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記録一覧へ戻る  エスキス塾講師 堀井義博さんに聞き語る
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06 逆質問 
   死んだ後のあそびなんです
   アーキエイドで起きた事 
   巨大防潮堤 
   復興について 

 06
逆質問

堀井:俺は藤さんの方も不思議だなー。佐藤さんの文字お越し労力の方が半端じゃないから。移動も含めてさ。お金どうしているの。

佐藤:生活費ですね。年金と、去年と一昨年、少し労働した。それから子共たちに少しもらって。本当に困った時は金持ちから頂いて。俺にナイスな友達は早く死ぬんですよ。311前にお金をくれた友達は皆んな癌で死んでしまった。で、今は地元に友達は居ないんですよ。人間・交際費は要らないんです。俺の様に憎まれ者だけが生き延びている。

 PCは最初にSFCの田中浩也先生に頂き、10年使って壊れた。その後311後にホームペイジ製作用にと、お医者さんに一台頂きました。花田達朗先生から文字起し用に1台。my長女が外国に出て行ったので不要になったiPadと pcを置き去りなので、それも使てます。お下がりPCを使い続けてます。iPhoneも買ったことがないです、タダで配ってましたのを使ってました。が、老眼が来てしかたなく去年画面が大きく重い物を、24回払いで唯一買いました。

 前世紀に買った服はあるけど、今は子供の古着が主で。お洒落にはまったく金の支払はしてない。ガソリンを消費する車は15年ぐらい前に捨てました。今は自転車と公共交通を使って行着ける場所しか行かない。遠い場にはネットと空想で行けます。

 昔は情報源だったが、2001年に起きたNHK番組改変事件を切っ掛けにテレビも新聞も捨てましたね。購読も視聴してないです。今はiPadから落ちて来る、玉石混交の多量の知らせで充分。本は家のそばの県立図書館に有る本で対応してます。時々五十嵐太郎さんに専門書を頂いて読むぐらいです。

 なので必要なのは食費と光熱費と移動のための交通費だけです。医療費は限度額免除申請を活用して入院したりしてます。消費者としても極貧生活者の中でも下の下でしょう。そんな暮らしが長いので金のことは少しだけ効率よく使うことに気を配ってます。 お金の使い方が分からず、お金をただ単に預金を増やしている老人が多いようで、1800兆円もあるじゃないですか。銭に困ったら頂戴と言っていいんですよ。

堀井:それでくれる
佐藤:くれるわけないでしょう。
堀井くれないよねー ふふっふふ

佐藤建築家って一円も出さずに、他人の金を使いまくって。好く言えば有効活用して建築を建てちゃう。そういう生活が長かったですよ俺は、他人からお金をもらうのは気にならないです。設計者って経済的価値は無能な生物ですよ。お金を持ってないので、建築家は資金の豊富な者に「お金をだして下さい」って言う術を持つ。お坊さんに似てますね、お金を請求するのは正常な行動だと思います。資本家兼建築家に会ったこと無いです。お金持ってても黙まりしてるのかな。自社ビルもつ資産家である建築家に会ってないですねー、いそうですね。

 金の有る者から、いただき建築物を実現する生活が長かったですよ。お金を頂くのは恥ずかしくない行為だと、そう勘違いしているのかも知れませんです。出して頂いたお金を、貯めて使わない者より、有効に活用してあげないとお金様に申し訳んないじゃないですか。お金は目的でなくって手段なんで、お金にどういう性格を与えたか、そこに建築家の能力が現れますからね。

 資本主義の信奉者は、お金にお金を稼がせ、利子をとり続け元金を増やし貯え続けるんだそうですが、利子率が2%切った段階で資本主義の終焉だって言う学者もいます。投資先が無くなって、日本の老人たちは1800兆円も預金して、若者を困らせているようです。国家予算の18年分!!溜まって動かないんですよ。どんどん使わせていただく方が、循環しだして好き状況がうまれるのですよね。

堀井そりゃそうだ

佐藤:俺に明日なんか、やって来るのか、明日は要るのか。「それは分らない」って311で痛感したです近代的、歴史も人間も終わっているんですよ。そう言い放っちゃいますけど。
 将来に不安を持って生きるのって、まったく無意味だって原発事故は明かしましたよ。核爆弾じゃないんですよ、311では日本人による日本人に向けた、放射能を浴びせまくり事件が起きました。あれで、多数の人々の営為を消滅させた近代合理主義的人間は終わっている。あそこで近代人も死んだんですよ。

 俺の将来など気にしてません。my子たちは成人したので、生物としての生は遠い昔に終わっていた。だが、そう思った瞬間が1990年ごろでした。その時は家人が精神疾患になってしまって子供に家人を押し付け、俺だけ死んでいけなくなりましたね。生き物として、死んでいいはずの俺の生は、単に25年ほど長引き続けている。建築・社会的には1990年代には既に死んだ仕舞った俺です。
 実は1995年の阪神淡路大震災の時は官僚に支配されている法的に保障されて寡占状態で設計士により造られた日本の現在・建築は死んだと確信しましたね。原発事故に遭い二度目の死ですね。

 10年前には建築士の倫理に委ねず、法的な締め付けが厳しくなるばかりの結果となる、アネハ事件がおきました。実際の建築士法を改正した京大卒の優秀な人に会ったこともあります、山本繁太郎という事務次官による筋書通りにメディア内でアネハ騒動は進み、結果は建築士の締め付けで閉じた。建築士の倫理的、自立の道の扉は完全に死んだと言えますね。アネハ事件は三度目の死でしたね。

 さらに加えれば、さっき話した311では故郷の大地に放射能を沈着させられちゃった大事件で、子供も大人も逃げ出してmy小学校は廃校寸前で。将来の故郷の死を観させていだだきました。限りないりない成長を信じる近代の人間的営為を夢みていた、近代の人間は終わりましたよ。

 死んだり、終わりたりを数度通過して、死んだ後の方が、方々にどんどん興味深さが増すので、面白い。だから身の回りの出来事をなんでも観察し記録しているように思います。何度も繰り返すので全部戯画に見えちゃうんですよ。死んだんだ後、終わった後の始まりの方が面白くなるもんです

堀井面白くなっているならいいよねーふふふ


佐藤:死ぬたびに面白さが増していく。死んでいるのに「生きるぞー」って逆噴射して深刻さを増大させ者の存在も、面白いでしょう。お前は死んでいると指差したら怒るだろうが。既存のシステムが徐々に死ぬことでしか、方々から次の芽は吹き出さないようも見えますね。

 俺はそんことで何度も死んだので、とりあえず「時間は無い」ということにしている。SDL2018を体験して「俺の仮説ですが、建築の終焉ということがわかりましたので、体験記・SDL入門をつくり、仮説が正しいかどうか考えてみます」と堀井さんにもメールしたけど。SDL2018の関係者を聞き取りして、俺の仮説が成り立たないといいんだけど。


死んだ後の、あそびなんです

 聞き取り活動などは俺の死後の遊びのように思います。死んだ後の方が面白い、さっきも言ったけど、1995年1月17日に建物は道路に崩れ落ちやい。高速道が横倒しになり、制度による建築も終わった。
 あの時は依頼されていた設計がたくさんあったんだけど、設計を止めたほうがいいかなと悩んだですよ。契約しているので止めるわけにはいかなかった。もちろん子育てにも金が要る時期だったので働きづづけたんだけど。
 20年以上前のあの日から思考する建築は終焉したって気分。SDL2018を体験する、1週間前までは、霞んでた思いですが。

 建築は死んだが、言葉の死は観たくないので、ジャーナリストを養成していた早稲田大学のジャーナリズム究所と花田達朗先生のお手伝いに方向転換しました。そこに関わりだしたらマス・メディアの死近代政治の死を目の前で観るはめになっていました(笑)
 マス・メディアを代表する新聞とテレビは、グローバル金融によって激変する時代に追いつけなく、読者の要望を見誤り、応じられず遅れるばかり。日本のマス・メディアは死んだも同然の状況となっています。311後さらにそうなってしまい、今は、ほどんどゾンビ状態。各県にあるだろう地方紙の目玉、売りがお「悔み情報」ですよ

堀井この瞬間も死んでいるからね

佐藤:マス・メディアの役割は終わっているんですけど。でもマス・メディアを担う企業社員たちは高給取りなので終わらせたくない。ゾンビ・メディアに薬剤打ったりビル経営して、栄養剤にあたる大企業の広告費を注入して、生きているふりしている。 近代の主権者にとって必要だったマス・メディアは死んだも同然。ネット時代に入っているので、自立したジャーナリストが世界の仲間と連携した小さなメディアが、必要な情報を探査して、被害を被っている弱者たちに必要な情報をつくり、届ける。そういう脱マ・スメディア化は始まったので、目撃できています。(探査ジャーナリズムという)

 今までの、行政の御用聞き役で、広報係にされている記者クラブから多量に流される、ストレートニュース、権力者ヨイショだらけ記事を量産する形の日本のマスメディアは死んで、いいんですよ。

堀井:読者もゾンビだよね 

佐藤:身の回りの人に言うと「気ちがい」扱いされますね。建築系若者もマスの祭りに群がって来て、他者承認を得たい、自分の足下の不安を自己消化できない様を見て、建築も終焉してる、建築が死んでいる。SDLで再確認したような気がしました。なので、色々聞き語ってみます。

堀井:俺は自分が、佐藤さん自身も建築に属してはずだから、建築が死んでいると、意味は理解するけど、そんな全部は死んでないよと。

佐藤:実建築を設計することだけ建築じゃないって、堀井さんはさっきエスキス塾に関わる意味について話しされました。

 中学生から土方バイトして建築施工の中にいきなり入って高卒なので、俺は堀井さんとはやや違う位置にいると思います。建築という事態に関わる、あらゆる人間とその人々の欲望の総体に、興味が湧いちゃうんですよ。 建築が死んだ後、建築的事態は死なないですよ。こは面白いんですよ、相変わらず。
中世の渡り職人に戻るようで、面白い。
 県立工業高校を卒業して土建屋の設計部で働いて一級建築士をとって退職し、インデペンデント建築士になった。その後で雑誌上で、建築家と呼ばれたからかも知れないんです。
 プロフェッサーへの道も、建築の思考も、組織事務所の人々も、若い独立建築家も建築工事関係も、発注者も、皆含めたそれらの欲望を生み出す総体へ興味がわいちゃうんですよ。

 今、日本の企業は新自由主義の波に呑みこまれちゃい、社員を奴隷に、しちゃう道を歩んでいる。インデペンデント建築家してると、企業の奴隷にはならずに済む。結婚したのは20歳だったから、子供たちは既に大人。俺の影響を受けているから、会社員向きの人間でない

堀井:会社員にならない。成れないから大学で働くふふふ
歴史君:今、大学が会社化しちゃったから
堀井:そうそう、そうだよね、それは正しい。

佐藤:西欧の思想を受け継いで、大学なども展開してたんだけど、中曽根さんが登場してアメリカ化へ舵を切り日本は激変した。
 俺が身につけた考え方と現実に起きている事が激しくズレてだして、my子たちはヨーロッパで働く方が水に合うような様になっちゃったんだね。あちらでは今も、人間の自由と尊厳、基本的人権を守るために闘っていたんだよ

歴史君:建て前かもしれないけど、それを打ち出すっていうことが尊いっていことを、この5年ぐらい日本は学んでいるじゃないですか。

佐藤:150年前、政治家と軍人を兼ねていた武士は、政治はそのまま、国民を兵士として徴兵し官僚になり、富国強兵のもと国民国家を作ってきいた。各種の権利を自分で獲得する、西欧のような能動的な市民は育てなかった。

 1月11日に仙台で学生主催のハウスレクチャーがあった。お題は「宮城県の設計教育と都市」に関して話し合うイベント。

 そこでは「市民と言う言葉が発言されるたびに、笑いがおきたんだよね。フランクフルト学派の学徒である、花田達朗先生の薫陶を受けている俺としては、市民という概念を、笑うかのような態度が日本の大学の先生にあると。驚きました。
 そういう態度ができるんだから、日本の近代以降の建築は死んでいる領域の事態なのかなーと、あのとき思った。

 辰野金吾やコンドル先生の心情を学ばないと判断し解決できない問題。たんなる直感だけど。
 ただ俺が言えるのは、俺が中学の修学旅行で観た、今でもゆるぎない名建築である、国立代々木競技場。あれををつくる丹下健三。彼が育て維持していた建築スフィアに関わった面々から、建築を知り始め知識を得たように思うので。磯崎新さんとか黒川紀章さんとか、大高正人とか。
 レムコールハースが『PrpjectJapan』で明かした(←関する日記へ)、丹下健三周りの人間関係の豊かさ、エスキス塾の丹下版と言っておこう。建築人が育っていく苗床の維持が可視化されている。
 国家を背負って、丹下は、40代、50代の建築家として絶好調になる場なのに、日本は敗戦しGHQに占領された社会で建築を獲得していく

 311に遭った時に、そういう事態をつくりだす奴が居てもよさそうなんだけど。311後だから、終焉した後に要る人材。日本の新しい建築を創れるはずなのに。一緒に飯食って語り合い、雑魚寝して、これが311以降の丹下が造った代々木の体育館に代わる新しい事態なんだぜーって宣言する奴がいてもよさそうなんだけどね。大きな謎。


アーキエイドで起きた事

堀井:今の話の中で、雑魚寝は、色々あることの一つだという理解のもとに言うと、うちのかみさんが代表をしていたアーキエイドの牡鹿半島の会では、小嶋一浩とか塚本由晴とかが、学生と一緒に、廃校になった学校の野営地で、一緒に床で寝ていたから、そういうことは起きた。
 小嶋一浩なんか「自分がそんなことをやると思っていなかったし、なんでこんなことをやるんだと」と言いながら、結局はやっていた。戦後の焼け野原状態はあった

 5年はやったから。年寄に期待してもしょうがなくって、その場に居た学生が重要だと、俺は思う。そういう現場に居合わせたやつら。今の佐藤さんの例えで言えば、丹下健三は、それの場所を作ったかもしんないけど。丹下じゃなくってその後の人が重要で、そこに居た学生が俺は重要だと思う。

 そいつらこそが、将来の原点に還って考える場所を、そこで経験している。そいつらが、ある程度の発言権とか、能力とかを持って来るのを待つしかないと思う。 アーキエイドの牡鹿半島の会は種をばらまいた。しかも、全国の学生が来ていたので、それこそ世代をつくるかも知れない。


巨大 防潮堤

佐藤:こんな稀なる災害・人災に遭っても〜、なにも起きなかったら

堀井:他方で、そうやっていても、目の前でむざむざと均一に、巨大な防潮堤を造られてしまって。それに対して何の発言権も、なにも無にね。むざむざとやられるしかなくって。
 今の佐藤さんのたとえで言えば、空襲の焼け野原の跡でキャンプを行ったつもりだったのに、その後にもう一発くらっている感じがするわけ。もう一回殺されている。

佐藤:防潮堤 GHQ再来すか。そういうふうに理解しても構わないけど、GHQに勝ててない。その事実だけが再現され残っている。

歴史君:今、目の前のTVでNHK特集がまさにその話を流している元に戻すだけじゃ〜だめだって。そう思うからダメなんだよ。まず元に戻すだけでいいじゃん。一番金も掛からないんだしさ。こんに大変なことに遭ったから、そこからだ。 
 新しく踏み出して行きましょう、と言うやつには、貴方たちはそう思うかも知れないけど、被災した人はそう思っているのかって。

佐藤:新しい港町を造るために、巨大な防潮堤を造って、来るべき大津波に備えた町をつくろうなんて、被災地の人たちの大方は思ってない。
 役人が大金使って、被災地の要望も満足に聞かずに、3か月で計画練ってばらまいて、被災民はつんぼ桟敷。反対すれば馬鹿者扱いする。

 そうではなくって、まずは放置してたままがいいと思うんですよ。地域の住民・人々の総意が芽吹き出だすまで、待てない仕組み自体が問題なだけであって。
 まずは熟成するまで放置しておくのがよい。そう成るのを「構造災」というらしい

歴史君:こんなに急いで防潮堤つくる必要があったんですかね。

佐藤:次の巨大津波が来るまで間があるんだから、まずは放置しておいて、被災民の総意が立つまで待つ。放置しできない仕組みがあって、被災民たちには対抗できない。どうしようもないままの状態が海岸沿いに続いて

堀井:究極的にどこに問題があるのか結局はわからない

歴史君:政治家さんたちは、自分たちで堤防を造らしたら手柄だと思うので
堀井:そう、そう。
歴史君:それから町、高台に移転とか

佐藤:311で、さらに戦後、政治家と行政の仕組みだけが全勝したってことか。それで、いいと思えば、このままの状況は続くし。
歴史君:日本のそれまで歩んで来たものが、ああいう形で出たってことなんで

堀井:結局同じなんだよね。311に遭っても、何も別に変らないだよねー。それがただ津波なだけなんだよ今回は。

佐藤:空襲が巨大津波と、原子力発電所による放射能バラマキで何も変わらないの
堀井:完全に同じなだよ

佐藤:でも俺は、オームの地下鉄サリン事件の方が、死んだ人には申し訳ないけど妄想が起こした事件だけど。直接死んだ人はいないんだけど、二度目は国家が国民に向かって放射能をまき散らしたんだよ。関連しは2000数百人もいる、猛毒バラマキ事件なんだ。なんとかしてようぜと思うね。

 オーム関連は浅間山荘事件を引き継ぐ出来の悪い後続っだけど。彼らの妄想・夢の世界で考えた事で人を殺すまで行ったけど。今回の原発事故はマジに未来の資源不足を補うために思い患ったことで、大震災を切っ掛けに猛毒がバラまかれちゃった事件だから。戦後の最初に戻り考えを練り直す機会で、放射能毒で直接死んでないんだけど、関連死数は2200人ほどだからね


復興について

歴史君:仙台空襲の復興を観ていると、仙台という町は空襲の前までは古い城下町、狭い町で、まったく近代的じゃなくって。かえって焼け野原になって「広い道路が出来てよかった」と言うが、おいおい、ちょっと待て待てなんだけど。
 今は綺麗に出来過ぎて、外国人、留学生が来ると「あんまりおもしろくありませんね・・・」みたいに言われてしまう。かなり、いじって、いわゆる50mですか。幅の広い道路を3本造って「近代的な町になってよかった。」それは、高度成長している頃はよかったけど、今じゃスカスカっていう。
 元に戻すっていうんじゃなくって復興って元に戻さないんですね。しかも仙台の町は積み重ねて来たものが有ったんで、それが活かされてない。

佐藤:災害後の復興って都合よく作り替えちゃうだけ〜以前の積み重ねの仕方を誰も意識したりせず、受け継ぎかたが分からずに、ガラガラポンと捨ててしまい、単に新しくしちゃう。311後も似てるね。積み重ねて来た港町のことを意識せず、安全対策だと言い放ち、ガラガラポンと巨大な防潮堤を造る、同じことが起こっちゃった

歴史君;だから、歴史をやっている人間も、、終わってからブツブツ言ってるんじゃなくって、なにも起こる前から日ごとから関わって町をつくりづづけなければだめだんだ

佐藤:そう、急造町づくり落下傘支援は作り替えちゃう、その間違いを起こすいので、だめで。日ごろから地域の人々とワイワイを積み重ねていく。そうして自ら町を手に入れる。
 311ではそれがほぼ無かった。お役人さんに全て取り上げられてしまってて、被災民は手も足も出せない。無力感として残っているのだろう。とはいえ、どこかの誰かがいい町つくっていそうだけど・・。


歴史君:仙台では、戦災復興記念館っていう、30年後か。30年経って記念館を造った。そんだけでも日本の中では進んでいた方。東京も含めて、戦災を、そもそも総括もしてない所が一杯。戦災復興事業を、神戸はやろうとしたん、その年に大地震が来た。色々な事情はあるけど。やってない。

 土木の行政の栄光の歴史になってしまっている。そのように俺には読めた。日本全体的にそうだ。

 東京とか大阪みたいに、こういう状況も含めて、絶対どけないぞ!みたいな、日頃の古い物が残った所に、インバウンドという外国人が喜んで行っている所は、そういう所であると。東京だったら佃島とか。

佐藤:近未来に関東大震災に遭ったら、古いそれらの町は皆なくなってしまうね。堀井さん日本酒呑むの早いね

堀井:酔っ払いだすと、凄い早いピッチで呑んで、加速度的に酔うから

歴史君:私と一緒ですね。 

佐藤:色々総括して記録して伝えないと、311を体験したことにはならない。
 たとえば東京大空襲の戦災でもいいし、関東大震災の自然被災でもいいけど、被災し生き残った人々が、未来のための復興への仕組み完成させる、余裕が無くって出来なかったということでしょう。

 俺たちはもう「進まなくって、いいんんじゃない」って言い合って、そのときに311に襲われたん。近代路線を進まないていう選択肢も考えられる。

堀井:世界でみるとね、日本は、今でもめちゃめちゃ貧しいんだよねー
佐藤:あそうー俺は分からないんだけど

堀井:おそろしく貧しいだよねー。娘んさんの生活、聞けば解ると思うよ。
佐藤:それは分かる
堀井基本的人権のレベルが違う。あのね、日本国憲法に基本的人権かいてあるけど、我々は基本的人権、無いから

歴史君:教わってないから、これでは違うって言えない

堀井:本当に無いから

佐藤:店終わりみたいだけど、もうちょっと呑みたいけど、まあいいか。おいしいんだがなー・・・


 「堀井さんに聞き語る」はこれで お仕舞です。最後まで読んでいただきありがとうございました。 文責:佐藤敏宏

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