2022/10/7〜8日 辻琢磨さんと語る @静岡県浜松市 | 作成:佐藤敏宏 | |
01 「403作品巡り 」 02 奥様のシャアオフィス 03 辻さんの家で(1) (2) (3) (4 運動会の朝 辻家改修について) 04 洪水の跡地めぐり〜保育園の運動会 03 辻さんの家で・・・01 |
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2022年10月7日夜。近所の食堂で夕飯を食べて辻さんの家に戻りで呑み始める・・・ 佐藤:浜松市は福島市より広い町だね。福島市体験はないでしょう? 辻:建築を見に北海道まで車で行ったときに。ビックパレットは見ました。 佐藤:あれは郡山市だ。 辻:栄螺堂は福島県ですよね?会津。 佐藤:会津盆地の東にあるね。西の山裾には「長床」。行かなかったですか?熊野神社、屋根と柱だけの平安期の建築だけど。 お湯が沸いている音。 |
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■村上亜沙美さんの製本所、結婚など 佐藤:村上さんは栃木県生だそうですね。浜松市に知り合いいなかったですよね。製本所を開所運営しているから友達がたくさんできましたか? 村上:そういうわけでもないけど、本を作っていたら幸せだからいいです。 佐藤:どうして本作りを始めたんですか? 息子さんがお母さんに何か言っている 村上:お水? 佐藤:息子にむかって・・・ここにあるのはお酒だから呑まないでね。 鼻歌を歌う息子 佐藤:ここには2階はあるの? 辻:2階に事務所があって寝室もあります。 佐藤:ジュースほしいのかな? 村上:これはお茶です。 佐藤:保育園に持って呑んでいるんだ、いいね。この機械にさわらないでね。眠そうな感じに見えるけど、そうでもないの? 村上:いいよ食べて。 佐藤:食欲あるね、いいね。俺3人の子持ちだけど小さい頃、家で何してたか忘れちゃったな・・。辻さんたちが結婚したのはいつでしたか? 辻:2018年です。 村上:息子が生まれる前です。それまではデザインの事務所で働いてました。東京時代に辻君に会って。その前に本の作り方はイギリスで学んでいたので。 佐藤:イギリスで製本の修行したんですね。いいね若い夫婦。 辻:若くはないです。 佐藤:我が子たち、だれも結婚してないから、辻さんたちを見ると若と思ってしまう。 辻:結婚は32才だから遅い方じゃないですか。26,7才ぐらいでするから。 佐藤:俺は21才で結婚した(笑)村上さんは東京でデザイン事務所に勤めていました。製本所を始めたのは浜松に来てからですか? 村上:学生時分にロンドンにいたんです。留学したときに製本所で働いてて。イギリスには街角に「みかわや」のような感じで製本所があるんですよ。学生が来て「論文をまとめて」とか、そういうのを日本でもやりたいなと思って。 浜松市にある街角製本所で辻さん、村上さん 佐藤:博論を街角製本所で製本する? 村上:それで提出するから、みんな急ぎで来て「急いで仕上げて!」と言う。それを仕上げて学校に提出する。 佐藤:ロンドンには製本の仕事があるのね!知らなかった。my子たち博論製本してたけど、手作り製本じゃなかったな・・・日本には手作り製本所ないですね? 村上:ないですね。ネットプリントとかあるから。 佐藤:写真を撮り始める 良い感じだぞ・・ 皆笑う |
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村上亜沙美さん主宰の街角製本教室関連本 |
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辻:ライフワーク。 佐藤:カメラマン雇えないから自撮りしてる。適当にぶれる絵もいいことにして、聞き取り目的は、製本所でも話したけど、辻さん夫妻がどうなっていくのか見ているだけだから。こういう話を手に入れないと満足しない、そういう目的はない・・・聞き取りに目的は無いから。 村上:だらだらと。 佐藤:だらだらと、俺の人生のように先がどうなっていくのか不明。俺この先どうなるのか未だに分からないんだよね。急に建築の仕事が来るとは思えないけど(笑) 辻:(笑)逆に新しいですね、そこから。 佐藤:家人の病が重たくなってしまって、俺の家で「建築あそび」が出来なくなってね。家の外に出向いて聞き取りし始めた時から「エア建築家」とか言って10年ぐらい言ってたかも・・な。 辻:エア建築家?? 佐藤:3・11大震災が起きていろいろな活動したり設計も頼まれました。建築雑誌には載せてないです。で、元エア建築家になった。(『新建築』『建築雑誌』からは原稿依頼があり掲載) 辻:元エア建築家ってもはや分からないですね(笑) 佐藤:詐欺師、みたなものかな。 村上:佐藤さんは人に凄い興味あるんだなと思ってます。長期的に見て人が変わっていくのが面白い? 佐藤:そうだね、人は面白いね。一回だけ聞いただけだとその人の事実にも近づけない。話し手もその時だけ言っていたり、作って語ってたりしてる。二度と語らない内容も多い。15年ぐらい聞いていると同じ事を喋っている。同じことを15年喋っていることだけがその人の中にある事実・・とかと、そういう思いかな〜・・分からん。 聞き取りしようとしてない人は「またこの話か」と耳たこだよ」なんて言うかもしれないけど、俺はここが彼の一本の筋が、背骨なのか分からないけど知りたい。 例えば、家成さんの処にいくと、相変わらずアートなのか建築なのか境界がわからないことをやっている。この人はこれが本質なんだなと分かる。最初からアートに寄った建築、こういう路線でいくんだろうとは思ってたけど再確認できる。 村上:長期的に聞きながらそれを耳で探っていくというのが面白いなと。 佐藤:聞き取り始めた動機は、自分のことを誰も聞いてくれないから、他者のことを聞いてやろうと。そういう「聞き取り師」いたほうがいいじゃないですか。娘は「オヤジが若い人を聞き記録するのはいいよ」って言ってた。「若い人にとっては老害的な説教ばかりに包まれていて息苦しいからね敏シャン活動はいいのよ・・・」とも。 建築だって完成して20,30年経ってるんだけど、時間の中の建築を気にして見ている人、メディアも含めほとんど、誰も居ないと同じだね、人を継続して観ていない。(商売になる人にだけ注目しているだけの貧困) 住んでいる人に尋ね歩いたことあるんだけど設計者の悪口言うぐらいで、竣工してしまうと設計した人も建築を尋ねなくなる、こういう風潮は拙いだろうとも思う。俺にも誰か5年に一回ぐらい聞き取りに来て遊んでくれないかなと思ったもんだよ。 1984年に家を作ったので、その秋から「建築あそび」開いた。「建築あそび」を開いてゲストを招いて交流することで高卒者では得られない建築人とも多く知り合いになったね。楽しかったんだけど、家人のお病が重たくなった2008年だったかな、「しかたないな」と思った。で、若い人に紹介してもらって、他薦だよね、その方々に声掛けて聞き取りを始めてみて15年ですね。 誰でも自分自身にも興味があるじゃないですか。ここだけ、今だけ、自分だけの人が多いかな?聞き取り、やってみるか・・・実践したらそういうことが分かってきて。 日本の場合は特に、なんだろうけど大学の関係の絆が極端に強いね、学閥というのかも・・・辻さんは「だめだめ3人組」それがずっと継続していたそうです。403は教室の番号だそうだ。大学卒業して彼らはどうなっていくのか?大学の毒で津々浦々で羽ばたくのは東大、京大、東工大までなんじゃないかな、調査してないから知らんけど。 日本に生きると、人間の可能性は大学入るときで決まってしまうのか?そういう空気があるね。親の財力次第で子供の可能性も決まるような日本だからね。大学無償化にならないね。だから辻さんを通して次の人の可能性を見続ける。 村上:そこで人と人とがぶつかり語るのはいい。 佐藤:それから、俺が聞き取りしてて声かけると仲間が集まって酒を呑むんで語り合うことになるんですよ。例えば京都盆地に暮らしていても皆さん忙しいからしょっちゅう話したりしてない。子供が成長すると差が付くので親友関係も崩れていくし、同じ盆地に暮らしていても会うチャンスがなくなっていることが多いね。 俺が媒体となって集まって話が始まると、みなさん凄く楽しそうなの。だからなるべく声掛けして呑み会を仕掛けるようにしてます。俺が出向くことでその地域の人同士も情報交換することになのは嬉しいですね。 ネットを介して、辻さんって面白いねとwebは見ているけど、会ってないので辻さんの面白さは分からないでしょうね。人なら出向いて語る場を作る。 web記録をまき散らし見てもらうことが目的で聞き取り始めた訳では無かった。誤字脱字一杯あるし俺の記録は長いから誰も見ないだろうと思ってるんです。なるべく長く聞いて記録を作っているんです。もっと長くすれば誰も見ないだろう(笑) で、最後におも白い話になったりして(笑)逆から読む人がでてくるかな。編集しちゃうと俺の意志が出過ぎる。質問する順序とかあるので聞くことは既に編集といえるけど。 辻さんの家に着いても、あいからず俺がしゃべってばかりだけど、それはみんなしゃべらなからしょうがねーやと。 辻:大笑いしている。佐藤さんの勢いが凄くって。 佐藤:喋る奴は居るよ。藤村さんみたいな喋る奴はいる。 辻:確かに。 佐藤:花田達朗先生も喋るよ。喋る人は思ったより多くないという気づきもあったかな。昨日の大阪ど真ん中でのワイワイは幸家太郎、岡田栄造、柳原照弘、笹岡周平、今井敬子さんたち 6人の話し合いは話題がとぎれなく俺の司会要らずだった。 村上:何人ぐらい集まったんですか 佐藤:6人ちょうど話が弾む人数でした |
柳原照弘さんの事務所でワイワイ |
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佐藤、集合写真を見せている 辻:原田祐馬! 佐藤:彼は昨日の午後、聞き取りしたけど夜は参加しなかった。夜は15年前に聞き取りした人達。柳原さんフランスにも事務所を構えて商売上手になってますマス盛ん。この人は幸家太郎さんと言ってセルフ・ビルダーというか予算は無いがやる気のある人の仕事を請け負って造ったりしている。家成さんに近い人種族かな。 辻:幸家さん知らないな。 佐藤:吉田康保という若い人があこがれた建築人が居て。吉田さんは安藤さんと二人で事務所を始め別れたそうです。若い人に人気あるデザインビルダーが居て、給料は払わないけど関西は自力経済が強いから無給の弟子が集まったんだね。幸家さんは吉田さんの直弟子でセルフデザインビルダーだね。希少種だけど俺は30年以上つきあっているかな。 笹岡さんは原田祐馬さんとシェア事務所を始めた人ですインテリアデザイナーで、大阪工業大学卒で良い仕事やっています。この人は岡田栄造先生、大学を辞してしまって自由に生きるぞと。 辻:それっていいですね。 今井敬子さんは50人ぐらいの設計事務所に勤めて、大阪アーキフォーラムという関西の若い人達の勉強の場を裏で仕切る事務局長というか黒子で20年ぐらいやっていたと思う、そのデータをすべて彼女が所有しています。この10年間は活動は止まっていた。それを川勝さんと仲間たちが再開、今年は6回開催予定だそうです。 辻:川勝、吉岡、橋本、もう一人女の人 佐藤:荒木さんと言ったかな・・・。 辻:三人知っている。 佐藤:4人でアーキフォーラムを継いだんだって。林貞利さんはスーパーゼネコンの偉いさん。京都の工芸繊維大社会人生でアーキフォラムにつて博士論文を書き始めた人なのでです。会って呑みました。退職したら全部音が残っているんで文字にするそうです。川勝さんたちのアーキフォラムは続いていくのか?今年でお仕舞いなのか、そこは不明です。 辻:あと三回あるのか。 佐藤:前のダメになってたのは理解、分かるんですよ。回数をやりすぎて燃焼してしまった。 辻:疲れちゃった。 佐藤:毎月、開催してしまった(笑)今井さんからアーキフォーラムの記録をたくさん頂いたんで見ていると原因が分かってきます。東京系建築家を呼びすぎ(笑)大阪地元の人には魅力が薄れる話題となりがち・・・勢い余って詰め込むからネタ切れになったのかな。関西色が脱色されて東京化したんだろう。 佐藤:柳原さんは最初に事務所を開いてしまうと仕事が来るようになると言っていた。 辻:経営者ですね。 佐藤:原田祐馬さんを村上さんは知らない?ですか。彼は本のデザインもサイン関係 公団住宅の色塗り替えデザインなど多彩に受けています。事務所は7人ほどでやっています。最近は京都の有名建築家などと組んだり、京都市芸大のコンペ参加して取っていた。 辻:最初建築やっていた? 佐藤:それは知らなかった。大阪で最初に紹介され会ったときは「笹岡+原田」の二人でした。笹岡さんは安藤コンプレックスが強い。で「笹岡さんは建築家だよ」と言って来た。 辻:大笑いしている。 佐藤:俺の言うことを信じない。 村上:大笑いしている 佐藤:そんなことでいろんな人がいますね。15年前は無名で仕事が無かったけど・・・。事務所だけはあったがシェアオフィス。15年の間で笹岡さんは一度会社潰したそうです。原田さんは繁盛しつづけている。幸家さんは1990年初め頃から知っているけど、ずっと低空。だけど建築を続けている。建築を造ったり環境を変えたりするのが凄く好きなんだよね。お金のない人に頼まれると燃える。マゾ系かな・・分からない |
原田祐馬さんの事務所で 土佐堀川の河口にある幸家太郎さんの家で 渡辺菊眞さん自邸に一泊する アーキフォーラム大阪の世話人今井敬子さん アーキフォラムにつて博士論文を書いている林貞利さん |
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■お父さんが制作したベルト 息子:このベルとどうやって取るの・・ 村上:お話しているからもう止めてくれる? ベルトから発射音・・ うるさいから止めてくれる。 佐藤:いいよやっていて、居酒屋と一緒だ、居酒屋音録より静かだ。問題ないです。息子さんベルト一杯持って忙しいね。15年前の岡田先生の子供たちは真剣ジャーだった。これは何ていうの? 村上:ジオー。 佐藤:あ、両方ピカピカしているね。お父さん作ってあげればいいんじゃない。作れるでしょう。 辻:自分でやりたがるんですよ。 佐藤:そうじゃなくってベルトを作る。 村上:作りましたよ。2日掛けて ベルトから音が出ている。 佐藤:こっちの方がいいじゃない。 村上:なんだけど飽きちゃって・・・光らないから。 佐藤:これに電気照明を入れてあげればいい。 辻:大笑いしている・・・・光るようにする。 佐藤:電車Nゲージの小さな電気照明は売っているよ。 発射音とゲンオー・・ 何か喋っているよ。だいぶ進化したね。 辻:気付かない間に・・。 佐藤:息子さんは、これをやり続けると「ヤノベケンジ」になっちゃうね。 辻:笑。ヤノベケンジに届くかな。 佐藤:ヤノベさんはアニメのコスプレイヤーだったそうです。コスプレの祭りのある名古屋市も近いし、洋服や靴も作ってあげちゃう。 辻:その発想はなかったな。 佐藤:本当に填っちゃうかも。洋服もベルトも自分で作る人になるかもしれないよ。これ、すごいね喋るんだ。自分の声は入力できないの。 村上:それはいいですね。 佐藤:お父さんが作ったベルトのほうがかっこいいよ、ひさしぶりにどう?良い感じ、思い出したかな 村上:思い出している。・・・ 大きな声を出しとびはねだした息子さん 辻:建築模型より複雑でしたよ。 佐藤:俺は長男に簡単なジオラマNゲージ作ってあげたら、50才近づいたのにまだ電車作りに填っている。気取りはじめた15年前の子供たちは、今18才ぐらいに、京都の子供たちは今年から大学生になった。彼らは真剣ジャーがヒーローで刀でのチャンバラだったが息子さは刀振り回さないね。光か。 村上:そうですね。 |
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佐藤:俺は入学前は叔母に買ってもらった赤道鈴之介。カルタで文字を覚え野山でチャンバラばかりやっていたね。 辻:紙剣を作っていたな。 佐藤:この子たちは高校生になったらパソコンはスイスイ、プログラムもするかもね。田中浩也さんは「親がゲーム買ってくれないので、自分でプログラム作って遊んでいた」と話していたな。 息子:お母さんこれ何バックル? 村上:分からない、見せて。アローバックルだって。 息子:じゃーこれは 村上:ウォータバックル。 辻:2日掛かってたいへんだったな。 息子:ハンマーバックル合体。 佐藤:俺の家にはこういうの無いよ。レゴブロックしかなかった。 辻:レゴブロックやっているよ 息子:レゴブロックやりたい。 佐藤:一杯あるでしょう。我が家はレゴばかり作っていたな。大人になって物作りになった子供はいないけど。 息子大きな声を張り上げる 辻:静かにして!もう夜だよ。 佐藤:近所に同年頃の子供いるの? 辻:居るけど、そんなに仲良くないな。 佐藤:子供も忙しいね、いろんなことやって遊ぶね。何でも同時進行で出来る人になるんだな。猫を虐めたらだめじゃないの? 辻:俺が今虐められている。 佐藤:あ、そう。 辻:痛い痛い!猫に噛まれている辻 佐藤:猫飼ってましたか?人間の食べ物喰わないでしょう? 辻:何でも喰うすよ。 佐藤:猫がピーナツ食うとは知らなかった。 辻:あんまり喰わせちゃいけなんじゃないかな。 |
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佐藤:我が家の猫は、猫のえさしか食わないよ。 辻:パンとか喰いますよ。その辺にあるやつ食べちゃう。痛い痛い! 猫が辻さんを噛みついている。 佐藤:興奮しているね。痛そう。猫パンチされちゃうよ。 辻:じゃれているんですよ。 息子:お、ピシュピシュ ぴしゅー! おもちゃから音がたくさんでている。 佐藤:小さい子どもを、猫がかじったりしないかね。 辻:特になにもなかった。 おもちゃが語っている 佐藤:生活しているね。 辻:生活している(笑) 息子:これは・・・付かないや! 辻:それは違うよ。壊れちゃうよ。 佐藤:辻さんは西沢先生にはなれない家庭で生活しているものね。 辻:だいぶ前に分かっています。なんだろう?才能なのかな。 |
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■明日は運動会 佐藤:辻さんの建築先生はお爺さんになって定年間近ではないの? 辻:まだ50代、1966年れだと思う。56才、ちょうど20才上なんですよね。 佐藤:大学は今65才定年かな?分からん。 辻:今は65才定年ですね。 佐藤:残り10年あるね。辻さんは大学へは毎日、週2回出ているんだっけ。 辻:木・金です。 村上:明日の用意しながら話に混ざっていいですか? 佐藤:どうぞ、どうぞ。明日の作業もご飯の支度もどうぞ遠慮無くお願いします。 辻:明日の運動会の集合時間とか書いてあるの・・あ、これか? 佐藤:運動会だからね。7時半ぐらいかな。 村上:やってます。 佐藤:運動会は始まりが遅いのかな? 辻:10時半。受付は10時10分。 ピヨンピヨンとオモチャの電子音が鳴っている 佐藤:問題なければ運動会の資料を見せてください。この辺では保育園の隣の親父が餓鬼の声うるさいとか言って来て問題になってないの?そういうの無いの。 辻:そういうのは無いですね。 村上:子供の声がうるさいとかね。 佐藤:案内図を見ながら・・・保護者席があった。 辻:息子の名を呼び・・動画見る前に片づけなさい! 息子:鳴き声で、どうして・・ 辻:どうしてじゃないよ!片づけなさいよ。 息子が泣きべその演技をしている。 村上:片づけないと捨てられちゃうよ。 息子:おトイレ。 村上:おトイレ行ってらっしゃい、忙しいな。おトイレ行ってから片づけてそれからテレビをね。 息子走りだして トイレに向かう。扉を開ける音 佐藤:10時半から12時まで運動会だ。受付は10分しかないから混むねこれは。 辻:笑)僕も初めてですよ。 佐藤:検温、マスク着用のこと。保護の会話はお控えくださいと書いてある。明日は「息子、一等賞!・・・だ」と叫べないのね。寂しい運動会だね。 辻:笑っている 息子:便所から走って戻る息子 どうして片づけんの! 村上:片づけない・・? 辻:幼稚園で帰るとき片づけるでしょう。 村上:お片づけして。 佐藤:注意書きを読んでいる佐藤・・・・水分補給のみ可能です。飯喰うなって書いてあるよ。 辻:笑。お弁当持って運動会・・・という時代でないですね。 佐藤:俺の記憶にある運動会は弁当休憩で家族で喰う絵柄が浮かぶな。ブルーシートが敷いてある場所は客席専用席になります・・・・保護者席はブルーシート敷いてあるんだね。他は立って見ろと。家庭用のシートは使用できません。 辻:笑。紙のベルトはお父さんに渡して、それは自分で片づけなさい。 佐藤:俺、行って大丈夫なの?こんなに規制厳しいのに。 辻:一応、家族以外でも良いですか?と。 佐藤:聞いたのね? 辻:はい。行ったらおじいちゃんに思われますよたぶん。笑 佐藤:安心してください、爺さんですから。 辻:一応「友達がくるんです・・」とは言ってあるんです。 佐藤:どうもありがとう。子供園の敷地内は禁煙です。トイレは園内トイレをご使用ください。おむつ交換は1階。おじさんのおむつ交換、あまだ歩けない子供とか連れてくる親を想定しているんだな。 辻:でも大人は2人しか入れないから。 佐藤:あそう、人間との接触を数で制限しているのね。 息子:片づけ済んで・・はいどうぞ! |
保育園は迷惑施設か? 待機児童問題の解消のために、保育園の建設が今、急ピッチで進んでいます。しかし、その建設に住民が反対する事態が各地で起きています。保育園を巡って起きているトラブルの実態と解決のヒントについて生活情報チームの清有美子記者が解説します。 長野市で近隣住民の苦情をきっかけに公園が閉鎖に追い込まれるなど、子どもの声を巡るトラブルは後を絶たない。本市の「ニュースあなた発」にも、保育園の近くに住む東京都世田谷区の女性から「園児の声がうるさい」という訴えが寄せられた。取材を進めると、女性のケースでは苦情の裏に社会的孤立という問題が浮かんできた。(青木孝行) 保育園・運動会での辻さんと息子さん |
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佐藤:かならず「こどもん」 こどもん?って何・・・ネットワーク? 村上:保育園の連絡帳のアプリがあるんです。連絡帳は今はアプリなんです。 佐藤:そうなんだ!PCなどを持ってない親は居ない想定なのね。連絡はアプリで来ちゃんだ、俺には新鮮。 辻:うん。 佐藤:スマフォ持ってない親は居ないのかね。 辻:居ないんじゃないですか。 佐藤:そうか。ビデオを撮る際他の方の迷惑にならないように、または場所を譲り合い協力をお願いします、と書いてある。撮影した画像は十分ご注意してください・・とも書いてあるよ。どういう点にご注意しなければイケナイのか・・・具体例は書いてないな。 辻:笑 佐藤:これだと俺には分からないね。 村上・辻笑う 辻:園児の顔画みたいなの。 佐藤:園児の顔を写すな!と書いておけば分かる特に女の子の他の園児の顔と書いてあればいい。俺には分からないね、父兄だったら空気読めて分かるのかな。 変態爺さんが居てスポーツ会場で女の子ばかり撮ってている奴が居るとは聞いてたけど、高校門で待ち伏せとかも・・・聞いたな。もと女子高生の人から聞いた。 辻:マジですか? 佐藤:まじ、変態野郎いる。 辻:ああ居ましたね変なおじさんみたいなの。 佐藤:年齢が下がって中学生から幼稚園と。父兄以外は敷地内に入れないからね。 村上:普通に小学生歩いていて車で撮っていく人居たから・・ 辻:へーすご! |
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佐藤:ロリコンとか幼児性愛者は古来いるからね。映画もその手の少女好き監督いるよ。病気だから治らず少女を狙う変態野郎は一定数存在する。この世はややこしいね。少年男性愛者もいるから、用心、いめんどくさい。 宮崎勤 (1988〜9年にかけ埼玉県内で4人の幼女誘拐殺害)事件が起きてから津々浦々まで注意がなされるようになったよね。 辻:あれと京都の小学校の池田小か? 佐藤:池田小は大阪のエリート小学校だった。池田小に入学出来なかった男が恨みをもって小学生を無差別殺人した事件。 辻:あれで凄い厳しくなった。 佐藤:確かにそれまでの日本は犯罪におおらか過ぎた。親も社会を信じ過ぎた。多様な人間に注意を払うことをおこたって幼児殺害は全国でくり返して起きていた。 辻:アネハ事件も同じくらいじゃないですか。 。 佐藤:姉歯事件2004年で池田小が2005(2001)年じゃないかな。姉歯事件はWEB記録したよ、耐震計算偽装、倫理の問題がドサクサに紛れて役人たちは利権を拡張しちゃうんだよ。官僚の人達はこうやるんだ!と深く知りましたよ。日本の国は人(建築士)を育て生かす気はないね。罰を厳しくし教育しお金を取る。 池田小は関西ではエリートコースに載るための小学校なんだと池田小卒の建築人に聞いたよ。今は運動会の規則はスマフォで配信してないの? 辻:してないじゃないかな?? 佐藤:一貫してないね。読まない親いそうだ。3〜5才は熊さん。息子さんは何チームかな 辻:りすさんチームです。 佐藤:かけっこリスさん。 村上:どら焼き、もらったから。 息子:どら焼き食べる。 村上:食欲大盛 はい、ごちそうさまして、ありがとうご、おみやげにもらったよ。 息子:おいしーい! |
東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件 1988年(昭和63年)から翌1989年(平成元年)にかけて相次いで発生した、幼女4人を対象とした一連の誘拐殺人事件 附属池田小事件 2001年(平成13年)に大阪府池田市の附属池田小学校で発生した無差別殺傷事件[6](建造物侵入・殺人・殺人未遂・銃刀法違反事件)[7]。事件の犯人として宅間 守(たくま まもる)が同校内において駆け付けた副校長らにより現行犯逮捕された。 |
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■猛烈に仕事して稼いでいた40代 佐藤:俺、子育て時分は真夜中仕事してたから子供の運動会はほとんど行ってない「写真撮って・・」と言われ早起きして何回かは起きて撮って壁に貼ってあった。「お父さんとお母さんが一人で育てた」そう言って子供たちに、からかわれていた。 辻:僕は保育園運動会、今回初めてですよ。その前はコロナで無かったですしね。 佐藤:俺、一人で設計だから日中は打ち合わせで図面かけないから、夜になると電話も来ないし家族は寝静まるし、世界は静かだ。 辻:落ち着いて、夜、仕事する。 佐藤:夜明け5時ぐらいまで仕事していた。午前中は11時まで寝てた。運動会はほとんど行ってない。走っている子供の写真は撮った、5年生ぐらいかな。子供たちから好評を得て兄弟全員この絵柄で撮ってと言われて写真撮りに行ったことはある。 辻:めちゃめちゃ働いてたってことですか。ある時期一人で。 佐藤:そう、働いていたよ。自邸の返済もあるし、年収、何千万もあった。子供3人そろって大学へ行ってたので、お父さんが稼がないと子供達は大学で勉強できない、変な国だよ。「福島には居たくない」と言うし、娘は高校から神奈川県の私立高校に入学し市ヶ谷のマンションに住んでたので、いろいろお金がかかったね。 辻:何千万!まじ?? 佐藤:大学生いるとね要るよ、酷く稼いだときはフル稼働!わき目もふらず凄い稼いだよ。でなければ、マンション別々借りて大学へ3人は入学させられないよ、お父さんは稼ぎまくらないとね。 辻:めちゃめちゃ新自由主義に荷担しているじゃないですか? 佐藤:俺が独立系しmy子育て時代は新自由主義時代じゃないよ。中曽根改革が始まり「プラザ合意」によって日本が儲けすぎていたので、アメリカ圧が掛かって高度成長期(モノづくり)でのアメリカから儲けすぎを、合意して日本人の富を泡にして吐きだしさせられてしまった。あの時、日本人は金の使い方しらねーなと思って見ていたよ。 で、俺がめちゃ働いでいたのは昭和が終わり平成になった90年代。で、バブルは弾けていた。10年後に今世紀に突っ込む・・・そうすると9・11や戦争も起き、泉・竹中によって構造改革、「小さな政府、官から民へ」大合唱で日本に多数いた中間層が蒸発した。それを見ていた、酷いね日本の政治家たちは、あの政策で日本人の多くは貧乏の谷に突き落とされてしまい「失われた30年」と言われてしまった。 だから俺が猛烈に稼いだのは新自由主義の時代じゃないく、その前の時代。1989年、冷戦崩壊で世界が流動化したときだった。「核戦争なくなった」と胸をなでおろしたことを覚えている。今は核戦争おきそうだけどね。 辻:あそうか。 佐藤:1980年代独立・スタートし、90年代に稼いだんだよ。 辻:日本がめちゃくちゃいいときか?バブル。 佐藤:バブルは弾けていたね。 辻:その時に業計画とか既にやっていたんですね? 佐藤:やっていた。バブル弾けてしまい、事業計画を銀行に提出してから金借りて建物などを造る仕事。計画書も作成しただけでも稼いだよ。事業費の1%として契約していたので建築仕事にならずとも収入はあったよ。事業計画まで作成しないと高卒の俺には建築仕事も頼まれないですよ。 損益計算作成もあるけど、税金対策と経営分析と売上計画、社員教育などの相談とか建築造るのとは違う領域に突入した、数年掛けて事業計画を作る。資格はいらないが諸々の知識は要るよ。税金と金利対策とか・・経済見通しとかの知識は要る。押しの強さも要るね(笑)そこで地方の経営者の実態を知ったよ。 最初に事業計画作成したときは銀行の金利計算は8%で元金均等払いにしたと記憶している。サラリーマン達は元利均等払いだから、先に金利ばかり取られ元金は減らないんだよね。 現在は金利いくらか?銀行に借りに行ってないから分からない。ローンカードは17%ぐらいなんじゃない・・質屋や高利貸しより酷いよ今の日本の銀行・・・酷くなったね。バブルで税金使って支援したのに酷い機関になりがやったよ。 |
プラザ合意 1985年9月22日、先進5か国(G5)財務大臣・中央銀行総裁会議により発表された、主に日本の対米貿易黒字の削減の合意の通称。 その名は会議の会場となったアメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク市のプラザホテルにちなむ。 |
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■1987年渡辺豊和さんに出会う 辻:建築界だと何があったですか。シルバーハットとかですか。 佐藤:建築雑誌見てない、買ってない。藤沢の長谷川さんの建築? 辻:SFC、湘南台は89年。 佐藤:雑誌を見て建築勉強してない。1987年に渡辺豊和さんが福島に講演に来て激を飛ばしていた。渡辺さんの『芸能としての建築』を読んでたと思う。高卒とはいえ「誰かさがして・・・建築家の暮らしぶりを知ってみよう、そうして俺の基準を作ろう・・・」と思ってたな。1987年はバブル初期だったのでINAXも金が余っていたんだろうね。建築家を津々浦々に派遣しつつINAX製品の普及活動してた。 渡辺さんは「仙台で公演したくないと言って福島を選んだ」と後に語っていた。そのとき「渡辺さんの家に泊まりに行っていいですか?」伝えたら「いいよ」と返事があった。実際に行ったのは4年後の、1991年になってからだ。渡辺豊和さんの家に泊まりに行って2週間のあいだ飛び飛びに泊めてもらった(笑)他の建築家の作品は見てない。研究者じゃないからね俺知らんでもいいじゃないので、知らない。 辻:僕が生まれたのは86年です(笑) 佐藤:おれはその頃、俺は事業計画・提出し始めていたね。高卒で関西に就職したので、独立したことだし関西に行こうかな・・・身の周りには知り合い、いないしな・・・と。 1980年初頭は新宿で呼び屋と飲み屋をやっていた福島市出身の人がいて、彼の招きだと思うが毛綱モン太さんは福島のジャズ喫茶に時々出入りいていた。で知り合いになった。1984年秋、俺の家が出来たので「建築あそび」第一回講師は毛綱さん講演料として金を払ったけど知り合いにピンはねされてもいた。以後は金は交通費しか払わないと決め、その条件で呼んでも来ない人は縁がないことにした。金を介した交流は支払うと切れるねと知った。 1991年は布野修司が京大に赴任。俺が渡辺さんの家に泊まっていた時、関西建築人が手荒な歓迎会を開いくので「佐藤、行かない」と誘われて新大阪の会場に付いて行った。 同時に渡辺さんの初期作品をしらみつぶしに見て歩いていた。そこで多様な施主さんにも会って駄弁って建築の苦情を言われるなど面白かったよ。建て主の人たちここどぞと言うんだよね。布野歓迎会に来ていた俺と同世代の関西人建築家とも知り合いになった。建築家の実態を知ったかな。 渡辺さん自邸は平凡な木造建築だった。建設当時は都市計画事務所に勤めていたそうで・・その事務所で流行っていたよのかもね。で木造2階建て「これは普通の家だから」とか言ってた。その後、「餓鬼舎」というL字型のコンクリート廊下のようなのを増築していた。自家用車で福島から出かけたので隣の空き地に車も止めて関西周辺を車で見ては泊めてもらっていた。 辻 ハイボールを入れにいく。 佐藤:俺もハイボール呑んでみようかな・・・ 辻:呑みます 氷を出している音 |
1983年7月刊行 渡辺豊和さん自邸WEB地図より (奈良盆地内にある) |
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佐藤:昨日はワイン飲み過ぎたから日本酒厳しいな。俺前立腺が壊れているからトイレばかり行く(後に前立腺癌と分かる) 辻:みなそうじゃないですか。 佐藤:ならない人もいるでしょう。頻尿タイプなの? 氷を入れる音が激しい 佐藤:渡辺さんの家に行って泊まってたんだけど、建築家になるなんて思ってないから。面白い建築造っている人をのぞき見に行ったみたいな感じだった。2週間も居たから。 辻:すごいですねそれは。 佐藤:「いろんな奴は泊まりにきたけどお前が一番長く泊まっている」と言われた。 辻:笑) 佐藤:その次は高崎と言ってたな。彼は3,4日。 辻:佐藤さんの次に渡辺さんの家に多く泊まった人ね? 佐藤:そう。飯は奥さんに作ってもらって毎朝喰っているし。遠出しても報告しに戻るから「あの建築はどうたった、これはどうだったとか」伝えた。対馬にも行ったし福井にも、学会賞受賞作品がある龍神村にも行って・・・奈良や大阪車で走り回っては奈良に戻って感想を伝えた。 感想聞かれるから、好き勝手に言った。喜んでいたよ。雑誌見てないから渡辺さんの建築初体験、だから好き勝手語った。これは酷い建築ですねとか遠慮せずに。初期作品がダントツにいいんだよね。バブル期の渡辺建築はでかい、対馬の豊玉の建築は建築じゃなくって楽器ですよ。本当に建築楽器なんだよ。見て歩くと凄いいい音するんで気分は高揚するね。人間が移動すると凄い音が鳴り響く珍しい建築楽器だった。あれは名建築だった。でも音が反響しすぎて天井貼られてしまった・・後日聞いた。 使い方が間違っているんだけど劇場だったら最高にいい建築、楽器の中で演劇したら直に細胞に響くからいいよ。「依頼は会議室」とかだった無視して造りたい建築を造る建築家は後にも先にも現れてないね。 辻:凄いですね。 佐藤:91年の後、渡辺さんが「仲間と海外旅行にいくけどお前もどうだ?」と誘われた。バブルは弾けてたけど、関西建築家も蓄えがあったのだろうね。最初がメキシコ。ティオティワカンに連れたれて行かれてしまった。激・カルチャーチャショック!受けた。そうこうしてるうち2年後のインドのシャンディガール?カンボジアに行っている時か?アンコールワット体験でプンペンか?シェムリアップのホテルだった?「佐藤、お前なに造っているのか?写真持ってこい」と言われてた。翌年、写真持っていって見せた。 メキシコシティーテオティワカン遺跡 旅行の記録は2023年にまとめWEB公開した 正面、月のピラミット 右、太陽のピラミット |
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辻:息子に向かっ・・・もうテレビ見ない、それで遊ばない。 佐藤:写真見せたら「このまま写真『建築文化』に送れ!」と言われた。「何でですか?」「いいから黙って送れ」と言う。帰国してその写真を雑誌社に送った。 辻:それで建築文化に載ったんですか? 佐藤:そう。編集長が最初に一人で来て「なるべくたくさん見たい」といって見て回った。すぐ植田実さんと担当編集者が1泊2日で来福し「特集やります」と言う。「そんなの止めてください」と申し出たが聞き入れてもらえず「見て回ったの全部載せる」という。特集号が出てからは「出来たらすぐ写真送って」と言われて送っただけ。で掲載された。「こまりますね、こんな事されると・・」俺は言ってたんだけど。 辻:笑っている 佐藤:建築系雑誌に載せても福島では仕事は発生しない。俺はめんどくさいし「出来たばかりの近作3件に、少しにして」と言ってたんだけど、担当・編集者もノリノリで、「植田さん に一つ一つ評されるなんて滅多なことで無!うらやましがられますよ・・・」と気合い入れられて、俺は植田さんが何を言っているのか分からず従って。逆らうと渡辺さんの顔も潰すことになるからね。 辻:それで雑誌に載った時期があったんだ。 佐藤:そうだね。 息子:あれほしいい。 辻:おりこうにしてないと買ってくれないよ。 佐藤:お父さんの言うこと聞くんだよ。 息子:一番になったら買って 辻:一番になったら栃木のジージとバーバが買ってくれるかもね。 |
『建築文化』佐藤敏宏の仕事 1994年特集されてしまう。 病院で作ったセーラームーン城を真上から撮る 佐藤撮影 上記特集の記事を見る |
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■建築雑誌の価値 佐藤:雑誌社ってめんどうくさいことをやらせるんだと思ってね。大変なわけよ、一人で仕事もして子供の学費を稼ぐ最中だし、奥さん病院に入れてたので毎日世話しに病院にも行くし。本心を明かせば雑誌対応どころではないわけよ。 パソコンもない時代だから原稿書いて郵送する、文章書くと次は校正する。本づくりは凄い手間掛かるよね。俺一人で対応し作業するしかないしね。 辻:笑 佐藤:今、思えば、子供の学費稼ぎながら、妻を入院させならがら、混乱のなか建築の記録がよくも残ったな・・・振り返れば他力本願で本という記録が残ってしまった。 辻:それが建築雑誌の価値ですね。 佐藤:専門雑誌の編集者たちが評価していることも加わる。自己評価じゃない記録が残った。自邸は40年経つので2000年に完成した他の建築も文化庁でつくる登録文化財リストとして提出したよ。50年経った建築で雑誌だとかマスコミ掲載建築が登録文化財候補として県の文化財課は文化庁に提出するそうだよ。詳しくは知らない。 辻:お風呂いくんじゃないです(息子に向かって) 息子:これがいい、これにしてください。 辻:じゃ、ソファーに座ってください。 佐藤:そういう付き合いしていたら、『建築文化』の表紙に採用され『住宅建築』の表紙になったり。雑誌社は何を考えているのだ?表紙が俺かよ・・・」とは思ったよ。表紙の時は有名建築家勢揃いしているのに俺建築よ?なぞの採用。 webで表紙になった建築を見せてる佐藤。 辻:本当だ。凄いメンツですね。 佐藤:これが田んぼの中に建っている 辻:ほーお!めちゃいいじゃないですか。 佐藤:俺はこのときは「他人が読んでも理解出来ない、家人の病に囲まれてこの気分に文章を書いて記録しておこう」と思い書いた。 辻:しゃかりきですね。 佐藤:建築に関係無い事を書いているよ。煙に巻いてやろうと思って書いた。フランス文学、ルーセルやデュシャンの翻訳の仕事もやってる福島大学の北山研二教授は呑み友達だった、「お!敏ちゃんいいね」と言っていた。 辻:笑う 佐藤:俺の建築文章の最後は毎度同じ、俳句で〆にしている。建築文化の短い文書の要求してくるので・・・俳句で〆ていた。 辻:へー! 佐藤:俳句を書いておくと、後で読むと昔の建築当時のことを思い起こすように、俳句を記憶機動装置にしてた。そしたら植田さんに「お前は(建築家)日本一文書がうまい」と書かれてしまって。これを書かれてしまっていたと雑誌が出てから分かった。「これは拙いな・・」とは思ったけど植田さんの表現の自由だから妨害はしない。全作・建築に俳句付けたのが効き過ぎたかもね。 辻:自分で詠んだと? 佐藤:そう、自分で作った俳句よ。 辻:すごー!笑っている辻 佐藤:その一句を詠むとその建物の記憶が機動して当時のことがすべて立ち現れる仕掛けだ。 辻:天才じゃないですか・・。 佐藤:自己流だよ。特集の最後の植田さんがぼやいている記述が掲載されてしまった。懐かしいね。 辻:建築家では誰もかなわぬ名文である・・(笑) 佐藤:なにげに書いた文章で、植田さんを困らせてしまっていたなと反省したよ。 辻:寺山修司に心酔している・・・同じクラスにいたんですか? 右絵:『建築文化』の記事を見る 佐藤:植田さんは早稲田大学で同じクラス・・? 辻:植田さんのね同級ね。 佐藤:寺山はネフローゼ罹って大学やめて放送作家に転身したけど。植田さんは寺山修司と文芸部で一緒だったなんて知らないからね、植田さんが我が家に来たときにも俺は寺山修司の話をずっとしてた。 表紙になった建築は寺山修司最晩年の演劇、『百年の孤独』の舞台を建築に仕立てただけなんだよ。発注者が「汐留で見た」と言うから舞台のまま建築に仕立てた。凸凹は反転させたけどね。 辻:へー。 佐藤:舞台のスケッチが寺山修司評論本の掲載されている。俺の話ばっかりしているじゃないかい! 辻:いいじゃないですか。たまには(笑 佐藤:たまにはって・・・。 右絵:寺山修司晩年の 百年の孤独 舞台構想 |
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■佐藤が建築を作っていた昔話 辻:セーラームーン城??(特集号の自生する建築 扉絵をみていぶかる辻) 佐藤:これは、渡辺さんたちとカンボジアに行った、帰国して発熱してしまい肺は真っ白で白血球増大しエイズだ?と女医さんに疑われてしまい「死ぬよ貴方、奥さん呼びなさい」と言われ隔離病棟・病院にぶち込まれた。エイズじゃないのに入院してて、隔離病棟出されてからもやることない!お見舞い、おみやげ持って来るじゃない。 辻:ゲラゲラ笑っている 佐藤:2ヶ月 潜伏期間あるから閉鎖病棟に最初はぶち込まれていた、で病室で作っていた。その模型の下に照明いれて写真撮った。 辻:すごい! 佐藤:メビウスの輪をベースにして作成。入院してた心臓音悪い男子高校生がセーラームーン戦士たちのお事を教えてくれたので、女戦士たちのお城を想像しラピュター風に仕立てた。真上から撮影・写真を見て、植田さんがすごい喜んでね。部材はケーキとかアイスの蓋などを転用した。 辻:笑っている。超・面白いんだけど。 佐藤:この建築は一番面白いと思ったけど、着工寸前に発注者が直腸癌を発病してしまい入院。数年後に若くして死んだ。発注者は友達で陶芸家で、作品展示用の建築なんだ。 辻:女巨乳発火ってなんですか? 佐藤:奥さんが巨乳なんだよ。 辻:大笑いしている 佐藤:旦那さんも陶芸家で「土こねるより大変だ」と自慢する。真ん中の乳型のところから陸屋根の雨水が落ちるようになっている。雨水の垂れる下には卵型の茶室をつくり周囲は雨池。母乳が雨水で、そこで旦那が制作した陶器などで・・。 辻:お茶呑むんだ(笑 |
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佐藤:俺が勝手な物語に仕立て、それを造形化した建築。発注者の状況に合った素直な建築だった。見積もりもとって確認申請もとり着工できたんだけど・・・・造るのを止め治療費に充てた。が、方々転院して死んでしまったので建つことはなかった。 建築家と称している人達は俺のような俳句は掲載しないから。お前はアホだと雑誌編集者にも面と向かて言われ、他の人にも同様に思われたんじゃない。 教養無いし変人と思われている方が世間との付き合いは、めんどうにならないよ。『建築文化』は字数制限・指定で字数が少ない。一つ一つの建築には物語があるだけど、書き表せないじゃない字数なんだね。「俳句一句、載せればそれで済む!」と思った。 息子が現れる・・・まだ風呂はってないの?・・・遠くで村上さんが「早く来て」と呼んでいる。 辻:何をしているの。 息子:どこへ?いったの車。 辻:何するの・・・佐藤はハイボールを飲んでいる。 息子:どこにいったの? 辻:知らない。 息子:どこに?いったの? 辻:タオルが無い。 村上:何を探している? 暴れている息子 村上:何をしているの、ここにあるよ。大丈夫です、行ってきます。戻して、ちゃんとね。 ドアの閉まる音 辻、何かを整理している 息子:見ててこれ動くよ。 村上:見せて。本当だ。ありがとうございます。お風呂入ろう。 佐藤:お風呂だ、お風呂だいいな。 村上:行くぞ、出発! お風呂向かう音でにぎやかになる。 静かになる遠くで母と息子の声がかすかに聞こえる。辻、ボトルの栓を抜き座る。 佐藤:建築雑誌って変だよね。 辻:それが何年ですか? 佐藤:特集されたのは94年。 辻:94年か。 佐藤:表紙になったのは1997年と2000年。その時は木造の「千万家」が出来て、もう建築は止めようと思ってた。 辻:知らない。 佐藤:千万家以上の建築を日本人は頼んで来ないだろうと思った。 辻:止めようと思ったのは作家活動みたいなことですか。 佐藤:そうじゃなくって、福島にはこれ以上おもろい住宅建築を頼む発注者はいないだろうと。予算が1千万円しか無かったけどおもろい訳ですよ。 辻:おー。 佐藤:プランはまま数字1000。 |
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辻:切れてますね。 佐藤:プランは最後のほうに載っている。 辻:これも。 佐藤:将来○4つ増築しろ! 辻:大笑いしている。 佐藤:その時に100000万になるぞと。今はグーグル地図で航空写真スクショでとれるから便利だ。2000年にはドローンもなかった。 辻:おーおーお・・・。 佐藤:外壁の一部は蒸発しててないんだよ。どこからでもそれぞれの部屋(○)に入って行ける。 辻:いい造りですね。 佐藤:洗面トイレ共有で使えるので他者同士が共同生活も出来る集合住宅建築だ。現在は真ん中は台所と居間で使っている。 辻:ここが建具で開くんですか?ここ何も入ってないんだ。 佐藤:冬は野鳥がやってきて住み付いているそうだよ。廊下は北側だけ硝子を柱に直にはめ込みしているから、人も野鳥抜けられない。 辻:これ新建築とか載ってないですか。 佐藤:新建築に載せたこと無い、連絡もしたことないよ。 辻:何かあったですか? 佐藤:何社も同じ建築を載せるのは面倒だからしたくないね。 辻:載せて、いいよ。 佐藤:市街化調整区域だったから許可とるのに4年かかった。 辻:開発許可? 佐藤:農地転用と開発許可、確認申請含めて4年。 辻:今もあるんですか? 佐藤:現役の住宅で使っているよ。3・11の時は井戸が設えてあったので水汲みに人が集まったそうだ。発注者は元気で暮らしている。まま使っている。植木屋さんなので周りは木々が生長して森になって建築は埋もれてしまって消えてしまったが、中に入ると1000が分る。 辻:これ見に行きたいなー。 佐藤:いつでも見ることが出来るよ。少しRCと違って建材はいたむね。時間が経って森に囲まれてしまうと1000の形状は消えてしまい、空から見下ろすと分かるだけだ。グーグル地図ができたから分かるだけだよね。 辻:大笑いしている これで10000000! 佐藤:まだ1000だからあと0四棟加えてほしい。 辻:今だとグーグルマップで見れると。 佐藤:そうなのよ。2000年に完成。当時はwebしか無かった。検索エンジンも無い、webマップも無い時代だね。 グーグル地図を見ている。 佐藤:空撮する金が無かったのであきらめて電柱に上って撮った。 辻:今はグーグルもドローンもあるしね。市街化調整区域だ。 また笑っている |
WEB地図にある千万家 |
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佐藤:20年経っているので家の周りは森になちゃっている。 辻:すげーいいですね。佐藤さんの作品、知らないな・・。 藤村さんとかは知っているんですか?家成さんとかみんな知ってるんですか? 佐藤:いろいろ言わないから知らないでしょう。家成さんは福島にも来てない。藤村さんは「建築あそび」にも来て俺の家に来て雑魚寝もしたし、ラウンドアバウトジャーナルの東工大4人と福島市内の旅館竹屋でワイワイしたときにも千万家を尋ねたから知っている。 辻:松島さんも? 佐藤:松島さんもおもしろがっていたかな?忘れた。LRUJは第一回目の会場で「おまえら何しているんだ?」と聞いたら反省会をかねて福島に、伊庭野さんのお父さんの車で押しかけて来た。家人が頭おかしくなっていたので市内に宿をとって議論した(記録は公開してる) 辻:それは読んでないかもしれない。 佐藤:藤村さんはすぐ寝ちゃった。他の連中は「藤村さんは寝るんですと」言って。ほか3名とずっと語り合ったね。 辻:2008年 佐藤:これ長い記録だから見ない方がいいよ。 辻:逆に質問している。 佐藤:俺の活動知らないんだよねだから、逆質問ね・・・33才(1984年)のときにアートイベント企画して温泉町で開催した。身体表現とか朗読とかインスタレーションとか舞踏とかいろいろ内容を話している・・・・・ 温泉イベントは警察に踏み込まれ逮捕者が出た。 辻:凄いね。あとで読んでみます 佐藤:読まなくていいよ。毎日新聞から原稿依頼がきて、書いたら褒められ原稿料もらった、原稿料って言い響きだな〜。(1984年9月12日掲載記事を読む) 辻さんの家で (2)へつづく |
2008年2月20日福島市の旅館にて |
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