2017年10月03日 松島潤平さんに聞く 港区内の事務所にて |
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06 ■ 名前について 佐藤:再開しま〜す。三つ子ちゃんの名前を教えてください 松島:長男が仙人の「仙 」で「せん」すね。次男が音読み訓読みの「訓平」で「くんぺい」。長女が十有る子で「十有子」で「とうこ」です。 佐藤:仙ちゃんからまず紹介してください 松島:仙は意味、抽象概念を与えたいと思っていたんですよ。具象な名前を与える人もいますけど。 仙は普通に松島家の代々嫡男は仙ついているんです。仙太郎が僕の兄。元々松島仙吉というのを襲名していたんですよ。僕のひいじいちゃんとか千秋っていう本名なんですけど、松島仙吉と名乗って。代々仙の字は継いでいて。 画数占いでみると松島と仙で相性がばっちりなんですよ、びっくりな事に!だから素直につけました。意味としては仙人の仙だけあって要は非凡な才能、俗世に囚われない非凡な才をもつ人。人と山の組みあわせなので人里を離れたところで、高見にいる人ということですけど。そうなって欲しいと思って付けたわけでもないんです。普通に運よく育ってくれっていう思いです はははは 佐藤:おじいちゃんは仙人だった! 商売人だったの 松島:じいちゃんまでは代々婿なんですよ 佐藤:家付き娘に男が嫁ぐ。婿さんが続いてたんだ 松島:元の氏は違う人が。家のオヤジがようやく生まれた男子だったんですよ。なにか特別な存在だったみたいですけど。オヤジは仙がついてないんですよ。はははは なんで?って思いますよね。だから例外ありなんですけど。正幸っていうんです 佐藤:これから襲名して名乗ればいい 松島:それぐらい正しい幸いだったんですよ。久方ぶりに生まれた嫡男 佐藤:久しぶりに男の子が生まれて嬉しくて忘れた、いいねー 松島:みんな興奮して忘れちゃった ははははは 佐藤:その状況いいね 松島:ちょっと自虐的なセンスをオヤジは分かるんで。最後の松島仙吉はひいじいちゃんですけど、本当に訳の分からない人で、地元のフィクサーみたいな。銀行の顧問だったり、お寺の、嫁さんがそこの出だったりとか。 佐藤:で今、お寺の〜,傍に住んでいるわけじゃないんでしょう 松島:そうじゃないです。たまたまですけど。仙吉さんは面白い人で、なんでもかんでも発明したりとか。遊び人だったんですよね。 佐藤:いい暮らし方してたんだね 松島:そういう感じで、好きに生きていくっていう。ただ運だけはついてくるような感じ「仙 」です。生まれた子供、本人も超然とした感じの子ですね。一人遊びで延々と、将棋指しそうな感じですよ。 佐藤:中学生プロ棋士の藤井四段が大人気で話題ですけど 松島:なんか似ているんですよ。 佐藤:藤井四段の将棋に集中して生きる様は凄そうですよね。近頃はAIとつながっちゃってさらに強くなっていると話題ですよね。 松島:そういう頭脳的に生きてほしい ははははは 次男の訓平はけっこ悩んだんですよ。生まれる前に喧々諤々話してて。三つ子なんで序列がつくのは、太郎とか、次郎とか、別に関係なくって。フラットにしたっていうことです。だから平っていうのをありますけど。 母親と話していて、どんな字が好きかみたいな話になって。漢和辞典とかオヤジが、なんだかんだ言って盛り上がるんです。なんでもいいとか言っている割に、これはどうだいって聞くと、「うーん」と言ってなにか ははは 母親は訓の字が好きだって突然言い出したんですよ。母親の母も好きな字だったらしいんですけど。教え諭すっていう、強い言葉の意味ですよね。 佐藤:大名家の家訓とか紹介される 教えてき縛りがあると 松島:そうそう、確かにね言葉は大事。僕も言葉のある世界に生きていてつくづく思うんですけど 佐藤:大事だけど、その瞬間から混沌としたものを捨て文字で世界が抽象概念とにまとめ語られるから、事実の多くが抜け落ちるので怖い道具だよね 松島:そう!要はレトリックですから人を殺すし、人を生かすし。生殺与奪を司るというか、人を動かすし自分も動かすし、最も強力なエネルギーが言葉だと思うですよね。でもよくも悪くも強い言葉を操れる人になって欲しいって感じです。 佐藤:白川静さんを思い出しますね。潤平さんらしいね。 松島:レトリック好きですからね。不思議なことに訓平は人たらしっていうか、コミュニケーションを求める。仙君は一人遊びしているんですけど、訓平はとにかくママ・パパにすがり寄って来るし、お客さんに対してもいい笑顔するし。 例えばミニカーと人がいたら訓平は人の方に行って、仙はミニカーの方に行くという感じ。面白いですね〜。 十有子は自分が何回子供の名前を呼ぶかって試算したことがあった。数十万回のオーダーだっんですね。数百万回は死ぬまでには呼べないんだけど。数万は簡単に超えてて、10万から99万回の間分、子供を呼ぶことが分かったんです。 生まれたばっかりの時は一日100回ぐらい呼びだんだん呼ばなくなり、一日10回ぐらいのオーダーで計算したんですよ。一日千回は呼ばないから、10〜100回の間で数十年って計算すると数十万回の単位なんですよね。 要は発音それだけする訳なんですよ。で、発音したくなる音声ってのが大事だったんですね。だから、たちつてと。しっかり輪郭の有る。仙って輪郭無いんですけど、訓平とか、破裂音がね。そういうので十有子という名前をとったのと。よく子供っぽい名前を付ける人いるじゃないですか。それは凄く嫌で。 佐藤:キラキラネームですね 松島:いわゆるそれですね。おばあちゃんになるわけですよ。その子の数十年後を想像してない感じが凄く怖いんです。ちゃんとこの子がお婆ちゃんになって欲しいっていう事を考えると、そういう時まで呼べる名前がいいかなーと。小さい時は「とうこちゃん」で可愛らしい呼び方もできれば、「とうこ」僕には知的に聞こえる響きなので、とりあえず発音ありきできめて。 「せん」「くんぺい」と来たので。段々増えていくといいので三文字にしようと言ったときに、これでまた親と色々話して。十有る子どうって言ったら、それはちょっとイヤラシすぎないか、みたいな話になり はははは。色々考えて落ち着いて「十有子」になりましたね 佐藤:それちょっと欲張りすぎ〜でワイワイ 松島:十有るっていうのは自分に対してなんですけど。世の中に森羅万象、十有ることを知るというかですね。自分の内側にも十有るし、外側にも十有るし、そういう事を感じとってくれるといいなーみたいな感じですか。 佐藤:子供の名前をじいちゃん婆ちゃんとワイワイしながら決めていくって楽しそうだね 松島:そう、あれはねー本当にいい時間でしたね。家のオヤジとかも興味ねーとか言いな漢和辞典とか引いて、ニヤニヤしつつ。 佐藤:おじいちゃん自分で決めたかったりしてー 松島:そうそう。だからあれはいいイベントだったと個人的に思っているんです。それだけでも十分。本人の生き方に対するレトリックはそこで発生しちゃうじゃないです。僕も潤という「うるおい」ってなんかいい名前だねって子供の頃言われたりすると。兄貴とか仙太郎であることを誇りに思っている。そういう意味で。ちょっと彼らの生き方に微妙な文字の外圧が掛かるって面白いなーと思ってます。 佐藤:親の望みみたいなものを表すかのような名前を付けがちだけど。両親の遺伝子に無いものを望むと逆目に出ることも多そうだよね 松島:キラキラネームなんて最たるものですね。名前負けとか言いますよね。 佐藤:親の強い無いものを子供に授かりますようにって願いがちだが・・ 松島:でも願望でしょうね はははは 佐藤:ストレートには分からないね 松島:佐藤さんが決めるときは悩まれたんですか 佐藤:単純で平凡であり、誰でも読める、男女間違わないかな 松島:自分の漢字は付けないんですか 佐藤:全く考えなかった。それぞれ、人らしく生きて欲しいという感じでしたね なにしろ平凡に暮らしてほしいってことで 松島:いいですね はははは 佐藤:自分に似て欲しくないの思いもあったかな〜。子供を観察していると似ている部分が多いね。考え方、行動、選択の仕方など似てて、「違う選択してくれよ」と言いたいが、言わないけど。遺伝子って、おぞましい気分に襲われることもある。言わないよ「お前、俺と似すぎだ、その選択だと失敗するからこっちの選択せよ」とは絶対言わないけどね。「それ、いいね」だけは出来るだけは声にだして支援するけど。親の遺伝子継承の仕組みは恐ろしいもんだ。 氏か(遺伝子)?育ちか(環境か)?って議論もあるけど、環境変えたり整えたりしても変えられない性質はあるよ 松島:確かに、改めて親を観察するわけですよ。自分が親になって、自分の親を観察するんですよね。そうすると、アイロニカルになったのはオヤジの影響かと思っていたら、意外に母親の方が。子供のあやしかたとか観ても全部に皮肉が入っているんですよね。こうやって育てられたんだなーと。 母親は幼稚園教諭ってことからべき論を、お昼の時間は吹っ掛けるわけですよ。もっと本を読めとか新聞を読めとか。どうでもいいことをなんか言ってくるんですけど、夜、呑んで酔っぱらうとめっちゃネガティブで。どんだけ勉強したって駄目な者はダメ!みたいな話ふふふ。なにこの人と思う。その矛盾をずーっと見続けていたから、逆に確かなものなどない。 よく戦前・戦後で日本のお上の態度が変わって無常観を感じる人って多かったと思うんですけど。それのプチ家族版みたいな感じですね。手塚治虫とか水木しげるとか漫画家さんが、世の中に確かなものなんか何も無いんだって凄く覚めた世代が凄く自由な表現をしたりするんですけど。 佐藤:子供に対してこうなって欲しいとかあまりなかったけど、母親はもっていたように感じてました。3歳で漢字も読めたんで小学校入学前の毎朝、新聞読んでた変な子が長男。「本を読むから幼稚園に行かない」って言い出した。母親は常識外れの抵抗に強いショックを受けたんで、俺が、園長に退学談判に行ったのよ。園長先生は「幼稚園やめたら狼少年になる!!」って。脅されたけど、文字も読めるし妹とも遊んでいるし、「ばかな園長だ!」 俺は幼稚園やめさせました。母親は当時は諦めきれなかったかもしれないです。俺は子供は家で遊んでなさい派だったので、幼稚園に行きだして2か月ほどでやめさせたよ。その後も子供たちが抵抗して母親の言いなりにほぼならなかった。 だから母親が自立できたのかもしれないよ。夫も子供たちも、好き勝手に行動するから。それが因でかなー・・更年期に差し掛かり精神疾患になった・・ように思う。患ってから四半世紀経ち、今はほぼ正常な母親の暮らし方になったけど。その間は苦闘してたね。母親にとっては子育てって命がけだったんだろうね。情が深いっていうのかな。 my子供たちは自由を獲得して自分の好きな事をして生き続ける。が、自由に生きるって事は既成社会の抵抗に遭い大変な困難が襲い掛かるということと同じ意味だ。my子供がそれぞれ苦労して立ち位置を探し続けてるように見える。自由に選択させるってのも罪作りなもんだっても思うね。 松島さんの奥さんの場合は半年後には会社に戻り働くとのことなので、家族・子育てではない領域がもう一つ持っているので、子育てに集中せずに暮らすことになるだろうから、my妻のようにはならないと思います。仕事を持っているので子供とも夫ともいい距離間が保て、奥さまの世界も手に入れられそうだからね。 子供によって母親が承認される暮らしだけだと逃げがなくなるので専業主婦は危険すぎたなーって反省しても遅いんだけどね。 家族にはない価値観、仕事を持ち、女性も一人の人間として生をまっとうできる方が、夫は寂しいかもしれないけど、奥様はたいへん忙しいだろうけど お互いに自立し支え合うことになるので、よさそうだよ 松島:面白い話があって大江健三郎と伊集院光のラジオで過去を振り返ったときに、右を向いてた自分の左を想像できるか・・の話ですけど。そのその話の延長で、子供の頃、風邪で凄い熱を出して本人的には死にかけた時があったらしい。お母さんに「僕が死んだらどうなるの」って聞いたら「また新しい子を産んで、あなたと全く同じ情報を与えて生まれ、かわらせてあげる」って言ったらしいんですよ。 それを聞いた大江健三郎は動揺するんですよ。え、今ここに居る自分ってなんなんだって。悩んだらしいんですよ。 要は母親の心理ってそこで出てて、どの子も自分の延長線上なので、人格が。仮に途絶えたとしても、自分の延長を復活できるっていう感覚が、もしかしてあるのかしらと思って。驚いたんですよ。 佐藤:わからないなー。my長女は3歳ぐらいから母親が提案する女の子らしい姿形を強いることに激烈に抵抗してた。洋服も髪の毛も可愛い女の子仕立てにされると、むしりとって捨ててよ。母親とmy長女のいい関係づくりに苦労していたように見えた。そこら当たりから母親らしさから脱出できて子供の意志も尊重して暮らせるようになったなーと思いました。 松島:分身感覚が強いんじゃないですかね。この世の現れ方の違いだと思う。僕らは傍観者でしかないんですよ。出産ということに対して。 佐藤:俺も子供生んだことないので、その感覚は分からない 松島:そこは決定的な感覚の差があるのかもしれない。妻はその辺、さばさばしてますけどね。ある意味助かっているというか。 佐藤:女性も子供を産んで働くってことができるよう社会環境も整ってきているので、普通に脱母親ができるようになってきたのかな。女性にも働いてもらって日本経済立て直し計画だとしても、女性が働き子供を産んでも仕事を続けられる環境を整える方が、専業主婦バンサイよりいいよねって感じます。最近は若い人は専業主婦願望が多くなっているらしいんだけど その7へ |
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