HOME     文責・作成・佐藤敏宏         佐藤敏宏の京都ことば悦覧録 2017年1月27日から2月2日
ことば悦覧録

    
 
 内田康博さんに聞く 2017年1月30・31日 京都市内にて
  その1 その2 その3 その4 その5 その6 その7 その8

 その04 

 31日内田さんの研究所に来て再度聞き取る

佐藤:昨夜は呑み会ありがとうございました
内田こちらこそ
佐藤:町家の改修というのかな、今日はそこのところだけをゆっくりと聞かせてください。渡辺事務所を卒業された後 町家の仕事をやるようになったのか、町家再生研究会、姉妹団体である京町家作事組、それらにどうからんでどう展開し今日に至る、そんな話を

内田:一番初めにですね、再生研に誘われたんですけども。なんで誘われたかと言うと、渡辺さんの事務所にですね、奥田さんという、構造の川崎さんの知り合いの方がいて。渡辺さんの所は面白いから一回見に行こうといって。遊びに連れてきてくれた。奥田さんは建築の設計もやられて、木造の構造も研究されていてる方なんですけども。

その人の妹さんが京町家再生研究会の、今の会長なんです。その時は会長じゃなくって、事務局をやっていて。 90年代末、95年とか6年とか。祇園祭りのときに、家でやってるからおいで、みたいなことを言われて。



京都の人に おいでって言われて行っちゃいけないっていう話は聞いたことはあるんですけど、僕は誘われたら行かなきゃいけないと思って。断れないんですよ。ははは どうしていいのか分からないんですけど。

祇園祭というのは、秩父の夜祭とは全然違うお祭りで。何がお祭りなのか わかんなかったんですけど。

秩父は夜に山車を引っ張りって太鼓たたいて、わーってやるっていう、のがお祭りだと思ってたら。

祇園祭は夜に山車動かないんですね。時々お囃子やっているんですけど。太鼓をバンバン叩くのではなくって。なにかチンチンチンとかやって。激しくないわけですよ。

佐藤:秩父の祭りのような激しさがないと
内田何がお祭りなんだろうと。宵山って言ってね。人が居るだけで何で集まっているのだろうと思っていたんです。

そこは奥行60mの町家なんですよ。間口は7mぐらいあるんですかね。ものすごく大きな。そこが京町家再生研究会の事務局、本部になっていて。奥田さんの妹さんが嫁いだ家なんです。

奥田さんの妹さんは建築と関係ない普通の人でした。ただそこに嫁いだと。たまたま小島さんという方に嫁いだんですけど。小島さんという方は建築の設計をしている人で、若くして亡くなったんですけど。40才ぐらいですかね。京大の卒業生で、建築の設計をやっていたんですね。

周りの人は、京町家を残さないといけないなーと。どんどん壊れちゃうから。で京町家再生研究会は作った。

佐藤:周りの人というのは一般の方ですか
内田:専門家もいるし、知り合いの大工さんもいるし。京極さんという学芸出版の社長さんも。初めからですかね、集まって。再生研を作ろうと。やっていたみたいですね。1992年とか言ってたかな。だいぶ前から。

僕はたまたま小島さんのお兄さんが川崎さんに連れられて渡辺さんの所に来て。秋田市体育館の模型をみてああだこうだと。元々材木屋さんで、木材に興味があって。龍神の体育館とかですね。


  WEBより秋田市体育館 渡辺豊和さん設計


 龍神村体育館 渡辺豊和さん設計 学会賞受賞作品 

佐藤:建築基準法を変えてしまったRCと木造の最初の例
内田混構造の最初の例みたいな。ほかに無かったと言ってましたから

佐藤:軒高9m 13m超えた木造はそれまで作れなかったので無かった 建築センターまわって認定されてね 建築基準法も変えた

内田そうですね。今もこういう使い方があるんだという話をして。

おいでと言われて。興味があるし行ってみて。どうしていいか分からずにずーっと座っていたんですけど。どんどんビールが出てきて、お客さんが順番に、あそこはお客さんがぞろぞろ来るんですね。来ては覗いて帰っていく。来ては覗いて帰っていくと。

屏風祭りと言って、暑い夜、広ーい座敷に屏風を飾って、それを楽しむと。

 どうしていいか分からないずー。いつ帰っていいのか分からずずーっと居て というのが初めで。


その後は、事務所に勤めてますから、参加もできずに居たんですけど、事務所、辞めて一人でふらーっとしている時に「おいで」」と言われて。はははは。で行ける範囲でお手伝いをするようになって

佐藤:時間があるときに出入りしてと


内田:幹事会が月に2回ぐらいあるんです。そこに行って。その頃に自主調査をするから手伝ってと。自主調査ってなんのことだろうと思って。言われて報告書を作ったんですけど。

佐藤:実測して作図するって
内田図面から、材木の 立米を拾い出して。杉が何立米、檜が何立米と。典型的な町家ってこんなですよと。積算して。それで報告書をまとめて。自主調査。で町家を改修するとどのぐらい要ると。

それは京都府の林業課からの委託を再生研が受けたみたいで。京都府内産で町家改修がまかなえるかと。新築が賄えるかとか。そういう報告を書いて。何も分からず・・現物はその時は見なかったです図面だけで。というのが初めで。

 再生研というのは何をやるのかなーもよく解らず。「おいで」というので、行かなきゃいけないと思って。ふふふ、興味はありましたし。町家ってどうなっているのかなーと。

伝統的木造なんてのは自分には及びもつかない知恵の塊だと思っていたんで。

佐藤:渡辺事務所で木造とか混構造が始まったのは
内田:龍神村の体育館でしょうね
佐藤:下部がRCで上部の壁と屋根回りが木造、その後はウディーパル余呉の森林交流センターですかね。

 

内田:ほとんど木造ですね、お風呂の所は柱がコンクリートなんですけど。あとは半円形の壁が一部。

佐藤:船丘に登る と言われてる住宅の形式と似てますね
内田よく似てますね形としては。仕口とか継手はいっさいないです、全部ボルトです。渡辺さんはそういうことには関心が無い。

で川崎さんはそんなんじゃだめだと言って。散々叱られましたけど。はははは そんなこと言われても僕分からないんで ふふふふ

佐藤:木材は多量に使っているけど日本の伝統的木造は生かされていない

内田渡辺さんは頭の中でモダニズムですから。作り方はですね。バルムフレームと言って要するに筋交いで固めた家ですね。


佐藤
:再生研に参加された当初は
内田:当初は話す余地がないというか、こういう町家の保存のやり方があるとか、あっちではあんなことやっているとか。あれはあかんとかですね。これがいいと思うとかほとんど毎回ケンカみたいな感じで。もう私は辞めると言いつつ居るみたいな。皆熱いんです。はははは

再生研は、シンポジュームをしたり報告書を作ったり、冊子つくったりとか。見学会やったり。そういう初歩的なことをメインにやって

設計者もいて施行者も居たから。設計とか施行とか改修というのは、分離して、独立して受けられるようにしないといけないと言うので作事組というのを作って。

その他に友の会を作って。お施主さんの会みたいな、住まい方を勉強しようみたいな会。そのあと流通のために不動産屋さん入れて。売りたい、買いたいとか。貸したとか、それらの相談を受けようと

4つのカテゴリーで今は動いているんですけど。

佐藤:各領域何人ぐらいいるんですか

内田:再生研は前は100何人いたみたいですけど今は5、60人みたいです。動いている人は少ないですけど。作事組は設計者とか、工務店とか、左官屋さんとかという団体が38種、そのぐらい。各2社ずつぐらいで。

もともとは市役所前でイベントがあって、そこで職人さんの技を見せようみたいなことをやったらしいんですよ。職人さんをわーっと集めて。やったら好評だった。これをグループにして、改修の相談を受けようというので出来たらしく。

佐藤:フォーラム開いたり冊子だしたりする作業は、やりたい人が勝手に開いているんですか

内田:そうですね、理事会、とか管理会やって、こいうことやろう、ああいうことやろうと言って。
佐藤:テーマはだれか 言い出しっぺがいるの

 その 5 へ