HOME     文責・作成・佐藤敏宏         佐藤敏宏の京都ことば悦覧録 2017年1月27日から2月2日
ことば悦覧録

    
 
細尾直久さんに聞く 2017年2月02日京都市内にて
その1 その2 その3 その4 その5 その6 その7 

 その2 

佐藤:小学校で部活は何をしてました
細尾ソフトボール部美術部やってましたね 5年生が美術部、6年生がソフトボール部です

野球好きだったんですよ。タイガーズが好きで、阪神は暗黒時代でして。新庄とかね岡田がぎりぎりいたけど引退前ぐらいやったかなー湯舟とかね。亀山とかああいう時代です。子園に近いので連れていかれるとわーっとうれしい。それでファンになっちゃって。

佐藤:夢はプロ野球選手
細尾:なりたいぐらい思ってましたね、運動神経の限界がね、クラスで一番になれへんのにふふふふ プロになれないですからねー好きでしたけどねー

佐藤:美術部へはどういう切っ掛けで
細尾:たぶん親友がね美術部に入るって言ったから一緒に入ったと。絵を描くのも得意だったので、それで入ったと思うですけど。

 5年生か6年生ぐらいから、中学の受験勉強みたいなのを、お受験ですね、まさに。受験したのは事務所の近くなんですけど、洛星っていう学校がありまして、中高一貫の6年なんですけど、そこに入りまして。



細尾:有名校ですね。浅田彰さんとか、井上章一さんとかが先輩にいて、のびのびした学校なんです。1学年4クラスでしたね。高校は6クラス。1クラス44人ぐらいですね。先生は女性もいましたが少ないですよね。
 
佐藤:高校受験なしで
細尾楽でしたねー。皆が高校受験頑張っているときに僕ら無勉強だったから。
佐藤:神戸の大震災の直前ぐらいだね
細尾:震災は中学1年の終わりぐらいでした。母親は大学で京都に来ていたんで、父と会って、母の実家が播州、姫路の方なんで、電車で通るだけでした。が、廃墟が一面に広がっている感じだった、現場までは直接足運んでななかったです。

佐藤:震災の被害に遭った方はいなかったですか
細尾いなかったですね。中学校の1年生の時はバトミントン部とかに入っていたんですけど、中2から美術部に入っちゃって。思春期なんで内向的になってたんでしょうね遠藤周作とか読んでました
佐藤沈黙が映画になってますね
細尾観ましたよかったですよ サイレンスっていう映画ですね。
佐藤:中高一貫校はクリスチャンじゃないんでしょう



細尾洛星もクリスチャンです。選んでいるわけじゃないんですけど。僕はいい学校だなーと思ったんです。大正デモクラシーじゃないですけど、戦前の教養主義のまんまの学校みたいな所で。先生が人として接するみたのがあって。運動会とかやるときに文化祭とかでも、日本の国旗が立たへんし、国家も歌わないし。

名誉校長とか、神父さんの方とかって戦争中に迫害されている人なんですよ。僕のいた時は外国の人が校長先生でしたね。

覚えているのは、戦争中に天皇かお前の神かどっちか選べ憲兵に言われて殴られるとか・・・どう応じたかは覚えてないんですけど、本人が90歳とか言うてはった。体験談は実感があったことは覚えてますけどね 

佐藤:公立中学校とは違うね
細尾:彼が話した宗教の内容はまったく覚えてないんですけど、生々しい実体験語りは忘れられへん・・というか。そのときはふーんんと思って聞いてて。今でも覚えてるなーと

佐藤:自身に起きた悲劇を語り継いで記憶を無くさない態度が大切だよね。美術部も、そういう表現でしたか

細尾ぜんぜん違ったんですけど。油絵と彫刻も若干やっていたんですね。風景も人物もどっちもやってましたね。抽象画はぜんぜん描いてなかったです。僕は質感が好きやったのでルオーとかね。モジリアニとか、ああいうこってりしたの好きやったですけど。

佐藤:ルオーはキリスト系の絵一杯描いていたね
細尾:遠藤周作を一杯読んでまして、遠藤周作もルオーが好きなんですよね、その影響もあったでしょうね。僕はクリスチャンとかではないんですけど。

佐藤:ルオーの絵を持っていた友だちが東京に居て、見せてもらったことあるけど山盛りの絵の具重ねてあって立体的で分厚い。「おじいちゃんとルオーが友達だったからルオーからじかにもらっんで家にあるんだ」と言ってたよ。

細尾:僕は難しいことを考えて無くって質感ね、塗って重ねて削ってああいうの好きやという話

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