HOME   佐藤敏宏が作成しました     佐藤敏宏(元・エア建築家)@セシウム都市フクシマ  による聞き取り記録集
「O邸」 設計者 中山英之さんに聴く (2013年 5月 19日千駄ヶ谷にて)

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多様な人が集い多様な事態と言葉が生まれるO邸の家型内部



 みんなでお食事する



下記動画はO邸行われた味噌造りの様子が背景です。多数の人々が集い暮らす様子をご覧ください




京都のお母さん達が集いフクシマ原子力発電所事故後の暮らし方など話し合いました







台所から観た南東の 坪庭 もの干し場


洗面洗濯場から観た坪庭








台所領域から登り始める階段


階段の途中から入り口周りを観る


 絵の上が家型領域で 中央から下部が現玄関台所領域






 05  O邸を語る

佐藤:他者と共有、自他の境界が曖昧になって来てて、ネット空間は そうじゃないですか。
中山:そうかも知れないですね
佐藤:バーチャルな場では共有が進んでいるに なぜ建築だけが 壁を作るわけですよね。壁を突き抜けて情報はどんどん入ってきてる社会にあって O邸はそのように使わっている もしかしたら!建築家が指導かなにかしたのかなーと思って聞いてみました

中山:いえ、してないです。超かっこ好く 棲んでくれてますよね
佐藤:それで 本当によかったですよね  俺はびっくりして〜 奥様は市長選の応援演説したり あのばでミニ集会を開いたり 原発事故後の勉強会を開いたりと

中山:あ!そんなことが あったんですか!
佐藤:奥様を おっかけしまして〜my動画ユーチューブにアップしてますよ 前回の京都市長選のときに 食べもの 安全ものを 子どもに与えろ〜みたいな運動を切っ掛けにして
中山:応援演説をやってそれをネット上にアップしてる?!
佐藤:アップしてます (ユーチューブへ)

中山:
全然知らなかった 岡田さんそういの全然 教えてくれないんです
佐藤:恥ずかしいからですよ 。my動画では演説の声は そのままなんだけど 背景はO邸で友人、知人、子ども達が多数集まって味噌を造っている絵です

中山:味噌!
佐藤:仲間と 手作り味噌です 子どもとか一杯集まってさー味噌造り。 あるときは 味噌工場にな ていたんですよ
中山:う ふふふふ

藤:用途と建築空間が対応してないことによって、突然そういことをが起きているし  建築の力が発揮されている O邸では現在の一般の住宅では起きないだろう多様な事態が起きてしまう 奥様は「ここは公民館だ」って。僕は「建築の理想の路上だ」と言っているし。O邸を体験した人がそれぞれ「お気に入りの機能名称を与える」そういう処が新しい。 そこから 他者との関係が新しく展開するだろうと 。建築が在ることで新しい人間関係が作られる可能性も内包していたと。 偶然 だったかもしれないけれど とても好いな−っと思ったんですよね。だから「一度 設計者に聞いてみよう」と

中山:
うふふふふ

佐藤:そうか あれは凄いですね。そこに至る経過や その後の中山建築の展開とか観ていかないと 今俺が言ったことが中山さんの建築に対する適切な言葉ばで語ったことに成らないので。今後も継続して観察させていただきたいですが そういう処も含めて俺としては凄い事態に出会ったなーと「やられちゃったわ〜」

中山:凄い 嬉しい −
佐藤:おれの建築の千万家の個室部分が蒸発している建築だから。元にもどりますけれども最初に話されたときに周りの事を考えて家を置いて周囲に機能を配置したみたいなことを仰られましたよね。そこの処、敷地の外の事を考えてこの家型を作ってしまうというのは、そこの処が まだよく語れられてないと思うのですけど。その当たりに至るのは なんででしょうか

中山:どうなんでしょうかねー。
佐藤:景観の話でもないですよね
中山:景観の話はもちろん、周りとどのぐらいに似ているのかとか、似ていないのとかという、事もそんなに軽視しているわけでなないんですけれども。何か圧倒的な建築の普遍モデルみたいなものを作って、それを持って何か作品とするっていう、姿勢に対しては 僕は違和感が。凄くそういピアな建築も創ってみたいですけど。何処かに違和感があって。

だから、ギリギリ他と似ている所に少し片足が残ってないと、周りを全部否定する感じになちゃうような気がするんですよね。

佐藤:景観連歌のようにというか、個の周囲の壁が溶け合っていくかのような そういう力が最初から働いているわけじゃないですか。そこの処が面白いと僕は思ったんですけどね。断絶するんじゃなくって周囲を招き入れて曖昧になっていって そこに在る場所 建築が立ち上がっていく。そこの処が面白いな−と思ってますけどね

中山:なんなんですかねー。勤めていたときに常駐先で、何年ぐらいだったかな。僕学生のときにあんまり頭が良くないので。知的な話がしたい訳でないんですけど。エドワードサイードというパレスチナの思想家の本を、何かを読もうとしてた時があって。ろくに読破も出来なかったんですけど。

 何か自分達が世界を観るときに使っている目というのはちょっとずつちょっとずつこういうふうに観るんだっていう暗黙のフレームみたいなものに影響を受けて

その暗黙のフレームに基づいて世界を眺めて「わかった」とか「わからない」とかって いうふうに言っているけれども。「わかった」とか「わからない」とか言っている外側にもう一つ暗黙をフレームを作り上げて来た歴史みたいなものがあって。それは東洋と西洋とかオリエンタルとか、そうでないとか。

何かそういう枠組みがシェークスピアの時代から、繰り返し物語られてきたことによって、今現在の世界の見方が来上がっているんだと。

だから、その見方が。ガラガラポンってね、一回無くなると世界の形ってのはそのままに、全く別なものに読み替えられる可能性があって。「そういう可能性って、ちょっと凄いよね−」っていうことに凄い憧れていて。

佐藤:そうなっているじゃないですか O邸は ふふふふ
中山:そういうのに まず憧れてたんですね。それでサイードを読もうとするとアドルノっていう人が出て来て。サイードもアドルノも要するに「古里を持って ない」わけですよね。古里という場 概念がある「土地と結びついてないことを自分のキャラの売りにした人達っ」て言った方がいいのかも知れないけれども。そういう人達で。

で、なんかメモったので。(メモをとりだす)メモったのがあったんだけど。例えば何かアドルノという人は「故郷を持たない人間には書くことが生きる場所となる」とか言って

佐藤:実家を放射能汚染されセシウム都市福島に生きてても 好い言葉で かっいいですね
中山:書いてたわけですね。
佐藤:その通りだと思います、言葉の中に古里があるわけですね
中山:あと、「自分の家でくつろがないことが 道徳の一部である」とか。そういうことを言っていて。自分の家でくつろがないことが道徳って?
佐藤:狂気の中に暮らして入る家人を持ち、自分の家でくつろげない 俺が聞いても いい言葉ですね

中山:だけど「本当にそうだな〜」と思ったんです。僕自身も何か家未満みたいな所で育ったので。

 阿佐ヶ谷住宅性能も最悪で。お父さんが必死に屋根に発泡スチロールとか貼ることに よってなんとか住居に仕立てようとしていて。その代わり庭が凄い広いですよね。

そこが家の一部みたいになっていて。そこで僕は自転車の補助輪を外して乗るようになるか。生活の曖昧な記憶のほとんどはそのお庭の側にあったりして。(八戸)行った先では今度は団地住まいだったんですけど。団地も何て言うか、どこが家なのか?よく解らないですよね

団地っていう仕組み成立させている社会が一つの家みたいな処があるので。

例えば 冬になると、近所の駐車場がスケートリンクになるんですけど。お父さん達が夜な夜な出かけて行って。水をすこーしずつまくんですよね。で、ちょっとずつちょっとずつまいて、氷を育ていくと1週間ぐらいでリンクが出来るんですよ。

それで家の玄関でスケート靴を履いて雪の中をスケート靴でザクザク歩いていって。そのリンクでぐるぐるぐるぐる何時間も回り続けるっていう。で春になると全部溶けて無くなっちゃうという。そういうのだったんですよ。

じゃー建築っていうのは春になると 氷が溶けないように上屋を作るのが建築の仕事なのか?と言うと。別にそうじゃなくって。溶けちゃうからお父さん達が夜な夜な作ってくれるっていう事が輝く訳 だし。


あと溶鉱炉がある工場の。働く人達だったので。亜鉛の精錬過程というのは金属を気体にして、それで蒸発した物がもう一回凝結するところで雑物を取り除いていくっていう、そういう抽出のプロセスがあるけど。

それをやるには金属を高温で溶かして気化させるためのタワーが要るんですけど。それは高熱になるので、煉瓦をただ積んで造るしかないんですよね。で、接着剤みたいな物もモルタルとか使っても高熱で全部やられちゃうから、意味がなくって。

結局 ただ煉瓦を積むっていうことだけでしかその溶鉱炉っていうか何て言うんですかね。造れないんですよねその仕組みが。だから地震が来ると崩れちゃうんですよそれが。ちょっと地震があるともう、団地中の空気ががらっと変わって。血相を変えて親達が車で15分ぐらい、20分ぐらいの所に工場が在るんですけど。

わーっとスクランブル発進して行くんですよね。三交代で寝ててた人達がスクランブル発進していって。子どもは何が起こってるのかよく解らないんだけど。1時間ぐらい経つとみんな「よかった〜」っていう感じで引き上げて来て。また平穏に戻るみたいな感じで。何となく今になって思うと、溶けて無くなちゃうとか、地震が来ると倒れちゃう物というのが、その団地という一つの家族みたいなものにとっての、臭い言い方で言うと「拠り所」みたいなことになっていて。

どっちも 壊れちゃうものなんですよね。建築とかじゃなくって。だから団地批判とかいうと、画一的的なプランとか言うけど、僕からしてみれば、そんなの団地っていうアーキテクチャーが持っているほんの一部の事を良いとか悪いとか言っているだけで。団地っていうシステムはそんな、団地っていうものがつくっているアーキテクチャーというのはそんな細部のプランニングなんてものでは無いんで。

そんな所には 誰も住んでないよ っていう。ずーっとそういう思いで。団地批判とか通り一遍のモダニズム批判とかを何かいつも「ずれているなー」って思いながら聞いていて。


だから何か建築を造るときも、僕がつくっている建築ってのは何か団地のプランみたいなものじゃなくって。でも団地を1人でつくるわけにはいかないから。何かそういう外側に在る、もう少し信じられるようなものというか、そういうのを作りたいなーっというような気持ちっていうのはずーっと持ってますね

そういのを作ろうとすると ああいう、そうでもあるけれどそうじゃないようなのがあって という処があって、なるべくどっちかに決まってしまわないような 曖昧な事を精度を上げていくっていうか。

そういうふうな作り方に どうしても 成っちゃうというのが。振り返って観るとそういうことは ありますね


佐藤:危機的な状況が起きたときに全体を支えているシステムが顔を出したり、季節が変わってスケートリンクが顔をだしたり、一つの場所であるけども時間とか気温とか外部状況によって、持っている能力が違うものに変容していく 。それで力を発揮したり邪魔者になったり。害になったり。それはそれで右往左往すること 全体が生きている建築的 可能性が続く事態という場です ね。そういう考え方サイードやアドルノの言葉も そうですけれども。 どうして?O邸が出来たのかよく解りました

中山:そうですか。
佐藤:それを発注者に語りかけても解らない事でしょうね〜
中山:まあそうでしょうね

佐藤:解らないですよ 何言っているのか そこで凄く 幸運だなと思うのは O先生とか デザインが解る人が 
中山:見いだしてくださったという
佐藤:そう 幸運な出会いもあるし だから そういの何ていうのかねー。そのような偶然もあるし。俺は O先生と知り合いであったわけでもないし 親戚でもないのにね。「泊まって箔付けてよ〜」って言われて 中山建築を観察する機会を与えられて。「これは一体何だ?」って思いましたし。 俺が理想として 理想としている建築が持つ力の事態が O邸にありましたからね。 今の話から言うと建築に見えたり見えなかったりするわけですよね。

中山:まあでも一方では建築の形もしている。いかにも建築らしい形もギリギリとどめてて。
佐藤:それは物として置かれたとしても法律で屋根を作れという規制がかかるからね。

中山:典型的な母屋と下屋の組み合わせっていうもけっこう京都の神社の脇に必ず在る御輿の蔵の形と凄くよく似ていたりとか

佐藤:ふふふふ
中山:意外とばか!っと開いて中から御輿が出て来る建物とそっくりなんですけど。どっちにも見えるっていうことが  

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