HOME   佐藤敏宏が作成しました     佐藤敏宏(元・エア建築家)@セシウム都市フクシマ  による聞き取り記録集
「O邸」 設計者 中山英之さんに聴く (2013年 5月 19日千駄ヶ谷にて)

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 伊東豊雄 絵webより




 07  (伊東事務所のこと)

佐藤:大学を卒業されてO邸は2作目ですよね。そこに辿り着くまでの間の話をお願いします。O邸の話を聞かせていただき中山さんの建築の作法というのは、だいぶわかりましたので。 中山建築に中山さんが辿り着くまでの話ですよね。最初からそういう態度 だったのかな  サイードの話のような 居場所を持たない建築、言葉の中に産まれる建築

中山:いや〜 伊東事務所、伊東豊雄さんの処に居たんですけど。
佐藤:どうしてですか?伊東事務所へ入所する切っ掛けは 他力本願かな

中山:それも、まったくもってそうです
佐藤:「来いや〜」ですか

中山
はい そうです、そうですちょっと 格好つけた言い方になりますけど誘ってもらったんです。伊東さんに「一緒にやんない?」って言ってもらって。

 大学では、ぜんぜん僕 評価されていなかっんですけど。卒業制作のコンクールって、今ほどまだ沢山なかったんですけど、その頃は。

 僕を 大学に「こっち 来いよ」って言ってくださった先生が、大学で、結局なんの賞ももらえかった僕を不憫に思ったのか。ある学校の外にある卒業設計コンクールみたいなやつに「これだけは出していい」みたいな感じで。一等が出すやつはまた別にあったのかな。大学の一等だった人と一緒に出させてもらったのかな。

 そのコンクールの審査委員長が伊東さんなんですよね。

佐藤:
そうか。その作品をみて「ちょっと来い」と

中山:それで凄く気に入ってくださって。「大学院に行くんです」とか言ったら、「へー」とか言って その場では別たんですけど。何か、ちょこちょこ顔を合わせる時もあったりして。それで「お、おー元気でやってる」みたいな話で。「遊んでます」とか言うと「卒業したらちょっと、おいでよ」って言われて。

すぐぽ〜って 成っちゃうから

佐藤:
ふふふ


中山:へへ いつものパターンで。それまでは、当時 ITブームで「起業する」っていうのが、一つのモードになっていたので。即 独立を選ぶ子が 周りにも多かったので。アトリエ中のアトリエですから、伊東さんの処は。メディアテークとか出来ていた頃だったので。「凄いひよった」って周りからは言われたんですけど。

 みんな同じ処に行っていても10年とか経ったときに、バリエーションが少なくなるから、ジャー僕は「ちょっとひよった」と言われてもいいから。ぽーっとなったのは大きかったですけど、「アトリエで働いてみる」って感じで。それで伊東事務所に。

佐藤:何年 いらっしゃったんですか
中山:8年 いました
佐藤:結構長いですね
中山:はい、はい 8年いましたね
佐藤:居心地が好かったですか


中山:居心地ですか〜。よかったと言えばよかったですけど。だいぶ考え方が変わったと思いますよ。凄く周りに影響を受けやすい性格もあるんですけど。ずいぶん考え方は変わったような気はしますけど。建築に対する

佐藤:独立するというのは? 最初から考えたいたんですか
中山:あ〜 まあいずれは独立したいという気持ちもあったけれども。  海外に行ってみたかったんですよね、凄く日本じゃない所 ずーっと。

 実は凄く「出無精」っていうか、あんまり意気地が無いもので。 大学時代もドンドン海外旅行に行って、印度の民族衣装とかを急に新学期から着て来たり、ミルクでお茶っ葉を煮出したりし始める同級生みたいな。

 すごいアフリカの太鼓が上手になって帰って来る先輩とかが周りにうじゃうじゃ居て。凄くまた憧れていたんですけど。

 一寸 僕は 彼らみたいに意気地が無いから、図書館に籠もっていたんですけど、代わりに。「大学の図書館に有る本は全部目を通すんだ」とか言って、積み上げて ずーっと観るみたいなことをやっていて。

ただ 本当はちょっと行ってみたいなーっていうのは凄く持っていて。

 伊東事務所は完全にインターナショナルチームドメスティックチームに分かれていて。インターナショナルチームに僕はなりたかったんですよ。「伊東事務所のコンセプトは全部俺が作るんだー」みたいな意気込みで。元はと言えば誘われて入ったくせして

佐藤:
ふふ ふふ


中山:行ったらもう〜そんな気になっちゃっていて。そしたら、日本の しかも「やり始めると4年掛かる」プロジェクト担当者に、下っ端で成って。それで現場担当までやるっていうチームに配属されちゃったんですよね。それで凄い

佐藤:張り切ったんですか
中山:ちがう 落ち込んだんですよ。 次々に色々な新しいコンペのコンセプトを一緒に考えてインターナショナル なのに 世界各国を飛び回って色んな所で色んなコンセプトを作って、ね。「頭脳となって 働きたい」という思いを勝手にイメージしてたのが  非常に地道な一つのプロジェクトを何年も掛けて、現場担当者になって、常駐して。それでとにかく「図面を た ただ書き続ける」という日々に配属になって。で、凄い図々しいんですけど、凄いふてくされんです

佐藤:ふふふふ
中山:ちく しょ〜 」って思ったんで。
佐藤:なるほど

中山:
はい。それでもう、「ただで帰ってなるものか!」と思って。現地常駐先で施主を作っちゃって。現地施主をこしらえてしまって。

伊東さん、そんな風に言うんだったら僕は自分でやります!」みたいな感じで。

ある日伊東さんにそれを打ち明けようと思って。伊東さんほとんど現場にいらっしゃらない。たまに様子を見に来たりする時とか、役所の人と話さなきゃいけないときとか、たまにいらっしゃる時に。今日こそはその事を「言ってやる んだ」と思って。伊東さんが来た処に「現地に施主も出来たし、こっちで独立します 」って言おうと思ったですよ、今日こそは。

そしたらあの人凄く解かっちゃうんでしょうね。それで「たぶん、中山君ね、色んな事を考えているでしょう? でも駄目だから」って言われたんですよ。

佐藤:
ふふふ


中山:もう一個ぐらい 良い ちゃんとプロジェクトを統括して、やりたいことなんでもやっていいから。それを全部 自分がまとめたっていうプロジェクトをもう一個ぐらいはやらないと、たいした建築家になれないよ」って言われて。それで完全に 先手で、ばさ っと切り捨てられて

佐藤:お見事

中山:それで、辞めることが出来なくなちゃったんですね。ただその住宅の施主とは約束しちゃったんだということを 、その後

佐藤:そりゃたいへんだ
中山:そうそう 瀕死の状態でなんとか告白したら、「やるなとは言わん」と。「なんとか両立させてやれるんだったら
佐藤:公認で、伊東事務所の中に中山独立建築事務所の看板を立てて 設計をすることになったと

中山:そう そうです。それを、凄い不良所員なので、今の伊東事務所で、頑張っている人達には絶対聞かせられないんですけど。

 それを許してくださって。その時に東京事務所に電話して「今、伊東事務所に出入りをしている学生の中で一番優秀な人を紹介してくれ」って言って。それで、みんなが同じ人の名前を言って。僕は会った事も無かったんですけど。「この人が優秀だ」っていう人に電話をして。ヘットハンティングして。

みんな その子は「そのまま伊東事務所に就職するもんだ」と思ってたら。、僕が その子が岡田邸の担当者なんです。であり、最初の住宅もそうですけど。いまだに僕の事務所の凄い すごーく 重要なスタッフですけど。「スタッフ」という言葉じゃちょっと言えないぐらい重要なメンバーですけど。

佐藤:伊東さんにずいぶん愛されちゃったですね
中山:僕ですか。いやいや、ちょっと格好付けて、今 言っちゃっただけです

佐藤:ははははは、物語だからそれは そんならいいけど
中山:自分流に、自分の側に引き寄せて、思いっきり膨らませて、できる限りドラマチックに語ってみました は


佐藤:いいね そうか。 今は自分でやられて何年経ちましたか
中山:もう、7年、もっと経つかな。
佐藤:順調でなにより
中山:順調じゃないですねー
佐藤:順調じゃ無いの?何がですか

中山:伊東事務所と肩を並べるぐらいの事務所になってなきゃいけないのに
佐藤:そういうことか それは厳しいよなー

中山:ふふふ。ぜんぜん そんな そんなことには成ってなくって。はい。


佐藤:でも一つ一つ作っている建築作品に対してはどうですか?未解決な部分が多いですか 課題とか
中山:うーん。

佐藤:O邸作ったときのような感じの流れですか 新しいプロジェクトも
中山:そうですね
佐藤:模型を作って眺めて ずーっと浮かぶのをまって

中山:作り続けてはいますけど。毎回作っている時は何でそんなことやるの?よく解ってないので。何か上手に言葉に載せて発表出来ないんですよね。

 それで あんまり考え方が自分の中でまとまってないから、ドキュメントする力が極端に弱くって

岡田さんがムービーとか撮ってくれて初めて「ああ そういう事だった」みたいな。そこも結構ほかの人に頼っちゃっていて。ふふふ だから、そろそろ幾つか作って来たものをキチンと自分の言葉で、と自分の方法ドキュメントして、ちゃんとマニュフェストくっつけて。多くの人に聞いてもらえるようにしなきゃなーっていう。出来る感じが なんとなく ぼんやりして来ている処です 今はちょうど。

佐藤:最初のGAギャラリーでね、建築の言葉に触れるじゃないですか、カルチャー・ショックを受ける、写真にもショックを受けたのかもしれないけれど 言葉ですよね。最初は
中山:そうですそうです
佐藤:浪人時代に出会って知ったかぶりしている 芸術かぶれのおっちゃん達が喋る言葉とか。言葉に対する憧れみたいなものがあるじゃないですか
中山あります あります

佐藤:今まで聞いたているとね。だから自分の建築を言葉にするっていうことに対して まだ無しで作り続けてもいいし、言葉にしないと建築が出来ないことではないでしょう。言葉にしなくっても建築は作れるんでしょう
中山:でも凄く小さい言葉とか、日々 「あ 解っ」って成る瞬間っていうのは沢山あって。大きな文章みたなのは全然(まだ産まれて)無いんですけど。小さな散・文みたいな、考え方。たとえば「階段をつくる」と言ったときに階段は階段じゃなきゃ駄目だ、なぜならば
佐藤:その状態をポストイットに書いて貼って置くといいよね

中山:ポストイット 沢山メモを書いたりスタッフに熱弁してみたり。何かスケッチを描いたり。その場その場で。そこも全然 体系づけられていないし。

 そういう言葉を「どういうふうにドキュメントすると、他の人が見ても面白いものに成るのか」って アイディアも無いまま、やっている。バラバラ言葉が沢山あって。ただそれを文章にしようと思っうと読んで憧れてたような、明解さみたいなのが全然浮かび上がって来ないから。まだ 全然だめだ みたいな

佐藤:自分の生み出す建築を まだ言葉としに転換したり、言葉として消化することが出来てない
中山:そうそう
佐藤:自らの感情の総体を言葉にするのは困難なので 頑張るしかないね
中山:そうそうです

佐藤:何十年も掛かっていいんじゃないですかね
中山:う〜ん。基本的には ちょっと おつむが弱いんです。ふふふふ

佐藤:
 そんなことは無いでしょう 自分の言葉は消化すればいいんだから、自分の感情や感覚に合った言葉を発明したり 産まれてくるわけだから 待ってないとしょうがないでしょう。無理矢理 他人が作った格好の良い言葉を身につけても すぐ枯れてしまうしね、消えるしね。そこで ずれストレスも生じますしね。自分の言葉を探し求め、それ 気にし続けているだけでいいんじゃないでしょうかね そうとう気にしてますね


中山:ふふふふ

佐藤:判りました じゃこんな感じで。今日の聞き取りは終わります どうも 好かった〜 ありがとうございました

中山:大丈夫ですか ね

佐藤:素晴らしい内容ですよ ばん ばんです 
中山:あーよかった

佐藤:
凄い ナイス な 内容です

中山:嬉しいな〜
■  記念写真を所員の方々と一緒し 自撮り

       

 2013年5月19日 午後2時から 渋谷区千駄ヶ谷の中山英之建築事務所にて佐藤敏宏の 聞き取り=「ことば悦覧 中山英之編 」を終わります 最後まで読んでいただきありがとうございました。