HOME     文責・作成・佐藤敏宏         佐藤敏宏の京都ことば悦覧録 2017年1月27日から2月2日
ことば悦覧録

    
 
細尾直久さんに聞く 2017年2月02日京都市内にて
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 その5 

細尾ミラノ工科大に留学するつもりがあったんですけども。もしアルゴリッツワンが雇ってくれるんやったら、そっち行ったらいい。

国立なので安い授業料、年8万ぐらいですよ確か。そこで仕事できたら一番いいから、アルゴリッツワンは難しいという話になったんで。ミラノ工科大に行くんやったらインターン、オープンデスクしながらだったら いいという話になったんで。ミラノ工科大で勉強しながら、仕事もさしてもらおう、それ済んだら京都に帰って と思ったんですよ

佐藤:イタリアでも二足の草鞋を履いていたと。事務所では実践的な仕事をしてたんでしょうか

細尾:彼らはなんで面白いかというと、今の日本での仕事ともつながるかもしれないですけど、

イタリアは既存建築の山
やから。何を削って、何を加えて、何をどういうふうに文脈を換えたら、建築作れるかみたいなことをずーっとやってて。

イタリアで初めて見た事務所がそういう所だったので、影響というか、最初やったし言葉も、お金もらていたわけではないので、事務所の運営どうこうみたいなんはつぶさにどこまで観れるか・・ってかなり怪しいんですけど。ただ、こういうふうに事務所やっているんやなーって

佐藤:現場に行き空気に浸っていたと、体感して分かることも多いよね
細尾ありますね

佐藤:大学の方はどんな感じでしたか
細尾:大学は近大と比べていい悪いじゃなくって、重要視しているところが全然違うと思いました。自分でカリキュラムは選択してやるんですけど。

すべての根底に、日本の設計演習やったら、文脈分析なんかでも瞬間で終わる。それがめっちゃー長くやるんですね。そこの文脈をどんだけ砕いてそれを取込むかみたいな話が半分。

設計演習、日本やったら3か月とかですけどもミラノでは半年とか1年かけてやるから、壮大な物語を作ってからの話になりますよね。それが違いますね。

日本の方が手が動くなーと思いました。

佐藤:日本とイタリアの大学で学んで、2年経って・・・

細尾:当初の予定ではそれで帰ろうかなーと思ってたですけど。2年居ると言葉も、人間に近づけるというか、仕事ができうるレベルになって来たんで。これやったらイタリアで徹底的にやろうかなーと思ったんですよね。

生活費はなんんぼやったかなー。ミラノはねー日本と一緒ですよ。1ユーロを100円という感じ、生活費は親の世話になってました

佐藤:京都で暮らしているのとさほど変わらないと。

細尾:ミラノで仕事探そうと。日本と違って就職活動が無いので、自分でポートフォリオを送って面接とか。

リーマンショック直後ぐらいやったんです。イギリスの事務所なんですけどロンドンがメーンオフィスで、ベルリンとミラノにもオフィスがあるんですよ。それぞれ別のボスが居て。ロンドンの下請けじゃなくってそれぞれ半独立でやっていて。ミラノ事務所はロンドンのボスとだけつながっているんですよ

イタリアのプロジェクトとか、イタリア以外でも海外のコンペとかをとってきたら、自分らで仕事をするし。そういう所やったんですよ

佐藤:仕事の内容は

細尾コンペが多かったですね、ファッションのバレンチノというブランドが落ち目やって、リニューアルというかブランドイメージを一新するので、僕が入る直前に建築家のコンペをして。勝って。そのパイロットショップみたいなのをフランスのカンヌで実施でやらしてもらいましたね。

事務所の運営的にお金の出るコンペにしか出してませんでしたね。スタッフ動員してやるから、金掛かるので。

ミラノは20人でしたね。建築家とかアーキテクとだけやったら17あとは秘書とかいますよね。 

ショップは実施しましたけど、色んなプロジェクトが凍結していた時期で。イタリアも首切りの嵐やったんですよ。大学出たての若い建築家なんて金払ってもいいけど40歳とか中堅になっている人ってけっこう持っていくからそこからばーっと首切っていくみたいな。世知辛い時代やって。

僕が入れてもらった事務所も、打って出えへんかったらヤバかったんで。凄くコンペをやって。仕事をとろうとろうとしてて。スタッフ一杯雇ってても、出るものが大きいので大変だなーって、思いましたねー。

そこには1年半だけやったんです

佐藤:ミラノで大学を出て実社会の中で仕事し給料を得たと

細尾:まだ学生ビザでイタリア緩いんで、合法的にいけるんですけど。ちゃんと就労ビザに切り替えてやってくださいという話にして。

夏に日本に帰って。そこで手続きがブロックしちゃって。外交的な問題も絡んでいるんですけど。半年近く日本に居て取れなかったんですよ。ミラノの事務所を辞めなければいけなくなっちゃって。

首相かわったばかりで右派なんで僕も移民ですよね。え!みたいな感じで。気分が収まらないので一回ミラノの違う事務所に移って。そこでも1年やってましたね。

トータル3年ぐらいですね。帰ったのが2012年の年末ぐらいでしたからね。30才ぐらいで。何とかやれるようにはなっていたんですよね。戻るんやったら京都にと決めていたんで。

佐藤:独立で仕事をしているっていうことですか

細尾戻って来て最初は暇ですよね。1級建築士の勉強もしてましたし。

知り合いの方とか、イタリアに行っていて他の日本でやってらっしゃるかたと比べてビハインドというか、遅れているなーと思ったことは、明らかに現場経験とか、実際の建物をするプロセスみたいなんは解ってなかったんですね。頭でっかちに完全になっていて。

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