2017年10月03日 松島潤平さんに聞く 港区内の事務所にて |
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05 松島:神話とか美学って山ほどあるんですけど,それをいかに解体していくかっていうのが僕のテーマなのでふふふふ。次男的態度なんですよ。 そういうことをかざすような物の在り方、決めるような大上段な目線の建築はやりたくはないんですよね。 佐藤:テーマを解体しすっきりするだけの目的ではないんでしょう。 松島:再構築しないといけない。ここら辺は本当にややこしい話で、方法になるのかって話になるんですけど、再構築するのは貴方たちなんですよ。 必要なのは違いをいかに内包するか。ここの木目と、ここの木目が違うという。こっちがウォークでこっちがシナでとか、そういう定義づけはあるんですけど。違うということさえ まずは子供が分かれば。私はこっちと言ってもらってもいいし。そういう事をステージとして、どう用意しておくかという。 僕はフィクション大好き、漫画大好き、小説大好きですから、子供たちが読んでいる絵本の中の、例えば木目みたいな模様すら同じ平面になっているわけですよ。建築の中の木目と絵本の中の木目は僕の中では繋がっちゃうわけですよ。そういう自由な感じを目指したいという。テクスチャーを語るというのはそういう事ですよね。テクスチャーは建築界において、身分が低いんですよね ■大衆的人気を得ると・・ 佐藤:さらに転倒させて模型は本物で作っていましたよね 松島:よくご存じですね。全部サンプル材で出来ている模型なんですけど。あれは面白くって、天井材というのは木のフェークじゃないですか。偽物なわけですよ。サンプル材で出来た模型においては本物の材を使いましたって、言葉がひっくり返しているんですよ。本物と偽物なんてそれぐらい虚しい差別で。という事を気付いてほしいということですよ。べき論を外して、外れた世界が来たら僕の役目は終わるんです 佐藤:ははははは 今はフェークニュース来ているし直ぐ終わちゃうかもよ 松島:いやいや、人間ってねー、すぐべき論に持っていくんで、これはもうしつこいですよ。永遠の戦いですよ。 佐藤:そうなのか 松島:佐藤さんとか僕にとっては関係ない話なんですけど。本当にかたくなな人たちが多いので。 佐藤:フィクションとリアルを入れ替えて楽しむ行為を続けていると社会から外れていくわけじゃない。 松島:そうなっちゃいますかね。隈さんもスタートはそっちだったんですけどね。 佐藤:規模を拡大した建築家的行為になるためには自身に大衆性を付着させないと商売は継続できないので、そうなる。自身が面白いのと、その時代の大衆が面白がるのは異なるから 松島:根っからマイノリティー好きになっちゃっているんですよ。 佐藤:発注者へも、既成の価値で編集され続けた建築情報が与えられるので。それをなぞって作りたい、編集された仕合せ感に合わせたいって希望もって相談に来所するから。大衆的欲望や要望とずれてきちゃうよ。仕事から外れて現金が手に入らない これは拙いって!問題もあるじゃない 松島:そうですね。 佐藤:抽象的な意味で「美しい建築をつくれ」と設計を依頼する発注者、リアルとフィクションの混在は可能だろが、そんな事態は皆無なんじゃないかな、 松島:その知的興奮というのはけっこう解ってもらえると思うんですよね。こう考えていたけど、こういう考え方もあるのかっていう。プロセスにおいて丁寧に説明して納得してもらえれば、事業が進んでいく力にはなる。 佐藤:投資によって荒れ地が出来た後に立っているような宮古島の話を聞いてて思ったんだけど、それが可能かも知れないな〜と。 歴史的にも捨てられた荒れ地でもあり、世界的投資がもたらす・人災的に出現した荒れ地かもしれない。その地域の人は足元の大地に立ち、人生を発つわけじゃない。外から来たアクチャルな大きな価値というのはリセットされ続けるんだると解っている。目の前の状況に柔軟に対処して生きて来た人々に巡り合っているから可能性高そう。 首都東京はがちがちの目的合理で作り上げ、時が重なっている。首都で荒れ地が現れるのは巨大災害時しかない。目的に対しては強いんだけど発注者の潜在的柔軟力が目減りしていることにも気づく機会をも失っているんだと。 松島さんは離島と首都東京で仕事することで さらに研ぎ澄まされた思考に至りそうだね。混在的・誤配的・配列いい感じかもしれない 松島:けっきょく東京でリノベとかインテリア話が多いというのは、タイムスパンの短いものをやっている感じです。僕に言わせたら今の東京の公共ってほとんど、ここ10年の社会正義しか考えてないので、きわめて短命だと思いますけどね。 ■憧れと批判のタイムスパン 佐藤:短命である状況を虚しく思っているわけでもないんでしょう 松島:とにかく共時的な考え方から通時的考え方にいくかを、皆の意識改革するかというのか考えている。たぶん藤本さんとか平田さんってそうだと思うんですよね。 歴史は繰り返すもので、その間の藤村さんとかのポリティカル・コネクトネス派っていうのが席巻してますけど。前者の影響を受けがちなんですよね。 ちょっと上の人から見ると、何、今更古いことやっているのと見えると思うんですけどね。 さらに下の辻君とか403とかは76世代のポリティカル・コネクトネス系に回帰しているので。間って感じなんです。 佐藤:それは先輩を批判して建築家として発つからでしょうか 松島:そうです。単純に憧れと批判のタイムスパンの、これって何で個人を越えてそうなっちゃうのか分からないんですけど。 佐藤:大学での建築教育制度のたまものなんじゃないかな 松島:そうですかねー 佐藤:聞き取りして感じるのは各大学系の塊で人間関係が閉じて在ることです。そこは快適で温い環境が保たれてしまうのでしょうか。大学系塊に強い上下関係がある、それぞれの群や塊に個性や能力の差異がかなり、ありますね 松島:自分が東工大出身、あんまり東工大ぽくないって言われますけども、どうなっちゃってたんでしょうね。 佐藤:日本の教育的仕組みの中で生まれてくる自己欲求だったりしているのかもしれない。 松島:そういったものって内なるところからじゃないんでしょうね。単に自分ってジェネレータでしかなくって、全ての要因も外にしかないかもしれない。 佐藤:身体と共に精神が生きているので自己肯定的に生きていかざるを得ない。そういう傾向になる。自己否定し続けて生きるとすると途中で死にそうだし。大学で群となっても群として生きるために否定したら大学を出ざるを得ないことになる。村内で肯定・批判し合うことで個性が造られるのかもしれないね で、意識的に自己調整をするため誤配目的で学会を作ったり、領域を越えたフォーラムで誤配を生みだしていく。色々逆効果になったりするので群自身も試行錯誤しているんじゃないかな。 松島さんがスター化するほどに外部が作り上げた松島さんを演じて喝采され仕事も来るので、ますます演じられる松島さん像に磨きがかかり、経済的にも潤うので悪くもない。過度に分業化した目的合理の社会に生きる人間群が作る罠なのかもしれないね。やがて松島潤平ってこれでよかったのかしらと疑う時も必要かもしれない。自分の中に変化を推し量る他者も内包してなきいけないのかもしれない。 それを果たすのが友達だったり家族だったり、新しく生まれ出る仕組みだったりする。 専門性を探求し続けると超専門家になり、そのことにハマりますよね。これからの人類のために進歩が必要なのかわかりませんが、社会に変化をもたらす専門家にはなれるよね、それが個人史として仕合せであるとは限らない。そうしか生きられない個性も愛でるのがよさげですよね 松島:組織論でいえば隈研吾さんを見ている限りは、スタッフの流動性でその辺を担保している感じがありますけど。 ああいう意匠をやると、求められるじゃないですか。ルバーなり和風なりを。 そういった建物の自己参照をいかに避けるかっていうと、ノイズを入れていくしかないので。ノイズとしてのスタッフを繰り返し入れ替えていくことなんですけど。 佐藤:建築を作る全体を一人ではできないので、ノイズがドンドン入り込む領域ではあるよね、建築の世界は。結果的に隈さんスタッフの流動性で固定した自己演技を避ける問題解決には、単に社会の状況に対応し従順に反応する姿勢があればよいとも言えますよね。流れていけばいい。自分が社会対応しているだけで社会も自分も変わり続けているんだという自覚だけし、来た仕事に素直に対応してればいい結果が出るような気もする 松島:そうですね逆説的な感じはありますけどね。問題はそれを歓迎する態度かどうかだと思うんですけど。恐れてないというか。 でも、こうして数年おきに佐藤さんに見てもらうっていうのはけっこう大きいですけど。 佐藤:目的があって、聞き取り始めたわけではないんだけど。感じるのは若い人たちの中に未来が見えるじゃない。権威者や年寄りたちからは過去しか見えないよ。 松島:そうなんだよなー。うちの親とかね身の回りの物の身辺整理を始めているんですよね。 佐藤:自分が自分らしさを演じて硬直化していくじゃない、それが楽だし安心できるので、だから未来が見えてこないんだよね、きっと 独立したての建築系若者には何もないよ、無名であるし若いし、スタイルも無いんだけど。そういう人たちが身の回りの環境に対応してできる一つ一つのうごめきから未来が立ち上がり見えるんだよね。その人がどんな未来になっていくのか、っていうのは、観察し続けないと分からないじゃない。今見える対象者の未来と5年後に見えて来る未来は異なる、それらを比べるのも面白いし。大成功しているっていう姿を見るのも面白い。継続してみると何か感じる 松島:その感覚は先生になる人はそれに近いものをもっていると思うんですよ。学生っていう得体のしれない者がずーっと更新されて来る。それは面白いですよ。色んな奴がいる。 佐藤:俺はそんなにナイーブじゃないので学生さんの中には未来を観ることが出来ないんだけど。俺苦手、学生さん、なんだか分からないの。いきなり社会にでて18歳から大人とだけ会って仕事してきたいから。大人でも子供でもない学生さんは分からないんだよ。 松島:僕も学生とか若者という観点で接しないようにしてますけどね。得体の知れない情報態っていう感じで接するのが大事だと思う。 学生とはこうあるべき、先生とはこうあるべきっていう態度はまったく興味が無いので。べきろんを振りかざすようにはなりたくない。 佐藤:春の岡田栄造先生の聞き取り結果によると、最近の学生さんはすごーく真面目で熱心に勉強して質問じゃんじゃん来るんだって。先生として嬉しいと。 邪推だけど未来が不安定に見えるからか会社の高い要求に応じようとして反応しているのか、知的好奇心が一気に高まってしまったのかは分からない。真面目な学生と熱心に専門を探求する学生と色々いるんだろうけど 松島:いますね。僕がそういう態度で吸い取れる学生はむしろマイノリティーかも知れない。そんなこといいから今の社会にちゃんと就職させてくれよという人が、たぶん8割、9割いる。 佐藤:宅建合格したり、一級建築士合格できる、そのための勉強みっちりさせてよと考えてる学生もいるでしょう 松島:非常勤なので甘んじてると思います。それが専任講師とか准教授、教授になったら、その態度でいられるかってのは難しい問題ですよね 佐藤:一定期間あけて気が向いたら聞き取りに来てくれるのはいいなと思う人も居るし、いやがるていると感じる人も居るね。 自己像を作り上げようとしてると過去の記録がそれを邪魔している、web記録見てあれこれ言われた時に受け止める技が少ない人かな。 松島:僕は藤村さんに晒しだし系ナルシストっていう称号を与えられたんで。けっこう明け透けに出すのが好きなんですね。色んな人が記録を誤読してくれるじゃないですか。僕の輪郭がむしろブレルので。それで輪郭決められると思う人の方が間違いですよ。 佐藤:そうなんだけど、そうは思わない人も居るから面白い、不思議だね。それから掲載されて有効なメディアと役に立たないメディアを仕分けしている人もいる。 松島:ははははは 佐藤:広報してもらいたいのかもしれないけど、沢山出回っているメディア好きだらけだ。 建築系メディアはマスメディアではないんだけどね。売れているメディアに載って感じ入る、単純なナルシズムっていうのかな。1995年にネット爆発して20数年たっているのにだよ。 松島:まーだそんな話なんだなー。僕の聞き取りの回がそれらのメタな回になるといいですね。そうなると最高ですね 佐藤:プチwebメディアで、今後も晒しだし系ナルシストで続けちゃいましょう。どう受け止められてもいいよ。三つ子が生まれるとか予想できなかたし。 松島:松島らしいって散々言われますけど、なんなんだろう、どういう意味なんでしょうか、ネタがこと尽きないというか 佐藤:松島さんらしいとは思わなかったけど、さらに生活の個性が加わりおめどとう、と俺をびっくりさせてくれてありがとうって感じだよ。 一度少し休憩しよう その06へ |
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