HOME 鈴木達治郎 1980年代年譜 案 (作成日時:2024年2月〜 1950+60年代  1970年代 1980年代 1990年代 2000年代 2010年代 2020年代

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1980年代
1980年までの2年間 米国コンサルタント会社勤務 東アジアなど調査報告

1981-86国際エネルギー政策フォーラム(IEF)
  シンクタンクに勤務 

   エネルギーサロン 年一回国際会議
向坂正男、大島恵一

・1981年1月 IEF(向坂正男、大島恵一先生の共同議長)
  主任研究員に就任
  会議の記録を作成するも非公開(職員5名)

・日本のエネルギー・原子力政策の決定過程を学ぶ

(主なテーマ)
・ ポストINFCE(国際核燃料サイクル評価)時代の核不拡散政策:日米原子力協定改定交渉
・プルトニウム・リサイクルの経済性評価、「第二再処理工場」問題
・ 原子力産業の将来戦略、新型炉の商業化
・ プルトニウム輸送と核物質防護 
・ 晴新丸でプルトニューム移送 米第七艦隊護衛依頼


鈴木篤之
800トンの六ケ所村の再処理工場は大きすぎる。プルトニューム多すぎると主張
 
・ 主な出会い
依田直、田宮茂文、秋元勇巳、金子熊夫、遠藤哲也、舛添要一、猪口孝・邦子、薬師寺泰蔵、児玉文彦、末次克彦、谷口富裕、石田寛人、Gerald Smith, Warren Donnelly, Leonard Weiss, Roger Gale…

菊池三郎
阪神ターガースセ・リーグ優勝
1985年阪神タイガース 優勝日本一

1986年 向坂正男さん亡くなる。IEF閉鎖となる
 
・1986
年(1986−95 MIT時代(原子力。安全とプルトニウム)

1986年1月外務省派遣で
   MITエネルギー環境政策研究所
(CEEPR)に出向

1988

博士論文The Analysis of the U.S. Pu-Technology R&D Program Dynamics” (東京大学工学部)アメリカの高速増殖炉の研究開発ダイナミックスを書く
・ CRBR(FBR原型炉)キャンセルの後、米国FBR・Puの研究開発はどのように変 化したか。そのメカニズムとその目的は何か。
・ 「技術力の維持」(maintaining technological capability)が狙い

・ それには、大規模な実証計画は不必要でかえって技術革新を阻害
革新技術を目指す技術基盤(インフラ、技術者)を維持・継続することが重要

 MITでアソシェート・マネージャーに就任 
 同時にコンサルタント会社にも勤務(後、給料ピンハネされ別れる)
 鈴木篤之

1987-92
Associate Director, “International Program on Enhanced Nuclear Power Plant Safety”

東京電力、日本原電、中部電力、関西電力、九州電力, EDF等の支援
・ 日本・欧州の安全パフォーマンスを学ぶプロジェクトー技術、経営組織、規制 政策の3本柱
米国のパフォーマンス向上に貢献(安全文化、リスクベース規制等)

■1980代末 イギリスのサセックス大学のサイエンス・ポリシー・リサーチ・ユニットSPRUへ 日本の再処理計画を見直せ

『007』、ショーン・コネリーに出会う

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