2017年10月03日 松島潤平さんに聞く 港区内の事務所にて |
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02 ■ 低体重 松島:出産してすぐの子供が幼い頃はサポートはしっかりしているなと思ったんですね。平均寿命の長さみて改めて驚くなーと思うんです。 三つ子生まれて、直ぐ肺呼吸をその場でいきなりやらないといけない時に、子供たちはうまく出来なくって。三人中二人の男の子は呼吸器のサポートを付けて。よくあることらしいんですけど。それでだんだん肺呼吸に慣れていったんですけど。その設備が無い瞬間に終わりじゃないですか。生まれてわずか数分の話ですよね。 その辺というのが、昔ってとんでもなかったと思うんですよね。生まれた瞬間の延命率ってそうとう低かったんじゃないかなーと思って。 そこの最低限の底上げというか、サポートというのはかなり気を使ってやっているんだろうと思うんですけどね。自力呼吸できて、以降はあんたら頑張れよという考え方なんでしょうけど。 佐藤:産婦人科と小児科の間に置かれちゃう子供ね、医療における境界ってわかりませんけど。生まれた瞬間の治療は両方立ち会って成り立っていて、三つ子でもちゃんと今は生きられるんだね。生まれて来た時はとても小さかったんですか 松島:もちろん小さいですよ。低体重で生まれるわけです。母体が三人もたいないから、2s未満で生まれるわけです。 佐藤:普通に3s超えで産まれるんだったら10kgになる 松島:6kgが限界って言われているんです。きわめて順調にすくすく育って、6kgになっちゃうからこの時点で出しましょうかって言って。プロセスとしては凄い順調! 佐藤:すごいねー、子宮内の一人一人の重さも分かるんだ! 松島:わかるんですよ。若干研究対象でしたから ははははは ■五つ子ちゃんと縁あり 佐藤:そういえば、五っ子が生まれたって昔起きていたじゃない。NHKの職員さんの奥様が排卵誘発剤かな服用して生まれたって話。 松島:それって僕の名前に影響しているらしいんですよ。改めて知ったんですけど。僕と兄貴が生まれるちょっと前に、五っ子ちゃんがあって。 お父さん東大出のインテリ家族だったんですね。家の親がそれに憧れたらしいんですね。あの五っ子の命名が清水寺の大住職が 佐藤:年末恒例行事である今年の特徴を漢字一字で書き表わすパフォーマンスするお坊さんですね 松島:なにか由緒ある文献から持ってきて、福太郎、陽平と、なんとかと付けて、家の兄貴 仙太郎で、僕が潤平なんですよ、五つ子の名前、そこからインスピレーション受けていたんです。だから三つ子なんか生まれちゃうんですよ ははは 佐藤:30数年経て孫の三つ子で両親のその時の思いが達成されたか〜 はははは (絵:webより) 松島:そう。自分が親になって、自分がどう育てられたかって改めて知るんですよね。こんな壊れ物のような存在として自分も生まれてよく生きて来たなーと思うですけど。 佐藤:そうだよね、受精するときに両親も潤平も、各自・生まれようとする意志を働かせられんし、だれの意思も関われない!そん中で受精し壊れ物であるかのように生まれ育てられて現在に至る。そのことに思い至ったと。五っ子ちゃんは排卵誘発剤だったが、両親や五つ子ちゃんの意志で生まれたわけじゃない偶然・神業にてこの世に生まれ来たる 松島:そうですね、排卵誘発剤のような強力な薬が流行った時代で、あの時代って多胎が増えたらしいんですよね。 ■ 名前はどうしたの 佐藤:聞き取り続けてる独立系建築家では三つ子はいない、双子もいないよ、一人は女の子だしね 松島:一姫二太郎です。名前を付けるとき、あるていど決めていたですけど。 佐藤:そうなの! 松島:結局、お腹から取り出す順番って、その場で先生が(切開した子宮内の)レイアウト見て決めるわけですよ。そうすると長女さんと次男って簡単に入れ替わるから、取り出した瞬間に長男はこの名前かなーって決めたたのが・・簡単に交換可能になる感じが、すごーい不思議だったんです。 生まれると長男は仙という名前なんですけども、仙としか思えない顔しているし。次男は俺そっくりなんですけど、訓平って名前ですけど。訓平という名前がぴったりしているように見えるし。でも一分ごとに生まれましたので取り上げる順序が、かわっていたら。娘は十有子(とうこ)っていうんです。十は全部なんで。 佐藤:最後に生まれたお嬢さんが、松島さんの人生は完璧である証! 松島:はははは 佐藤:なんかいいなー 松島:その辺の話題は正直 尽きないですけど ははははは 佐藤:おめでとうございます、色々大変でしょうけ どおめとうございます、大変難儀な出来事を抱え生きるのも幸せの一つだからね 松島:でも三つ子でよかったと本当に。三つ子だと大変だけど、三つ子であることをとても感謝しています。 子供たちはそれぞれ性格が違う。三卵性なんで兄弟がいっぺんに生まれたんですけど。 例えば一人だけの子供だと、その子の性格が、これって他の子だとどうなのかなーとか、これって何か異常なんじゃないかとか悩んだりすると思うんですけど。 何か変な行動してもこれはこいつの性格なんだなーと三つ子同士の中で比較できるから。精神的にも落ち着く感じがありますよね 佐藤:一人ずつ兄妹が生まれると、第一子は子育て初体験だから、異常に神経質になりすぎたり、異常に悩んだりする人もいるでしょうね。 松島:これって、変なこと、特殊な事なのかなーって普遍的なことなのかなーって分からなかったりする。 佐藤:両親が二人きりで暮らしてて、最初に生まれた子供に対して過剰に愛情を注ぐ結果が、長男的、長女的(第一子的)人格って、明らかに特徴あるんで、会うと分かるよ。親の都合愛の悲劇って呼んでいるんだ 松島:全然違うんですよ。松島家なんて兄貴とか僕と全然違うんですよ。母親が幼稚園の先生ですし 佐藤:それは兄貴はたいへんだなー 理想的に育てようとする意志が強そうだ 松島:兄貴も賢かったんで、僕は凄い適当に育てられてんですよ なんか ふふふふ。子育てもういいやって 佐藤:親が描く子育てに敗北し、反動で次男はほったらかしー、で丁度いい感じの子に育つ環境になると ははははは 松島:そんなことないと親には言われるけど、ある意味リベラルでいるのはそのおかげだと思うんです。兄貴は凄いかたくなだから、逆に親との距離感が近すぎて反発も随分強いし。 佐藤:ウロチョロ爺さんの俺は多様な若者に出会ってますが長女・長男(第一子)的って分かる。どちらかに、従順で押しつぶされるか反発型の極端に分かれるね。親の期待に応えようと懸命になりすぎて精神的に病みすぎ、引きこもり系が強い者、本来・彼らは親に似た優しい生真面目な者。それから他方は極度に反発して大人になると親と絶縁状態で生きてい強い親に同じく強い自立精神をもっている者と。極度に親の愛情に極度に応答した結果そんな両極に分かれているね 松島:そうなんです。子供の頃の結びつきの強さって相当だと思うんで。その経験がある以上、仕合せであることは間違いないと思うんです。 佐藤:世代的なものかも知れないけど松島さんより10歳ぐらい上長女って似た性格、親も自身もいい子に育てよう、いい子になろうとし過ぎている。立派な両親の思いの牢獄に入ってしまうと影響はながーく続いちゃうんだよね。彼女たちもうすぐ初老の対策と準備した方が老後の暮らしが楽になるよ。親の日々の言葉で作られた牢獄から離れることに慣れなきゃ〜ってな事を発言したくなるんだけど、余計なお世話だしね 松島:おっしゃる通り。こんなこと言うと兄貴に怒られると思うけど。よく言えばモダニスト。 佐藤:過度な目的合理生きだね。最も誠実な人間関係の様に思うけど「貴方の要求に、誠実に応えた人間に育ちたい!」という子の真面目さは最も人間らしいのかもしれないんだけどね。要るのは愛情なのか牢獄なのか分からないんです 松島:他者による承認欲求とか自意識のコントロールが凄くへたくそなの。 佐藤:親による他者承認を破壊し尽くして出てこれないので自己承認の過程で心を病むってことなのか、親に似た真面目で豊かな個性をもってこの世に生まれ来たのに、お互いがつぶし合うってのも人間らしい感じかな。 松島:三つ子が面白いのは、長男・長女が居ないんですよ 佐藤:親・子にとっても、それはいいかも! 松島:全員、生まれたときから横は居るから。長男的、長女的性格っていうのが、たぶん無いんです。全員が次男・次女みたいなー。 佐藤:江戸末期も、明治から戦中戦後もそうなのか知らないけど、俺は戦後教育の下にあって若者たちは極貧から抜け出すしか生きる目的が持てなかった、そうして大人になった人間が親になった時に、頑張るのが生きることよ、と思い込んでしまい、たまたま高度成長期と重なり成功した、それらの親の真面目心が生み出した特殊な長女・長男性格なように思うんだけど。 成熟した今の社会で親になった人たちが、敗戦中や後に育った親のように振舞っているのか?そこは知らないでんすよ 松島:だんだんとリベラルになっていると思いますけど。本当に実存主義みたいな。 佐藤:近年政治の世界ではリベラル・自由を持つ思想が右寄りの方々からは糞左翼って扱われているようだけど、 ■何気ない日常を採るって 電話が掛かって来る ピロピロピロと 鳴っている 松島:松島建築設計事務所です。はい。お世話になります。はいはい。そうですね。43条ただしかきの話ですよね。はいはい。よろしくお願いいたします。失礼します(電話終わる)すみません。 三つ子の話って散々しているんですけど、文字で記録していただけるのは初めてかもしれないんで、死ぬほど聞いている人も一杯いると思うですけど、ちゃんと文字化するのは・・・ 佐藤:日常的なささやかな会話みたいなのは記録されないので消えてしまうんだよね。だらだら沢山・記録されてしまっても読み手があきるし 松島:高校の頃とか。何気ない日常をカセットテープに採るの凄くはまった時期があって。もちろん全部採りきれないんですけど。いかにナチュラルな状態を採るか。はまったことあります 佐藤:記録するとか会話するとかでも、話す内容が変わってしまうじゃないですか。どこまで行っても事実を捕まえたり記述したりするのはできないんだけど。 311の大津波災害とか放射能災害が起きても、そこに居る被災者は何が起きているのか?ぞの事実が分からないんだよね。当事者であるがゆえに全体が分からない、目の前の事実を分かる必要があるが、それさえ判らないんだよね 松島:そうですね、観測者がいないとね 佐藤:観測者が事実をとらえることが出来るのか、それも出来ないと思うんですよね。子育ての事実だって同じような事が起きているよね。三人育てる、その事実や真実っていったいどういうふうにしたら捉え記述できるのか、その問題は自覚してたら暮らせないよね。三人いっぺんに生まれていい点、悪い点は言えるけどね。それは色々な人が来て、勝手なことを言う者が居て、多方面から抽象化してくれる観測者に多数あって、それらを合成すると事実らしいものが捕まえられる気分にはなる 松島:記憶なんて編集済みのものですから 佐藤:年老いた人に昔・昔に起きていた若い時分の話を聞くと、自覚してないとは思うけど、過去を創作して人生を作り替えてを聞かせてくれるるんだよね。それも、しみじみいいもんだよ〜〜。 松島:あ!、それの面白い話を大江健三郎さんと伊集院光さんがラジオで話していた その03へ |
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