HOME   佐藤敏宏が作成しました     佐藤敏宏(元・エア建築家)@セシウム都市フクシマ  による聞き取り記録集
「O邸」 設計者 中山英之さんに聴く (2013年 5月 19日千駄ヶ谷にて)

(生い立ち 01  02  03 ) ( O邸を語る 04  05  06 ) (伊東事務所のこと 07)

























































 磯崎新 絵webより 


























 レオス・カラックス 絵webより


 蓮見重彦 絵webより














































































































 武満徹 絵 webより








































 02  生い立ち 

中山:  それで(吊り輪にぶら下がり)ぶら〜ん ぶ〜らん と何回か揺れて、それで 満をじして ただ手を放して。ふふ 着地して。着地っていうか 降りて。それでも こうぱっと最後のポーズをやって

佐藤:ぐぐう ははははは 

中山:それで審査員が全員 もう〜つっ伏して 動けなくなる〜みたいなのを、全種目! うへふふふふふやったんですよ
佐藤:全種目! すご〜 うい〜ね 度 素人根性 も〜そこまで行けば芸ださ それは凄いわー

中山:
うっふふふははははあ それ本当に酷かったんだけど。全然 建築とは関係無い話なんだ

佐藤:すごいね〜 恥ずかしかったね〜 そんれは〜も いい やる〜と
中山:そうそう
佐藤: 凄い

中山会場がもう〜  でしたからね。それは
佐藤 でしょう ね
中山:私の所属している学校の選手は 多かれ少なかれ 全員そういう調子で そこが演技をするたびに会場じゅうが〜 は 笑う っていう
佐藤: 受ける というか青ざめるっていうか   それはいい

中山
:床(運動)ってありますよね 
佐藤:あります
中山:あれも、斜めにこう行くと結構な距離あるんですよ。
佐藤:ありますし 4隅を使い切り演技するって規定もあるし

中山:でも斜め横断する間にやる事が(演技)が何も無い訳ですよねうへ へへへへ あの距離を使って やることが一つも無い から。何かとにかく コロコロ転がっていく 時間移動しててへへへへ で、なんか、転がりながらその(床運動の床の)対角線を移動して。なんの話ですかね こ れ
 
佐藤:いいですよ  
中山:最後にすっくと立ち上がって、くるっと きびすを返して、それでとって おきのバック転を一回だけ!ガッってやって へへへへへへへ

佐藤:バク転する すごいなー、さすがにそれだけで終わる演技 俺は観たこと無いわー
中山:もう そういう他の学校の選手、けっこう 怒って いて。でも会場は凄い笑っていて
佐藤:それはナイスだ〜 そうなるよね。
中山:でもそれが  一回きりです。だから3年間で出た大会は。


佐藤:すごい!そうですか。それで、高校2年の時から通学路の中で建築的な 建築との出会いを体験をされて、東京芸大に入られてんですよね
中山:はい
佐藤:いきなりですか
中山:いきなりじゃないです すごく時間掛かってます

佐藤:芸大に入るためにトレーニングしたんだ
中山:トレーニングというか 要するに美術系の予備校っていうのが。「建築だ!」ってなって「磯崎さん東大だ!」ってなったので、「よし 東大」って思ったんですけど。まあ圧倒的にもう 

佐藤:勉強してないし ね
中山:だめ なんですよ。それで じゃー「東大の次に いいのはどこだ?」って調べたら、「芸大にも 建築がある」って。「じゃー芸大」って。
佐藤:デッサンと物を作らないと 入れないですよね

中山:そうそう。そうです。だから、「勉強よりは 絵の方がライバルも少ないかな−」っていう安直な考えで。美術系予備校に行ってみたら。

 何か、凄い処だったんですよ そこが。もう〜凄く 今までの経験の中では会ったことが無い様なタイプの、アーティスト  アーテスト達ですよね。色んなで、色んなを着ていて、色んな音楽を聴いたり、色んな映画の話をしていて。それまでの、高校生活やスキーをやっていた時には会ったことの ないような人達が たくさん 居て。

それで もう絵の勉強も、ほとんど そっちの気になっっちゃって、そういう人達と話すのが もう〜楽しくって

当時(1990年頃)は浪人は けっう居て。今は芸大といってもあんまり多浪は恥ずかしいって感じで 少なくなっちゃっているみたいですけど。当時はまだね何年も浪人している人とかもゴロゴロ居予備校に、自動車で来るおじっさんみたいな人とかも居るんですよ
佐藤:へへへへへ

中山:
それでねー。そのおじさん みたいな人達が、全然ちょっとこちら側からは想像もつかないような、ライフスタイルを おくっている人が沢山いて。それでその、「よく分からない建築にまつわる魅力的な言葉達」というの、その本を通じて少ずつ 欲しつつ、なんか知りたいと思ってた事を、もう 何か、高校生活、高校生になるまでにずーっとそういうのに触れてきたような人達、映画とかを観る感想とかも、こっちが言うような感想とかとは全然質が違うんですよね。

今から、振り返ってみると 笑っちゃうような事だったかも知れないけれど、「わー!すごいこういう言葉を操る人がちゃんとこの世界には居るんだ!みたいに。なって、それで、凄い興奮して

 その人達と ちょっとでも多く時間を過ごしたいと。あんまり言えないかも知れないけれども、浪人の人は20歳越えている人も居るから、いいのかな〜。呑みに行くんですよ要するに。その予備校が終わると。

それで毎週 毎週、 行きつけの「達磨」っていう所なんですけど。居酒屋に予備校が終わるとみんなが集まって、それで
佐藤:芸術談義だ

山中:芸術論まねごとをやるんですよね。今週かかった映画は何か 当時は なんだろう レオス・カラックスとか 何かそういう映画一杯掛かっていて。丁度ミニ・シアター 全盛だったので。色んな映画館で色んな面白い映画が やっていて。それも毎週毎週、観ては 観た内容について、解ったような事を語って 蓮見(重彦)が〜 とかなにか言いながら 解ったようなことを言っていて。

佐藤:ふふふふ
中山:蓮見?って誰だろう?って分かんないから。でも分からないって思われると 恥ずかしいから、こっそりメモして。まだインターネットも無かったから。そういうのを一生懸命探して。
 で分かり易い対談集を読みつけて。そういうのを一生懸命読んで 。「ああの人が言ったのは この事だ」とかって。来週までに知ったかぶりを増やすために付け焼き刃をやるというようなことを、毎週 毎週やっていた という。

その合間にちょっとセンター試験の勉強をやったり へへへへへ

佐藤:  よく 芸大に入れましたねそんなことで。ねー
中山:いやーだから凄い時間 掛かって。それで、何か一回酔っ払って、「今年受からないと もうまずいな−」って。2浪したんですけど。「今年受からないともう拙いな−」と思ってた年に、夜また いつものごとく 酔っ払って交通事故に遭って

藤:あらららら
中山:それで、骨を折っちゃったんですよ。それで手が動かない、右の鎖骨が折れちゃって。手が動かせなくなっちゃって。それで、また浪人 決定みたいな。
佐藤:デッサン試験できないよね

中山:
そうです。「また 浪人決定」みたいなになって。「もう だめだ」って 思ってその翌年は「芸大しか行かない」とかで格好つけるのは やめて。それで多摩美に受かったんです。で芸大はまた、落っこっちゃって。最後の面接で落っこちて。それで多摩美に僕は1年行っていたんですけど。

その後、その多摩美に行っていた1年でまた、凄い重要な幾つかの友人が出来て、いまだに、凄く大切な友人ですけど。またそういう人達から。色々新しい刺激を受けて。

佐藤:建築じゃなく ですか
中山:建築の友人達でしたけど、また全然違う価値観をもった人達で。とくに彼らは音楽を沢山聴く人達で、たまたま。それでその人達から 色んな影響を受けて。それで「このまま多摩美に通い続けてて、もうこんなに面白い人が一杯居るし。いいかなー」って思って たんですけど。

で、何か、ある日  芸大に受かった友達から、予備校の時いっしょに居て、その子は芸大に受かったんだけど。僕は大学の試験の時にはもう 色んな人に影響を受けて、サングラスを掛け赤いジャケットか何かを着て、訳の分からん格好をして。それで受験に行っていたんですけど。

 その服装を覚えてた教授が「あいつは 何か二次の(試験)のちょっとした処のミスで落ちたんだけど。自分は他の教授を説得して受からせようとしたんだけど、ちょっとやっぱり 根本的な処で一寸ミスが あったから、説得仕切れなかったから、もう一回受けろ!」って「言っておけ」みたいな。指令 が来たんですよ

佐藤:指令がね 〜 ねー
中山:それで、凄〜く 嬉し くって。「赤いね、サングラスしていた奴は お前の友達か?」って言って「そんなこと言っていたぞ」って、その友達に言われて、もう〜〜舞い 上がっちゃって。「もう一回 受ける」って へへへへ

佐藤:いいねー
中山:はい。なって。それでその年は無事に受かって。そしたら、多摩美で仲良くなった友達からずいぶん 「裏切り者〜 」って。凄いがっかりされて。それもなんか凄く、がっかりしてくれた事が また凄〜い嬉しくって。「頑張る!」みたいな感じで。へへへへへ。 それで大学移って。


佐藤:
芸大に行きながら 多摩美の友達とも交流してるわけでしょうずーっと

中山:いまだに、大切な友人ですよ。みんな ひとかどの建築家になってます



藤:それはよかった へーえー。じゃー芸大のことを 手短に紹介してもらいますか。最初は建築の勉強をするんですか
中山:そうです、そうです
佐藤:何か造形をつくるのではなくって、図面かくのですか

中山:
僕らの代は 色々何かカリキュラムが変わっているみたいですけど。僕らの代は割と先達の重要な図面のトレースとか、そういうのは一切無くなっていて。

いきなり大学1年生の課題は まだクラスメートと挨拶もろくにしない、最初の日から、彫刻の森美術館  箱根の。あそに集合が掛かって。みんな行くんですよ。

それで、そうすると「自分の一番好きな彫刻を三つ選びなさい」の感じの課題で。それで、好きな彫刻を三つ選んで。それを測るんです。写真に撮ったり。

それの何分の一かも忘れちゃいましたけど。1/30か、それぐらいかなー。1/20かな〜。割と大きめの、ミニチュア模型を作るんです。それでそのミニチュア模型が出来た処で、それを展示するための小さな美術館っていうのを設計して。そのミニチュア模型がかっこうよく並ぶように、模型なのか実物なのか、その半々みたいな状態で。切った 貼ったしながら。段々空間を作っていって っていう凄い いまだに それ傑作な課題だと思うんですけど。

佐藤:いきなり凄い課題だ いい
中山:4年間でその時に作った作品を越えられなかった人がけっこう多いんです。最初に 模型の作り方も分からないから。本当に土で作っちゃう人もいたし。模型材料って概念が まだ みんな無いので。本当に何か流し込んだり、削ったり体中動かして。ああいう物が作りたいというイメージもまだ先行してないので。何かもの凄く グロテスクな模型が人数分並んで、凄い迫力だったんですよ。

それで4年間 たぶんその時に作った作品 越えられないかった子とっていうのはけっこう多いかな−

佐藤:好い課題だしちゃうと 次の自分の制作の議題設定できないのだよねー 厳しいよね
中山:っていうぐらい、いきなり何か作家として作るっていう事をやらされて。みんなその気になって。「自分は天才だ」って勘違いした子どもたちが、凄い作るみたいな。そういう感じでした。芸大は

佐藤:そで4年で終わったんですかずーっと続けたんですか
中山:大学院まで行きました。「お前ちょっと来い!」って言った その先生の所に大学院の研究室に入って。

佐藤:論文を書いたのですか
中山:いや、大学院も作品です。だから僕は文章を書くことはほとんど大学のときには鍛えられていなくって。後に凄い苦労することになるんですけど ふ ふっ ふ
佐藤:ふっふふふっふ そうですか


中山:ああ一個凄 く大きい出来事があって。その芸大に受かって、編入をして。通い始めた、直後に、なんの先輩に聞いた話だったのか忘れちゃったんですけど。

芸大の伝説のS先輩の物語」っていうのを聞かされたんですよ。S先輩というのは音楽学部の伝説の先輩で。作曲科に居た人だと。だいぶ前に居た先輩なんだけど。

武満徹さんが ちょうど アバンギャルドの最先端を走っていた頃で。なんの曲のプレミアだったのか忘れてしまいましたけれど。ある曲のプレミアを何処かの劇場でやるときにね。たぶん上野駅前に東京文化会館だったのかな。芸大生のS先輩がビラをまいた。「こんなものを聴いちゃだめだ!」っていう。それで要するに「これはオリエンタル・コンプレックスだ」と
佐藤:なるほど
中山:西洋人が考えるオリエンタリズムの気持ちの良い、その部分を「東洋の神秘」などというね、「どうにもならないものを 使ってね、西洋人の琴線に訴えかける卑怯な曲だ」と。「そんなものは世界の、これから作られなければいけない世界音楽ではないんだ」っていうような

佐藤:強烈で 分かる言葉ですね
中山:そういうの書いてね、ビラを配ったと。そしたら武満さんがそれを読んじゃったらしいんですよ。それを読んじゃって、ビラを配った本人の処に来た。だけど怒り狂って来たじゃなくって、話をしに来て。 いっかい の ただの学生に向かって自分の音楽論っていうのを真剣に語って、それで 「私は唯一にして 最大の武満徹信者である」って最後に言って去って行った、って言うんですよ。

かっこいいな−」って思ったんですよ。

 「ビラを配った人もかっこいいなー」と思ったんです 学生って、「芸大生たる者 もはや 1人の作家として世の中にある作品を 遠くから聴く時間はもう終わった」んだと。「自分も1人の作家として世の中のと直に対話する」それはビラをまくでも何でもいいけれども、「そういう姿勢こそが今の学生には重要なんだ」というような事をその先輩がよく、だれだか忘れちゃいましたけど。新入生歓迎会か何か、その辺の入学間近の み会の時に 聴いたんですよ。

佐藤:それはいいすごい話ですよね

中山:それで、「そうか 僕にもついに その日が来たんだ」また感化されちゃって。

 それで大学の課題が先生から出ると、もう最初にその課題に対する批判を書いて。「こんな古くさい前提条件でものを考えるなんてことにね〜 僕の重要な4年間 付き合わされてたまるか!」みたいな。

佐藤:反応が単純ですね ははは
中山ふふふふ馬鹿なんですよ今も昔も変わらない ただの馬鹿なんですけど
佐藤:やるところが凄い 学生で 言い張るところが 馬鹿でじゃないな〜

中山:そうやって先生から凄く嫌われて
佐藤:そうでしょうね ふふふふ
中山:そう。嫌われて。だけど そういうことを何かにつけて、やる子になっちゃったって、いいう感じです。

 でもその話を入学直後に聞かされたのは、いまだに思い出すけれども。結構「重要だったかなあ〜ー」って。

もう学生っていうのは教えてもらうっていう季節は終わっていて。即すでに僕は浪人もして大学も代わって、それなりにおっさんになっていたのでそういうコンプレックスも凄くあったから〜。ねー。まだ10代の子も居るのに、僕は20代になって、大学生になる前に。だから「もう次の季節が来ちゃったんだ〜」って凄く強烈に意識させられる、話をしてくれて、聴いたのはけっこう大きかったですよ、4年間にとって。

佐藤:今だと逆ですもんね。あらゆるものを教えてやる 社会のなかで使い手のある よい人間に育てよ と企業は大学に指令して 人間を性能とみなし企世界的業が処置する ゆとりなき時代だし
中山:そうですね
佐藤:それとは全く逆ですよね
中山:逆ですね。

佐藤:今もそれは後輩達に語ったりするんですか
中山:たまに学生と懇親会とかで 酔っ払うと
佐藤:どん引き されますね

中山:どん引きされますね

 ともに ハハハハは

中山:酔っ払って時々 ちょっとうるうるしながら 喋ちゃったりして。「しまった!」と思うことが
佐藤:残念だけど〜 いい話だもんねー
中山:しまったと〜 たまにあります。

佐藤:通じないかも知れないね、今の若い人には
中山:どうでしょうねー「何か言っているなー」と思われているかも知れないですけど。

佐藤:確たる主体があって 自己の主体と他者の主体の闘いの季節を経て、そこから物や自分の世界を作っていた事態は 今は消えきて WEbがあるので現在は違うような気がするので。いい話ですね 僕にとってはですよ。 若い人にはどうか分からないですけど 主体が溶融したかのような現在になってはどうかしらないけど、なるほどね。それで中山さんは他者を批判し続けてた、自分の作品も批判を受けることになでしょう

中山:
おもいっきりこてんぱん にです。だから成績 芸大というのは事あるごとに
 
 32:54  その03へ