2017年10月03日 松島潤平さんに聞く 港区内の事務所にて |
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03 ■面白い話 松島:過去を思い出した時に、自分が右を向いていたその時に左で何が起こっていたかを語れるか、みたいな話をしていた。その辺がもし認識できれば記憶と違う時間の超え方みたいなのが達成できるのじゃないかというような話をしていて面白かった。 佐藤:それは面白いけど。世界の何でも知って自覚してやろうというのは、情報整理がきちんとできる人なら、そういう生き方が可能だと思うけど。観測者が立ち会って見ている辛い辛い体験を今まさに経ている時に当事者は今何が起きているのかわかってない、言葉にだってできないという事が、その人の生き延びる力にもなっているんだと思うんだよね。辛い話や幸せな当時の話を再現したかのような昔語りを、どうやって聞き取ればいいのかは分からない、事実を語っていると想えないんだよね。過度に信用したり、否定したりしないで、曖昧に受け止めておいていいんじゃないな。 観察者側どんどん更新つづけていくっていいんじゃないなーと思うんだけどね。記録し続ければそれらの像を重ねると何となく像の輪郭はぼぞぼそしているんだけど、重なっているところが抽象的に分かるぐらいが、その人のその時代の過去のような気がするんだけど 松島:そうですよね。あらゆる情報がそんな感じはしますけどね。物理の世界でいう不確定性原理って。観測した瞬間にその世界に歪がおきちゃうんですよ。観測者が居る時点で。さっき話したレコーダーがあるから会話の内容が変わると一緒で。だから永遠に現実を生のまま採りだすというのは無理だっていう話。 佐藤:無理だからやってみる 松島:一つあるのは、色んな角度からみたもののアウトラインを重ねてぶれた輪郭の物ですね 佐藤:だから長男・長女的事態から脱するために分人主義や観光客としての他者を持ち出して、近代の息苦し〜さを脱出して次の人間像をつくろうとする動きが露わになってきているような気がします。近代の主体の追及が過度だったからのような気がします、人間自身がそのことで潰されちゃうからだと思いますけど 松島:分人主義てき生き方は常々思っていたことですけど 佐藤:近代的主体や文人的、郵便的、存在的のような曖昧で無責任であるかのような様を生きることを今の社会全体が受け入れ生き延びようとする感が出て来たんで好いと思うんだけどね。 都市計画もやろうとしたんだろうけど、近代的合理主義的区割りのなかでも、抜け落ちて穴みたいな、グローバル経済が強まって巨大資本には使えない穴みたいな、資本回収できそうにない見捨てられる地域や地区が穴のようにできる。その中にな弱者や社会的に見捨てられる職業がするりと落ち込んで、ぬくく暮らしてしまような、その混在を積極的に受け入れる動きも似たような現象だよね。町の分人主義的どいうかな。町自身の観光客的ありかたっていうことかも。 ■離島と首都東京とを行き来する 松島:民泊なんかもその流れの一つです 佐藤:今は多くの地域で空き家・民泊化とか古建築改修し観光活用化など大流行りだよね、計画していない他者が入り込むことで、対立が起き始めたりもしてて。新築と古建築とそれぞれ繋ぐ存在が必要であると、ようやく理解しだしている。流行り言葉を使えば子供や老人である人の見守りならぬ、古建築や新建築の建築見守隊が必要であり、それを考慮して新建築を設計する方法を身につけなければって気分が生まれつつある 松島:自分もブレているからアクセスできるっていう考え方はあるんですよね。 佐藤:東京駅前の郵便局、朱鷺を焼き鳥にして食っていいのか発言から、外観の皮だけを残して中身は巨大な高層ビル、古いその皮で包んでやったふり建築だけど、やらないよりいい。経済的合理行為だけど、事例があるだけで過渡期だからよしと 松島:丸の内なんかほとんどそれですからね 佐藤:優れた建築家の思いを引き継いで次の世代の方が設計する方法論や手法が発明されるといいんだけど。発注者はそういう建築家や作り手の思を理解することがやや苦手な気がするので、どうなるかですよね 松島:設計者もなにかそこをやっていかなければいけないんでしょうが。 佐藤:色々混在していいんだって話は8年前は聞かなかったけど、 松島:施設としてのコンプレックスはあったんですけど、本当にボトムのレベルでコンプレックス起こってくるというのはあんまり無かったですね 佐藤:社会の縮退に関わる変化が起きて諸問題が顕在化しつつある過程で、松島さんの初建築の「キリン」が完成しました。郊外に住んで都市と行き来する人 松島:クライアントはフリーアドレスの人ですよね。今は発注者・あの家族はニューヨークにいますからね。建物は貸しているんですよ。 本当に自由に生きている人です、最初っから別荘みたいな感じで作っていたので。あの場所を定住の地とはクライアントが思ってないんですよね。居住っていう概念も希薄な人で、思いつきで家族全員を連れて行く。子供も三人いるんですけど。とりあえずネイチャーな学校にぶっこんで、なんとなく喋られるようになったりとか。本当にノマドな感じなんですよ。面白い家族ですねー。 2013/02/17 my動画公開 キリンを語る 佐藤:仕事もそうなのかな 松島:グラフィックデザイナー、ビジュアルアーテストなんで、オンラインさえあれば場所を問わないんですよね。。 佐藤:建築家も渡り職人の末裔だし、まちづくり系の人々は子守り的で、町守みたいで、近い。建築家はタテモノだけ作っていたわけではないし 松島:臨床医学と一緒なんですよね。対処法は正解はなくって、その人の診断によって、治療が変わるという。僕も今宮古島の仕事が幾つかあって。 佐藤:ずいぶん遠いところだね どんな仕事ですか 松島:それこそ、ゲストハウスとか、民泊系なんです。ホテルとかで、けっこう離島はバブルなんですよね。 佐藤:中国から資本と観光客が来てる、とかですか 松島:それもあります。景気がいいと資本がガンと入って、観光開発して、そうすると地元の建設業界が一気に潤うんですよ。その人たちが、「そろそろ俺らも何か造ってみようか」っていう感じが今。 デカイ観光施設というのはMトラストとか三菱とか、そういうデベロッパーがドカンと入って一気に開発するんですけど。 そこで下請けの設備業者とか、建設会社というのがボンボン仕事来るから潤ってアパート経営したり、ゲストハウスやってみようとか、そういう動きになっている。 佐藤:松島さん、移住しちゃいそうだね 松島:すごい誘われるんですよね はははは。あんないい場所に行って暮らしたら私は馬鹿になっちゃうからははは。 佐藤:青い海を背景にし松島さん三つ子を背負って渡り歩く〜。いい風景を想像しちゃうけどね。今は便利すぎるから飛行機でいけるし、ネットを介して会わずに仕事のやり取りできるし。 松島:だから距離関係ないですね。 佐藤:沖縄には行ったが宮古島に行ったことないな、台湾に近そうだね 松島:近いです。離島も 佐藤:福島市で暮らしていると宮古島のイメージわかないなあ〜 松島:離島もいろいろキャラクターがあって面白いんですよね、宮古は性格的にみんなゆるゆるで、対外的な文化を嫌がらないんですよね。だからけっこう都会なんですけど、独自の文化的なものはあんま気にしてない。 佐藤:農業で暮らしてなくって今の産業は何がメインなの 松島:かつて農業がメインだったんですが今は第三次産業でしょうね。沖縄っていうとコンクリートとブロック造というのが基本なんですが。そのフォームが流行ったのはGHQが来て、そのやり方を教えて。たかが数十年なんですよね。だから書き換え可能だってローカルの人たちが言っているんですよ。木造これからやってもいいし、鉄骨造やってもいいし。 佐藤:材料はあるの 松島:それを整えていこうって話なんですよ。なんのために我々が宮古島に召喚されたかというと。何となくの慣習をもう一っ回、見直して更新していこうよっていう地元の建築界の人たちの思惑なんですよね。 行って驚いたのが、彼らは地盤調査をぜんぶボーリング調査、なんでもかんでも掘っちゃうんですよ。ちょっとした建物だったら、スウェーデン式サウンディング試験でいい。あれが概念としてなかったんですよ。だからサウンディング試験の機械を導入して、種子島鉄砲伝来みたいな感じなんですけどふふふふ。 なんでもかんでも杭を打ってやっちゃうから、逆にコストが掛かってしまっているんですよね。めんどくさいこと考えなくっていいから。平屋建てでも二階建でもなんでもかんでもパイル打ち込んで建てちゃう。 だからその辺は見直して、書き換えていこうという話ですね。そのときに本当に残るローカルってなんなのっていう。それをテーマにして 佐藤:戦後は貧しさから脱しおおかたが良い暮らしを手に入れるために同じ方向を向いて頑張って来たけど、時が経ち成熟してその方向がもたらす弊害が方々に出て来ている、ようやく地域に合った自分らしさを探求しだしたと 松島:普通、地方都市ならずーっと更新されていくんですけど、離島は景気がいいとわーっと資本が来て、景気が悪いとわーっと逃げるから、技術や慣習が取り残されるんですよ。それで変なねじれが残ってて 佐藤:中途半端に残っていると手の付けようがないけど、皆逃げてしまって取り残されているものはいいかも〜なんだ。時々外・資本がみんな居なくなるのはいいかも、サー自分たちの出番で街つくろうぜーで呼ばれていると。 松島:ああいう断続的な文化流入みたいなことが、独自発酵してて面白いなとは思います。 佐藤:中国大陸からも来てたし 松島:日本全体がそうだし、そういう事だったわけですよ。本当に 佐藤:三つ子ちゃんが生まれたことで自分の人生を振り返る機会を与えられたように、建築や町をつくりながら町の誕生史をふりかえり機会も与えられているんだね。そういう地域に関わっていると。 ちかごろ、歴史を振り返り再スタートするって行為がメーインになりつつあるのかな。計画も作り方も女子供を入れた点に焦点が当たりだしたり、プロセスを重視して目的はプロセスの中から生まれ、共有する感じが大切にされだしてきている 松島:トップダウンが男性的ですからね。まちづくりもそういう手法だと思うんですよね。 佐藤:まちづくりもやろうと思って宮古島に乗り込んでも、島の人々に接して自分の手法を捨てて作り替えていかなければいけない状況がやって来たと 松島:でもね忘れちゃいけないのは、方法論をちゃんと作るべきだと思っていて。特に非常勤講師で学生を教えているとね、つくづく思うんですよ。今の学生ってそこにメモがはってあるんですけど その04へ |
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