2017年10月03日 松島潤平さんに聞く 港区内の事務所にて |
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04 松島:要は設計課題をやるうえで、まず「0:プログラム=条件」というのがあって。設計課題なり設計をする、仕事ってそういうことなんですけど。 まず条件というプログラム。次にどうしたいかという「目的の1:コンセプト・か」これは言語レベルの話ですね。 その次にそれを実現するために「2:ダイアグラム=方法・かた」があって、で、そこを決めたら、「最後に3:シーンとかシークエンス=美観・空間・かたち」とう空間のレベル、スケールのある。そうやって建築が出来ていくと思うんですけど。 まちづくりとか、コミュニティーデザインって2:ダイアグラムが無いんですよ!このダイアグラムがない。ぎりぎりコンセプトのレベルまではあるんです。 それから、いきなり皆がワイワイ賑やかに過ごしているというシーンに飛んじゃうんですよ。ほとんどの学生がいま、「コンセプト=目的・か」から「シーン=美観・空間・かたち」に飛ぶんですね。 その間の「ダイアグラム=方法・かた」が無い。 僕が受けた設計教育ってこればっかりだったんですね。オランダ建築とか、OMAとかMVRDVとかが全盛期だったんで。だからダイアグラムに縛られるってことが学生時の問題だったのに、今はダイアグラムが完全に消去されてるってことが、不気味でしょうがない。 そうすると、再現性が無いんですよね。何かコンセプト掲げて賑やかになりましたで終わりだと、他の地域に行ったときに、じゃ〜また頑張って、みんながワイワイやるように。 人のフィジカル、例えば山崎亮さんとか、カリスマの体がなせる技であって、方法になってないっていうのが凄い問題だと思うんですよね。 公共施設とかのコンペとかでも「こういう町にしたい」って言って、あとは賑やかな絵を描いて終わりっていう事で、それで自治体施設がすすんでいくっていうのはけっう不幸だなーと僕は長期的に見て思うんですよね。 自分が仮にそういったプロポに参加するなり、そういう事に関わった時は、方法のステージを忘れないようにしていた方が、それが建築の歴史に参加することじゃないですか。僕が、コルビュジェに憑依できるとか、ミースに憑依できるとかという、そのかつての天才に憑依できるというのは方法があるから乗っかれるわけで。ダイアグラムを飛ばすて進めると文化としてつながらないですよね。 だから、凄く短期的なニーズしか無いっていうのが問題だと思うんですよ、築地問題、新国立問題とか、わずか10年ぐらいのタイムスパンの、今の人たちにとってのメリットだけが正義になっている。本当に短いスパンだと思う。 三つ子たちにとってその社会的正義が果たして有効なのだろうか、思いますよね。 佐藤:過去の人も、未来の人も参加できるだろうダイアグラムを作る必要性につて。現在をつくるための行為に参加する権利はあるんだけど、今の意志を行使し生きている人だけの大衆ふう声高な意見だけで、作っていいのか〜、その問題ですね 松島:凄い傲慢だと思いますよ 佐藤:じゃ当面のこの問題をどうするか。そのための方法、ダイアグラムが無いんでカリスマにオネダリして、できたら、ぶー垂れが続いたり、参加してやった気になっていると。カリスマやその時に浮かれた人がその大地から消え去ったときに、継承する術がないと。他者との共有が図られないと。歴史が継続されていかない可能性があると 松島:初めて佐藤さんとお会いしたときに、図式は有効かみたいな話したと思うんです 佐藤:建築的図式に発注者の個人史を捏造し重ね合わせて建てちゃうのが俺様建築だからね、そこが肝みたいなもんなんで 松島:ようやく今になって、そのためにあるんだっていう事が解ったんですよ。僕という人間が去っても成立さるためには図式は要るんだなーと。当時は全然信じていなかったんです。 佐藤:対話するには言葉が要るように、建築と対話するためには図式なのか様式なのかよくわからないけど、それぞれの建築家が未来の人、そこにあった過去の建築家との対話方法を生みだして、過去と現在と未来を橋渡し可能な建築的言葉、を持ってないと、いろいろもったいない。建築的な継承や継続、それが可能にならない。 子育てで幸せな人生をまっとう出来るよう親が支援するような方法を建築の作り方にも身につけ共有され継続し更新続けるといいんだけど、時をつないでいる行為を継続するための方法開発のための図式に落として造っておくと 松島:プラットフォームですよね、個人やカリスマでは数十年で消えて終わってしまいますよね 佐藤:大学はどこで教えられているんですか 松島:今は芝浦工業大学と武蔵野大学と。両方とも三年生を教えてます、設計課題を多少やって、ちょっと小慣れて来た学生ですね。 佐藤:大学で教えるなんて考えは、8年前は話が無かったですよね 松島:そうですね。 ■ 仕事のこと 佐藤:8年前は松島建築もこの世に無かった。設計事務所を開設してなかったし。独立系建築設計事務所を開設してどうですか。漫画の評論もやっているし、ギターも弾くし、文章も書くし、 松島:素人仕事ですけど。器用貧乏です。 佐藤:全部超一流にはならなくってもいいけど、今も幸せそうなのでいい。 松島:まだちょっと頭で考え過ぎている処があるでしょうね。 佐藤:すこし建築の設計の話に戻してと、最初は個人住宅を設計し、今は地域の中の建築行為へと、面的に広がるようになってきている。仕事のネットワークは作りは 松島:萌芽はしてきてますね、幾つか、宮古では複数のプロジェクトがあるので。 佐藤:改修工事は無いの 松島:都内は改修しかないです。東京で新築をまだやったことないんです、都内はインテリアの改修がほとんどです。 佐藤:得意分野はインテリアだと 松島:そうなっちゃっている!なんなんでしょうね。建築の新築は大阪、長野、宮古、千葉の地方都市でしか作ってないんですよ。要請がそこからしか来ない。 佐藤:都内にはビルが林立しているから内装工事がたくさんあると 松島:今はリノベが多いですね。 佐藤:都内の改修に関わって、面白い点はどういうところですか 松島:なにか、凄く!密度が高いものが出来ますよね。全部のスケールを把握できる。本当は建築もしなきゃいけないんでしょうけど。 インテリアはそうだなー図式とかコンセプトのワンストーリー、組み合せの楽しさですね。だからワンアイディアで押し切ってインパクトを作ることが出来て、そのインパクトがプログラムとして歓迎されるんで。 建築になるとワンアイディアでやりきれるものではなくなる。仮にワンアイディアでやり切っても寿命が短い。アイディアが建物の寿命に追いつかない。 僕がグットデザイン賞をとったものは2年で閉店してなくなりましたからね。 倉俣史朗さんて、都内に数百個作っていたのに、今残っているの寿司屋の一個だけですからね。要するに商業インテリアは極めて寿命が短い。がゆえにワンアイディア・インパクトみたいなものはむしろ歓迎される図式が成り立っているので、そういうゲーム的な面白さはありますけどね。 そればっかりやってても、どうなんだという話はありますけど。 佐藤:こういう展開になるとは思っていなかったと。 松島:展開というほどやっているのかは分かりませんですけど。 佐藤:展覧会の会場設計もされてたじゃないですか 松島:京都の展示は川勝君が中継してくれて。すごい暗いテーマだったんですよ。ポーランドの カントールという、劇作家が居て。テーマが死の劇場というめちゃくちゃ暗い。 佐藤:会場の色彩下半分が黒で上半分が白だったですかね 松島:そうですね、そういう七面倒くさい訳の分からないのは松島がいいだろうと言って、来たと思うんです はははは。 川勝君は本当にありがたい繋ぎ方してくれたんですけど。個人的にも気に入っているんですけど。1500から下が黒であれは結構好評で、見に来てくれた人がエルメスのキューレターさんが気に入って、エルメスの展覧会の仕事もしました。その後続いてないんですけど はははは。 佐藤:続くといいね。それらもやりつつイクラ幼稚園だっけ。 松島:保育園ですね 佐藤:卒業した保育園の建て替え新築でしたかね 『新建築』2015年4月号 松島潤平「育良保育園」インタビュー 動画 松島:じつはちょっと違うんですけど、狭い町なので、かなり近い関係ですね。保育園を経営している系列がお寺なんで、幾つかあるんですけど。オヤジは地元で設計士をやっていて。保育園を経営してる宗教法人が飯田女子短大という大学の講師にオヤジが居たりしてるとか。そこの経営している保育園などの先生を家の母親が勤めていたんで。そのコネクションですね。はははは。 だから松島家の最初で最後のコラボレーションっていうか。 佐藤:いいね!ご両親が注文だしてきたりして練り上げたんだ 松島:もちろん、もちろん。地元の使えるカードを早々に切ったという感じですね。たまたまそういう話があったんで。うまいことタイミングとしてやれたんですけど。 佐藤:両親とコラボし地元に建築つくれた、なんて幸せな人ですね 松島:そうですね。そういう一つのマイルストーンっていうんですか、作れたのは家族的にはありがたい話でしたね。 佐藤:天井はビニールクロス仕上げで、本物と偽物の建材を混在させて、そんな事書いてあったかな 松島:あれは次男次女的な建築なんです。ははははは。長男とか長女でないんです 要は物はこうあるべきという事を、つい子共には教えがちなんですけど。突然そうした訳じゃないんですけどね。 天井は内装制限で天然木を使えないとか、そういう理由はもちろんあったんですけど。子供にはナチュラルな物が使えて、物はこうあるべき、人はこうあるべき、みたいな教育っていうのは、僕も大嫌いなので。今でも設計論というのはべき論の設計は嫌いなので。収まりはこうあるべきみたいな話。そういう神話とか美学って山ほどあるんですけど その5へ |
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