HOME 鈴木達治郎1990年代の年譜 案 (作成日時:2024年2月〜)1950+50年代 1970年代 1980年代 1990年代 2000年代 2010年代 2020年代 | |||||
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1990年代 | |||||
・ 1990 “The Approaching plutonium surplus: a Japanese/European predicament” , International Affairs, Vol. 66, Issue 3, July 1990, pp. 523-543 ABSTRACT: The vision of cheap energy independence through civil nuclear power has faded in the late 1980s as the costs of nuclear programmes have come to light. But present nuclear plans in Japan, France and Britain are set to produce quantities of plutonium in the 1990s which, the authors argue, will be surplus to requirements and very difficult to use. The over-production of plutonium will pose political and security problems?particularly for Japan, which owns large stocks of separated plutonium in Europe that it may not be able to bring back home. Nuclear strategy in Japan and Europe needs to be rethought if serious international problems are to be avoided. ・ University of Sussex, Science Policy Research Unit (SPRU)のプロジェクト。William Walker, Frans Berkhout教 授と共著、日本にも調査に来日、依田理事長とも面会 M商事に翻訳されて配布された。THORPの運転開始、92年の プルトニウム輸送を直前に、政府・電力業界から批判を受ける approaching plutonium surplus: a Japanese/European predicament | International Affairs | Oxford Academic (oup.com) |
ウイリアム・ウォーカー フランク・バーカー |
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・1992-95: Frank von Hippel教授に呼ばれて、ロシ アの解体プルトニウムワークショップに呼ばれる (ナン・ルーガー法) 国際プルトニュウム管理指針 国際科学技術センター設立 |
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1995“International Responses to Japanese Plutonium Programs”, MIT Center for International Studies, August 1995 ・Eugene Skolnikoff, Kenneth Oye教授と共著。当時の動燃事業団から委託研究。日本にも調査に来日。 ・日本のプルトニウム政策がなぜ国際批判をうけたのか?どうすれば 批判は緩和できるか? ・ 結論:日本のプルトニウム政策の説明は合理性に欠ける。六ケ所再処理工場の運転開始前に、再評価をすべき。 ・朝日新聞1面に報道されて、日本で反響 ・ 東海大学・プリンストン大学共催でプルトニウム問題で国際ワークショップ(帰国時に「国賊」と呼ばれる) 1995: Abe FellowshipでSPRU, 並びに電力中央研 究所に客員研究員として滞在 |
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1996−2003 電力中央研究所 (1)原子力未来研究会 ・1996: 電中研に入所 ・ 原子力政策室設置 |
依田理事長 | ||||
1997: 「原子力未来研究会」設立 ・ 匿名で「原子力工業」に連載・ |
レスターブラウン 山地憲治 |
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1998年 パグウォッシュ会議への参加 ・ 1998 アジア太平洋地域における核不拡散ワークショップ に参加、日本のプルトニウム問題について発 |
フランク・フォン・ヒッペル 小沼通二 |
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1998年:「どうする日本の原子力:21世紀への 提言」出版、 同年年間読者最優秀賞受賞 99 年「エネルギー・フォーラム賞」受賞 |
どうする日本の原子力:提言(1998) FBR 高速中性子を利用して燃料を増殖するFast Breeder Reactorの略 1.FBR: FBRは「選択肢の一つ」であり、現在の実証炉計画は白紙に戻し、FBR開発は 「技術継承」と革新性を重視した開発戦略に転換すべき 2. 使用済み燃料貯蔵と直接処分: 貯蔵は重要な選択肢、直接処分の研究開発を始めるべき。 3. プルトニウム問題: 核軍縮・不拡散問題と密接に関係。プルトニウム削減のため再処理 計画を再考すべき。 4. 放射性廃棄物: 特別扱いせず他の有害廃棄物と整合的に扱い、民主的プロセスを重視す べき。 5. 規制緩和; 競争力を高めるためにバックエンドの切り離し。経済リスクには政府が一定 の責任を負う制度を。 6. 立地プロセス: 制度疲労に陥っている。地域支援寄付金制度の創設など、新たな立地体 制を検討すべき。 7. 原子力外交: 核軍縮・不拡散でリーダーシップを。 8. 核融合: 基盤研究を充実させ、科学的研究として再構築を。 9. 意思決定プロセス: 新しい原子力政策の方向性は、総合エネルギー政策の下への統合、 政策決定の透明性の確保、地球的視点からの長期ビジョンの提示に整理できる。 |
・ 1998 アジア太平洋地域における核不拡散ワークショップ に参加、日本のプルトニウム問題について発表 |
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1999 年「エネルギー・フォーラム賞」受賞 ・ FBR、核燃料サイクル、立地問題、放射性廃 棄物問題、核不拡散など、原子力の未来を築 くための諸課題について提言 ピース・プレッジ(科学者平和誓約運動) |
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パグウォッシュ会議への参加 1999 Rustenburg, South Africa 世界大会に初参加 科学者平和誓約運動(Peace Pledge, Japan)を開始 |
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