎日毎日読んでいれば石榑さんは研究者になれると
石榑なれますははははは

佐藤:真に受け、石榑マジックにかかっちゃう学生さんが現れると困るけど。よき著作物に出会い、よき先生に巡り合うと、それで博士の扉を開く鍵かな
石榑:あとは私の『戦後東京と闇市』を読んでもらう!と、それだけです

 二人はで酒を呑み交わし続けている

佐藤:それで、青井研に入るじゃない。入ったのはいいけど研究テーマ無いしさ〜モデルになる先輩もいないし
石榑:先輩は前の研究室から残っていた人たちが居ました
佐藤:意匠設計の面々でしょう
石榑田路研なんで歴史のこともやっている人たちです
僕が青井研に移る瞬間だから、二度目の4年生の終わりの春休み。M1の春休みですね。2009年です。

その時に、鎌倉の近代美術館で坂倉準三展をやることになっていたんですよ。青井研はそのプロジェクトに入っていて。坂倉の中でも都市的なプロジェクトを扱う事を担当していたんですね。

それで、その春卒業の修士の先輩が修士論文で坂倉準三の渋谷計画のことをやっていて。議論としては渋谷っていうのは坂倉が設計した駅なので、当然それに比較するとか、あるいは同レベルの問題として、新宿の西口があって、それから難波の高島屋のターミナルビルと、大阪スタジアムのあの辺の一体の計画。非常に大きなターミナル計画としてあったわけですよ。

で僕は青井研に入るその春休みに渋谷の1/400の模型をめっちゃ作ったんですよ。超デカイ模型を作った。当時出たてのレーザーカッターとかを使いながら。模型作るだけじゃなくって。雑誌記事とか色々読んでいて、とは言え、東急文化会館とか無くなったいるわけです。昔の写真を観たりするわけですけど。岐阜市の隣の出身の坂倉準三の岐阜市・市民会館にも僕は行っていたので何か親近感があったんですよ
佐藤:坂倉準三萌えだな

石榑もえちゃうわけです。
佐藤:岐阜系先輩に萌え萌えだった
石榑:岐阜ってその世代の建築家が一杯居て。坂倉準三堀口捨己、山田守もたしか。色々読んで、坂倉は面白いなーと思ったけど。当然修士論文で書かれているので。先生にも色々相談してたりして。
修士に進学するときには神代雄一郎っていう建築批評家が、70年代にあった巨大建築論争があって、急激に大空間が出来始めたときに、それが人間的ではないという批判をしていた。デザインサーべーをやっていた人なので論じた。

それを考えていて最初の計画は出したんですけど。それよりも何か実体的な都市が面白いなーと思ってたぶん坂倉展をやって思って。

たぶん先生のとこで相談して。渋谷とかはまだやってないしいいんじゃない、適切なアドバイスをもらいつつ。僕にとっての東京は渋谷・新宿だったんですよ。

なんでかと言うと生田に住んでいるんで、小田急線で出るのは新宿。当然ですよね。5年も学部にいたのに新宿に行くと迷うわけですよ。どこに行っていいか分からないから。確実によく分からなかったんですけど。
新宿が一番身近な東京の大都市で、かつまた僕のバイブルが出来るんですけど、伊東豊雄は中野本町にホワイトUとシルバーハットとかを建てるわけじゃないですか。伊東豊雄は繰り返し中野から観る70年代以降の新宿がガンガン高層ビルが建ち始める時期に、、当時の都市論も東京論もかなり書いているんですよ、それに対する中野本町のホワイトUみたいなのがあったわけです。

超高層ビルが林立する足元で思い出横丁、今日呑んでいるここみたいなバラックが建ち並んでいて、相反する建築が同一で存在しているものが東京である。これが東京の現代性である、みたいな事を書いていて。(高音で)格好いいと思ったんですよ俺

 10月3日新宿西口 総選挙演説の足下には路上生活者が数名寝ていた


佐藤:混在する妙味と面白さね、じいちゃん発ブリコラージュの影響か?
石榑:めっちゃ近未来的なビル建ち上がっているのに、煙モクモクのバラック呑み屋小便臭い路上でおやじが寝ているのが東京であって。同時代的にはブレードランナーみたいな映画も、そういう状況を描いているというのがあって、繰り返し言っていて。中野本町の建築は超高層みたいなものから閉じるみたいな事かもしれないですけれどもシルバーハットはそれを同時に存在させた作品なわけですよ。近未来的でありバラック的であるっていうのが、シルバーハットで。
そういう都市論に酔っているので。新宿と言えばそれだ!みたいな感覚が凄いあったわけですね。
佐藤:なるほど、そこで伊東豊雄に会いに行かない
石榑:都市論としては当然伊東豊雄も書いているし、もっと前だと磯崎新も書いているし。様相としての都市空間みたいなことはずーっと書いているし。でもそれが実体的な都市空間の歴史としては書かれてないんです

佐藤:文章は理解して読んでいたんだ
石榑:さっきから言ってますけど、根拠の無い自信はそこにはあったんですよ
佐藤:根拠の無い自信があって分かった気分で出まくりってもだよ、文書を書き上げる力があるかどかは別じゃない、建築家の文章って読みにくい文章が多いし
石榑伊東豊雄は本当に文章が美しいんです。繰り返し読んでいたんですね。伊東豊雄の作品ではなくって伊東豊雄の文章に憧れていたんです。色んな批評を書いていたので。

佐藤:シルバーハットを観に行ったんですか
石榑行かないですよ。もう無かったと思いますし。覚えてないですけど。シルバーハットを普通に見ても学部生が格好いいと思わないと思うんですよ。あ、そういう事かと腑に落ちたと思ったんですよ。でも実態としての、都市空間がいかに出来たかは、伊東の都市論からは読み取れない、が伊東豊雄の都市論は僕にとっては格好いいわけですよ。
佐藤:本当に建築に憧れなかったの
石榑:僕は論の方に憧れたんですよ。もちろん建築家には憧れていたいとは思いますけど。確実に論に憧れたんだと思います。伊東豊雄の文章が本当に美しいと思っていたので。新宿をテーマにして博士論文をやろうと思って、伊東豊雄の都市論をめちゃゼミでは発表していたですよ。
これの足下に在るものは何かっていうことを僕はやりたいです、みたいな。

佐藤:なるほど。
石榑:それは本当にやられていない事だったので。
佐藤:この論文は伊東豊雄さんの都市論に導かれて書き上げられたんだね
石榑そうです
佐藤:なるほど!
石榑:お礼に行かなきゃいけないですね

佐藤:伊東さんに、この本をいきなり渡しても何を言われているのか分からないぞ
石榑:今更ですけど送ったほうがいいかなーと思いましたね
佐藤:今日の聞き取り大成功。経過を書いて伊東さんに送った方がいい
石榑そうすねー確かに。でもそれが本当です。これはタイトルに闇市と付けてはいますが、僕が見たかったのは巨大なターミナルの駅前がどう出来ていったかということであって、闇市ではないんです

佐藤:あとで闇市がついちゃったんだ、インパクト強すぎて石榑さん誤解されそうだぜー。なるほど巨大なターミナルがどう出来ていったかを論じたかったのだと。
石榑:新宿という駅前、思い出横丁も在るし、よっと行けば浄水場の跡地に超高層ビルは建っているし。坂倉準三の訳の分からない穴の開いた駅前広場も在るし。反対側に行けば新宿御苑もあるわけじゃないですか。よく分からない要素が集まっているっていうのがターミナルなんですよね。
なぜそういうものが出来たのかっていう事、それ自体を解き明かしたいというのが、この本の動機もそれです。
だけどそれを調べると当然空襲で燃えているので、空襲から立ち上がって覆いつくした空間は闇市なわけですよ。やっぱり、それが、残っているからこの思い出横丁が在り、伊東豊雄の都市論がうまれ、歌舞伎町みたななものも出来ていくことになったと思うんですよね。

だから、結局スタート地点みたいな事を考えるならば、闇市に成らざるを得ないっていうのがあって。必然的に主題が闇市になっていくわけですけど。本のタイトルを闇市としていますが、基本的にはターミナルの駅前がどのように出来たかということが一番観たかったことです。
一応、この本でも主張しています。だけど闇市を付けた方が売れるから。僕はこれの方がいいと思った、戦後東京と闇市というタイトルにしたんです。

佐藤:石榑さんは伊東豊雄研究家だった
石榑:俺まじで憧れていたので。本当にバイブルだったということが伝わったかと思います。

佐藤:バイブルを書いた人に憧れてる者多くあれど、論文を書きあげちゃう人は稀よ
石榑ははははは。でもそれは青井先生のお陰だと僕は思うんですけど。今日はだから資料を持ってきました。こういう本があるんですよ『彰化(しょうか)1906年』

佐藤:表紙とタイトル観ても中身わからいよ、青井先生の本なのね、表題を日本語として読んで何を意味するか分からないよ 彰化さえ分からないよ
石榑:そうですよね 彰化(しょうか)っていうのは都市の名前です。1906年に市区改正というのは何かというと、まじめに研究者っぽく説明していいですか


佐藤:どうぞ
石榑:今日本で都市計画っていうと一番歴史上ポピュラーなのって区画整理じゃないですか。区画整理というのは面的に広がったる場所を全部みなさんに土地をちょっとずつ提供してもらって公共空間を広げる、かつ宅地などを綺麗な形にして道路が広くなって駅前広場が出来るので土地の価値が上がるから、みなさんの土地は小さくなりますけど、利益が得られます、だから区画整理しましょうという方法なんですよ。市区改正とは何か

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