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聞き語り記録 | |||
エスキス塾講師 堀井義博さんに聞き語る 01 02 03 04 05 |
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04 ■SDL2018の感想 佐藤:SDL2018の感想を、聞いてませんでした。お願いします。さらに来年への思いがありましたら。この作品の作者と、もう少し話してみたかったとか 堀井:うーん。一人呑み会の時に斜め向かいに座っていて名前覚えてないんだけど 佐藤:どんな作品でした 堀井:中国語を話す女の子 佐藤:雨水を透明パイプに貯め込み、カーテン仕立ての作者ね。建築をやらずに中国語の翻訳家か、アーテストか色々言ってた 堀井:じゃいい。たまたま近くに座ったから。「先生、最終的に私の案は理解して頂けなかったんですか?」って言うから。いまいち俺は「理解できなかったねー」って言った。そこで説明してくれればいいのに。そこ場で俺に理解させればいいんじゃないの、って思ったんだけど。 佐藤:外壁に雨水貯めて日々見せらる、建築として問題が多い。雨量観察計器の中で人間活動する、アート系に行く方向かなーって発言したら「私中国語ぺらな子なので、翻訳して財産手に入れる」そんな話に変わり、拡散してしまいました。 堀井:なんでもいいよ、本人が楽しいと思うことを、いいと思うことをポジティブにやれるんだったら。どんなことでもいいよ。嫌々やったりと、やらされたりとか。そういう人生でなければ。 佐藤:エスキス塾も専門分化しても好さげだが、あのぐちゃぐちゃ感がいいとも思います 堀井:建築って分れてないじゃないですか。だから今のでいいと思うけど。 ■ 311直後の話へ 佐藤:エスキス塾の感想話は終わりましょうか。もっきり二杯来たので呑みましょう、久しぶりの 乾坤一。 店員がもっきりを注ぎだす 佐藤:あれ 足らない!もっきってない、サービスだな 店員:安くさせていただきます 佐藤:思い出した。この酒、乾坤一を造っている大沼酒蔵に311直後、被災調査で入っね〜。社長と彼のお母様の話を聞いたな。同伴した役場の人が「初めて入れてもらった〜!!」と。とっても感激してた。この酒瓶を見て思い出した 歴史君:被災した土蔵など、自己負担分が掛かるので未だに修繕できない。2、300万の負担でもきびしいみたいです。 堀井:乾坤一の酒蔵は、村田町でしょう 佐藤:そう、村田町は311後に重伝建地区の指定なったんだ。けど、311以前は重伝建へと、まとまることが出来なかった。大震災直後は好い土蔵をぶっ壊し始めていたので「壊さないで、そのままにしてください」って言って回ったんですよ。「被災土蔵の保存の仕方と、転げている古い材料を捨てないで欲しい」というような報告書を書き、町に提出しまして。役所の人から古建築各所有者に配布してもらったんですよ 堀井:それ何年前 (看板に 乾坤一 の文字 2011年4月13日 10時39分撮影 ) 佐藤:当日・報告を出す!方式で回ったのは、311直後の2011年4月13日です。金沢に暮らしている古建築もこなし建築家でもある橋本浩司さん。作庭師の中村彩さんと、歴史君と、私と、村田町の職員さん数名とで。7人ほどだったかな。村田町に在る被災建築の調査をして回りました。 金沢市では古建築を維持保存する技術を伝承するため「職人大学」があるんです。橋本さんはそこで、修復専攻科の助手です。古建築の保全術の講義も勤めていたんです。被災地へ専門家も派遣する仕組みもあり、被災建築に対するボランティア調査で橋本さんに来てもらいました。 村田町も含めた旧仙台藩内に或る古建築群を何度も観て回っていただき、その場で手書き!報告書を作ってもらったんです。 土壁が落ちているとゴミにされちゃう可能性大で。土づくりも手間が要るから、その壁土を使うのがよいので「この古建築は壊れていない」と伝え回った。 その場で覚書みたいなのを書いて所有者に渡しましたし。ブルーシート貼ったり、応急処置も多数しました。絵は扉周りの枠をその場にあった丸太で支えた応急処置の様子です (2011年4月13日に佐藤が撮った写真集へ) 村田町のように古建築群が在るところは、町の教育委員会から県に申請をし、県から文化庁へ申請することで、承認を得て重伝建地区になるんで・・・承認されると、修理費の9割が国庫補助となります。 重伝建へ申請するために、一棟でも残したい。解体処分されないようにしたい。俺たちは、文化財ドクターが現地入りするための、梅雨払い役をしてたんです。宮城県内の色んな場所で応急処置だけしたんです。 そのなかで石黒さんという村田町方の熱意などもあり重伝建が実現したんです。研究者の支援や町の役人さんの熱意が無いと、文化庁からの承認は難しいですね。 歴史君:町の職員の熱意はありましたね。応急処置後に文化財ドクターが入って来て、図面もいろいろ採って、指定になったんです。 古建築所有者で修理した人も、役場の担当者も、どちらも知っているんですけど。ところが一昨日ぐらいの新聞掲載によると、未だに、そのままだって。 要するに修理しても、また壊れるから。何百万も掛けて修理して、後の世代にさらなる負担を負わせていいのか。そう考えて、311で壊れたままにしている人がいっぱいいると。 (絵:河北新報より 2018年3月9日web記事へ) 佐藤:311直後まで話を巻き戻すと。仙台市内も食い物もガソリンも車も無いって。SNSを使って、それらの情報交換していました。要る物を車に積んで、福島市から支援に出たんですよ。全国各地の建築家と歴史家などが協力し合うと、大震災に遭っても、残すべき古建築など在りかを知らせたり、被災時の応急・修繕方法の一例を提案できるだろうと思って。 小さくてもいいから民間でできる保存方法を創ればいいということで。ささやかに動いたんですよ。 石巻市の本間家土蔵へは、私の長年の聞き取り活動で、友達になった京都の構造家・満田衛資さんと、金沢の古建築・橋本浩司さん、作庭家・中村彩さんに声を掛けました。そく返信が来て4月12日の早朝に東北大学に集合してもらいました。夜は学生の加藤拓郎さんが運営してたダメハウスに泊めてもらいました。 4月12日に皆で石巻の本間さんの土蔵の被災調査をして、とんぼ返りで東北大学に戻り、大学で手書き「この土蔵は壊れていません」というような報告書をつくり、ました。強引な指令でしたが、自衛隊員がすぐそばで瓦礫の解体作業してましたからね〜、急いで残す決意を得ないと土蔵はミンチ状のゴミになってしまうんです。 で、翌日、13日に作り上げた報告書を大学から本間さんへ届けてもらったんです。 (2011年4月4日本間家土蔵 4月4日石巻市の写真集へ) (2011年4月12日 東北大校内で、手書きの報告書作り開始する 満田衛資さん 中村彩さん 橋本浩司さん 4月12日石巻市写真集へ) 堀井さんにも来ていただきましたが。俺の家で開いてた建築あそびは家人の病・再発で開けなくなり。2008年から各地に出向いての聞き取り活動にかえてました。そこで、知り合いになった関西の建築家たちと、俺のweb日記を読んでた、福島の医者から、義援金が送られて来てました。 本間さんの被災土蔵は、その義援金で修繕はできちゃうんだけど「それでは大震災に遭った被災建築・修繕物語は単純なりすぎる」と思いました。 本間さんと地域の方々へ、一度報告書を返して反応を観てから、私案は実行することにました。幸に地域から震災遺構にしようという、熱が上がり「唯一残った土蔵を残しておこう」震災遺構だと。機運が立ち上がりました。 石巻の門脇地区は大火災もおきたので、大勢の全国紙の新聞記者たちが入ってたんです。土蔵はすぐに彼らの目に留まって、土蔵保存に関する記事が多数配信されました(配信・記事のスクラップ集へ)。多数のマス・メディアが大きく紙面を割いて発信してくれたんです。 それに応じるように全国各地から義援金が集まったですよ。アメリカからも義援金がきました。総額で350万円ほど集まったんで、修理費の他に看板を作ったりパンフレットをつくったりしてすることが出来たんです。(義援金を送っていただいた方の名簿集へ) 俺に届いた義援金は残ってたので、多くは唐桑半島の鮪立(しびたち)港町づくり支援に活用することができました。 大津波の遭った港町の課題を、紙情報に加工して被災地域の人々と共有するために新聞を発行したり。何度も、外国や首都圏の学生を招いて、被災した港町をづくりるためのワークショップし続けてました。届いた義援金ために、俺は大忙しのヘトヘト、おおきく足も出してしまいました(笑)。 学生も俺も、鮪立集会場で何週間も寝泊り合宿。2年間続けてましたね。 港まちづくり支援が311後の俺にとっての本番だったんです。高台移転の用地決めました。 その際には、地権者の同意を得るんですが、学生には無理な交渉なので。俺一人で1か月ぐらいかな〜。港町の人々の黒い欲望渦巻くなかでの、所有地を転売できる最後のチャンスなんですよ。で思惑が絡み合い困難な作業でした。 港町の人が心配して「厄除け」ってことでサメの歯のお守り持たされ地権者との交渉に出かけてましたよ。連日連夜交渉しました。現ナマが飛びますので、本当に熱い交渉をしまくりましたよ。仮設住宅にも招かれ泊まってましたね そ用地確保交渉の時は時間が掛かったので、鮪立の数軒の民家に長期泊めてもらいました。ほぼ家族扱いでしたね。そうこうして、ようやく高台移転用地確保を決めたときに 鯨の歯で作った珍なる功労賞を頂きましたよ。鯨の歯でかいですよ。 (2012年3月25日 学生と地域の人々によるWS後の集合写真) 色々な様子が日記にが残ってます、色々な活動のなかでも、俺が発行した地域向けの自前新聞と、京都工芸繊維大学大学院生が作ったフリーペパー『鮪立へ』は、現地で大人気となり、岡田教授が増刷してくれて再配達再配達しました。(新聞データ や フリーペーパーデータ も含め 全てのデータは鮪立まちづくりweb記録て今も見る事ができます。 堀井さんに頂いたアイフォンも大活躍でしたよ。被災地動画も多数作りまくりました。福島県内の藤沼湖という農業ダムの決壊現場も撮って配信しましたら、多数に知らたようで。福島県内で大きな反響になって多くの人々が知る機会をつくることができました。堀井さんい頂いたアイフォン本当に役に立ましたー。 放射能の知識も無くチェルノブイリ原発事故後の知識はあったので、嫌でしたね。福島市内を離れることが多く、宮城県内で、色々なボランティア活動してました。。 繰り返しですが、中でも村田町は群で被災古建築を残すのが好いと思ったので、村田町の石黒さんや歴史館・館長さんと色々話し合って、専門家の協力を頂くように進言しました。彼らは大手建設会社の助成金でもって、報告書作成前の測量や作図のための調査費用を捻出し重要伝統的建造物群保存地区のための申請への、前段を始めることになったんです。 2018年3月9日web記事にあるように、311被災しても土蔵は残ったが、次の代に引き継ぐ段階で消える可能性が出て来ている。以前から「古建築の維持は負担が大きすぎる」っ声は上がってた話だから。要は次の世代に負担を押し付けたくないと、親なら思いますよね。さら言えば一銭もお金が出せないっていう地方商店の逼迫した現状があって。その生な声だからね。公共物にしてしまうと、どうなのか、っていう問題を討議しなければならないってことです。 歴史君:それを異口同音に、好い姿の古建築を所有している皆さんは言いますね 佐藤:堀井さんもツイートしてたように、現在の社会で要らなくなった技術であるし建物であるし。次の世代が預けられても困るんだよね (絵:堀井さんのツートより) 堀井:でも、古建築で商売しているとか、なんかやっているなら生きている建築だと思う。本当はそれで生かされるべきだと思うわけです。でも維持費がさー、収益を上回っていたら、それはたぶん死んでいると思うんだよね。 歴史君:そういうのは全部死んでいると言えますね。だってメンテナンス修理費も出せない。材料の調達の仕組みから、古建築を造り上げた職人の仕組みは崩壊しているんだから。ぜんぶ・メンテナンスオーバー。 佐藤:村田町の傍にも、大なショッピングモールが在るから。地域の人々は、そこに行ってしまう。商売の成り立ち難さが加速してしまって、311の被災でダメをおされた状態です。 堀井:でも、そのショッピングモールの客をリサーチして「村田町の地元の客しか来てない」んだったら、それはいいよ。つまり村田町の地元の人・全部ショッピングモールに持って行かれるんだったら。それは旧商店街が商売が下手なんだ。 でも新しく出来たショッピングモールに来ている客をリサーチしてみたら、実はよそ者が一杯居ると判ったら、他所から来た人が帰りに重伝建を観に、村田町に寄って、そこで町の品々を買う。 実は、モールに落ちる金は伝建のお金なんだ。そういうふうに重伝建側が「お前の商売は、うちを出汁にしている」と言うべきなんだよ。圧力なんだけど、要はそれは財産だから。ローマの旧市街と同じじゃないですか。廃墟なんだから。 ローマの旧市街も、それを目当に世界中から一杯人が来て。その結果カフェやレストランが潤うわけだから。だから、カフェやレストランは、そういう伝建に寄付をしないと。古建築の維持は成立しないもん。それが崩壊してしまうと、呼び物が無いから、商売もぶっ飛んで、ただ乗りがダメで。儲けているのがショッピングモールっていうのは情けないと思うんだけど。 もうちょっとましな者が、儲けて欲しいと思うけど。でも、モデルとしては同じで。要するに、そういうことが言いたいわけ。こないだ、Twitterでやり取りしたみたいな、事実上死んでいる物(建築)を伝統と呼んで、それを出汁に客を呼ぶこと自体が、俺、個人的にはあまり好きじゃないの。 でも、ただ乗りしてる連中は、いるわけで、オーナーが何を考えているかも一切無視をして「伝統の町並みの在るうちにお越しを」とか言って、キャンペインの一つもやらずに、そこに来た客を横から全部ごっそりもらっていく。そいつらに税金を掛けるべきなんですよ。 佐藤:近頃、隆盛しているグローバル企業の大方は、どこへも税金を払わないで済ます、タップスヘーブン族だらけだしな〜。地域にある小さな社会を崩壊させても、企業ストック増やす方向に勤しんでいる。無税の異国に本社を移動したりして、再配分を行わないようにしてますよ。企業内にストックし続けている。労働者が賃金を得て生産した物を消費することによって成り立っていた近代の資本主義が壊れちゃっているかねらね、地元の人雇い人金を回さないで済ませてしまうので。 堀井:自治体がそれをヘルプしてないと、だめだ思う 佐藤:もちろんそうですが。近頃の政治家は国家も捨て、企業家に裏で雇われているような状況だからね。政治家は地域のために働かなくなって久しい。国境を越えるお金に課税をしなきゃいけないんだけど、民主主義も国民国家も崩れかけているので、国境を越えるお金に税を掛ける仕組みが造れない状態だし。 堀井:政治家、そこがだめだよねー。小遣いもらって黙らされている。 佐藤:あまたの世襲政治家たちは、足下の実情に目を向けないね〜、知らんふり。私欲で働くかのようになってしまった。政治的な大きな話になって止めどなくない話だけど。 古建築の話に戻すと、地域の建築崩壊への対抗手段として、群で古建築が残っている場所は、まだ救いようがあるんだけど。被災地を回って観ると、ナイスな古建築が一棟しかない、そういう所がたくさんあるんですよ 堀井:そうだ。それは世の中に一杯あるよね ■時間の非実存性で 佐藤:もう一つは村田町の中でも、江戸から明治に移行したときに、地域内で格差もあって。古建築を持っている人たちは、多種多様な商売をやっているんだけど、貸金業もやっていた。そこから借りた地域の人たちは、何か怨念を抱いて語り継がれてしまっている。で、地域の内部で一枚岩になって古建築を残そうという雰囲気が立ち上がらないのもある。逆に、古建築の所有者が地域の人を嫌う場合もあるし。 いい建築というのは、そこに住んでいる人々に、「この建築があることで、俺たちにも好い事態が生まれているんだよなー」と住民各位が思っていたりしないと、残すべき好き建築とは言えない。 専門家による建築の見た目と、そこに暮らす人々が好い建築だと思い、支えようとする振舞いがセットであるのがいいんだけど。そういう好い建築だけが、古建築として残っていく。建築の専門家が観て面白いだけでは残らない。日々造り続ける新建築も日頃から地域住民と、語り合い、地域内で維持する協働の方法を手に入れてないかった。建築界の欠点、そこが311に遭い晒された。未だ手当なし、そのことも時が経つと忘れちゃうのだろうね。 SDL2018に参加して得た共通する課題の一つは、時間の非実存を受け、語り合う方がお互いに有効だな〜という事です。歴史に対して、どういう時間の構えで考えるのかですね。俺は、過去も未来も今・現在だとして暮らすのが好いと考えてます。 そうしないと、古建築を支え残すため障害になってしまう。固定された時間や固定された歴史感を脱することが肝腎と思うんです。固定されて変わらない時間だけ続くと、やがて生まれ来る他者とは関わり難くなるだけだ。堀井さんは未来はフィクションであると学生に語っていたけど 俺は311後は未来も過去も全て今・現在だと考えて生きているんです。そうじゃないと、過去にしでかした事を悔やむだけで、改変しようとしないで暮らすようになるから。 未来も過去も今・現在であるから、それらは創作し続けることが可能な事態なんだと、考え方を変えちゃう。そこで討議して生きることは、今=未来を手に入れることになり、未来の他者が歴史を作り変えたりすることに寛容になれるんだと考えてます。 固定した過去として捉えるのは間違えで、固定した、その過去にだって異なる事態の過去になる可能性が大いにあった。だから今現在に生きる人は、過去を固定された事態だと捉えてはいけない。 そうしないと自分たちが思った時空だけが過去だいとう、固定した未来を他者に押し付ける。傲慢な極まる醜態を演じてしまう。その事に気付かないで、白壁和瓦の武家屋敷を作るべき。これが絶対の歴史的建築だ!になります。未来の他者たちの可能性を閉じる行為なんだね。そこに気付けないから、胸を張って白壁和瓦建築が残るべきだと発言できる。 堀井:伝統と言う意味での正しい伝統。それが本来の伝統 佐藤:そう構えないと、固定された考え同士では未来の伝統へは進まないんですよね。時間概念を固定させちゃっている。歴史は正しい順序で、過去が記述されているとした、義務教育が成り立っている、その影響でしょう。過去は検証して全て新しいく創造可能態だと思うんだが。固定した過去、揺るがないが歴史しかないとして義務教育している。 人生の時をたくさん重ね、自分の過去を振り返るときに、振り返った時点で今・現在・過去を創作しているんだなーという自覚がないまま、過去の自分を語る老人は多いじゃないです。自分の歴史だって、日々更新され続けているという自覚をせずに、古いとか新しいとか決めつけているように。(政治問題になっている官僚による公式文書を改ざんするのは区別したい) SDL2018に出品している彼らだって、過去は固定されたいると考えて作品を作る。時間を順序として固定したままで成り立っている建築作品だけに見えました。 堀井:考えてないよ 佐藤:過去を創作した今としての作品が提出されていないので、この問題から脱するにはかなり重篤なんだなーと思いました。エスキス塾のようなドロップアウトアウタ〜たちが、ゆさぶり掛けて更新し始めるしかない。説教になってはだめだよね 堀井:一部の学生は説教を求めているんだけど。説教されて喜ぶんだけど。こっちは説教したいわけじゃない。たまたま説教になっちゃうこともあるけど、デスカッションがしたいんですよ。説教は甘えの一形態だから。 佐藤:はっきり言えば日本一位を決めていただくことだって、甘えの形態じゃない 堀井:そう、そう。まさにそう。 佐藤:価値を固定できない、価値を決めてくださいと(笑) 堀井:分かった!公式戦で一位決めるのは、もうゲームのルールだから、いいんだ。で、後でオフ会で、今年の審査員一位を学生の方で決める ははははは その 05へ続く |
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