HOME 鈴木達治郎さん1970年代の年譜 案 (作成日時:2024年2月〜  1950;+60年代  1970年代 1980年代 1990年代 2000年代 2010年代 2020年代
1970年代
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1970年3月 灘高校卒業 
      4月 千葉県船橋市下総中山駅そばの寮で生活


1970年3月美浜原子力発電所臨界
    

1970年3月15日大阪万国博覧会開催
1971年4月 東京大学入学 

 井の頭公園そばの賄い付き下宿から東大駒場キャンパスに通う
 映画は渋谷まで出て全線座で3本立て200円で鑑賞する
 一時陸上ホッケー部のレギラー選手となるも1年間で退部
宇井純
(1932〜2006)
公害原論
(1971)

1972年8月6日から2ヶ月間欧州派遣団(WFA)
 学生発表「原子力発電の安全性
 ・米国から始まったテクノロジー・アセスメン ト(TA)の歴史、概念、実践例を紹介
 発表のお題 「第三のエネルギーからの警告
 『世界』『朝日ジャーナル』を愛読書となる
武谷三男(1911〜2000)
 
服部学との出会い、「核兵器と原子力」のつながりに衝撃

・ 公害問題:テクノロジー・アセスメント(TA)との出会い)

大島恵一教授が対談で登場 → 原子力工学科の大島研究室の扉をたたく
技術と政策の関係がライフ・テーマと考えるように なる


・ 幸運にもMIT Technology and Policy Program (TPP)が新たに開講されることを 知り、進学することができた(原子力工学科 とTPPの専攻)


・ 米国から始まったテクノロジー・アセスメント(TA)の歴史、概念、実践例を紹介

1972 「テクノロジー・アセスメント入門ー人間のための技術」 (産業技術選書)高橋希一編(工業技術院)


参照 PDF内容(2021年11月26日ーエネルギー環境研究会)
1. 1972-78 はじまり:公害、原子力、核兵器、TA ・ 1978-80 ビジネス・コンサルタント

2. 1981-86 国際エネルギー政策フォーラム(向坂・大島)
3. 1986−95 MIT時代(原子力安全とプルトニウム)
4. 1996−2003 電力中央研究所(1)原子力未来研究会
5. 2004−2010 電力中央研究所(2)東大公共政策大学院
6. 2010−2014 原子力委員会:福島事故と原子力政策見直し
7. 2014−現在 長崎大学RECNA:核軍縮・核不拡散とポスト福島の原子力政策


1978年ボストンで大雪に遭う
1973
 原子力工学科(大島恵一研究室)と大阪酸素がつながっていた。

TA、原子力・核政策の研究志望
 大島先生に、大学院へ進めとのアドバイス

1974年
 大学院入試失敗、留学を目指す
・ 就職志望も大学院への進学を進められる
大島恵一教授
1973年10月第一次オイルショック
1974年9月 MITの修士課程に入学
   

1976年 MIT Technology and Policy Program (TPP)

・ David Rose, Richard Lester, Thomas Neff との出会い
武谷三男
『原子力発電』
(1976)
1977

Carter大統領の核燃料サイクル・核不拡散政策に衝撃

・“Nuclear Power Issues and Choices

“In our view, the most serious risk associated with nuclear power is the attendant increase in the number of countries that have access
to technology, materials, and facilities leading to a nuclear weapons capability”

・ 原子力発電のあらゆる課題(経済性、安全性、エ ネルギー安全保障、環境、廃棄物問題、核不拡 散)を取り上げて、精緻に分析。その結論が上記。
核燃料サイクルの見直しに衝撃を受ける

・この報告書のスタッフの一人、Dr.Thomas Neff氏と出会い、その後指導を受ける。

■慣れないタイプライターで修論を書き始める

修論Uranium Fuel Assuranceのプロジェクトに 参加して、ウラン危機へに対する技術選択肢の比較評価をテーマとする

プルトニューム研究の始り

原子力政策研究会報告 : 原子力政策研究会 : 無料ダウンロード・貸出・視聴 : インターネットアーカイブ (archive.org)

Carter大統領
1997年4月7日
カーター大統領の原子力政策に関する声明

2012年1月15日自宅での
中日新聞の単独インタビュー
核のゴミ  最終的な解決策はやはり、地中深くに埋めて貯蔵することだと思う。でもそれが政治的に不可能だというのなら、われわれは原発の設置場所に保管を続けることになるのだろう。

Dr.Thomas Neff
1978
“Technological Choices in Uranium Fuel Assurance” (MS)
ウラン燃料危機への技術的対応策:プルサーマルより備蓄がよいとの結論
1971年第二次オイルショック
1979年3月28日
スリーマイル島原発事故 

■1979年5月修論終了
MITで博士課程入学を勧められるも就職することを選ぶ。
財務諸表を学びコンサルティング業務に携わりASEANで調査し報告書を書き続ける

6月24〜29日
カーター大統領来日 
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