2022/10/7〜8日 辻琢磨さんと1泊、2日間すごし語る  @静岡県浜松市 作成:佐藤敏宏
 03 辻さんの家で語る (2) 01 「403作品巡り 」
02  奥様のシャアオフィス 
03 辻さんの家で(1) (2) (3) 
   (4 運動会の朝 辻家改修について) 
04 洪水の跡地めぐり〜保育園の運動会


■千万家あれこれ

辻:
千万家が2000年竣工。

佐藤:2000年5月、そうだね。福島県内の新聞記事を含め多数載った。驚いたのは新聞の社会面に大きく掲載されたこと。五十嵐太郎さんも共同通信から配信したので各地の新聞に掲載された。だが一件も注文が来ない、外壁ないから来ないよね、なぞでした。朝日新聞の読者サービス会社が発行する「朝日ファイン」は半年工事をおいかけながら連載記事にした。彼らと共同でオープンハウスを開催し、たくさんの人が見に来た。アンケートも残っている。

辻:福島寒いしな・・・。

佐藤:寒さは慣れているよ。我が家には離れがあり冬でも問題ない。で福島の冬を20年体験済。野鳥も入ってくるし。寒いのは大丈夫、奥さんが模型みながら4年間も喜んで待ち完成したんだ。奥さんが拒否したら実現できない建築。北面は硝子壁があるけど南は○と○の間のどこからでも出入り出来る。理解するのは難しいだろうね。コロンブスの卵のように分からないのかもね。


2002年11月5日福島民友新聞社会面トッ記事となる

日本の家族現状がバブル経済の崩壊で明らかになった。家庭崩壊の文学作品・柳美里の『ゴールドラッシュ』や上野千鶴子著『近代家族の成立と終焉』が刊行されて読んだ直後に設計依頼があった。父を頂点にした=天皇を頂点にした社会や家族構成像が消え、多様になった事実が書いてあった。そういう見方は面白かったし建築的応答として設計し造り記録しよう・・・と思っていた時期だったね。

家族間での殺しあいと自分殺しが多い。当時(1996年頃)はバブル崩壊後だったので自殺者数は3万人以上で高止まりの時期(後に失われた30年と語られる)。高度成長期後の家族像崩壊に対応するべきという課題が広がっていたと俺は想った。その時期に「千万家」は設計工費千万円での依頼が来たんだよ。予算無さすぎるし10%設計料で100万円だ。設計料を払いたいと言う。専業主婦たちが家庭内で人間崩壊する様が斎藤茂男さんによって告発された『妻たちの春秋期』は俺には強烈だった。この時期に千万円で家建てた住宅だから面白いでしょう。

新たな家族像を建築で、これをなんとかしないと・・と勝手に思ったんだよね。原因はいろいろあるけど、my妻も精神が崩壊(原因不明)し入退院を繰り返してて、家出は何度もした(笑)そのたびに迎えに行っていたし止めもしたんだよ。家出の原因が分らないけど被害妄想に襲われ続けて逃げ続ける。脳の活動が暴走して止まらないんだよ。これは男女の役割を換えない限りは・・・と思った。

今でも役所や大学は男性中心の社会だから女性は病む、その構造は能力の劣る男性まで波及しているとも言える昨今だ。で、娘には日本を出て外国で腕を磨くよう背中を押しヨーロッパで移民研究生活を勧めたんですよ。ドイツには多様な移民によるエッセンシャルワーカーの問題はあるけど、娘の研究医療域には男女と人種差別が日本にはあるけど無い、聞いていると女性の発言が強烈すぎるとも言う。

日本で殺人の多くは家庭内で起きるね、自分殺しも相変わらず起きる。なぜ自分自身や家族同士で殺し合うのか?関係が閉塞して内向きになって固定してしまうのが一因ではないか?と考えた。建築も近代家族の成立を支えていたという事実を見つけので蒸発させようとした。

建築の壁の構造を考えたら、家族同士を閉塞させる。外壁を工夫する必要がある。「逃げられる壁を作ればいよ・・」と出入り自由の壁。一部を蒸発させ、いつでも家から家族構成員が逃げ出せる。結婚直後(1972年)直後に読んだ寺山修司の『家出のすすめ』の影響もあるけれど、積極的家出主義者の俺はそう考えたね。俺より先に妻が家出をくりかえす(笑)人生となったけど逃げるのは意味がある。

若い俺は関西ゼネコンへ家出したので親と疎遠だ。家出したら戻って家に入れる関係がいいのだが・・・・考え方や家族それぞれの職業が違ってしまうと、親といえどもすり合わせるのは難しい。○が一軒の家と考え、出入り自由、適度に離れているけど、分解しない関係、そういう共同住宅が1000で造れると咄嗟に思って模型を提出したら大いに受けた。

辻:確かにね。理顕さんぽいですね。
佐藤:山本さん、西沢さんも分棟ハウス作っていたと聞いたが詳しくは分からない。
辻:森山邸ね。



佐藤:「森山邸より千万家の方がいい・・」と聞かせられたが、理由はわからない。予算が無くって小細工できず素っかんぴんだ原因だなと推測した。





五十嵐太郎さん共同通信配信記事2002年10月16日掲載・福島民報新聞配



1994年刊行『近代家族の成立と終焉』




高度成長期にあった専業主婦が家庭で自己崩壊している事実を告発した書








寺山修司著『家出のすすめ』1972年初版160円

辻:別の感じはありますけどね、森山邸より理顕さんぽい・・・感じがする。
佐藤:山本さんは平屋があったと聞いたね。
辻:山川山荘。
佐藤:広島の分棟建築は塀で囲っていた。山本さんの分棟式は一時しのぎの粉飾に見える。千万家は近代の壁や塀がなく、囲い閉じていないので国境はあるけどね、質はまったく違う。

辻:岡山ですか。塀が囲ってますから。平面の図式が似てるというよりは、何ていうのかな。空間と外部の関係のとりかたを意識しているという感じ。

佐藤:俺は逆でいいや!と思った。外部が内部でいい、それは縄文時代の家の構造になっちゃうけど、外部の森や海(社会)が個室ってことだ。
:それで千というのが照れ隠しみたいなんですかね?

佐藤:お笑いで提示しないと発注者を含めた人々には理解され受け入れられない。貧乏にどう対応するかも求められていた。建築家なら依頼受けないでしょう、能力がもろに出ちゃうので避けたいよね。で千万家・物語はそうした、予算が無いのを笑い飛ばす、田舎者の曲芸だね。
現在の家族はこれこれしかじかで病んでいる・・・よって千万家の構造はこのようにして壁の一部を蒸発させながら族崩壊の病をブロックしている・・・なんて口上、説明は不要だよ。

お笑い、短絡的に理解されてもこの実建築の質には影響がない「変なの」と思われるぐらいだ、快適性は失われない、住んでいる人だけが分かるんだよ。

建築メディアは学生などの一部建築人にしか効き目がないんじゃないかな?俺は、TVふくめメディアは実の建築にも暮らしにも有効じゃない、時間を消費する道具だと思うけどね。建築メディアの有効性を研究している人いるんじゃないかな。そう言うと媒体を作っている人に怒られちゃうけど「リア充の糞野郎・・・」とね。
他人の所有・建築で飯を食う者は馬鹿野郎でいんじゃないかね、どうかね・・・まいいよ。俺は物と実人間を見ると分かるから。

物・廊下が好評で歩くと時々廊下が丸く櫛形でふくれるので体験してて気持ちがいい。両サイドの外部も廊下を歩くと左右の異なる外部を同時に見通せるのはいいよ。廊下の櫛形を本棚に使っている。あれは評判がいい。Rベニヤを止めるための櫛形の転用し本棚をおもしろがる人が多かったかな。

辻:それはすばらしいですね。



2013年、13年後の千万家の動画











千万家の廊下
 Rべニア板と櫛形を使った本棚

■公共圏と建築

佐藤:
俺は33才の時、自邸は工事中だったけど、温泉町の道路を占用してイベントやってしまって(笑)「路上がいいな・・・」と思ってしまった。

辻:路上??

佐藤:「建築の理想は路上」であると。出入り自由だしその場の関係作りもそこに立っている人にゆだねられている、それでいいんじゃないのと。建築になった瞬間に壁が出来てしまう。出入りする人を選別する。路上は危険だからね。人にも会う。壁を作ることによって何を守っているのか?いろいろ想像してみる。たいした行為を守っていない、事態を守っていない(笑)と思った。

辻:大笑いしている

佐藤:壁があっても殺し合いもするし、自分を殺す人も多い。壁は人を守らないことは分かる。壁無くっていいじゃないのと。壁が無くても人間の尊厳と人権が守られればそれでいいと。

千万家を2000年5月に竣工して、1年3ヶ月後の2001年8月22日(佐藤日記参照)に花田達郎先生に出会った。建築あそびに招いたのは2003年3月3日だった(記録公開中
仙台のメディアテークはパブリック・スヒアー「公共圏」概念を使って作られていた。設計者選定を経て伊東案が実現した。

公共圏」概念をベースに選定してたというのは俺は知らなかったんだけど。オープンイベントで、阿部仁史さんと五十嵐太郎さんとがSMTの記念イベントやってて、俺は枯れ木も山のにぎわいでいいや、と参加したら、花田先生に会った。

その当時は花田先生のことは全く知らなかった。「建築あそび」のようなことを話しているから、挨拶して4人で仙台の町で酒呑みした。俺は家で「建築あそび」で実践してきた、そのことを理論的語っていると思った。で、「花田先生の言っていることは俺が家でやってきたことだから俺の家に来て講義してください」とお願いした。東大の先生で研究所の所長だったけど、ダメ元でね。

あれから20年、花田先生とはまだ濃い付き合いは続いています。花田先生の家は藤村龍至とベラジュンン(かんなじゅん)が作ったボクセル・ハウス。発注者でもありあます(転売された)

辻:あ、そうなんだ。
佐藤:俺が頼まれたんだけど、藤村さんに頼んだ。
:ボクセルハウスは二人でやっているときじゃないですか。
佐藤:そうだね。

辻:花田さんは今どこにいらっしゃるんですか?
佐藤:今は早稲田大学も退職し全集も完成間近で、フリーランスの社会学者しながら西早稲田に暮らしている。東大から早稲田に移ってジャーナリスト教育に挑み、今はタンサというメィデアのアドバイザー、指南と教育してる。タンサの記事は受賞も多い。
(花田先生にHPを勧めた俺が作って運営してた(2023年からfullchinで間貸し中)

辻:サキノハカは・・・確かにテーストが佐藤さんのHPだ (笑)
佐藤:20年間わいわいしてきた。
辻:生き証人なんだ。








佐藤と花田達郎先生の出会いは
2001年8月23〜24日、佐藤のweb日記に記録されている。 仙台で阿部仁史さんの個展があり、シンポのあと流れて呑み呑みしているうちに、多くの人と話して興味が尽きなかったのですが、阿部さんには悪いけど、私が開いてる「建築あそび」の講師を2人もみっけちゃった。五十嵐太郎さんと、東大の花田達朗教授です・・と書き始めている




2023年3月14日佐藤の家で
花田達朗先生などと呑みワイワイ
記録を読む

佐藤:
新聞などメディアがヘタレちゃうと社会がガタガタになるので、20年間、警鐘を鳴らし続けたけど、政治も世も、へたれてしまい、政治家や一部の者に政治もメディアも私物化される様が誰にでも分かる、ファシズム権威主義国家に逆戻りしたね。

そういう状況下にあって、森純平さんは松戸のパラダイスエアーと八戸市美術館を示していた。あれは公共圏・建築を実現してました。花田先生も森インタビューに誘って、記録つくりました。
森さんは校正しないね。3時間弱話し合っていたから結構ながい記録になりました。

辻:
森君は八戸に居る?

佐藤:上野に暮らしている。松戸の物件は「街角製本所」と同じで既存内装を転用してる。松戸駅のそばの元ラブホテルの内装はそのまま使ってアート作品を展示している。二部屋ぶち抜いた打ち合わせ室はスクリーンとラブホの家具などを並べて打ち合わせコーナー、反対側は作家の制作の場になっている。

辻:パラダイスエアーって松戸ですか?
佐藤:そう。JR常磐線松戸駅のそばです。あの場所は八戸のジャイアントルームと同じ考えで作られている空間だね。家成さんの「千鳥文化」の建築にも近い。東の森純平、西の家成俊勝、この2人巨匠でこれからないいんじゃないか。おれが一人で言っている。
辻:

佐藤:森さんのことはまだ詳細を把握してないのでいずれ調べます。
辻:森君何歳?
佐藤:同世代じゃない、38才ぐらいかも。話し合ったことないんでしょう?
辻:僕はニアミスですね。








2022年8月27日午前9〜12時
花田達朗、中村睦美、佐藤で森純平さんに聞く松戸パラダイスエアーにて
記録を読む

息子
:リモコンはどこ?
佐藤:お父さんが持っているよ。
息子:お父さん、リモコン頂戴。
辻:寝るんじゃないの?お母さんなって言った?
息子:葡萄たべていいよと言っていた。

:葡萄。お、一杯あるじゃん。マスカットもありじゃん。
佐藤:葡萄を送ってきたと言ってたよ。
 息子が大声で呪文をとなえる 歌い出す
佐藤:喜んでいるけど、遅くて明日、大丈夫なの。おなかこわさないかな?

息子:見せて。

佐藤:6月に八戸市美術館に行ったら、目の前に若い男が居て、声かけたら森純平さんだった。
辻:たまたまですか?

佐藤:そう、ほとんど建築を観に行かないんだけど、偶然にも会った。神のお導きかもね。前日電話したら「何も展示してない」と言われた。「建物みるだけだから展示品なくていい」と応えてでかけたら、何もなく設計者が誰だかも知らなかった、情報無しで体験してみた。

その時の語り記録がこれです(2022年6月23日に森さんに会って話した内容記録)昼で飯喰っていた人もいたけど2時間あれこれ話していた。

:凄いね。

佐藤:相変わらず俺が一人で喋っている記録だけど。

辻:笑っている。

佐藤:森さんは記録に目を通してくれてジャイアントルームの高さは修正した。八戸美術館に入ってすぐ「新しい建築を作る若者が現れた」と思った。3人で設計したそうだが他の2人は知らない。森純平はこれからあまり建築は作らないと思うけどオモロイ活動すると思った。

辻:浅子さんと徹男さん。
佐藤:浅子さんというのは建築家なの?
:どうなんですかね。
佐藤:何でもやる人?出来る人?
辻:そうですね。キャラ立ってますよ。

佐藤:キャラ立ちの人か。西澤さんは青木さんの弟子だそうです。
辻:そうですね。
佐藤:青森の美術館の設計と京都の美術館の設計、西澤さんだとか。

息子:美味しい!
佐藤:よかったね。
 息子 おおきな声をあげる

佐藤:八戸市美術館しか見てないけど一推しだね。理由は記録にあるとおりで。家成さんは大阪の下町の人々を支援する建築人だけど、森さんは脱・美術館(公共圏化)を企てた意味では評価できる。使い方を支援しにボランティアしてたしのも希だ。八戸市の人たちがどうなるか?で都市化した建築に成長するかどうか?まだ不明なんだけど。

村上:琢磨君!明日の運動会の・・・。

佐藤:権威ある美術館を解体して、地方の美術館を耕作し始めているという意味では評価出来る。それだけ見て言い切るのも問題だろうと思ってパラダイスエアーを体験しながら聞き取りした。花田先生と編集者の中村睦美さんを誘った。

息子:それほしい、それだけ。
佐藤:これ好きだね、填ってる、ブームきてるんだね。
息子:それだけがほしい!

村上:そんなにはね。
息子:そんなには買わない。
村上:おいしいの?
辻:美味い。
佐藤:これ何て言うの?
村上:いただいたマスカットです、食べてください一杯。

佐藤:うん、甘いね!
村上:皮まで食べれる。
佐藤:辻さんものんびりやってください。

:のんびりやりたいですね。
佐藤:のんびりやったほうがいいよ。

村上:みんな言うね。
佐藤:先生たちが建築造ってきた状況と社会が違ってしまったから。先生をなぞっても時代錯誤になるだけ。

村上:苺もあるよ、出す?

佐藤:さっき製本所で言ったけど、個人が輝くというか、個人の人生が豊かに全うできるような建築をどやって造るかということがテーマだと思うけどね。資本主義は止まらないけどそれに載るなら権力の中央に居ないと巨大資本による建築の仕事には出会わない。

息子:果物屋さんで買ったの?

がやがやわいわい

佐藤:地方でいろいろな人の暮らしが起動し同置しているほうがいいんだけど。規制はあるけど出来るよ。
辻:小規模なら、わりと緩い部分はありますよね。

佐藤:多くの人は住むことと働く、経済活動することが一体になっていくんじゃない。そこで野菜ができたり果物ができたり。お、それをかぶって運動会で走った方がいいじゃない、頭ぶつけなくって。

息子:そんなのできねーよ。

佐藤:辻さんたちの時代は面白いと思うな。経済成長、物作りという単純さはない成熟社会だし帝国主義も戻っているし。
辻:うん。こういう感じでしたからね。

佐藤:日本の成長期は中央集権政治によって誘導されたので、めざずものも単純、均一すぎた。で、郊外にある家族のための家も単純で退屈なつくりだった、俺が見るとだけど。現在はいろいろな複雑な解答になるしかない移行期だからね。

息子:みんなでたべると楽しいね!
佐藤:楽しいでしょう、良かったね。 
村上:パーティーだからね。

息子 踊りだし。

佐藤:息子さんがこれからの正解を今、言ったね、みんなで造り暮らすと楽しいねと。子供の方が分かっている。大人になると分からなくなる。みんなでパティーすると楽しいということを忘れる。忘れさせられちゃい競争の坩堝に入ってやった気になる。パーティは無駄だと、仕事一番と思ってしまう人は多いのかも。

建築学会のパーティしてないの?

息子を世話し仕事すること

辻:もう学会のパーティはお腹一杯!いいな。学会とかGIAとかは。

村上:まだソーダ水あるよ。苺パーティーもしちゃう?
息子:やった!!フュルフュル 歌を歌い出す息子

佐藤:息子さん明るくていいじゃない。みんなでパティーするの好きなようだ。人間として大事。一人で考えるが好きな子供もいるけどね。人間好きだからいいんじゃない。
辻:ひょうきんな部類ですね。

佐藤:苺パーティーきたよ。

息子:苺パーティ 苺パーティー!!
辻:いいね。

息子:お待たせしました。どうぞどうぞ。
佐藤:君は優しいね、自分が先に喰わないで俺にゆずる。
息子:終わったよ。
村上:しんちゃんにしたら。

佐藤:よく食べるんだね。
村上:今日は特別です、ゲブしそうだけど。
:あんまり調子にのらずにね、げーしちゃうよ。
佐藤:食べ過ぎて吐くことあるんだ?
村上:楽しいと食べちゃうんです。
佐藤:食べるの、もうやめようね。
村上:やめよう。8時過ぎたし。

佐藤:明日運動会で一等賞になれないよ。お腹ぷんプクリン。
村上:位置についてよーい、ドンの前に走っちゃだめだよね。ドンのときに走る。
佐藤:かわいいね。
村上:もうそれで止めて。
佐藤:げーするよ。これからだな・・・大変な子育ての時代は。10年後ぐらいには中学生か高校生か。

辻:10年経っても中学校。

息子:アニメを見ている。しんちゃん見ないの。
村上:見るの、もうお仕舞い。
辻:こっちが甘すぎるんだ。


 アニメを静に見ている息子 

村上:これでやめて、もう寝る時間だよ。
佐藤:ここ、家の場所は静かだし集中できるね。
辻:静かですね、ここ。
佐藤:東京などの大都会に行かずに浜松市内でじゅっく仕事してるほうがいいんじゃない。時間もたくさんあるし。都会の人はなんだか忙しそうだよ。

辻:本当にそうなんですよね。
佐藤:ここで煮詰まらないように奥さんに「子育てしなさい」と言われる、ちょうどバランスとれていいんじゃない?

辻:「子育てしなさい」とは言われないですよ。
佐藤:奥さんも仕事持っているから二人で子供の面倒みる。

:僕がニートになれば子育てせざるを得ない。
佐藤:大学行ったからニートにはならないでしょう。

:大学辞めたじゃないですか。 辞めたら!
佐藤:岡田先生と同じになるね。
:あと1年やるのかな?来年はたぶんやると思うんですけど。再来年はやるのかな?わかんない。

佐藤:人を雇うならプロできちんと給料払う方が効率がいいと、昨日のわいわいでは語り合っていたよ。
辻:雇うってどういうこと。
佐藤:自分が事務所を開いて人を雇う。若い人間を雇うと教えてばかりで時間とられるから・・・雇った意味が消えちゃうそうです。
辻:はいはい。
佐藤:仕事出来るやつを雇うというのが近頃の共通認識みたいだった。

辻:新卒で雇っちゃいましたね。
佐藤:そうなると最悪らしい。
辻:大笑いしている。
佐藤:新人雇わないそうですよ。有る程度仕事が出来る奴に高い給料はらって大きな仕事をとるという方針だそうです。

辻:そういう人がいてくれたらいいですけどね。浜松に居ないし。

佐藤:この辺にはいないんだ!彼らは大阪という都会で仕事しているから言えるせりふなのかな?
辻:聞ける人はたくさんいるので・・・。

村上:あとは、明日食べようよ、それで最後だよ。それ食べて歯磨きして、寝なきゃ。
佐藤:すごいぱくぱく食べるね。

村上:珍しいです。

佐藤:お休み、ちゃんと寝るんだよ。
村上:そうだよ。
佐藤:今日は俺が来ているから興奮しているんだな、かわいそうに。

村上:そうなんです。波長が合っているでしょうね。
佐藤:君も将来は俺のように遊んで暮らすかな。

村上:すばらしいなー。

佐藤:遊んで暮らすって思っているより難しいですよ。
村上:そうですね本当に。佐藤さんの事をみんなうらやましいんじゃないかなと思います。

佐藤:そこは俺には分からないです。若い人は遊んで暮らすと後ろめたいんじゃないかな。俺は後ろめたいと思ったこと無い、必死で状況対応し生き続けたら今は遊んでいた。

村上:それがう羨ましいんだよね。お口の中に葡萄まだある。空っぽになったら歯磨きするんだよ。

しんちゃんのアニメの音が流れている・・・・ハイボールを注ぐ音

佐藤:ここは、遅くまでアニメ放送しているんだね。あ!ユーチューブアニメか。
村上:そうです、ずっと永遠に。
佐藤:TVだと30分放映ぐらいでしたよね。
村上:やらないです。


設計営業あれこれ

佐藤:辻さんは設計受注の営業はどうしてるの?
辻:営業はしたことないですね。
佐藤:地方だと営業しないと仕事依頼されないんじゃないかな。
辻:営業はしたことないんだよな・・・。

佐藤:営業しないと仕事こないでしょう?インテリア仕事くるかな、来ないでしょう。金持ちに向かって営業しないと来ないよ。
辻:営業したことなんだよな。

佐藤:大学では設計受注の仕方を教えなんだ!
辻:大学では何にも教わらないですよね。確定申告の仕方も教えない。何にも知らずに・・
佐藤:実務ゼロで始めた?

辻:ゼロで、でやっちゃったんで。
佐藤:それでは苦労するな。

辻:ようやく最近一通り仕組みが分かった。10年間ずっと確定申告、自分で手打ちでやって。ようやく今年から税理士さんに丸とお願いして。

佐藤:俺は20代から裏金つくりやってたから、やらされたんだな、会社から、悪の手法はやっているの見てた・・・独立してから節税しすぎて目を付けられて個人申告しているのに税務署は三度も来て・・・値切ったけど、お金もっていかれた、懐かしい!
:笑う

佐藤:「お互い忙しいから「幾ら取りにきたの?」と係員に金額を聞いて、これぐらいでいいでしょう・と値切る(笑)あんがい値切りに応じてくれる(笑)節税対策で裏金つくってもってなんとかなった。

裏金で設計料の一部支払う人もいたので応じる。壺から出して払う発注者もいて、金の扱い手法はいろいろな人がいるのでそれぞれ対応するのがいいのだよ。

大変だったよ、ゼネコン時代は特に「利益はあげろ・・・」現場監督もパワハラしちゃう時代だし、設計部員に当たってね文句も言うし、憂さ晴らしが回って設計部員したぱに来ちゃう。

ゼネコン設計部10年、一級建築士とったら辞めると決め入社

辻:ゼネコンに居たんですか?!
佐藤:ゼネコン設計部東京支店に10年いた。高卒でゼネコンに就職して設計部に入れなかったら辞めちゃお!と思ってたが東京支店、設計部に入れてもらえた。8人の部員だったかな。10年経ったらゼネコン辞めようと思って入社して一級ゲットしたし10年経ったので辞職した。子供が3人いたけど(笑)一所懸命育てるために稼いだ。

辻:どこにいたんですか?
佐藤:東京の恵比寿駅の真ん前のゼネコンピルに10年間配属、なんでもやったよ、やらされる。リーマンショックで東京支店もつぶれたと聞いていた。今回の関西の旅で西宮の本社跡地を観に行ってきたら、復活して15階(?)のビルになっていた。
新井組というゼネコンだけど。安藤忠雄さんが駆け出しの頃、部員が図面を書かされていたのは西宮本社の設計部の仲間たち。

辻:へーえ。
佐藤:安藤さん人垂らしなんでゼネコン社長の息子をたらした。で、設計部を派遣させて手伝わせちゃう・・・商売のやり方金儲けは上手いと思ったよ。東京支店は関わらないから被害なし。関西の人だから商売の手法はうまいんですよ。で我が仲間を部員を奴隷のように扱ってた、今ならパワハラだね、で仲間はぼやいていたもんだよ。「住吉の長屋」は新井組の作図手法のまま(笑)。

俺だって、他の部員も東京の多種多様な設計事務所に派遣させられたよ。狭い事務所だと原図もらってきて東京支店の設計部で書いて、見積もりと確認申請をとって届ける。で施工は頂いて金儲けはする。その事務所から図面書きのバイトが来る来る、でじゃんじゃん夜も寝ず図面も施工図も書きまくったよ。若いから元気なんだよ。で給料じゃ足りないので子育て資金にした。若いと寝ずに稼ぐよ。元気だよね通勤電車の中で寝る。

辻:高卒でゼネコン入ったということですか。
佐藤:そう。
辻:高校はなに?
佐藤:福島県立工業高等学校卒業1970年3月卒だ。
辻:高卒で『建築文化』に文章を書けるようになる知識は?本を自分で読んでですか?

佐藤:知識ない、本も読まない、思ったことを素直に書いて原稿提出しただけだ。知識もちろん無いよ。
辻:いやいや。
佐藤:人生経験あれば文章は書けるよ。
辻:書けないですよ、なかなか。

佐藤:そうかな?『建築文化』は字数制限あった、200字だったか少ないんだよ、でも好きに書こうと。
辻:本をたくさん読んでましたか。
佐藤:ゼネコン時代は21才で年若くして結婚、3人の子供に恵まれてしまったので、ミルク代稼ぐの、忙しいわけですよ。お金要るんだよ。で本も読む暇はない子育て金稼ぎのバイトを死ぬほどやるしかない、寝ないでやって稼いでいた。寺山修司の本は読んでいたかな?嘘とバレないように文章が書いてあるんだけど、作家って高度な嘘つきなんだよね。

辻:大笑いしている。寺山修司、全然読んだこと無いな。

佐藤:子供たちに読ませたよ(笑)結婚当時『家でのすすめ』読んでたら、つかつかと寄って来ていきなり殴られたよ。お母さんに捨てられ息子の話なんだけど勘違いしていたね妻は俺を平手打ちさ。抗弁しなかったけど。
寺山自身は捨て子だと言いたくないから上手な嘘を書きまくる。上手いんだよね、嘘を語り創作にのめり込んでしまった寺山!彼の物語とあじり方はおもろいけど妻に殴られる(笑)。虚構をつくっていって生きるバランスを保つんだね。演劇もたくさん創作した。
母親に捨てられた寺山は中学で俳句からスタートのちに古本屋で手に入れた高価な処女句集持っているよ。俳句が作家活動が始まり大学では短歌つくり、いろいろ上手い、で受賞して。劇団作って映画作って、上手い。でも肺血症だったかで47才若くして死んでしまった。
敗戦後東北の希望の勇者だね。敗戦後の青年・青森から生まれた筆一本で自立していく物語がいいんですよ。晩年は競馬の批評テレビでやっていたし競馬新聞にも書きまくってたんじゃないかな、俺は競馬に関しては知らない。

辻:いいね。

佐藤:寺山は著書多数で相当稼いだし世界的に有名人だ。劇団天井桟敷は世界的に評価されてると思う。劇団は東京支店の目と鼻の先にあったけど、脇目もふらず設計仕事三昧を決め込んだ。子育て資金のバイトは単価が安いけど簡単に描けるので施工図や原寸図も描いた。俺は建築設計関連をひたすらやったが、これは一生やる仕事ではないので、独立したら、下請け仕事も一切しないと決めていた。30歳に成った途端バイトしなくなったので妻は呆れていた。福島に戻ってもゼネコンの仕事下請け設計はたくさんあったが関わってはならない、下請けという泥沼から脱失できなくなるよ。

辻:ゼネコンにも行って実務もある?
佐藤:実務や現場観監理や営業をしたことないのに設計されたら大変じゃない?
:俺ですけどね(笑)

佐藤:契約の仕方とかゼネコンの使い方、支払い時期とか方法、職人の使い方、下請け業者の指定、同時に銭の効果的使い方、覚えてからじゃないと、ヤクザな土建業界は苦労するかもね。
辻:契約書なんか無かった。
佐藤:え!契約しないと踏み倒される!まずい、まずい、最も拙い。タダ働きさせられちゃうよ!悪やついるんだから、要注意。
自分で設計事務所開いて下請けは絶対しない!でも、ゼネコンの株主を目指して作戦を持って挑んでいた。凡庸な建築、簡単な設計しないと思い知らせておくのが効果的だ。下請け米つきバッタ銭だけ欲しい設計屋は一杯いるからね、彼らに雑設計はまかせれば、ゼネコンは仕事を絞っても問題ないのよ。

辻:ゼネコンの株主?!設計者としての株主、それは強いですね。

佐藤:そうだね。株主であり設計者であり、強い立場を手に入れた。裏金作りさせるのも楽賃。なんでも出来てしまうよ。
辻:それは強いね。
佐藤:現場監督はタコ設計とか・・悪口は言うけど言わせておいて・・・社長以下、役員は株主さまの言うことには従う!お金をストックするのには株主はいいんだよ。

辻:お金を確保しておいて。

息子 お休み
辻:明日運動会だから頑張ろうね。
息子:これ佐藤さん、ジージ食べていいから?

辻:笑う
息子:ジージに、はいどうぞ。じゃお休みね。また明日。じーじ、ぎゅー。
佐藤にハグする息子 辻おお笑いしている

佐藤
:俺のこと好きなのね?お父さんのこともぎゅーしなさい。
:そんなことしたこと今までないよ。

佐藤:俺を他人と思ってないの!?(笑
辻:嬉しそうにハグしたことない。


1970年恵比寿駅前4階設計部の俺19才


東京支店の7人の設計部員と長瀞へ19才



手が空いてるときはパースを描く担当だった、写真がない





19才の俺
設計施工の共同住宅、で現場監理にいくと現場監督はみな年上だから嫌味言われるは、虐められたり、酒飲まされたり、エロ動画見せられたり、自慢話聞かされたり、なんでもあり・・だった。土建業の界隈は本の中より圧倒的にオモロイよ。











東京支店そばにあった寺山修司主宰、天井桟敷の外観 このサイトより 恵比寿駅そばには劇団がおおくあったが、振り向かず設計三昧ときめた

佐藤:ゼネコンは利益だして儲かれば、人殺しはやらないけど、他はなんでも従いするよ。地上げも一度やったけどきついよ。(多くの人はやり方知らないでしょうね)
辻:それが彼らの正義だね。
佐藤:資本家はみなそうだよ。脅し、ごろつきみたいなものでね、資本主義は人格じゃないからね。大手のゼネコンはましのほうだと思うよ、地方のそれは要注意だね。ゼネコンにかぎらず会社は利益でないと維持できない。ゼネコンの方々に建築はこうであると理念を語るのは無駄でしかない。仕事と現金を見せること。建築家の高邁な建築や都市づくりの理想は要らない。スマートに見える輩ほど裏で酷い事する、要求してくるんだよ。

:ゼネコンの国ですからね。

佐藤:建築はしょぼいぜ、土木国家だよ。土木工事は金額が巨大だから土建国家。中学校から土方バイトやっていたんで建築現場みていた、所長から下請け作業員と土方まで地べたから見てた、よく分るんだよ。ゼネコンと糞設計事務所の糞監理ぶりも分かってしまう。姉歯なんかかわいいもんだね。スケープゴートにされたんだよ。巨悪は政治家と手を握っているもみ消すから、マスコミに姿を出さよ。

辻:手も動くんですか?
佐藤:手は動かない。技術があると武器よだけど。現場を見るために高校時代は暇さえあれば土方してた。建築業界で生きるつもりだったからね、業界の本質をしらないで突入するの、危ない。
辻:凄いね。

佐藤:ゼネコンの下請けとか現場で図面かいている若者現場作業員などが居るじゃない。彼らが何してるのか?土方しながら観察してた。現場を高校生で見てしまうと建築は設計するしか面白くない!と思えるね。ゼネコンに就職したんだけど、一月間のジョブトレーニング受けさせられた。
ジョトレの最終日に「何やりたいか第三希望まで書け」と言われた。全部、設計部と書いて提出した。俺しかそういの者は居なかったみたい。

辻:大笑いしている。

佐藤:高卒だったんだけど。大卒と高専卒が設計部に入るのがゼネコン決まりだった。第三希望まで全部!設計と書いて蹴られたらその場で辞めて仕舞おうと思って書いた。土方で現場を見てきた体験が効くんだけど、気合いが通った。

提出し終えたら、設計部長がやってきて「本社は部員一杯だから東京支店に行け」と言われた。本当は関西に居て法隆寺など古寺巡礼したかったんだけど「古建築も分からないし」と思って東京設計部員の任命を受けた。ジョブトレ最後の夜は皆から「高卒のくせに、社長と約束してないくせに!設計部員かよ・・」などねたまれ文句言われたよ、社長は嘘つくのよ・・馬鹿!・・と思って聞き流した。

でも「1級建築士取得して10年で辞める」とは言わなかった。10年でびしっと辞職して家族5人でも、仕事の当てもなく福島に戻った。で、辻さんも会い行ける、聞き取り人生を手にしたわけだよ。50年ぶりに法隆寺に行って見たら法隆寺のこと分かったよ。

辻:大笑いしている。

佐藤:俺が関西ゼネコンに就職した意味が法隆寺に立ってわかった(笑)独立してからは関西の友達も多くできた。独立して20年間は東京の建築人はほとんど知らなかった。俺に合うロールモデルは無いのでやりたい放題で暮らしてきた。平均すると1年の内4ヶ月ぐらいしか設計図書いてないと思うな、で建築家界のことはなにも知らん。知る意味あるのかな?俺に必要な人間には偶然でも会うから面白い。

辻:いい話だな。





工業高等学校の建築科の先生に鼻で笑われた本
この本、高校1年で手に入れたからそろそろ60年かも。日当500円の土方バイトで手に入れた650円の黒川紀章著『行動建築論』初めて買った建築論(?)専門書だが建築家という表記がないし、先生には笑われるし、高校で黒川さんの設計の話をするのは禁物なんだと・・ひどく教えられた本、なんでだろう?いまでも不明だ。

先生は酷評しかしなので先生が読んでないからかな?と思うことにした。

就職すると黒川さんは評判わるく、口汚く語るのでまた驚き、負け犬の遠吠えという奴だなと思って構わず。

京大卒で背中を見て育った人は多いのではないか、東大卒からは嫌われる最も風当たりの強い人だったと思う。

法隆寺は厳粛

佐藤
:関西ゼネコン設計部員になり損ねたので50年後に東大寺にも行ってみたさ〜。

辻:どっちがいいですか南大門と法隆寺?

佐藤:それは法隆寺の方が圧倒的にいいよ。緊張感といい世俗にまみれてないし。原型が1400年保たれているには感動するね。高さのバランスもいい。

重源の南大門は法隆寺が出来てから500年後ぐらいの建築だ。人間が輸入した宗教に欲望を重ねすぎてしまった姿と時代、それが現れているのが東大寺だ。武士が台頭し始めた時代だし人心は乱れて当然だよね。人の欲望が増え宗教の数も増えてゴッタ煮状態の東大寺境内だ。でかい大仏作ったけど法隆寺に比べると回廊が小さすぎるしバランスが悪い。波調している箇所が一杯あるよね。

辻:法隆寺は誰が作ったんですか?

佐藤:分からない。日本人と渡来人の合作だとは思う。誰の寺なのかも不明じゃないかな?聖徳太子が殺害されて鎮魂の寺だという説(梅原猛説)はあるけど、俺は真実かは詳しくはしらない。仏教が伝わって内乱があり渡来人もいるし、なぜあの緊張感がまま残って1400年無事に保たれてきたのか?不明だね。だれか知っている人いるんだろうけど。

辻:不思議ですよ。

佐藤:シンプルで無駄がないんだよね。どうしてそうなったのか不明だけど調べると面白いとは思う。建築人になってから50年経った、東大寺と比べて法隆寺の良さが分かるようになっていた。

辻:
佐藤:ここは破調しているなとか。この緊張感はいい、法隆寺は坊主がうろちょろしてないのもいい。
辻:50年か!



佐藤
:法隆寺を体験すると、良いバランスで配置されているし、回廊もちょうどいい感じなんだ。東大寺はでかいがウドの大木という感じの回廊に見えちゃう。南大門はいいとしても中門抜けて伽藍に入ると緊張感が無い、伝わらない、俺にはね。
辻:確かにね。南大門だけって感じですね。

佐藤:南大門はまま残ったけど、回廊も大仏殿も後で造って手を加えすぎたんじゃないかな。回廊も大仏殿も南大門のバランスが消えてて無い。


辻:東大寺のあの大仏殿も、もっとでかかったですよね。
佐藤:模型が置いてあったけど詳しく見なかった。
辻:横に長かったんじゃないかな。プロポーションがちょっと・・。

佐藤:重源のお堂があり行基のお堂があり。江戸の光景(?)お坊さんは見えない。行基は法隆寺にも石塔がある俺の知る一番古い坊さんなんだけど東大寺の行基像はいつでも見ることが出来る。重源の像は7月5日年に一度の法要がありその日なら像に対面できる。江戸期のこうけいのお堂は10月5日だったか?開く。

辻:おとといですね。
佐藤:その日を目指して東大寺にいくと建築に関わった坊さんたちの像を見ることが叶う。重源像は写真で出回っている。あの像には7月5日11時ごろから対面可能です。俊乗房重源のお堂があるから。あの像がそこに安置してある。年に一回開いて法要する。美術館で見るよりお堂で見るのがいい。

:それはそうですね。

佐藤:大工さんではないけどマネージメントしたお坊さんたちが残るというのは、相当回りがモメモメが続いていて「重源が居なかったら再興は出来なかった」と周りの坊主たちが思ったんだろうね。だから像を造って安置し年に一度法要し始めたんじゃないかな。そうとう困難を極めた仕事だったんじゃないかな。坊主たちが「これは語り継がなきゃいけない」と思った。仲間から尊敬されたんだよキッと。上意下達でお堂が出来たわけじゃないと思うよ。

:そういう建築家はあんまりいないよな。尊敬される建築家いないな。

佐藤:仲間内から尊敬されないと800年以上も像もお堂も残らないね。
辻:それはそうです。
佐藤:国立新競技場は?
辻大笑いしている

佐藤:廃墟として800年、残るかもしれないけど資本主義は地球の果てまで行き着き、バーチャルでも、同朋仲間を奴隷化しても益を出す。何言われても再開発し何度やってもゼネコンは稼ぐよ。新国立の現物は2020年の日本社会をまま表した森元総理の建築物だから、あれはあれで土建業視線では面白いけどね。隈さんとゼネコンの共同設計にはなっているだろうけど、証拠はないけどゼネコンはお神輿に乗せる像が要るだけだったんじゃないかな、でほぼ彼らが設計したのだと思う。

辻:ぜんぜん詳細しらないです。よいしょ・・・と立ち上がる辻

重源さんのお堂
毎年7月5日法要の日だけ開帳され重も源像とだれでも対面できる





辻さん浜松で初期活動のこと (初期浜松建築 を見る

佐藤
:地方で事務所開くと、いろいろな事あるよね。辻さんは仲間3人で静かに浜松で暮らして設計していたということですか?

辻:最初の3,4年は共同生活という感じでしたね。

佐藤:今はそれぞれ結婚して暮らしている。
辻:うん、3人とも。ヤダは浜松です。
佐藤ヤダという人は知らない。

辻:ヤダは一番メディアに出ないです。
佐藤:メディア好きじゃないんだ。
:好きじゃないかな、どうかな。ヤダが一番エアキャラですね。

佐藤:若い人はメディアに惑わされるよな・・・・しょうがないけど。

静かにハイボールを呑んでいる音

佐藤:ここぐらいの環境の方がいいよ。落ち着いて考えられるよ。大阪京都は無理だね。人が多すぎる。原田さんも家成りさんも大阪生まれの大阪育ちだから落ち着いて仕事してるだろうけど、地方から来たお上りさんではない。生粋の大阪人ではないかもしれない。詳しくは知らない。

辻:東京もそうじゃないですか。生粋の東京人は少ないじゃないですか。23区のなか。
佐藤:23区内だったら少ないだろうね。そうは言っても今だれがメジャーな建築人なのか知らないし。雑誌見てない。
辻:俺も最近全然分からなくなってきたな。おせんべいをぽりぽり食べている辻

佐藤:横浜との交流が切れてしまったということ?
辻:うーん切れてるかもしれない。
佐藤:大学で先生の知り合いいなくなったかな。先生も出入り激しいからね。大学の全体を動かしているのは西澤さんじゃないの?

辻:校長だし。乾さん、藤原さん、大西さんの4人。

佐藤:それはYGSAじゃないの。別に大学の建築はあるんじゃないの?
:学部と・・結構連動していると思います。
佐藤;いろいろな人が出入りしてるから何処の大学に何時入学するかで、建築人生も変わってしまうな。

辻:そうですね。
佐藤:先生の出入りが激しい学部だね。
辻:うん。そうですね。しばらく横浜の人達とは会ってないかもしれないな。

佐藤:東京にも行ってないんだ?
辻:東京は現場が湘南の方に一個あって。それで前半は行ってました。最近は行ってないですね。

佐藤:仕事しようと思ってないと仕事に会わないからね。
辻:割と屈伸している感じですね。大きなくしゃみをしている辻

佐藤:風引いたんじゃない?大丈夫?寒いんじゃない。
:今は割と仕事押さえてるというか。
佐藤:原稿書いてないの、書くの、好きじゃないの?
辻:書くの好きですね。

佐藤:書けばいいじゃない。
辻:今この家の顛末について。

佐藤:それは楽しみだね。洗面所と、こことしか改修してない?
辻:次、キッチンやって。まだここはなにもやってないですね。そっちの倉庫と事務所。2階に直接外から上がれる階段を付けようとおもって。セルフビルドじゃなく普通大工さんに造ってもらう。僕が造れるのは棚レベルですね。棚よりでかいのは無理かな。

佐藤:改修はこれから10年ぐらい掛けるのかな?
辻:まだ、なんとなくあと3年ぐらいですかね。それが終わったら、事務所は上で開いたら仕事しようかなと。
佐藤:来年あたりからやるぞという気分だね。
:そうですね。

佐藤:仕事をとりに行かないんじゃない。
:笑
佐藤:チーム作らないと建築つくれないからな、俺はそういう発想だけど。
辻:一人では俺も無理だな。

佐藤:造る人、図面化してくれる人、確認申請してくれる人、見積もりしてくれる人、設備など設計してくれる人などいろいろ関係者は要るよね。
辻:法規強かったりとか。

佐藤:いろいろ考えたら頭おかしくなりそう・・。
辻笑う、規模でかくなると大変ですよね。

佐藤:公共施設もそうだけど一人で請負うのは無理、無責任さ。ゼネコンから人を一時、設計部員を借りて図面描くのもありだね。

:僕が大学辞めたら妻は一人でやって、ちゃんと稼いでいるから凄いですよね。僕は今は雇われる側だから。

佐藤:建築造りの関係者はみな雇われ者の集まりみたいなものだぜ!

:業者ですからね。請負契約が微妙だなとは思うんですよね。
佐藤:図面納入業者だね。設計の請負?
:請負自体、という契約体系。です。


03 辻さんの家で (3) へつづく








022年10月辻さんの家・外観
(お爺さんが建てた、のちに一部増設したそうだ)