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聞き語り記録 | |||
エスキス塾講師 堀井義博さんに聞き語る 01 02 03 04 05 |
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03 大学の現在 在野の建築家が なぜ 建築スフィア (建築的公共圏) |
03 ■大学の現在 佐藤:大学改革で先生たちも、成果が求められるように、なってしまった 歴史君:何人博論を書かせたとか、教え子が学会賞をとったとか。 堀井:それ!お受験・ママと一緒だな。 歴史君:その量の大小で教員の評価が決まる 堀井:えーえー!!気持ち悪いー 歴史君:学生は従うようになるし、管理しやすいから。大学で、文系として文句を言ってますけど。大学内の面々もそれでいいと思っているので、そういう状況が進んで行くのでしょう。 佐藤:明治以降に取り入れた西欧型の学問のありようが、終焉したんです。「終わってた」宣言する人が居ないから、終わりの次が、スタートしない。 よってで、だだらと死んでると言いましょうか、死んだような、殺し合いのような状態で、学問も続いていく。あるいはビジネス化が進む学問かな。大学はグローバル企業の下請け化になるのか。グローバル企業による、文科省への政治介入で、大学は二つの方向からの圧のもとで、彼らの下請け化が進み過ぎているんだな。 歴史君:善良な先生は自分の命と引き換えに、守っていく。 佐藤:善良なる学徒が学問の最後の砦になる!それしかないかな。人間の砦か。 歴史君:「学生の将来が大事だ」と思わない先生はいないと思うので、そうなっていくと、そこで色々ある。 ■ 在野の建築家が なぜ 佐藤:建築系の先生も苦労してます。話を戻しますね。 在野の建築家である堀井さんが、建築界では海の者とも、山の者とも判らない、学生さんたちに、なぜ熱く長時間にわたり応答し続け、関わっているんでしょうか。それも今年で三回目です。堀井さんには並みならぬ学生への愛情があるのではないか、一体それはどこから湧き上がってきているのでしょうか。 堀井:愛情かどうかは自分では自覚してないよ。だけど、要するに若い世代を育てる、それは「社会が育てる」っていうことなんだけど。俺はそれが建築だと思っている。それ自体が建築だと思っているので関わる。 建物を造りはしないけど、社会を建築することだと思う。だから俺にとっては、建築を造ることと、学生を育てることは建築で、一緒なんだよね。 なので自分の中には、まったく違和感がない。 確かに利益を目的とした在野で、大学人ではない。商売で建築設計をやっている人間、儲かってないけど。俺が、自分の時間とか労力をエスキス塾に費やして一銭もも儲からない。「何でやるのか」と聞かれたら、それだけ見れば不思議なんだけど。 でも建築を創ることが自分の目的なんだとしたら、それって重要な建築だと俺は思うので。そっちの方が圧倒的に重要だから。人間が人間をまず信用できることが凄く重要じゃないですか。考えたことを伝えたり、理解したり、ディスカッションしたり、そのこと自体が重要じゃないですか。なので俺には建物を設計すること変わらない。金は儲からないけどね。 佐藤:なんで、こんな質問をしたかと言うと、仙台にも小洒落た建築家が一杯いるんでしょう、東北大を卒業した建築家も一杯いるでしょう。彼らは誰もエスキス塾に来ていなかったので、聞きたくなったんです。 堀井:それは彼は、頭が良いからじゃないの。 佐藤:「どうして仙台周辺の在野の建築家は参加していないのか」、堀井さんに聞いてもしょうがないんだけどね。あの場には、在野の建築家は堀井さんしか居なかったことで、異様に見えちゃったんですよ。建築という事態が好きだったら、エスキス塾などを観戦したり、呑み会に参加したりして、全国から仙台にやってきた「建築系若者たちとワイワイしたい」と思うのが建築主義者の極・普通の行動じゃないかな。パンフで広告費支援、個人や組織はあるんだけど。 堀井:本当は、参加したり観戦したりしたい人は、一杯居るんじゃないですか。それで言うと。来ない理由は、東京と違って、人間関係が狭いわけよ。俺は幸いにしてよそ者じゃん。来てまだ7年だし。仙台の事情が解ってない振りができるわけ。最初は解ってなかった、今はだいぶ分かって来たけど。 エスキス塾に関して言えば、五十嵐君は俺と20年ぐらいの付き合いがあって。こういう事をやる時に、インデペンデンな・・何て言うんだ。本流から外れて別のことをやる人です。その俺は絶対乗ってくるし、そういうのにも向いていると。そう五十嵐君が想ったんだと思うんですよ。 佐藤:「堀井を誘えば必ず乗って来る〜」と五十嵐先生は思うと 堀井:地元・特有の他のしがらみ無いし。上下関係とか無いし。俺はしかも空気読まないし。だから丁度いいいわ〜、本人に聞いたことは無いけど。 もう一つは、教育、人を育てたりすることに20代の頃から、興味があったし。20代ですよ俺が。それを何となく五十嵐君的に知ってんじゃないのかな。「こいつを放り込むと好い」と思っているんじゃないかなー。批評が上手いわけでもないけど。そういう人間を入れて置くと、好いと思ってんじゃないの、分からないけど。 (絵:sdlサイトより エスキス塾の様子) ■ 建築スフィア (建築的公共圏) 佐藤:堀井さんがエスキス塾をやろうと言い出したんじゃないのか。 堀井:全然 俺は言ってない。面倒くさいこと嫌いだもん。 佐藤:3年やっているじゃん 堀井:五十嵐君が言うから、付き合っているだけ。やってみたらオモロイから付き合っている。俺は自分からはやらないよ。 佐藤:なるほど。人間関係が生み出す妙が、エスキス塾にあると。五十嵐先生が全体の事態を掌握しているかのようだね。 堀井:彼は時々、ノンポリの無責任なミーハーな、お前本当に先生かという雰囲気の時もある。たぶん彼は自分が設計者じゃないから、色んなものに唾を付けたい感覚が、時々そういうふうに見えるんですよ。 根本的なところで、人間がインデペンデンであるべきだし。皆もっと自由に発言していい。その信念みたいのは、俺とそんなに違わなくって。たぶん佐藤さんもそうで。だから俺は好みではない、振る舞いです。価値判断の基準において、何となく共通するものがあるんですよ。それは伝わるでしょう。 佐藤:五十嵐先生から、それを言えないでしょう。 堀井:けっこう言っているけどね。公式には言ってないのかなー 佐藤:俺たちが言うぶんには、問題ない。公式には発言しないほうが。 堀井:非公式であれ、彼はそう思っていて伝わって来て。代わりに俺に言わせているのかも知れないけど。あるいは代わりに佐藤さんに言わせているのかも知れない。 佐藤:その様を、建築系の公共圏を共有している。建築スフィアの共有って言ましょう。公共圏・建築スフィアは可能態なので、そこでは止めどなく、色々問題は湧きつづけるんだけど。建築スフィアの維持・継続のためには、学生も自由に語り合える場が保証されていることが肝要です。自由な対話が可能な建築スフィアを、多く発生させる、というコンセンサスを持って、自由に建築を語り合うのっては健全です。大きな祭りが壊れちゃっても、小さなネットワークを作って、濃厚な内容を見せ合える時代が来ているんだが。 ただ建築スフィア仲間が一堂に会することで、未だ見ぬ人間関係がSDLから生まれる。それが祭りの重要な効果だ。 今ある大きなSDL的な祭りを壊し、ネットのみで交流するだけじゃ〜、人と人の交流は多様にならない。祭りの現場に立たないと寛容さも身につかないですよ。逆の欲望を持って祭りに来ている者だって入れちゃうと。 堀井:お祭りだから、祭りでいいんだよ。それ以上でもなんでもないからさー。ぜんぜんそれ以上じゃないから。 佐藤:だったら審査員は花形役者なんで、お祭りらしく、言葉での喧嘩を演じて欲しいよ。建築系言論、喧嘩祭り〜ってなもんで。 堀井:そこまでは言わないけど、 佐藤:今回、初体験だったけど参加学生はその事を知っていると感じました。 まぁ いいでしょう 美味い日本酒を呑みましょう。 俺は石巻産の日高見 堀井:俺は村田町産の乾坤一にしよう その04へ続く |
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