長崎漫遊 2024  06 鈴木達次郎先生に会う
作成:佐藤敏宏 2024年8月
01 どうして長崎 02 長崎まで 03 原爆資料館に向かう 04 原爆資料館
05 爆心地に立つ 06 鈴木達治郎先生に会う
 

07西坂公園   08出島  09 グラバー邸  10結び

■結び

長崎漫遊の後半は明治維新前後に長崎市に暮らす人々と、外国人との交流や交易によって、ダイナミックに社会が近代化する実例として刮目すべき場所であり、歴史時間を通りぬけ、地球上のあらゆる人々の時間と営為が織り込まれる特異なトボスでもあった。興味がわいたので今後も継続して資料にあたり、漫遊記の間違いを見つけ、加筆修正をしていこうとも思った。
歴史的記述は物語をもとに語り残されないと、私には理解不可能となる。つくられた物語は作者の意図と時代の雰囲気が大きく関係している。例えばトマス・グラバーを彼自身の心の動きを記述した物語は見つけられなかった。トマスや彼に関係した人々、五代友厚などの日記などに当たると、ぼんやり像は結ぶかもしれない。今は見つけだせなかったが、日本の明治維新と無名の人々は公文書にも記録されていないので、トマスの軌跡を辿り知ることで想像はできるだろう。だからといってトマス本人の当時の深層を捕まえることにはならない。歴史的記述や観光案内パンフに記載された、それらは大きな欠点もあることを確認し、漫遊の結びとしておきたい。


長崎漫遊いったんお仕舞

カンカン照るなか西坂公園から、出島そしてグラバー邸を体験し体力をだいぶ消耗した。グラバー通りを下り、路面電車にのり中華街駅で降りる。
午後3時過ぎだったので、あいにく営業している店を探し出すことができなかった。おいしい中華を食べたかったが、とぼとぼ新中華街駅まで戻る。路面電車は観光客と地元の人で混んでいて座ることができなかった。

長崎駅前駅で下車し、駅ビル内にある中華店をのぞくと営業中だったので入る。どこでも食べることができる、焼きそば、チャーハン、シュウマイを注文した。油が異なっているのが調理方法が達者なのか、分からないけど、長崎味でたいへん美味しい。my長女と話もせず黙々食べる。油と調理の温度が味を決めているようだ。いつかこのような味の飯炊きじいさんをしてみたいと思う。食べ物は奥が深い。だから、旅に出たら動物的勘を働かせながらうまそうな店を探し歩く、それも楽しみの一つなので、当たりはずれても楽しいんだよ。そうして回数をかさね飲食店の構えに対し目利きになっていく、それも旅の面白さの一つ。



が長崎漫遊2日目の活動予定より1時間ほど早かったが内容が濃すぎたし、坂道もたっぷり体験し、体に長崎の記憶を刻むことができたので、これでお仕舞とした。

駅ビルでお土産をすこし買い、荷物を預け置いた宿に行きそれを受け取る。夕刻になり駅前の人混みも大きくなっている中を通り抜ける。長崎空港行きのバス発着場にいく。駅前周囲は2日しか体験していないのに、風景もすっかり慣れ、体にしみ込んだ。

帰路の途中、東日本大震災が起きて宮城県内の港町で共同し活動した、東大生産研究所た太田先生とすれ違う。お互い、「なんで?長崎で会うの・・・」と顔お見合わせ大笑いした。想定外のことが起きると人は笑うのかもしれない。10年ぶりに言葉を交わした。

バス発着場はさほど混雑していなかった。途中の大村湾の西に太陽が沈む様子を車窓から眺めることができて、良い長崎漫遊の〆となった。

羽田行きの最終便を予約していたが、早く着いたので、画像データなどを処理したり、撮りためた絵を眺めた。最終便は、飛行機会社が席を融通しあっているようで、様々な客が乗り込んで来た。

飛行機が離陸すると、昨日の雨空とはうってかわり雲がさほどなく、長崎から日本列島各都市を眺めることができた。

羽田空港に飛行機が着陸すると、思ったより空港内の通路を走りぬけていたので、空港の大きさと、停泊している飛行機の数の多さ、さらにそこで働く人の多さも、実見することになった。このようにたくさんの飛行機が行きかって大きな事故がおきないのが不思議だと思う。それは滑走路上で日本航空の機体と海上保安庁が衝突した事故が、頭の片隅に残っていたからかもしれない。機体全損事故は38年5ヶ月ぶりだったそうだ。



(羽田空港着陸前)

羽田からは往路と同じように浜松町までモノレールに乗った。車内はがら空きだった。長崎が開国され、飛行機から見える東京近郊の夜の輝きは、150年前の無名で無数の人の営為の重なりが、今日のこのような風景になっている。それを確認できる、1泊2日の旅だった。機会をみつけ、再度長崎市を漫遊してみたい。